141 フォローアップ研修 指輪の旅 9
詩織と優衣は『エルロンドの館』を出て、自分たちが川から登ってきた小道を下って行く。
足元の悪い道に気をつけながら、優衣が詩織に尋ねる。
「萩原さんたちも『エルロンドの館』を目指していたのであれば、私たちと同じところを登って来たはずですよね?」
「亜香里の説明の通りだとすれば、入口はあそこにしかないのでしょう? だったらそうなるね」
「そうだとすれば萩原さんと加藤さんは、私や亜香里さんと同じ様に急な川の増水に襲われたのではないのでしょうか?」
「それはあるのかも知れない。『組織』が作った仕掛けだから毎回、几帳面に作動しているんじゃない? 私が川を渡った時はどうして増水しなかったんだろう? 日頃の行いが良いからかな?」
ニヤリと笑う詩織。
「それを自分で言ってはダメですよぉ。でも真っ暗な中で助けがなければ、今頃は下流まで流されてしまっています。大丈夫でしょうか?」
2人は坂を下りきり、川岸に近づいた。
「アッ! 匂います。さっきまで萩原さんと加藤さんが向こう岸にいました!」
「優衣の例の能力? ライトで照らすと向こう岸の岩や草木が濡れているから、また増水があったみたい。2人が居ないから、おそらく流されたのだと思うけど、どうする?」
「『組織』のトレーニングですから死ぬことはないと思いますけど… 少し川岸を下って探しに行きませんか?」
「そうね。流されたのが分かっていて、全く探しに行かないのもチョット薄情だし、万が一、瀕死の状態だったら後々夢見が悪そうだし。少し川沿いに下ってみますか? それで見つからなかったら『組織』が2人を回収済みだということにして『エルロンドの館』に戻りましょう。今日一日で結構疲れたし」
「詩織さんがそんなに疲れているのなら、私なんかもうギブアップ寸前ですよぉ。少し体力は戻って来ましたけど先々週は、まるまる1週間寝たままだったので未だ体調が万全とは言い難いです」
「優衣の場合は意識不明で1週間寝たきりだったから体力は落ちてるよね。何かの専門誌に書いてあったけど、寝たきりだと筋力は1週で1割以上低下して、それを含めた体力低下を回復するのに1ヶ月かかるという記事を読んだことがある」
「エェーッ! いま私がトレーニングに参加しているのは身体に良くないじゃないですか!?」
「いや、回復のための1ヶ月間は、リハビリテーションを継続することだから、トレーニングはちょうど良いんじゃない? ちょっとハードだけど」
リハビリテーションの内容については、医師や理学療法士に確認する必要があるわけだが。
2人は非常用ライトを照らしながら、川沿いを下流に向けて歩いて行く。
「あの向こう岸に人のようなものが横たわっているのが見えますが、萩原さんか加藤さんではないでしょうか?」
優衣が川向こうの土手に仰向けになっている人の形をした影をライトで照らす。
「うん、黒いジャンプスーツを着ているから間違いないね。アッ! ちょっと離れたところにもう一体あるよ! って、こんな言い方をしたら打ち上げられた死体の捜索をしているみたい」
「詩織さん、趣味悪いですよぉ。でもどうしましょう? ここら辺は水深が結構深そうだし… そうだ! チョット使ってみますね」
優衣は精神感応で向こう岸に倒れている2人の頭の中に働きかける。
直ぐ近い方の土手に仰向けになった身体が『ビクッ』として起き上がった。
「あれは加藤さんです」
「優衣は相手の頭の中を読みに行くだけではなくて、何か『念』みたいなものを送れるようになったの?」
「未だやり始めたばかりですけど、桜井先輩からコツとかを伺いながらやっています。桜井先輩のように催眠術をかけられるようになるのは、まだまだ先ですが」
「桜井先輩って、催眠術を使えるんだっけ?」
「催眠術って言うと怒られます『私はマジシャンではありません』って、私には催眠術にしか見えないのですけど」
「加藤さんの意識が戻ったみたいよ。オーイ! 生きてるかぁ!」
非常用ライトをブンブン振りながら、詩織が叫ぶ。
英人はしばらくボーッとしてから、ライトの方を見て詩織の声に気がつき『とりあえず、生きてまーす』の返事。
「近くに萩原さんが倒れているから、見てきて!」
