狩猟祭に向けて(下)

 王都某所。

 一般的な邸宅の床面積を合計してもまだ足らないような室内は、昼間だというのに薄暗さがあった。

 それは意図して魔力灯の光度を落としているためであり、享楽に興じるため最適の雰囲気を作るために他ならない。

 燈色照明が、客人達を邪魔しないように隅のほうでボンヤリと自己を主張している。

 部屋の中央にはベッドと見紛うばかりの大きな大理石テーブルが置かれており、ワインや果物が整然と並べられている。

 その周りを四角く囲うように革製のソファーが配置してあり、五人ほどの男とその倍近い若い女が悠々と身を沈めていた。


「――つまり、現場での頑張りなどは所詮戦術レベルの話でしかない。より良い大物を狙い、より良い素材を得て勝利を掴もうなどとは、大局を見ることの出来ない負け犬の発想だ」


 露骨な侮蔑の声色でその中の一人、カロル・フォン・ベルジーニュは自己の見解を同席する皆に説明する。

 その副団長の声に追従するのは、同じく毒気に満ちた複数の笑い声だった。蔑みと優越に歪んだ唇が手に持つワイングラスに鈍く反射している。

 傍に控えていた幾人の若い女性のうち一人が、半ば以上減ったグラスへ新たにワインを注いでいく。いずれも露出の多く薄い生地のドレスを纏っており、注ぐ際に前傾になるとその豊かな胸元が灯りによって深い影を作っていた。

 それを来客たち脂っぽい視線で撫で回し、含み笑いだけは上品に保ちつつ酒を愉しむ。

 定期的に行われる第一騎士団のとっては重要な任務の一つだ。

 一本で一般的な国民の平均月収を超えるワインを何本も空け更には王都の高級娼婦を何人も招き、有力な団員を集めて行う彼らの言うところの定例会だ。

 彼らに限った話では無いが、こういう酒宴と会議の区別が付かないような場で重要な会話がたびたび行われている。騎士団の定例会というのもあながち嘘ではない。

 今回の主催、カロルは継ぎ足された赤紫色の液体を口の中で転がすと、傍にいた娼婦の一人を自身の隣に座らせた。


「我々は既に戦略レベルで勝利を収めている。そうとも知らず、自らの首を絞めるような選択をしたものだ。いっそ哀れになるくらいだよ」


 溶けた飴のように絡みつく娼婦の肢体で自分を装飾し、彼はアルコールで回転の良くなった例の饒舌を駆使する。


「だからミス・クノリの参戦を認めたのですか?」


 カロルの最も近くに座る恰幅のいい男が尋ねると、副団長は頷く代わりに唇の端を持ち上げて見せた。

 分かりきった質問だ。レスティア・フォン・クノリの参戦を認めたのは、当然勝利を確信しているからだ。

 最初は参加したミス・クノリを事故に見せかけ怪我でも負わせてやろうかとも考えた。結果、彼女を守る事の出来なかった第二騎士団を非難の的とすることができる。

 しかし、そうなれば真っ先に疑われるのは此方だ。真相究明のため王宮騎士団の動くことになるだろう。いずれ我々第一騎士団が王宮騎士団にとって代わるまで無用な危険は避けるべきだ。

 彼らが今回彼女の参戦に異を唱えなかったのは、もっと単純で心理的なものだ。

 才媛レスティア・フォン・クノリの能力を以ってしても第二騎士団は第一騎士団に遠く及ばないと、周知に知らしめるために敢えて参戦に反対をしなかったのだ。

 彼女の発言力が強化されつつある中、第二騎士団がその才能を活かせない組織だとすればレスティアの配属先を問われる事になるだろう。本人が幾ら拒んでもそうならざるを得ない。

 もし彼女を第一へ引き抜きぬくことができなくても、第二への精神的なダメージは致命的な物になるはずだ。彼らにとってレスティアは大きな支柱だ。彼女を頼っても勝てないと徹底的に思い知らせてやれば、今後はもっとやりやすくなる。


(そしていずれは……)


 娼婦を抱く彼の腕に力が篭る。女が小さく非難の声を上げるがカロルは聞いていない。レスティアがその場にいるかのように錯覚し、無意識に引き寄せたのだ。

 レスティア・フォン・クノリが自分の物になるのは時間の問題だ。

 あのように澄ました女を、完全に屈服させることが出来ればさぞ快感だろう。おまけに王国最大ともいわれる大貴族とも縁を結ぶことが出来る。どう料理しても美味しい女だ。

 将来的にはベルジーニュ家の跡取りを産ませる事も出来るし、また産まれた子供を他の貴族へ嫁がせるという事可能だろう。かの血統を欲しがる者達は数え切れないほどいるのだ。

 つまりレスティアは、富と栄達を産み落とす金のガチョウに過ぎない。


「しかし、此度の狩猟祭ではいくつかの懸念が御座います」


 カロルの甘い妄想、もしくは思案を中断したのは団員の声だった。副団長含め、ソファーに腰掛ける男達も苛立たしげに声のしたほうへ振り返った。

 背が高く引き締まった身体を持つ彼は、カロル達のようにソファーには座らずその周りに佇んでいた。彼のみが佇んでいるわけではなく、他に十名程度の団員も同様に外野に立っている。

 彼らには酒も女も、座る場所も無い。ソファーには全員が座るスペースが充分にあるというのにだ。


「私がまず申し上げたい懸念とは、『後悔の巨人』を破壊せしめたという正体不明の団員の存在です」


 カロルは酒の味も忘れるほどの苦々しさを覚えた。

 巷で噂されている先日の事件、王都に突如として出現した巨大なゴーレムの話は当然自分達の耳にも入っている。その噂の中に、かの巨人と互角以上に渡り合った人物が第二騎士団にいるというものがある。


