愛しい人
父に真相を聞かされたときの胸の高鳴りを、アメリアは生涯忘れまい。
かつて顔も知らない相手に惹かれていたことを、今は自覚として受け止められる。また、この数日の間にムネヒトという男性に興味を持ってしまった事も。
ルーカスという婚約者がいながら――という自己嫌悪に陥らない為、男女としての運命ではないと言い訳もしたし、またムネヒトへの想いを自覚してからは、同時に二人の相手へ懸想する自分の浅ましさに愕然とした。
金勘定ばかりに生を費やしきた女が何て身の程知らずなと、自分を哀れとも思い掛けた。
だがそれらの葛藤は全て跡形も無く消えた。
無間の闇夜を斬り裂いた二条の流星は、一つに重なりアメリアの心を強く照らす。それは彼女の側に在って、ずっと彼女を護っていたのだ。
あらゆる理不尽を討ち果たした星は、宙の果てへ消えることなく彼女の胸に灯った。二度と消えることの無いだろう強い光は、アメリアの何もかもを燃やす。
心の臓の名の通り、鼓動は彼女に心を歌った。
この流れ星の名前をアメリアは知らない。しかし、彼女の身体と心が教えてくれる。
アメリア・ジェラフテイルは生まれて初めて――。
・
「つまり好きよ」
「何がつまり!? 何の説明もされてないんだけど!?」
何だこの好感度の高さ!?
直前にしたこといえば、アメリアの乳首を摘まんだ上に『凄く良いおっぱいだね。ココも綺麗なピンク色してる(ニッコリ)』って、クソみたいな事を言っただけ。
俺のゴミさは言わずもがなだが、それで「好き!」ってなるアメリアも相当アレじゃないか?
「ともかく一旦離れてくれ! 人だって居るし……」
「は? いま離れたら淋しくて死んでしまうかもしれないじゃない。常識で考えてくれないかしら」
「常識」
俺の知ってる常識とはだいぶ違うような気がする。もしや俺とは常識が違うから、ナイスニップルで好感度ドーン! だったのかね?
「仕方無いわ、お互いに色々あったもの。ムネヒト、あなた好かれてるのよ」
「何その『あなた疲れてるのよ』的な言い方。あー! だから全身で抱きつくなって! お前はコアラか!?」
「あら、コアラなら知ってるわ。むかし、お母様と一緒にモンスター図鑑で見たもの。とんでも無い腕力で獲物を締め殺して、潰れて口から零れた内臓を啜り食べるっていう肉食のモンスターでしょ?」
異世界のコアラ怖えー!?
「……大切な人を腕に抱くことが、こんなに素敵な事なんて……ようやく実感できたわ。お母様が私を抱き締めてくれたのは、憐れみでも母親としての義務でもなく……私を愛しく思っていてくれたからなのね……」
アメリアは周囲でポカンとしている皆を無視し、より強く身体を押し付けてきた。そんな場合ではないというのに、彼女の温かさと柔らかさに胸が跳ねた。俺の背で小さく震える腕は、それでも決して離れようとしない。
「ごめんなさい、もう我慢できないの。だから、我慢出来ない私の為に我慢して頂戴。愛してるわムネヒト……絶対に、貴方を離さない」
ぬおー!? コイツぁエラいことだぜ! この状況を無事に切り抜ける方法があるなら誰か教えて下さい! スマホがあれば検索とかするんだけどなー!
「コラコラアメリア、あまり彼を困らせたらいけないよ」
助け船は意外な所から出された。アメリアとジェシナという秘書が歩いてきた方角から、先程の一団が近付いて来たのだ。察するに【ジェラフテイル商会】の方々だろう。
因みに、その内の一人がルーカスを引きずっている。自称魔王サマは
アメリアは名残惜しそうに抱擁を解き、しかし俺の腕に自分の腕を絡ませながら退いた。
「私はベルバリオ・ジェラフテイル、アメリアの父だ。ハイヤ・ムネヒト君だったか、この間ぶりだね」
先頭の男――壮年の紳士が、ニコと朗らかな笑みを浮かべて更に一歩前に出る。
ん……? ベルバリオ? アメリアの父? あれ? ルーカス達に害されたって聞いたけど……記憶違いだったか?
