狩猟祭に向けて(上)

 

 第一と第二の間にある溝が更に広がりを見せた翌日、ムネヒトを除くサンリッシュ牧場の四人がいつもの様に朝の食卓を囲んでいた。しかし、普段とは違う様相を見せていた。


「何よそれ! お姉ちゃん達そんな条件呑んだの!?」


「リリミカ、落ち着きなさい」


「落ち着いてるわよ!」


 言と動の不一致を自覚しつつ、リリミカは木のコップをテーブルに勢いよく置いた。幸い中身の牛乳は既に空なので零れるような事はない。ミルクは一滴も無駄にはしないのだ。

 どうどうと、まるでマルにする時のような表情で友人が宥めてくる。お代わりの牛乳も注がれた。


「だいたい情けないったら無いわ! 散々言われた挙げ句に向こうに都合の良い条件を呑んじゃってさ! ゴロもドラもベルんもムネっちも、何してたのよ!」


 水じゃなくて拳骨飛ばせば良かったのにとリリミカは呻いた。しかも。その場に私が居ればこうしてこうしてと、仮想敵に向かい拳を小さく振っていた。


「そんな言い方しないの。皆はよく我慢してくれたわ」


「我慢だけで騎士が勤まるの!? だったら私にはムリねムリ!」


 感情論ではあるが、真っ当な意見を叫びリリミカはウインナーを仇としているのか、フォークで勢いよく突き刺す。

 烈火のようなリリミカを見て、自分の怒るタイミングを失ってしまったのか、バンズは神妙な顔でため息をついた。


「しかしなんだ。そのカルロってヤツは、随分とレスティアに拘ってるんだな」


「随分ってレベルじゃないのよバンズにいさん、ほとんどストーカーよ」


 リリミカはバンズの名前の覚え間違いを訂正しなかった。特に覚えておくべき事では無いからだ。

 ちなみにリリミカはこの牧場に来たときからバンズの事を『にいさん』と呼んでいる。最初は『俺はにいさんって歳じゃねえだろ』照れ臭さそうに笑っていたが、今では慣らされてしまった。

 もしかしたらこれは、姉の為に外堀を埋めようとしているのだろうかとレスティアは思う。それともただの愛称か。

 リリミカの場合は後者の可能性が高いが、仮に前者だとするなら、まったく余計な気遣いだ。

 気が早いし、野暮というものです。本当に仕方のない妹だ。お父様に小遣いの増額をお願いしておきましょう。


「第一に引き抜こうとしたのだって二桁はあるだろうし、今では縁談まで持ちかけて来るんだから」


 縁談と聞いてミルシェとバンズの肩が僅かに揺れた。自分たちにも覚えのある単語は、良くも悪くも忘れがたい記憶となっている。

 その様子に苦いものを感じながら、レスティアは口を開いた。


「ベルジーニュ卿が欲しているのは私自身ではないわ。彼が執拗に勧誘したり、婚姻を結びたがっているのは……言わなくても分かるでしょう?」


 やや自嘲気味に彼女は笑った。

 カロル・ベルジーニュの事など微塵も意識してはいないが、自分では無く自分に付随している付加価値を求められているという事実は、女として面白いものではない。

 そこでふと、バンズはスープを掬っているスプーンの手を止めた。その顔には疑問符が浮いている。


「レスティアが美人だからじゃねえのか?」


「……――ちぎゃいましゅ」


 まずは冷静に否定しておいて、レスティアは想い人の勘違いを訂正にかかる。


「彼が欲しているのはクノリの血筋と、この『能力映氷アイス・ビュー』よ」


 目元に手を当てる。青い瞳が薄い光を纏い、一瞬後には消えた。レスティアの説明を引き継いだのは妹のリリミカだ。


「実は、お姉ちゃんの功績が認められて『能力映氷アイス・ビュー』が証拠としての力を持つようになるのよ。今までだって魔力の痕跡から、人物を特定したり追跡したりと貢献してきたんだけど、今後はそれが決め手となりえる。第一騎士団の介入も必要なくなるわ」


