第153話 メロビクス王大国軍の作戦

 ――開戦から七日が経過した。


「アンジェロ王子は、おるか?」


「エーベルバッハ男爵……」


 俺がキャランフィールドの執務室で書類仕事をしていると、情報部のエーベルバッハ男爵が入室してきた。


「ほう。戦争中でも書類仕事かね?」


 相変わらず俺が相手でも遠慮がない人だ。

 まあ、俺は構わないが。


「戦争中は決裁しなきゃならない書類が増える。俺がサインしないと、予算が動かない」


「勤勉で大変結構だな。ウォーカーを呼んでくれるか?」


 ついに来たか!

 エーベルバッハ男爵の顔を見た瞬間に、ウォーカー船長の事じゃないかと思ったが……。


「今、呼ぶ……」


 俺はウォーカー船長に執務室まで来てもらった。

 ウォーカー船長は、いつもと変わらぬ快活な足取りで執務室に入ってきた。


「よう! 王子様! 何か用かい?」


「……」


 俺はウォーカー船長をじっと見て気持ちを整理する。

 スパイ疑惑――ウォーカー船長が敵国のスパイなのかどうか?


 エーベルバッハ男爵がキャランフィールドに来たということは、白黒つけに来たということだ。


 俺はツバを飲み込み、なるたけ落ち着いた口調で話し始めた。


「ウォーカー船長……。こちらはフリージア王国情報部のエーベルバッハ男爵です」


 俺が『情報部の……』と言うと、ウォーカー船長は眉根を寄せた。


「情報部……? そんなのがあったのか?」


「ええ。詳しいことは機密なのでお話しできませんが、我が国には情報部が存在します。それで……エーベルバッハ男爵から、ウォーカー船長にお話があるそうです」


 俺はチラリと視線をエーベルバッハ男爵に向ける。

 後は『鋼鉄のクラウス』にお任せだ。


「初めましてだな。ウォーカー船長。座ってくれ」


「……」


 俺は執務机に座ったまま、エーベルバッハ男爵とウォーカー船長が、テーブルを挟んで応接ソファーに向き合って座る。


 先に口を開いたのはウォーカー船長だった。

 いつものくだけた口調で、肩をすくめる。


「ただならぬ雰囲気だな!」


 対するエーベルバッハ男爵は、ニコリともしない。


「あんたの正体を暴くのだから当然だろう?」


「正体? 俺は海の男、ただの商人だがな?」


「ほー! 確か君は、エリザ女王国の商人だったな?」


「そうだ。ちゃんと商人ギルドにも登録しているぜ。モグリじゃないぞ」


「ああ、それはエリザ女王国で確認が取れた。しかし……、港町リブレプトだ……」


「……」


 ウォーカー船長の肩が微かに動いた気がした。

 だが、彼の表情は変わらない。


 エーベルバッハ男爵は、組んでいた足を戻し、前に身を乗り出す。


「あんたが出身地だと語る港町リブレプト。俺はここに調査員を派遣した。凄腕のヤツだ。あんたの家はリブレプトにない。妻のマリールーも存在しない。当然だ。あんたはリブレプト出身じゃないからな」


「何を……。言いがかりだ――」


「悪くないカバーストーリーだったぞ、ウォーカー。ど田舎の港町出身で、苦労して成り上がり、愛妻家で妻の名前を自分の船につける。『愛しのマリールー号』か。なかなか、泣かせるな」


