狩猟祭⑪ 神獣vs.神
第一騎士団の副団長カロルは、食堂馬車から下りると直ぐに不快な刺激臭を感じた。
見れば森の方から空へ伸びる煙柱が幾つもある。
現場の働きなど知ったことではないが、第一騎士団の仕業ではあるまい。と、するならば……。
「ふん。往生際悪く何かを始めたらしいな……」
カロルは刺繍入りのハンカチを鼻と口に当て、忌々しそうに吐き捨てた。
彼も昨日の昼過ぎ頃に尋常ならざる怪物が出現したとは耳にしている。その一次情報をもたらしたのはモーディスという自分の補佐に当たる人物だ。
A部隊とともに緊急帰還した彼からすぐに報告を受けたが、いわく『王都史上最強の化け物』だの『大森林の主』だの『我が一剣ですら有効打になりえず』だのと、結局どのようなモンスターか全く伝わってこない。
半ば錯乱状態とはいえ、コイツは情報の伝達もまともに出来ないのかと、カロルとしては失望を禁じえない心地だった。
もともと金勘定以外は無能も良いところだと評価を下していたので、どのみち信頼などしてはいなかったが。
他の団員から得られた情報も満足から程遠いものだったが、モーディスに比べれば幾分マシだった。
彼らも姿を直接見たわけでは無いが、恐らくは巨大な四足歩行のモンスター。周囲の手折られた木々の様子から全高は4~5メートル程度だという。
なるほど、確かに巨大なモンスターには違いない。もしや、第二部隊の連中はその獣と一戦交えようというのか。
徒労も徒労。哀れになるくらい愚かな一団ではないか。
結末は既に決まっているのだから、とっとと撤退すればいいものを。いっそ自分がそう忠告してやろうかとも考えてしまう。
「いや、勝利を確信した連中の表情が、敗北の絶望へと変わる瞬間を拝むのも一興か……」
カロルは冷笑を浮かべる。自分が
ならばせいぜい苦労して巨大なモンスターと戦い、虚しい武勲を立てるがいい。犠牲者でも出れば更に愉快というもの。
犠牲者といえば、我がA部隊からも一名行方不明者が出たらしいが……誰だっただろうか。
名前は聞いた筈だが、自分の記憶に残らなかったということは役に立つ男じゃなかったということだろう。
そこで雑事の思考を遮り、カロルは通信機を懐から取り出す。第二部隊や自団の犠牲者なんぞよりやることがある。この狩猟祭の仕上げだ。
「――私だ。例の物を回収し、本営へ帰還しろ」
単純な命令は段取り通りに事が進んでいる証明だ。
金も手間もそれなりに掛かったが、自分の名誉と忌々しい第二部隊の排除、そしてクノリの女を手に入れる契機になるかもしれないのだから、むしろ安すぎる出費だ。
手隙の部隊に祝勝会用の酒でも買わせておくか。ついでに第一騎士団
「お手並み拝見といこうか、自称第二騎士団の諸君?」
・
作戦は、雑魚を無視し大物のみを狙いという単純な物。
香辛料、薬草、毒草などを混ぜて乾燥させた粉末を燃やし、虫や獣の嫌がる刺激煙を撒き散らすのは、神獣以外のモンスターを寄せ付けない為。
例のマーダー・タランチュラーにも効くので一石二鳥だ。
「風向きに注意しろ! 防護魔術越しとはいえ、下手すりゃ喉が焼けるぞ!」
このくん煙は人体への害は少ないが、まともに吸い込めば喉と鼻と目を傷めてしまう程度には強力だ。
それ故に魔術を行使できる衛生兵が皆に『毒除け』と『呼吸補助』、そして『視界防護』の魔術を全員に掛ける。
効果持続時間はおよそ三時間。最下級から下級相当の魔術だが、無いよりずっと良い。
「急げ。この濃度で焚けるのは一回切りだ。材料も時間も無い、一発勝負だ! 気合いを入れろ!」
A、B、そしてC部隊までが森林に下りてきて、神獣を捜索しながら手分けしてくん煙を焚く。本営で待機しているのはジョエルさんとレスティアのみとなっている。
討伐ポイントを稼ぐための他のモンスターまで居なくなってしまうので、効率の面では良いアイデアとは言えない。順当に得られるはずだった成果の大半を捨て、神の獣に挑むというのだから正に背水の陣だ。
「もしかしたら煙を嫌がって逃げたりして。せっかく準備しているんだから、雰囲気を察して貰いたいもんだ」