「……なるほど。魔獣のみならず、例えば犯罪に加担したものにとっちゃそれほど凶悪なシロモノはないわな」


 騎士だったバンズはその威力を理解する。自身もレスティアに補佐してもらった経験は数多くある。

 モンスターを討伐するにしても、相手の大体の戦力をあらかじめ知ることが出来れば大きなアドバンテージになる。現にレスティアが騎士団に配属されてから、死傷者は目に見えて減った。

 しかし、今注目すべきは後者だ。

 証拠や証言を集め犯人を追い詰めたとしても、取り逃がしてしまう例は少なくない。『転移符』の存在もあるし、調査に時間をかけすぎて王都を出ていたという話だってある。

 また裏に貴族が控えている場合、権力と財を以ってそれを揉み消されたという事もあったらしい。証拠など無いが、そうとしか思えない事態は数多く経験している。

 特にレスティアは『能力映氷アイス・ビュー』で黒幕が別にいることを突き止めておきながら、あと一歩が足らず悔しい思いをしたことなど枚挙に暇が無い。

 トカゲの尻尾ばかり捕らえても、本体が健在の限りはキリが無いのだ。


「つまり、その凄い能力を第一騎士団が使いたいってこと?」


「普通はそうでしょうね。でもねミルシェ、私はアイツらが素直にお姉ちゃんを働かせるとは思えないのよ」


「……どういうこと?」


「『タイド草』の件で貴族の罪が暴かれてしまった事にも関係あるけど、まだまだマゾルフ男爵みたいな連中は数多く居るわ。実際、第一騎士団の中にもソレに関わっていたヤツだって居るみたいだし、明るみになると都合の悪い事実は幾らでもあるってこと」


「なんだかんだと理由をつけて、幽閉のような形で後方勤務のお飾りにするでしょうね。仕事もさせてもらえず、きっとアカデミーの非常勤教員も辞めさせられて、一日中椅子にでも座らせておくのかしら」


 リリミカの毒づきに、レスティアは自分でも面白くないと感じる冗談で応じた。

 彼らにとって真実を映す鏡など要らない。必要な箇所だけを覗ける自作の望遠鏡があれば充分だ。

 しかしそれを叩き壊すような真似は出来ないだろう。明敏なレスティアがその可能性を考慮していないはずはなく、自分のみに何かあった場合の防護策はいくらでも用意している。それに、仮にレスティアが害されたとすれば王宮騎士団の動くところとなる。

 ならば、その鏡が輝きを増す前に分厚いカーテンを被せてしまえば良いのだ。


「アイツらにとっては危険人物を手中に収めることが出来て、第二騎士団の知のエースを奪えて、更にもしかしたらお嫁さんに出来てクノリ家を間接的に操れるかもしれないと考えてるのよ。一石四鳥とか強欲にも程があるっての」


 焼いたベーコンを噛み千切り、牛乳を飲み干してリリミカは再び怒りの表情を作った。


「だからそんな条件は馬鹿げているっていうのよ! 勝てば良いなんて簡単に言うけどね、今まで一度も勝ったこと無いじゃない! しかも今度は第一の連中だって本気で勝ちに来るはずよ! 負けたらどうすんのよ!?」


 リリミカの心配は当然だった。

 騎士としての錬度はともかく、物量と装備の差は歴然だ。狩猟祭は個人の武勇を競う場ではなく、討伐した魔獣やそこから得た戦利品の価値によって勝敗を決する。

 いかにメリーベルが強者であったとしても、限られた時間の中では団員数が多い第一騎士団が有利なのは言うまでも無い。

 狩猟祭の参加人数に限度は無い。初めから不公平な勝負なのだ。


「ハイヤさんにも言ったけど、勝てば良いのよ」


「それが難しいから言ってるんでしょー!?」


 なんで姉は今回に限りこんなにマイペースなのだと、リリミカは思わずには居られない。自然豊かな此処に越してきて、性格まで大らかになってしまったというのだろうか。思わず大らかと大雑把は違うのだと、常なら逆に言われそうな説教をレスティアにしたくなる。