「あ、ああ、はい。ハイヤ・ムネヒトと言います……その、失礼ですがこの間ぶりとは……?」
アメリアも秘書さんもベルバリオ本人も余りに自然なので、俺もそれについては訊ねられず、別の事を挨拶のついでに訊いていた。
「なに、私の顔を知らないのも無理は無い。ほんの一瞬、すれ違っただけだからね」
「はぁ……」
どうにもピンと来ないでいると、ベルバリオさんがいきなり大きく頭を下げた。そのまま土下座でもしてしまいそうな程、深く深く腰を折った。
「……君は娘、商会、そして私まで救ってくれた。どれほど感謝を重ねようと、到底足らないよ。この恩は、誓って生涯忘れない」
「ちょ!? 頭を上げて下さい! 俺は別に大したことしてません! アメリア……さんが頑張ったからですし、色々な人に助けて貰いましたし……」
俺を抱く腕の力が一段強くなった。
そもそもベルバリオ会長を救った覚えなんて無いし、この人は故人となったとも聞いていたので、何がなんだか全く分からないのが正直なところだ。
「……そう言えるだけの男が、娘と出逢った事こそを神に感謝せねばな。もちろん、ルーカスが信奉していたという神以外の、ね」
皮肉交じりのジョークを言って、いたずらっぽく笑った。つられてアメリアも微笑んでいる。
すみません……俺も神様なんです……乳首の。あれかな、娘さんの乳首見ちゃってごめんなさいとか言った方がいいのかな……。
「さて……本当は改めて感謝の場を設け、君を招くのが礼儀だが……まず、どうしても気になっている事があってね。年寄りのせっかちと笑ってくれて良い、どうか教えて欲しいんだ」
余程の大事なのか、ベルバリオさんの瞳は剣呑と形容しても良いほど真摯な光に満ちていた。
「えっと……じゃあ、どうぞ?」
「ありがとう。では――コレだが、いったい、何処で手に入れたんだい?」
会長さんが豪華な箱を空け、内側をコチラに向けてきた。中身は白い液体で濡れた陶器の破片……表面には何かの文字――あ。
「ああ、『松竹梅』ポーションですね」
その中には俺が作った三つのポーションの内、『松』のポーションが入っていた。正確には、その破片だ。
「ショウ……チクバイ? なるほど……そこはかとなく、厳かで高貴な響きだ……」
そうだろうか?
「実はそれ、俺が作ったんです……レシピを買い取って欲しくて……」
「――! そ、それは
会長さん、驚きすぎじゃない?
「ムネヒト君!」
「は、はい!」
「悪いことは言わない。そのレシピを売るなんて絶対に止めたまえ! いいかね!? 絶対だよ!!」
「!?」
「君が幾らで売り払うつもりだったかは知らないが、
そ、そんなぁ……! 頑張って作ったのに……!
「君の為に忠告させてもらう。ウチの商会が駄目だからといって、他の商会に持っていくのも止めるんだ。断言しても良い、君のレシピを真に買い取れる商会は王国に――いや、この世に存在しない……!」
「そこまで言わなくても!?」
酷評過ぎる。泣きそう……助けてカーネル・サ○ダース……。
「……君は今、これを作ったといったね……いったい、どのくらいの期間で、これを作ったんだい……? 何世代にも渡って受け継がれ、君の時代で遂に完成に至ったという認識で良いのかな?」
秘伝のタレかよ。
「…………三週間くらいです」
「さ!? さささ三週間ンンンンーーッ!?」
「あー! でもですね! 薬草を乾かす期間とか除いて、実際に調合した日数なら三日ぐらいです!」
「みっ、みみみみみみひぃっ、ごほっごほっ! みぃ、三日だとぉぉぉぉぉぉぉンほおぉぉぉぉぉぉぉぉん!?」
だから驚きすぎだろ! 確かに普通の薬師に比べたら遅いけど、俺だって一生懸命だったんだぞ!
