第59話 プロジェクト・クイック

 今日は即製酒クイック造りの初日だ。

 何とあの会議から三日で製造という驚異のスピードだよ。


 とにかく、みんな強い酒が飲みたいらしく――クイックは不味いのに――、異様なモチベーションとチームワークを発揮した。

 エルフとドワーフもケンカをしなかったからね。

 それで、わずか三日で製造に漕ぎ着けた訳だ。地球人感覚だとあり得ない開発速度だ。


 みんな頭がおかしい。

 きっと脳みそがアルコールのプールでバタフライをしているのだ。

 まともなヤツは俺しかいないぜ。


 俺はジョバンニと商業都市ザムザで安いワインを調達し、土魔法で蒸留用のかまど建屋たてやを造り、他のメンバーに指示出しと大車輪で働いている。


 さて、クイック造りだが……。

 結論から言うと、失敗した。


 ホレックのおっちゃんが、蒸留失敗したクイックを飲みながら悲しそうな声を出した。


「ダメだな……。パンチが効いてねえ。アンジェロの兄ちゃんが作ったクイックよりも酒精が弱いな。これじゃあ煮立てた不味いワインだ」


「火加減ですよね。途中でワインがグラグラ煮立っている音がしましたからね」


 アルコールが蒸発する温度は約八十度だ。この八十度で温度をキープ出来れば、アルコールだけが蒸発するので酒精――アルコール度数が高いクイックが出来る。


 だが、ワインを沸騰させてしまえば水分も蒸発してしまうので、出来上がったクイックはアルコール度数が低くなる。

 おっちゃんの言葉を借りれば、パンチが効いてないクイックになる訳だ。


 俺の隣に立つエルフが、俺とおっちゃんの会話を聞いて頭を下げた。


「申し訳ございません。それは私の火の魔道具の不出来のせいです」


 彼の名前はエル・プティーオ、エルフの割にあまりイケメンでない。

 だが『残念エルフ』などと言ってはいけない。


 顔立ちは整っているのだが、丸い眼鏡と薄い頭頂部が……。

 いや、エルフ族との友情の為にこれ以上のコメントは控えよう。


 エル・プティーオは例の助け出した奴隷エルフのギルベンダ家が派遣してくれた優秀な魔道具士だ。

 火属性の魔道具制作を得意としている。


 今回のクイック造りプロジェクトでは、釜を熱する魔道具の制作を担当して貰っている。

 薪を使うよりも魔道具で火力調整した方が、蒸留する温度の八十度をキープしやすいだろうと思ったからだ。

 だが……。


「いや、エル・プティーオさん。気にしないで下さい。最初から上手くはいきませんよ」


「どうもまだ八十度というのが良く分からないのです。火力の調整には、もう何回かテストが必要です」


 これは仕方がない。この異世界には温度を数字で示す概念がない。

 水がグラグラなるのが百度で、人間の体温が三十六度前後と最初に説明したのだが、ポカーンとされてしまった。



 俺は上手くいかなかった蒸留装置全体を睨むように観察する。


 土魔法で作った大型のかまどに、エル・プティーオさんが作った火の出る魔道具を設置している。

 その上にホレックのおっちゃんが打った銅製の蒸留用の釜が載っている。釜はワイン三樽が入るサイズでかなり大きい。

 下が大きく上の方が円錐状になって、そこから銅製のパイプが伸びている。パイプの先には冷却の魔道具が設置されていて、パイプを魔道具で冷やし、蒸気になったアルコールを液体に戻している。