 いわく、筋骨逞しい大男だった。

 いわく、老齢の魔法使いだった。

 いわく、世にも稀な美女だった。

 いわく、いわく、いわく……。

 馬鹿馬鹿しい。

 それは民共が好き勝手に描いている妄想だ。その場に居合わせなかった第一騎士団我々への不当な反感から作り上げた偶像に過ぎない。

 万夫不当の英雄など、いかにも愚かな国民が好きそうではないか。


「では卿はそのたった一人の為に、我が第一騎士団が敗北の憂き目に遭うのではないかと心配しているのか?」


 声色にも苦い毒の成分が含まれる。話を聴いていなかったのか、自分は既に勝利していると言ったのだ。奴らがどれだけ現場で結果を残そうが関係ない。


「私見ではありますが、この後者こそがサルテカイツ家襲撃し没落へ追いやった人物だと推測しております。どうか、ゆめゆめ油断なさるべきではないと具申しているのです」


 若い彼の見解をカロルは鼻で笑う。この男はまさか本気でサルテカイツ家を破滅へと追い込んだ犯人を捜しているのだろうか。まったく殊勝なことじゃないか。


「先ほども言っただろう、第二部隊がいくらあがこうが既に手遅れだ。戦略レベルで条件を整えておけば、現場の戦術や責任者がどれだけ役立たずだとしても我々の勝利は動かん」


 これはむしろ味方に対して言った物だった。実際に参加する部隊の力など全くアテにしていないと、特に明敏でなくとも察せられる。狩猟祭実働部隊の責任者たる青年にもそれは分かったが、カロル副団長へ反論はしない。


「それに、かの巨人とやらが一体どれほどの物だったというのだ。噂が一人歩きし話が膨張しているに過ぎん。誇り高き第一騎士団の団員ともあろうものが、街の俗言ごときに左右されるようでは先が思いやられるぞ」


 噂には尾ひれがつくものだ。大トカゲを狩り、竜殺しと名乗りたがる輩は何時だってハエのように沸いてくる。モンスターをまともに見たことのないような低能共が大袈裟に触れ回っているだけだ。

 仮に巨人が噂通りの脅威だったとしても、ただの独りで戦える人物が第二ごときにいるものか。何十名も動員し、ようやく破壊できたのだろう。

 だが第二の主力は王都外に出ていたというから、残された居残りの団員のみで討伐したということになる。

 つまりカロル達の結論は、大したことのないゴーレムを大したことのない連中が倒しただけというものだ。


「下らん議論はもう結構。それより、例の物は準備したのだろうな?」


「……ご命令の通りに用意致しました。ですが、本当に宜しかったのですか?」


「何を躊躇う、まさか怖気づいたのではなるまいな?」


 自分達の勝ちは動きようが無いが念には念をと、カロルは団員達にあるものを用意させていた。

 綿密に計算された罠というものにはほど遠いが、もし運良く成功すれば痛快極まりない。願わくば『錆付き娘』か、自分に水をかけてきた黒髪の更正団員あたりに降りかかって貰いたいものだ。

 特に前者は、剣士として副団長として比較され続けた忌々しさもある。これを機に消えてくれれば、将来の禍根も消えてなくなるというもの。喜ばずにいられようか。


「しかし、上級解毒薬くらいは用意しておくべきかと思います。何も命までは奪わずとも――ぐぁっ!?」


 青年の言葉を遮ったのは飛来したワイングラスだった。中身を半分以上残したガラスの器は団員の額でバラバラに砕け、破片とワインを絨毯にぶちまけた。抑えた額から鮮やかな赤い液体が滲み、床の赤紫色の液体と混ざる。


「差し出口を叩くな。第一騎士団の勝利を疑うことすら許しがたいのに、第二部隊の為に貴重な治癒薬を用意しろとは、男爵家の次男ごときが随分偉くなったな」


 カロルは一瞥すら与えず、娼婦に新しいグラスを用意させた。苦悶の声を上げる青年へ、まずソファーに長く座る者達が遠慮の無い嘲笑を浴びせた。続いて回りに立つ他の団員達の一部がそれに倣う。

 青年が覆う手越しに笑わなかった団員に睨みを飛ばすと、その残りもついに笑い出した。彼らは笑い声こそ大きいが、その眼は決して愉快そうではない。

 笑うなと言っているのではない、その逆だ。自分に同情する態度を見せれば中心にいる人物達に目をつけられるかもしれない。

 それを知っているから、他の彼らも笑うしかない。明日グラスと嘲笑をぶつけられるのは自分たちかもしれないのだ。


「やれやれ、やはり男爵家程度では話になりませんな……ベルジーニュ副団長、上級薬の一式は私が責任を持って保管しておきましょう。ええ、狩猟祭程度に持ち出されないようにね。なに、怪我さえしなければ無用の長物でしょう。我々第一騎士団には造作も無いことでしょうから」


 隣に座る副団長補佐が大きな腹を揺すりながらそう宣言しすると、副団長は機嫌のよさそうに頷いた。

 お前達は安全な所から見ているだけだろうが、と青年は胸のうちで呟いた。

 貴族と周りからは一括りに言われているが、その中にも格差は存在する。特にカロルとその周りを囲う者達は第一騎士団の中でも王都有数の名家だ。座る場所と待遇の差が、第一騎士団の現実そのものだった。

 この定例会に参加したくて参加している者はいったい何人いるだろうか。少なくとも、座ることを許されない団員達の中では極少数に違いない。


(俺も騎士の端くれだ、本当なら正々堂々と実力で勝負したい。分かりきった勝利に、いったい何の価値があるのか)


 そんな青年たちの願いは、ある意味でこの場のあらゆる銘酒や娼婦との一夜より高価で貴重な物だった。

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