「もっと頑張ればきっと一日……いや半日で作ってみせます!」
「いやいやいやいや! もう結構! これ以上、年寄りを驚かせないでくれ! ムネヒト君にそんな無理な要求をしようものなら、私は今度こそ天に召されてしまう!」
ぐ、ぐやじいぃぃ……! 会長さんには俺がそんなにノロマに見えるってのかよぅ……!
「うふふふっ! お父様のこんな顔初めて見たわ。凄いわムネヒト、あのベルバリオ・ジェラフテイルを此処まで動揺させるなんて、史上初かもしれないわよ?」
「………………それって褒めてるの?」
「もちろん。私と貴方とが一緒なら、お父様だけでなくもっと多くの人を驚かせる事が出来るに違いないわ。ええ、本当に楽しみ! 今なら何でも叶いそう! 歌い出したい気分よ!」
アメリアは愉しそうに笑い、本当に鼻歌を口ずさみだした。
彼女の喜びようは相当なモノだった。国も文化も違うが、盆と正月が一緒に来たかのようなご機嫌っぷりだ。
「……すまん」
「……え?」
だったら、俺は彼女を今から傷つけなければならない。
「アメリアの気持ちは嬉しい。けど、俺には――心に決めた人が居るんだ」
アメリアの顔が、笑顔のまま凍りついた。
後ろのジェシナさんとベルバリオさんから、息を呑む声が聞えた。コレットやメリーベル、他の周りの人達からも、それぞれの感情が音として漂った。
誰かの告白を断った経験など無いが、こんなに痛い物だったのかと愕然とした。
己に向けられた心を拒む行為は、一種の残酷な比較だ。
貴女じゃ駄目なんだと、自分だけの基準、あるいは心の中に住む者と比べて、相手を拒絶する惨い差別。
お前とは恋を作れないという訣別だ。
「……――そう、なの」
俯き、アメリアはポツリと呟いた。
せめて二人きりの時に伝えるべきだったかと、俺は悔いた。
「そうよね……貴方のような素敵な人に……想い人が居ないわけ無いわよね……」
けどこれ以上の時間を与えて、彼女の中で恋心を育てさせるが辛かったのだ。
好きだといわれて、正直嬉しかった。アメリアのような女性に好きだと言ってもらえるほど、俺はいい男に成れたのかと、誇らしかった。
だからコレで良い。
彼女の中で、ハイヤ・ムネヒトという男は最低な男だったのだと記憶されて良い。俺とは縁が無かったが、生きている限り続く女性の春。アメリアの全てを受け入れてくる男は必ず現れる。
だからコレで良いんだ。
「じゃあ愛人で良いわ」
「…………ぇあ?」
「愛人よ。それなら構わないでしょう?」
……。
……。
……。
……あいじん?
「ふ、ふ、ふ、残念だったわねムネヒト。私は諦めの悪い女なの。百や二百の挫折では、アメリア・ジェラフテイルは折れてあげないわ」
見間違いで無ければ、翡翠色の瞳には悲哀でなく戦意が満ちていた。流麗な眉と唇を吊り上げて、挑発的な笑みを浮かべている。
「ま、ま、ま、待つんだアメリア」
二の句が告げないで居ると、俺と同じようにポカンとしていたベルバリオさんが逸早く再起動に成功した。
父の狼狽ぶりに対し、娘の方は顔こそ赤らんでいるが涼しそうな表情だ。
「あら、どうされたのですかお父様? まるで、血は繋がっていないけど大切な娘が会って間もない男の愛人になります宣言したみたいな顔をされて」
「みたいでは無いんだなコレが。まさにその通りだよ。アメリア、君が人に恋をするようになったことを本当に嬉しく思う。だがね? 恋人でも婚約者でも無くて、いきなり愛人はどうかと思うんだ」
ベルバリオさんの正論に、アメリアはむしろ父親の意見を諭すような微笑を浮かべている。
「あら、どうしてでしょうか?」
「どうしてってアメリア……」
「恋愛に身分や年齢は関係ないのでしょう? ましてや、過ごした時間など」
「それはそうかもしれないが……というか、微妙に論点が違ってきて――」
「お父様、わたし知っているんですよ?」
「…………なに?」
「お父様がお若かった頃は20代、30代、40代に、それぞれ1ダースずつの愛人がいらっしゃったそうじゃないですか。亡き奥方様も、その内の一人だったのでしょう? そんなベルバリオ様が、愛人
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ハイヤ・ムネヒトくん」
「へ? は、はい?」
「……娘と【ジェラフテイル商会】をよろしく頼む」
言い負かされてんじゃねーぞ会長さーん!