 うん。蒸留装置全体の仕組み自体は間違っていないと思う。


「冷却の魔道具の方はどう?」


 梁の上で冷却の魔道具を監視しているリス族のキューに大声で確認を取る。

 キューは梁の上からひょいと顔を出して首を振った。


「冷え過ぎではないでしょうか? 所々凍ってしまっております」


「そっちは私ですね。冷却器も調整します」


 彼女はオナ・エンティティ。

 水属性の魔道具制作が得意なエルフの魔道具士で、ルーナ先生に同行して来た。

 細身! 美形! 絶壁! と三拍子揃ったエルフ女性だ。


 天井近くの梁に立てかけた木製のはしごを身軽に登って、キューと打ち合わせを始めた。

 あの様子ならオナ・エンティティとキューに任せて大丈夫だろう。俺はホレックのおっちゃんと打ち合わせを始めた。


「おっちゃん。この釜に覗き穴は作れない? 釜の中の様子を見られれば、ワインの煮立ち具合を見て火の魔道具を調整出来ると思うのだけど」


「なるほど。そうやって目で見て火力調整をさせるか……。覗き穴は、すぐ出来る!」


「頼むよ。その間にワインの交換をしよう。エルハムさん!」


 俺が声を掛けるとエルハムさんの部下のミスル人たちが一斉に動き出した。

 大きな声が飛び交う。


「ワイン交換!」

「そっち持て!」

「ゆーっくり! ゆーっくり!」


 釜の蓋を外す者、ワインの入った釜の下部の鍋を持つ者、分担して作業が進む。

 煮立てたワインを建屋の外に捨てる為に作業員たちが鍋を運び出す。


 だが、事故が起きた。


 煮立ったワインが入った大きな鍋を、運ぶ途中でひっくり返してしまったのだ。

 建屋の中に湯気が充満し、悲鳴が上がる。


「うわあ!」

「熱い! 熱い!」

「こっちだ! こっちに来い!」


 俺はすぐさま水魔法を発動して、熱したワインを洗い流す。

 だが、多数のミスル人作業者が重い火傷を負った。

 建屋の中は混乱して、悲鳴を上げる者、怒鳴る者、立ち尽くす者でごった返した。


「ルーナ先生を呼んで来て! 食堂にいる! 光魔法で治療してもらう!」


 俺もすぐに治癒の光魔法で治療を始める。

 だが、俺は単発のヒールしか使えない。


 ヒールは魔法をかける対象が一人だ。だから一人ずつしか治療が出来ない。

 おまけにヒール一回では治療効果が弱いので、何回もヒールをかけなくてはならない。

 時間がかかる。


「私も治療します!」


「頼みます!」


 エルフの魔道具士オナ・エンティティさんが、治療の応援に入ってくれた。

 それでも治療のスピードは上がらない。

 俺があせりを感じているとルーナ先生が飛び込んで来た。


「来たぞ! 事故か?」


「火傷です。重傷者から俺とオナ・エンティティさんでヒールを掛けています。ルーナ先生はエリアヒールをお願いします」


「光の精霊よ! 我が呼びかけに答えよ! 聖なる力を示し、同胞たちに光と治癒を与えよ! エリアヒール!」


 エリアヒールは、広範囲にヒールをかける治癒魔法だ。

 ルーナ先生がエリアヒールを発動すると、建屋の中が金色の光で満ち溢れた。


 ルーナ先生が複数回エリアヒールを発動し、負傷者の治療は完了した。


 エルハムさんが、恐縮して俺に詫びて来た。


「お騒がせして大変申し訳ございません。作業員たちのミスです。厳しく指導いたします」


 エルハムさんは、作業員をまとめる役割があるから責任を感じている。

 作業員が悪いと考えているが、俺はそう思っていない。


「いや、これは作業員の責任じゃない。作業場の設計に問題がある。建屋や作業場を作った俺の責任だよ」


「いえ! そのような!」


「もっと建屋を広げて作業スペースを広く取ろう。それから、排水路を釜の近くに設置して煮立ったワインを捨てる作業をかまどの近くで出来るようにする」


 最初から上手く行くなんて思っていない。

 こういう事は、試行錯誤の繰り返しだ。



 ――二日経った。


 二日間、何度も蒸留を繰り返した。

 魔道具、釜、作業場、作業手順、それぞれの担当者が見直して修正を繰り返している。


 俺やミスル人は寝かせて貰っているが、ホレックのおっちゃんやエルフたちは寝ずに作業をしている。

 休め、寝ろ、と命じるのだけれど、『強い酒精が……』と、うわ言のように繰り返す。こいつらどれだけ酒が好きなんだよ!