 エーベルバッハ男爵の話に、俺は引き込まれた。

 奥さんのマリールーが存在しないって……。


 俺はエーベルバッハ男爵に、確かめずには、いられなかった。


「エーベルバッハ男爵。じゃあ、ウォーカー船長は、何者ですか?」


 エーベルバッハ男爵は、ウォーカー船長から目をそらさずに答えた。


「ウォーカーは、メロビクス王大国調査局の人間だ」


「それって……つまり……」


「こいつは、メロビクスのスパイだ」


 俺は椅子に座っていたが、あまりにもショックで足下がグラグラと揺れている気がした。

 覚悟はしていたが……。


 ウォーカー船長は、沈黙している。

 エーベルバッハ男爵は、射殺すような鋭い視線をウォーカー船長に浴びせながら、続きを話し出す。


「ウォーカーという名は偽名だ。本名は、ルイ・カティ。メロビクス王大国のカティ男爵家の三男だ」


「カティ男爵家?」


「メロビクス北西部の貴族家だ。メロビクスの調査局に入局してからは、商人になりすまし各国で情報収集を行う。その後は、ギュイーズ侯爵の依頼でアリー・ギュイーズを陰ながらガードしていた」


「よく調べましたね……」


「アリー・ギュイーズの留学先を調査させた。メロビクス王大国貴族学院だ。アリー・ギュイーズの御用商人として、ウォーカーが出入りしていた。そこから、線をたどれたのだ」


 俺は情報部の調査能力に舌をまいた。

 恐らく……メロビクス王大国の調査局にも、人を潜り込ませてあるのだろう。


 一方、ウォーカー船長は、深くため息をついた。


「ふー。よく調べたね。エーベルバッハ男爵……」


「ウォーカー。お前を逮捕する。いや、ルイ・カティと呼ぶ方が良いか?」


「ウォーカーで頼む。もう、十年以上ウォーカーで過ごしているからな。ところで、エーベルバッハ男爵……」


「なんだ?」


「君の調査結果は正しい。だが、間違っている所もある。俺はスパイじゃない」


「貴様……。この期に及んで、シラを切るつもりか?」


 まったくエーベルバッハ男爵の言う通りだ。

 俺としても潔く『自分がスパイだ』と認めて欲しい。


「いや、違うんだ。確かに俺はメロビクス王大国調査局の人間だが、今はギュイーズ侯爵の下についている。普通の局員とは、命令系統が違う」


 エーベルバッハ男爵は、狐につままれたような顔をしている。


「……普通の局員と命令系統が違うだと?」


「ああ。そうだ。ギュイーズ侯爵の孫娘、アリー・ギュイーズ様がメロビクス王大国に留学される時に、私はギュイーズ侯爵直轄の調査局員になったのだ」


 ウォーカー船長が語る話の筋は通っている。


 アリーさんの母親は、メロビクス王大国からエリザ女王国へ嫁いだ。

 エリザ女王国でアリーさんが誕生し、成長してからメロビクス王大国へ留学したのだ。


 そのアリーさんが、留学するタイミングで、ギュイーズ侯爵の命令を受ける立場に変わったと……。


「出向ということか?」


「そうだな。出向が言葉としては、一番近い。メロビクスでは、中央から地方貴族へ、人員の異動や貸し借りがあるのだ。デカイ国だから人も多い。だが、中央のポストは限られている。そこで、地方貴族へ人材を貸し出すのさ」


「……」


 今度はエーベルバッハ男爵が黙る番だ。

 ウォーカー船長は、決定的な一言を告げる。


「アリー様に確認してくれ。アンジェロ王子には、内密にしていたが、アリー様は俺の立場をご存じだ」


「何だと……」


「すぐにアリーさんを呼ぶ!」


 エーベルバッハ男爵の顔色が変わった。

 俺は転移魔法でアリーさんの執務室に飛び、すぐに連れて戻った。


 アリーさんにこれまでの事情を話すと、アリーさんはあっさりとウォーカー船長の身分を保障した。


「ええ、ウォーカー船長は、カティ家の者です。ただ、調査局からは離れていると聞いていますし、今はおじい様の指示で動いているはずですが?」


「なっ! 俺が調査局にいたのは、間違いないし、まだ籍は残っているはずだ。だが、今はギュイーズ侯爵にお仕えして、アリー様をお守りするのが俺の任務だ」


 えっと……。

 すると空振りなのか?

 そうだよね?


