一章 鋼の街と空の騎士団 5

 逃げることは決して許さないという、強い意志を込めた瞳。

 俺はそれを見つめ返すと、一つ溜め息を吐いて――

「え、やだよ。楽しい酒の席にそういうのって無粋じゃない?」

 ――あっさりと逃げた。

「……あなた、よくこの状況でそんなこと言えますね」

 空気を読まない俺の即逃げに、アリアは怒りを通り越して呆れているようだった。

 とはいえ、こっちにも言い分がある。

「そもそもね、俺とアリアはまだそこまで深い話をする関係じゃないだろ。お前が俺を信用していないのと同じように、俺もお前をそこまで信用していない。それだけさ」

 途端に、アリアは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。

「それを言われると、何の反論もできませんね……いいでしょう。この話はここまでにします」

「そうするのがいいさ。話すべき時が来れば、こっちも自然と話すだろうよ。それより酒来たし、飲もうぜ!」

 ちょうど話が一区切りしたところで、店員が酒を運んできた。

「よーし! じゃあ俺たちの出会いを祝して、かんぱーい!」

「乾杯」

 カツンと音を立てて木製の酒杯をぶつけ合う。

 鮮烈な炭酸の刺激と苦味が喉を通り抜け、酒精がぐっと食道を焼いていく。

「いやー美味しい。色んな鋼船都市のお酒を飲み回るのも、傭兵の楽しみの一つですよ」

 大きな鋼船都市はだいたい酒が美味いものだが、ここも期待に違わずいい出来だ。

「飲むなとは言いませんが、仕事に支障が出ないようにしてくださいね」

 詰問していた時の緊張感は欠片もなく、少し緩んだ雰囲気になるアリア。

 どうやら、完全に切り替えてくれたらしい。

「分かってるって。すみませーん、お酒おかわりー!」

 釘を刺してくる彼女の言葉を受け流し、もう一杯酒を頼む。

 そこで、ふと他の席の客が食べている料理が目に入った。

 二枚貝をにんにくと唐辛子で炒めた料理である。

「……へえ、この都市。大衆酒場で魚介料理が出せるのか」

 鋼船都市は、空に浮かぶ船の都市だ。

 基本的に自給自足が成立しており、酒も肉も野菜もあるが、さすがに大規模な漁場までは用意できないため、魚介類の料理はどこの鋼船都市でも供給が足りない貴重品である。

「ええ。二年くらい前に私が攻略した『空の遺跡』に、大きな漁場がありましたので、そこを占拠し、そのままリーザルトの漁場としているんです」

 自慢げに胸を張り、自分の功績を誇るアリア。

「なるほど、それはすごいな」

 その偉業に、俺は素直に感心してみせた。

「私が副団長に昇進するきっかけになった仕事なので、思い出深いです」

 自分の仕事を褒められて気分がよくなったのか、懐かしむように柔らかい表情を浮かべるアリア。

 いいねえ、常にこういう顔をしていてくれれば、もっと親しみやすいんだけども。

「よっしゃ。じゃあアリアちゃんの偉業に敬意を表して、この料理を頼むか。おーい、店員さ――」

 俺が手を上げて、注文をしようとした瞬間である。

 向かいの酒場から、凄まじい轟音とともに、誰かが入り口をぶち破って酒場の間にある広場へと転がってきた。

「うおっ、なんだ? 喧嘩か?」

「みたいですね。この辺ではよくあることです」

 俄然盛り上がる俺と、慣れているのか冷静さを崩さないアリア。

 周りの客も概ね俺と似たような反応で、突如巻き起こった騒動を肴に酒を飲もうとする奴らが大半だった。

 俺もちょうどよく届いた二杯目を呷りつつ、騒動の中心に目を向ける。

 転がっているのは軽い武装をした男。騎士っぽいな。

「くそ! この野郎! こんなとこで魔法ぶっ放しやがって!」

 彼は上半身を起こすと、自分がさっきまでいた店の中を睨む。

「……うちの団員ではないですね」

 少し安堵したようにアリアが呟く。

 だが、まだ気を抜くには早い。喧嘩というのは常に相手がいるものだ。