詩織が叫ぶと『了解』の返事をして、英人はヨロヨロと立ち上がり、少し下流にいる悠人のところへ行き、悠人を揺さぶると、悠人もゆっくり起き上がった。
「2人とも大丈夫そうね。でもバイクは流されちゃったみたい。どうしましょう? さっきの浅瀬まで戻ったら、また津波のような増水が来そうですし……」
「ちょっと、考えがあるからやってみる」
「2人とも! 歩けるところまで近づいて歩いてきて!」
詩織にそう言われ、まだ気を取り戻した直後のせいか、悠人と英人はゾンビの様に詩織たちが居る川の対岸まで近づいた。
詩織は目を一瞬閉じ、次に開けた瞬間、悠人と英人は詩織たちの前に現れ、尻餅をついて座り込んだ。
「詩織さん! 今の能力って、念動力ですか?」
「モノを持って瞬間移動出来るんだったら、モノだけ動かした方が自分の体重が無い分、楽かな? と思って地下のジムのバーベルで練習してたんだ。ここで役に立って良かった」
ようやく悠人と英人は正気を取り戻し、優衣と詩織が自分たちを助けてくれた状況を理解する。
「篠原さん、小林さん、助けてくれてありがとうございます。最初に頭の中で篠原さんの声が響いた時にはビックリして、強い気付け薬になりましたけど」
「優衣は、どんな『念』を送ったの?」
「まだこの能力の使い方は未熟で、何回もやる自信がなかったので一回で効くように気合を入れて『起きろぉー!』という気持ちを送りました」
「気合を入れただけなのですか? 俺には、悪魔になった篠原さんの雄叫びかと思いました」
「加藤さん、せっかく能力を使って起こしたのに『悪魔』とか酷いです」
「いえいえ、それぐらい迫力があったと言うか、なんと言うか。洪水に飲まれてからさっきまで気絶していたので、まだ頭がよく働きません」
英人はしどろもどろ。
詩織と優衣は思わず顔を見合わせて笑い始め、一息付いたところで優衣が悠人と英人に確認する。
「とりあえず無事だったので良かったです。私たちはもう夕食を済ませましたが、お二人はまだでしょう? 館に寮と同じクッキングマシンがありますから、そこまで歩けますか?」
優衣の質問に2人とも『大丈夫』と即答し、4人は『エルロンドの館』への小道を登って行った。
「オォ! 暗闇に浮かび上がって幻想的な感じは映画そのものですね」
英人が歩きながら、館の全景を見回す。
食事のできる部屋へ入ると、亜香里はまだホキーポキーを食べていた。
「お疲れ! 救助ご苦労様です。二人とも大丈夫そうね」
「篠原さんと藤沢さんの能力に助けられました」
「亜香里はそんなにアイスクリームばっかり食べてると、デブになってギブスがきつくなるよ」
「えっ! 小林さん、どこか骨を折ったのですか?」
「ここへたどり着くまで、いろいろありましてねぇ…」
亜香里は4人と離れてから、詩織たちに助けられ『エルロンドの館』に着くまでの経緯を話し、悠人と英人はトロンとの戦いで詩織たちと離れてから、ここに来るまでのことを食事をしながら説明した。
「それじゃあ、私が乗れずに置いていったバイクは、2人がここまで乗って来たの?」
「そうなんです、見た感じ小林さんが乗っていたバイクと分かったのですが、乗っていた当人が近くにいる様子はないし、その時はバイクを置いていった理由は分からなかったのですが自分たちはバイクを無くしたあとで、借用してここまで乗ってきました。結局、そのバイクも川に流してしまいましたけど」
「この足ではバイクには乗れないから、置いていったバイクが役に立って良かったよ」
悠人と英人が食事をしている間、館を見て回った詩織と優衣が部屋に戻ってきて、詩織が報告する。
「この階にベッドのある部屋が幾つかあって、下の階にも同じくらいあるよ。他の階にもありそうだけど、この部屋の近くはそんな感じかな」
「じゃあ、僕らは下の階に行きます、今日は水難騒ぎで疲れました。今日はここでお開きということで良いですよね?」
「「「「 おつかれさまです 」」」」」
「とにかく眠たいです。明日は誰か起こしに来てください」
亜香里はスマートクラッチを突きながら真っ先に、一番近くのベッドルームに入って行った。
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