 蒸留施設は、初日から大幅に構造が変わった。

 まず建屋は俺が土魔法を使って三倍の広さに拡張した。かまどのすぐ横に排水路を設置して下水管まで繋げた。

 これで煮立ったワインは捨てやすい。


「火力調整はどう?」


「強火の魔道具と弱火の魔道具に分けてあります。これで上手く行くでしょう」


 火の魔道具担当のエル・プティーオさんが、力強く答えた。

 火力調整は本当に難しかった。


 火の魔道具は意外に不便な代物で、火力の調整機能が無いのだ。

 元々火属性の魔道具は、軍が野営する時に薪に火をつける魔道具だったり、ファイアーボールを敵に打ち出したりする攻撃用の魔道具だったりする。


 火属性魔石を媒体にして魔道具の中の魔法陣をオンオフする単純な構造なのだ。

 現代日本のガスレンジのように、ツマミで火力の調整するシャレた機能は付いてない。


 エル・プティーオさんと相談したが、火力調整機能を実装すると開発にどれだけ時間が掛かるかわからないらしい。


 そこでワイン加熱用の強火の魔道具と、温度が上がった後で八十度をキープする弱火の魔道具の二種類用意して貰った。


 これなら釜の覗き穴からワインの様子を見て二種類の火の魔道具を切り替えれば、蒸留の温度調整は安定するはずだ。


「冷却は?」


「安定しています!」


 冷却もまた難しかった。

 当初銅製のパイプを水の魔道具を使って直接冷却していたのだが、冷却するパイプの範囲が狭く冷却効率が悪かった。


 そこで水の魔道具と風の魔道具を組み合わせて冷却する事にした。

 水の魔道具で冷却した空気を、風の魔道具で銅製パイプに広範囲で吹き付ける仕組みだ。

 要はエアコンだね。


 ただし吹き付ける風はブリザートと言う絶対零度の死をもたらす吹雪を発生する攻撃用魔道具をアレンジした物なので、ハンパなく冷たい。

 いや、冷たいというよりも凍死しそうだ。


 釜はホレックのおっちゃんが細かい調整をたびたび行ったし、作業手順もエルハムさんたちが何度も見直した。

 これで上手くいくと思う。


「蒸留開始!」


「開始!」


 ミスル人作業員の掛け声で作業が開始された。

 エール造りの経験があるミスル人が釜を覗き込み、火の魔道具を操作する作業員に指示を送る。


「弱火に切り替え!」


「切り替え! 弱火よし!」


 火の魔道具担当のエル・プティーオさんも作業員の横で、魔道具の様子をチェックしている。

 こちらを振り向き肯いた。順調そうだ。


 天井近くの冷却魔道具の方を見ると、キューとオナ・エンティティさんが冷却魔道具の冷風をチェックしている。

 こちらも問題なし。


 しばらくするとポタポタと水が滴る音が聞こえて来た。

 冷却パイプの先にある樽の中に蒸留したワイン――クイックが溜まりだした。

 さて今回はどうかな?


 ――蒸留が終了した。


「じゃあ、試飲するか」


 ホレックのおっちゃんが、木のコップに入ったクイックを試飲する。

 俺はおっちゃんの感想が待ちきれない。


「どうだ?」


「グッ……、ま、不味い! だが! 来たぞ……、来たぞ……! この酒精の強さは……!成功だ!」


「うおおおおお!」

「やったぞ!」


 魔道具を制作したエルフたちも続いて試飲した。


「うお! キツイ!」


「ん! 凄い! これはアンジェロ様が蒸留した試作クイックより、酒精が強いのでは?」


 そうなのか?

 俺は指先でクイックをすくって舐めてみた。舌先に強烈なアルコールの刺激が伝わる。

 なるほど確かに!


 火の魔道具を二種類用意したのは正解だ。

 俺は魔法を使って感覚で火加減を調整して蒸留した。


 だがこのクイックは、魔道具を使って火力を安定させ、釜の中を見て蒸留温度を調整したのだ。

 こっちの方が明らかに、アルコール度数が高い。


「みんなありがとう! クイックの完成だ!」


 建屋の中が歓声に包まれた。

 結局この後、二回蒸留を行い二回とも満足の行く品質のクイックが出来た。

 その日は、出来上がったクイックで宴会を開いた。


 アンジェロ領で売り出す商品が出来た。

 これで財政状況は、逆転だ!