「はっ! てめえから喧嘩売っておいて、手加減してもらえるとでも思ったのか? 温い温い! 子供の遊びかと思うほど温いなあ、てめえの騎士団はよぉ!」

 予想通りというかなんというか、店から出てきた喧嘩相手らしき男を見た途端、アリアが「う」と声にならないうめき声を漏らした。

「お知り合い?」

「……うちの団員です」

 頭痛を堪えるような顔をするアリアとともに、その男を観察する。

 俺と同じか、少し上くらいの年齢だろう。

 団長に勝るとも劣らない体格と筋肉。整ってはいるが、粗野な性格が表情に滲み出ている顔立ち。短く切り揃えてあるくすんだ金髪。

 重い金属鎧を着込んでもよろめくことなく、巨大な戦斧を肩に担いだ姿は、紛れもなく強者の証だった。

「ゴードン・ブランデス。うちの騎士団の№3で、戦闘の実力だけを見るなら、私より副団長に相応しい人物です。ただ……」

「素行の悪さで出世できなかった感じの奴か」

 俺の予想に、アリアは少し疲れたように頷いた。

「……しかも、今回の『弟』の攻略部隊にも参加する予定の人物です」

俺だけではなく、他にも手の掛かる駒がいたとはな。

 そりゃ俺の掌握に神経質にもなるわ。気苦労の多い副団長に、ちょっと同情。

「おいおい、うちの仲間にやってくれんじゃねえか」

 気付けば、俺たちと同じ店にいた男たちが十人ほど、武器を構えてゴードンのほうへと歩いていく。

 どうやら、やられている騎士の仲間が、たまたまこっちの酒場にいたらしい。

 が、ゴードンは怯むことなく、むしろ楽しくなってきたとばかりに斧を構えた。

「おもしれえ! 雑魚の悲鳴を肴に飲む酒ほど美味いもんはねえからな! まとめて掛かってきな!」

 猛獣が叫ぶように気勢を上げるゴードン。

 それをきっかけに、一対十の喧嘩が始まった。

「うははは! あいつ馬鹿だぞ! やれやれー!」

 愉快な展開に、俺も思わず野次を飛ばす。

 すると、それに釣られたように周りも面白がり始めた。

「まったく、がさつな趣味ですね」

 口笛や野次、賭け事まで始める面々の中、アリアだけは顔をしかめて静かに酒を飲んでいた。

「ほう? その割には止めないようだが」

 意外に思って訊ねると、アリアは諦めたように肩を竦めた。

「ああいうのは一回発散させないといつまでも引きずりますから。変なところで爆発するのはもう懲り懲りです」

 なるほど。もう既に何度か同じような場面を経験して、達観するに至ったらしい。

「苦労してるねえ、アリアちゃん」

 からかうように言うも、アリアはこの件については熱くなるつもりがないらしく、軽く頷いた。

「ええ、本当に。さすがに決着がついたら止めに行きますけどね。万が一にも違う騎士団の騎士を殺させてしまうわけにはいきませんし。あなたもゴードンとは揉めないように。いくらなんでも、彼の相手は辛いと思いますから」

「なんだ、あいつの評価はそんな高いのか」

 少なくとも、あの大男はアリアの中で俺より強いことになっているらしい。ちょっと妬けます。

 とはいえ、副団長の贔屓目を抜いても確かにあの男は強い。

 今の会話の間にも、二人の男がゴードンの斧でぶっ飛ばされていた。

 向こうも鎧を装備しているため致命傷にはならなそうだが、一撃で戦闘不能に追い込まれている。

 一気に敵の士気が下がるのが、遠目で見ている俺にも分かった。

 その機を逃さず、ゴードンは野性的に吠えながら更に五人を叩きのめしていく。

 残りは三人。

 だが、どいつもこいつも既に立っているのがやっとの様子だ。

 ――勝負あったな。

 これ以上やったら倒れた奴らを運ぶ人手がなくなるし、仲裁するならこの辺だろう。

 アリアもそれが分かったのか、酒杯を置いて立ち上がった。

「そろそろですね。ちょっと外します」

「ん。いってらっしゃい」

 彼女を見送りながら、俺は新たな料理を注文するのだった。

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