イノシシは嗅覚が犬並みに良いという話を聞いた事がある。くん煙を使用したのは、嗅覚を誤魔化し皆の姿を隠蔽することが出来るかもしれないと、アザンさんが考えたからだ。
更にタイラント・ボアの戦闘力を奪えないかという期待も有るが、そう上手くはいかないだろう。
「あれほどのモンスターには効きにくいが、そうなった時は追撃戦だ。こちらから先制攻撃を与えるチャンスになる」
俺のジョークにメリーベルは真面目に返答してくる。目標の誘導ポイントより少し離れた場所に俺とメリーベルは立っていた。俺が囮役、メリーベルが対神獣の切り札だ。
彼女は残った剣のうちの一振り、純ミスリルソードを抜き放ち息を整えている。
剣は既に、チロチロと蛇の舌の様な薄い火を帯びていた。微かな炎にしか見えないが、剣の内部で丹念に練り上げられている事が分かる。
ゴロシュとドラワットは作戦の要として後方に控えて、アザンさん達は誘導ポイントで最後の準備中だ。
聞けばアザンさんは、俺とメリーベルが下層へ落とされた後すぐにくん煙用の薬剤の調合に着手していたという。結局、誰一人諦めてはいなかったのだ。
「ハイヤ衛生兵、少し良いか?」
「ん、なんです?」
「いや、そのだな……」
メリーベルにしては歯切れの悪い。せっかく集中していた火が散ってしまわないか心配になるほどソワソワしている。
彼女は視線をふらふら泳がせた後、躊躇いがちに俺へ固定した。
「狩猟祭が終わったら……お前はどうするんだ?」
「どうって、そりゃあ……」
問われて思い出した。
俺は元々正規の騎士ではなく、軽度の罪を犯した者(俺の場合は微妙に事情が異なるが)に与えられた短期更正プログラムの真っ最中であり、いわば限定的な服役と言えなくも無い。
当初の予定をややオーバーし狩猟祭に参加することになったが、元々は一週間から十日間程度の期間だった。
詳細はレスティアと話さないと分からないけど、そろそろ騎士団からお
「そりゃあ、以前と同じ生活に戻るだけだ」
俺はまた牧場でハナ達のお世話をする。あとはアカデミーの保健室でポーション作りに勤しんだり、B地区の隅あたりに薬草とかも植えてみないと。
「……そうか……」
小さく俯き、そう呟いた。なんだ? もしかして送別会でもしてくれるのだろうか?
俺が訝しんでいるとメリーベルはまた顔を上げ、形の良い唇を開く。気のせいだろうか、頬が赤いようにも見える。
「も、もしもお前さえ良ければの話なのだが! 今度は、更正では無く――」
『――こちらレスティア、魔力反応観測しました! 間違いありません、タイラント・ボアです! 距離、300メートル! 接敵まで約120秒!』
突如もたらされた報告に、俺とメリーベルは一瞬顔を見合わせる。
「おいでなすった、どうやら空気が読める神獣だったらしいな」
「……なんて空気の読めない……私は神と名の付くものと相性が悪いのか? ……いや、今はそれより……」
何故か意見が一致しなかったが、なるほどと内心で舌打ちしながら納得した。予測より早すぎる。
捜索した団員達から、神獣タイラント・ボアは近隣に居ないという報告を受けていた。レスティアも『能力映氷』を常時発揮し獣の接近に備えていたはずだ。
いかにタイラント・ボアが膨大な魔力を垂れ流し、レスティアの索敵を自然に妨害したとしても、魔力の核が接近すれば観測できる。
風上で魔力分布の薄い場所を誘導ポイントに選択したのも、それを容易にするためだ。
だがタイラント・ボアは意図的かどうかは知らないが存分に魔力を撒き散らした後、それを隠れ蓑にして接近してきた。まるで妨害電波に紛れて奇襲する戦闘機のようだ。
「獣の知恵と侮ったか……! 『アザン! 準備完了まで後どのくらいだ!?』」
『あと、500……いえ、400秒はかかります!』
告げられた時間は約七分。ちょっと長すぎる。奴さん、こちらの都合など知ったことかとばかりに向かってきているらしい。
「……迎え撃つしかない。ハイヤ衛生兵、援護しろ」
そう言って前に出るメリーベルの様子は常と同じに見える。けど、剣を持つ手が小さく震えているのに俺は気付いていた。
当たり前だ。戦うと決めても怖いものは怖い。正直、俺も今すぐ帰ってハナ達のおっぱいを搾りたい。