 エーベルバッハ男爵を見ると、恐ろしい顔をしている。


「ウォーカー。確認するが……。アルドギスル領アルドポリスで逮捕した二人の貴族は知っているか?」


「いや、知らん。アルドギスル領は、内陸だよな? 行ったこともないぞ」


「チィ! その二人は囮で、あんたが本命スパイだと思っていたが――」


「生憎だが、それは違う。俺はアリー様をお守りしているだけだ。ギュイーズ侯爵に報告はしているが、メロビクス王大国の調査局に情報は流していないぞ」


「つまり……、あんたも囮か!」


 エーベルバッハ男爵は、猛スピードで俺の執務室を飛び出して行った。

 俺は飛行魔法で空を飛び、彼の後を追う。


「エーベルバッハ男爵! どういうことですか?」


「王子! グースを貸してくれ! 王都へ戻る!」


「それは構いませんが、説明を!」


 エーベルバッハ男爵は、キャランフィールドの街を全力で駆け抜ける。


「あんたの兄王子の所に、スパイと思わしき人間が二人いた」


「アルドギスル兄上の所ですね?」


「そうだ。だが、経歴があからさますぎた。メロビクス王大国と婚姻があったり、取引を口実に、メロビクスへ遊びに行ったりだ」


「簡単にスパイと分かるから、囮だと? 本命のスパイは他にいると?」


「そうだ。情報局では、そう分析していた。囮の二人は田舎貴族で、あんたのことを知らんしな。そこでウォーカーを本命スパイと思っていたが、空振りだった」


「まずいじゃないですか!」


「だから、急いどる!」


 エーベルバッハ男爵は、グースに飛び乗ると王都へ飛んでいった。

 俺も王都へ向かった方が良いのか?


 スパイが他にいるということは、俺たちの動きは敵に筒抜けなのだろうか?


 色々と考えながら執務室へ戻ると黒丸師匠が飛び込んできた。

 黒丸師匠には、海上を見張ってもらっている。

 黒丸師匠が、戻ってきたということは――。


「アンジェロ少年! メロビクスとニアランドの海軍が来たのである! 沖合で発見したのである!」


 チィ!

 こんな時に――。



 *



 ――アルドギスル領アルドポリス郊外。


 ヒューガルデン伯爵は、防壁の上で防戦の様子を冷静に見ていた。

 フリージア王国軍は、攻め寄せるニアランド王国軍を何度も撃退している。


 だが、ヒューガルデン伯爵は、不信感を募らせていた。


「おかしい……。ニアランド王国兵しか見当たりませんね……。メロビクス王大国軍は、どこに?」


 ここアルドポリスを落とすにせよ、フリージア王国王都を攻撃するにせよ、メロビクス王大国は、ここに兵力を投入せざるを得ない。


 だが、日数が経っても、メロビクス王大国軍の姿が見えないのだ。

 ヒューガルデン伯爵は、嫌な予感に身を震わせた。



 *



 その頃、メロビクス王大国軍は、魔の森の中の細い道を通って、フリージア王国王都を目指していた。


 宰相ミトラルに側近が話しかける。


「宰相閣下。こんな地図にも載っていない道を、よくご存じでしたね……」


「調査局の成果だ。この道は、抜け荷用の道である」


「なるほど……。それで知られていないのですね……」


 抜け荷とは、関所を通さずに他国・他領に運んだ荷物の事である。


 通常、商人は関所や税関を通って税を支払う。

 だが、こっそりと関所を迂回して密貿易をする為の道、地元民や非合法な人間だけが知る抜け道がある。


 宰相ミトラルは、調査局から、メロビクス王大国から魔の森を抜けフリージア王国王都へいたる抜け道の存在を知らされていたのだ。


 大軍が通り抜けるには時間がかかるが、それでも敵兵と戦わないので、兵力は減らない。

 魔の森の中だが、それほど強い魔物が出ない抜け道だ。

 魔物の被害もほとんどない。


 つまり、宰相ミトラルが率いるメロビクス王大国主力軍は、戦力を温存したままである。


 そして、メロビクス王大国軍は、魔の森を抜け、その目にフリージア王国王都を映したのだった。

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