緊急停止したベルバリオさんに背を向け、アメリアは再び俺の身体に自分の上半身を預けてきた。子猫が飼い主にマーキングするように、身体をグイグイと擦り付けてくる。
「うふふふっ! 父からの快い承諾も頂きましたし、これで憚ることなく愛を育む事が出来るわね! ムネヒト……♡ ムネヒト……♡」
快くないよ、今でも口をモゴモゴさせてるよ! アレは何とか反論の糸口を探ってる顔だよ!
「ふざけるなァッッ!!」
俺の声ではない。ベルバリオさんでもアメリアでもメリーベルでも、ディミトラーシャでもコレットでも、無論ハナでもない。
男の声が聞こえてきた。
ぎょっとして振り向くと、そこには地面に転がっているルーカスがいた。
「……ルーカス――」
泥と草だらけで頭髪が半分無くて、何処と無くやつれてしまっている彼は、眼光だけが異様にギラギラしていた。
よくその体勢で大声が出せるなと感心してしまう。
途端、ベルバリオさんもアメリアもジェシナさんも忌々しそうな顔になった。特にアメリアは、いかにも邪魔物を見るような瞳でルーカスを見下ろしていた。
「おや、目が覚めたか……すまないねアメリア。本当は彼ともう二度と逢わせたく無かったんのだが……」
壮年の紳士が申し訳なさそうに言うと、アメリアは首を横に降った。
「いいえお父様、むしろ好都合で御座います。彼に、まだ別れを告げておりませんでしたから」
アメリアはそっと俺から離れると、金髪を風に遊ばせながらルーカスの前に立った。後ろでは、ジェシナという秘書が油断無くアメリアとルーカスを見守っている。
殺意と憎悪を両眼に煮えたぎらせていたルーカスだったが、アメリアの顔を見た途端に魂が抜けたかのような顔になった。
「
「あ、アメリア……その顔は……まさか、会場の入り口で会ったのは……?」
強烈な皮肉にも反応すること無く、何故かルーカスはアメリアの姿に愕然としたいた。
「そ、そんな……だって、君は――」
「酷い男ね。気付く機会は幾度もあったでしょうに……貴方は本当に私の顔など見ていなかったのね」
呆れたように溜め息をつき、失望の色も露にルーカスを見下ろした。
半分剥げたルーカスはハッとすると、何故か顔中に笑顔を浮かべてアメリアににじり寄ってきた。
「……いや、見違えたよ! 君の努力が実を結んだんだね! 心からの祝福と感謝を贈るよ!」
「あら、ありがとう。でも感謝は何故かしら?」
「君は私の婚約者として、相応しくなる為に美しくなろうとしたのだろう!? 感謝を告げるのは当たり前じゃないか! さぁアメリア、まずはこの縄を解くように皆を説得してくれ! 妻として、夫を助けてくれ!」
アメリアの瞳が冷気を帯びる。自惚れ込みではあるが、俺へ向けてきた感情の100万分の一も温度を感じられない。
俺も何となくこの後の展開が分かってきた。
これはアレだ。元婚約者ざまぁってヤツだ。
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