 *



 アンジェロ領でクイックの蒸留が成功した数日後、ジョバンニは商業都市ザムザを訪れていた。

 最近はジョバンニが単独で行動する機会が増えていた。

 朝一番でアンジェロに転移魔法でザムザに送って貰い、夕方ザムザの冒険者ギルドの前に迎えに来てもらうのだ。


 今日はジョバンニが単独行動する日で、ジョバンニ一人で奴隷商人のベルントを訪れた。


「いやいや、ジョバンニさん! 良くおいで下さいました!」


 ベルントは大きな体を小さく丸め笑顔でジョバンニに挨拶をした。

 大柄なブルムント人商人は他国人に威圧感を与えない為に、わざとそのように振舞うのだ。


「今日はどういったご用件で?」


「これをベルント殿の商会で扱ってみませんか?」


 ジョバンニは手に持っていた小さな酒樽をテーブルの上に置いた。


「これは?」


「まずはお飲みになって下さい」


 ベルントは使用人に命じ木のコップを持ってこさせた。

 酒樽のコルク栓を抜くと強いアルコールの匂いが部屋に充満した。

 ゴクリとベルントの喉がなった。


(今まで嗅いだことのない匂いの酒だ……)


 酒樽から木のコップに酒が注がれる。無色透明の見た事のない酒にベルントは驚く。

 その酒を口に含むと更なる衝撃が走った。


「なっ! これは!?」


「いかがですか?」


 ベルントは何と返答するのか迷った。

 ジョバンニが持参した酒は今までにない強烈な酒だった。


 その酒精の強さはベルントが今まで経験した事のない感覚、喉が焼け、胃袋が熱せられ、口と鼻の粘膜が強烈に刺激され……、そうベルントは脳天にガツンと一発食らった気分だった。


 しかし味の方は……。

 最悪だ……、不味い……。


 この酒を何と言えば良いのか……。

 正直に不味いなどと言えばジョバンニの機嫌を損ねるのではないか?

 ベルントは黙り込んだ。


 そんなベルントの気持ちを見透かしてジョバンニはズバリと指摘した。


「不味いでしょう?」


 ジョバンニの苦笑いしているさまを見て、ベルントはホッとした。

 味の事はジョバンニも承知の上で自分に飲ませたのだと理解した。


「ええ。味はひどい物です」


「では、この酒は売れないでしょうか?」


「――いや! 売れるでしょう! 誰もが欲しがるでしょう!」


 ベルントは一口飲んだだけだが確信していた。

 この今までに体験した事のない強い酒精は、酒好きのブルムント人は夢中になるに違いない。


 このテーブルの上に乗る小さい酒樽一つがいくらで売れるだろうか?

 ベルントは必死で頭を回転させた。


(銀貨……、いや! 金貨を積んでも飲みたいだろう! その証拠に俺はもう二口目を飲みたくなっている!)


 ベルントは無意識に舌で上唇を舐めた。

 そして商談中にもかかわらず二口、三口と木のコップで酒を続けて飲んだ。


 ベルントの様子を見てジョバンニは話を進めた。


「その酒はアンジェロ領の特産品として開発した新商品です。まずは信用できる商人に取り扱って頂く方針です」


「私にも?」


「はい。アンジェロ様は、ベルント殿にブルムント地方での専売をお許しになっても良いとおっしゃられています」


 ベルントに今日二度目の衝撃が走った。

 この酒は間違いなく売れる。一口飲めば間違いなくハマる酒だ。


(それを俺が……、ブルムント地方での専売権だと!?)


 ベルントは頭の中でブルムント地方の酒好き領主や金持ちの顔を思い浮かべる。

 今までは奴隷商人――人買いの卑しい商人と下に見られる事が多かった。


(だが、俺を下に見ていた連中も、頭を下げてこの酒を欲しがるに違いない)


 ベルントは満面の笑みでジョバンニに答えた。


「ぜひ取り扱いをさせて下さい。この酒ならいくらでも売ってみせましょう! ところでこの酒は何と言う酒なのでしょう?」


「クイックと申します」

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