「いや、お前はタイラント・ボアに対する決め手だ。俺が先行して時間を稼ぐから、メリーベルはそのまま準備を整えていてくれ」
「……ちょっと待て、それは一人で戦うと言う事か!?」
さっきは一人でもやるぞなんて格好つけたが、正直怖くて仕方ない。パルゴアの時は頭に血が上っていた。『後悔の巨人』の時はリリミカ、カンくん、レスティア、ノーラ、バンズさん、ミルシェが居てくれた。
一人ではとても戦えない。孤軍奮闘という四字熟語のなんと遠い事か。
「おう、ここは任せろ」
けど、何てこと無いって顔で立ち向かってやる。力を発揮し、皆に安心を与えるのは異世界召喚者の醍醐味だ。
乳スキルという搦め手が通じなかった以上、俺に残されたのは頑丈さと腕力のみ。
十分に恵まれている。俺には立ち向かえるだけの力があるのだ。
「危険過ぎる! せめて一緒に戦うべきだ!」
「俺は既に一緒に戦ってるつもりだったけど。それに、背負うものがある方がヤル気が出るんだ」
「ま、またそんな軽口を……っ」
メリーベルは最高の一撃をお見舞いするため、純ミスリルソードに懇々と魔力を注いでいる。
流石は高級品というべきか、彼女の火でも磨耗することなくその鋭さを熱と共に増していってる。集中力の要る仕事だ。邪魔したくない。
ならば俺の、いや俺達の役目はメリーベルの剣を神獣に届かせる事。
いやはや主役の為に時間稼ぎムーブとは、なんとも美味しい展開じゃないか。
それに、
「頑張っている人間達の願いを叶えるのも、神様のお仕事だよな……!」
「……!? ハイヤ衛生兵、それはいったいどういう――……」
ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
メリーベルの呟きを掻き消してあり余る大音量が響いた。忘れもしない、恐るべき大森林の怪物タイラント・ボアだ。振動が大地を伝い腹の底をくすぐる。
俺はメリーベルに背を向け、足元を軽くならし相手を待った。一秒が一時間にも感じるような濃密な待ち時間。第二騎士団の皆が作業する喧騒もどこか遠い。
『――――……』
やがて薄く漂う白煙の向こうから、山のような巨体が姿を現した。
木々をなぎ倒しながらというより、まるで樹木達が自ら通り道を空けたようにも見える。隠れようともしない。まったく堂々としたもんだ。
突き出された白磁の巨大な二本角は、さながら古代剣闘士のサーベル。長い体毛の向こうから生命力に満ちた双眸が俺を縫い付けている。
まだ何か言いたそうなメリーベルを強いて無視し、その正面に立つ。
「……二日目、まずは俺とお前だ。横綱はまだ準備中だから俺で我慢しとけ」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
待ったも行司も力水も不要。この五体以外に頼むもの無し。
「その首を貰う!!」
ただし決め台詞は忘れない。
・
ムネヒトの叫びに応えたわけではないだろうが、タイラント・ボアは音の壁と肉の壁を前方に押し出しながら突進した。音の壁は咆哮、肉の壁は自身の肉体だ。
獣は悪夢にうなされているような心地の中、目の前の人らしき存在に一条の光を見たように感じていた。ただしそれに縋る術をタイラント・ボアは持たない。
大森林において、この獣は食物連鎖の頂点に立つ。生命を脅かされたことは、まだ身体が小さかった頃など短い期間に限られる。
そもそも助けを請うなど野生では許されない。
タイラント・ボアには父も母ももう居ないのだ。だから、この自身を苛む苦痛を光にぶつける以外に出来る事はなかった。
「さあ――来い!」
向かってくる暴力の山岳に対し、ムネヒトは姿勢を腰を落として迎え撃つ。クラウチングスタートというよりは
注意深く見ていれば、彼の立ち位置が最初の位置に比べ右へ大きくスライドしていることに気付いたかもしれない。
自分の延長線上に、間違ってもメリーベルや準備が完了していない誘導ポイントを置かない為だ。
巨大なモンスターと二メートルに満たない人間の立会い。それほどの体格差はムネヒトの故郷の国技といえどあり得まい。