「大丈夫ですよ!」


 それを遮ったのはミルシェだ。大きな胸を更に大きく張り、声と一緒に弾ませて断言した。おのれ。


「今年はムネヒトさんが居ます! ぜったいに勝てます!」


 能天気といえば良いのか、これこそ大らかな性格の見本ともいうのか。隣でうんうんとバンズまで頷いていた。まったく、色々と巨大な親子だ。

 黒髪の青年に全幅の信頼を寄せるミルシェの言葉ですっかり毒気を抜かれ、リリミカはため息混じりにサラダにフォークを突き刺した。


「……それで? その期待の新人は今どうしてるのよ? 結局昨日も帰ってこなかったし、まだ留置所でクサいご飯食べてんの?」


「第二騎士団ではクサい食事なんて出しません。ハイヤさんは現在、副団長と一緒に第二騎士団の本部に寝泊りしています。狩猟祭が終わるまではそちらで――……」


 ガチャンという音は、ミルシェの取り落としたスプーンがスープの皿に落下した際のものだった。

 跳ねた飛沫が彼女の胸下に付着するが、死角の為かそれに気付いていない。それ以前にミルシェは落ちた匙を拾おうともせず、先ほどとは真逆の深刻な顔をしていた。


「第二騎士団の副団長さんって、確か女の人ですよね……?」


 大らかさが完全に消えうせ、声もだが青ざめた顔が何より震えてた。


「そ、そうだけど……」


 にわかに慄然としているミルシェに釣られ、リリミカの声色も深刻な物に変化してしまう。


「女の人なら、おっぱいがありますよね?」


「当たり前じゃない……」


 太陽は東から昇るのか? というような事を言った。真面目な顔で何を言っているんだと、誰も口に出来ない。そう指摘するには彼女の表情が迫真に過ぎたからだ。


「しかも、かなり大きいって聞いてます……」


 ミルシェほどじゃないよとは、クノリ姉妹が何とか飲み込んだツッコミだ。


「こうしてはいられませんっ!!」


 ミルシェは椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がった。ぎょっとしたのは座ったままの三人だ。


「ちょ、ちょっと急にどうしたのよ!? 何かあったの!?」


「何かあったじゃないよ! こ、このままじゃムネヒトさんが副団長さんと、えっと……――……な事になるかもしれないじゃない!?」


 途中をゴニョゴニョと言いよどんだが、むしろリリミカの不見識を責めるような語調だった。

 気圧されはしたがミルシェが何を言いたいのか察し、彼女を安心させるようにリリミカは笑みを作った。


「まっさか~! そんな事になるわけ無いって! 筋金入りのカタブツよ? ベルんが男と向き合うのは、間に剣があるときだけなんだから」


 メリーベルと面識のあるリリミカは、彼女が男女の機微に非常に疎い事を知っている。外見こそ眉目秀麗な美少女であり、ミルシェの言うようにスタイルだっていい。しかも若くして騎士団の副団長にまで栄達した身であるので、注目にならないわけが無い。

 しかし浮いた話など自分や姉のレスティア以上に耳にしなかった。単に自分から話さないだけの可能性もあるが、少なくともリリミカの知る限りは皆無だ。

 ムネヒトの側からアプローチを掛けるかといえば、それもないだろう。彼が色々な意味で女性に対し積極的になるとは考えられない。確かに暴走したりするときもあるが、それは親密な間柄でないと起こり得ないイベントだ。例えば、そう私とか。