激突音は周囲の木々から、葉を根こそぎ引き千切ってしまうのではないかというほど。
あまりに強烈な音響に作業中だった第二騎士団の面々が手を止め一斉に振り向く。音の正体は離れていた彼らには分からないが、間違いなく尋常ではない。衝突の瞬間を目撃していたメリーベルは一瞬呼吸器の機能を失う。
タイラント・ボアは止まらない。
樹木も岩も等しく砕き蹴散らしながらただ前へ猛然と突き進んだ。水平に構えられた削岩機のように、大地を抉りながらその膂力を容赦なく発揮する。
単純にして強力無比な突進は勢いを一切減衰することなく森を穿って行く。誘導ポイントの横を通りすぎても留まる事を知らない、かに見えた。
タイラント・ボアが止まった。
やがて徐々に速度を落とし、完全に停止したのだ。獣の意思によるものか? 否、
「す、すげえ――! 受け止めやがった!!」
団員達は神獣を受け止めた青年の姿を目撃した。
正面から止めて見せたのだ。純粋な人間の膂力が、モンスターに比して脆弱な事は誰でも知っている。
しかも相手は並みではない。伝説上にしか存在しない、魔獣をも越える神の名を冠する強大な獣。
脅威は昨日の遭遇戦で嫌というほど思い知らされている。あの化け物は木々を容易になぎ倒し大地を踏み割ることが出来た。
それをただの人が力のみで迎え撃ったのだ。叫ばずにいられようか。
にわかに信じられなかったのはタイラント・ボアも同じだった。
前足で地面をガリガリと削いでいるばかりで、一向に前には進めない。それどころか、少しずつ後退させられている。自身より遥かに小さな存在がそれをしているのか。
「どうしたイノシシ、テメエより力持ちに遭うのは初めてか……!?」
両角を掴み、両脚を脛の半ばまで地面に埋没させたムネヒトは、満身の力を振り絞りながらも不敵に笑って見せた。彼にしても余裕など一切無い。少しでも力を緩めれば踏み潰されてしまいそうだった。
体躯は先日の『後悔の巨人』の半分ほどだが、力はアレを完全に凌駕していた。
「ぬ、がぁぁ!」
角を突っ張るように支えていた両手を横に払う。真っ直ぐ前に向かっていた力の向きを崩され、タイラント・ボアはたたらを踏んだ。
しかし四つ足という構造上、人間より遥かに安定性で勝っている。結局は頭部が振られ、重心点がほんの数秒ズラされただけだ。
すぐに前足のスタンス広げ身体を支え、顔をバネのように勢いよく青年の方へ上げる。
その数秒の間にムネヒトは、腕を振り払った反動で小さく横に跳んでいた。距離にして一メートル未満。タイラント・ボアには近すぎる間合いであり、ムネヒトにとっては最適の間合い。
「『
獣の眉間に渾身の鉄拳を叩き込んだ。手加減してなおフォレスト・ジャッカルを肉塊に変えた初級相当の
『ガア――――――――――ッ』
神獣の足が全て地面から離れるほどの衝撃。威力を支えきれず後方へ吹き飛ばされた。
数メートル空を滑りやがて後ろ足から着地する。短い空中遊泳の間、タイラント・ボアは僅かに意識を失っていた。
頭蓋が叩き割られたかと感じた。これまでの長い生涯において経験の無いほど強烈な一撃。目の前のこの人間は、久しく見ぬ自分の命を脅かす存在なのだ。
瞬間、タイラント・ボアの目的が追跡から戦闘へとシフトする。
この存在を持ち帰るには骨が折れそうだ。そういえば殺すなとは言われていないはず。
タイラント・ボアは小さく唸り、再びムネヒトを両瞳に捕らえた。
「――へぇ……」
確かな手応えを感じていたムネヒトも、感嘆を上げていた。
彼にとって、もしかしたら『
小さくない驚愕、恐怖、そして興奮。
彼の心胆に皆の、特に牛達から分け与えられた獰猛さが流れ込む。草食動物にもある野生の本能は、人が文明を得てから失ってしまった凶暴さをも掘り起こし強化した。
剥き出しになったムネヒト自身の凶暴さと、人間数人と牛二十五頭の凶暴さが混じり合う。一瞬、メリーベルや第二騎士団の作戦のことがムネヒトの脳内から消え失せた。
黒髪がそそけ立ち、黒目はタイラント・ボアのみを映す。
神獣と神の戦いは、恐ろしく原始的に幕を上げた。
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