 そんなリリミカの主張をミルシェは甘い! と一喝する。


「そういう真面目な人ほど一度堕ちたら歯止めが利かなくなるんだから! お互いその気が無くても、ふとした拍子に意識し出してやがて……しかも今のムネヒトさんは……ッ」


 堕ちたらって、また大袈裟な……どうやらこの前購入した御伽噺本に影響されているらしいとリリミカは思った。ミルシェはそこまで喋ると俯き、ブツブツと作戦が、作戦がと呟いている。


「ね、ねえ大丈夫だって……さっきまでムネっちの事あんなに信じてたじゃない?」


「それとこれとは話が別だよ! ムネヒトさんがおっぱいに勝てるわけ無いじゃない!!」


 酷い信頼だった。

 剣幕と説得力に口を塞がれ反論が出来ない。助けを求め姉を見ても、レスティアも苦い顔をしていた。

 助け舟を出したのは彼女の父親だ。


「落ち着けよミルシェ、そいつぁゲスの勘繰りってヤツだ。まあ二人とも年頃だし、そうならないとも限らないが、アイツは節操無しとは違うだろ? ムネヒトのコトを少し信じてやろうや」


「なに!? おとーさんってばムネヒトさんの肩を持つの!?」


 いつの間にかムネヒトが槍玉に上がっていたが、その矛盾を指摘する者はいない。

 まさかの迫力にバンズもいくらか気圧されたらしく、椅子から仰け反っている。


「い、いや……別に肩を持つとか持たないとかじゃなくてだな……」


 バンズも密かに彼のような青年が牧場の跡継ぎになってくれたらとは思っている。親の一存で無理強いする気は無いが、ミルシェだって満更では無いだろう。娘の事を思うなら、その他の女性とは節度を持った交友関係を築いてもらいたい。

 とはいえムネヒトだって若く健康な男だ。

 そのエネルギーの発散を完封し禁忌のように扱うのは酷というもの。娘の言ったとおり、彼だって(異常なほどではあるが)健全な欲求を持っている。

 自分は初恋のときからミルフィに一途であったが、それは仲間内から言わせれば理解できないほどの例外であるらしいし、ムネヒトに自分の価値観を押し付けるような真似はしたくない。

 だが娘の為を思うなら……などと思考を行ったり来たりさせていると、ムネヒトの弁護がスムーズに出てこなかった。

 それを敗勢とみたか、ミルシェは更に追い討ちをかけた。


「そうだよね、おとーさんならムネヒトさんの気持ちが分かるもんね! なんせ男の人は大きなおっぱいの方が好きなんでしょ!? おかーさんも何時も言ってたもん!!」


「おまっ!? なにバカなコト言ってんだ!」


 ムネヒトと抱き合わせて実父まで的にしてしまった。

 レスティアが凄まじい勢いで牛乳を飲み始めたが、それを見ていたのは妹だけだ。

 リリミカは自分から話題を切り出したことを悔い始め、あわあわとサンリッシュ親子を宥めるか、テーブルの上の牛乳を飲み干さんばかりの姉を止めようかと、判断に窮した。


 最初に冷静さを失い最初に冷静さを取り戻したリリミカは、それから何とかミルシェを宥め抜きアカデミーへの登校を果たした。飲み足らないのか、牛舎まで駆け出そうとした姉はバンズに任せよう。


 それから紆余曲折はあれど、ミルシェ、リリミカ、バンズの三名は狩猟祭が終わるまでムネヒトと再会は出来なかった。ミルシェは不平顔だったが、個人的過ぎる理由でアカデミーを休むような事はしなかった。

 くれぐれもムネヒトさんをお願いしますと、レスティアに言伝を頼み込むだけに終わる。

 一週間以上も日課をこなせないのは残念だが、何をそんなに不安に思っているのか。ミルシェに引き比べリリミカは冷静、もしくは呑気だった。


 結論から言えば、ミルシェの方が正しかったのだがそれを知りえる者は皆無だった。

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