義妹へ会いに行こう! その3

 孫娘の意外な食いつきに気を良くしたイサベルは、リタを連れて別室へ移動した。

 そこで図を用いて「男を溺れさせる技法」とやらの講義を開くと、リタの目からはまさにポロポロと鱗が落ちたのだった。

 

 実のところリタ――アニエスは、溢れるほどの魔法の知識に反して男女の色事についてはあまり詳しくない。というよりも、前世において212年もの長きにわたって純潔を守り通した筋金入りの「処女」なのだから、そもそも色恋や恋愛に理解があるはずもなかった。


 もちろん今世のリタは婚約者相手に恋愛ごっこをしていたし、同年代の貴族子息から色目を使われたりもしていたので、それなりに男女の機微は悟れるようになっていた。

 さらには花嫁修業の一環として「夫婦の営み」についても学んでいたので、結婚後の夫婦生活にも特に不足はなかったのだ。


 けれどそれは単に「営んでいる」だけに過ぎず、本来の目的以上の意味はなかった。

 だからリタは、祖母の口から「快楽としての営み」とやらを説かれた途端、衝撃のあまり声が出なくなってしまったのだ。

 果たして世の中の夫婦は、これほどまでに破廉恥なことをしているのかと本気で目と耳を疑った。


 理解を超えた現実をつまびらかにされて、白く愛らしい顔を真っ赤に染める孫娘。

 その姿を見つめながら、「この子にはまだ早すぎたかしら」などとイサベルが思っていると、果敢にもリタが質問してくる。


「あ、あの、お婆様……そ、そんなことをして、殿方は本当に喜ぶのでしょうか? あ、あまりに破廉恥すぎて、むしろ引かれてしまうのではないかと……」


「なにを仰るのです? 間違っても破廉恥などということはありませんよ。これは愛、愛なのです。己の愛情を行為で示すもの、決して引かれたりはしません」


「で、でも……」


「とはいえ、いきなりそのようなことをするのは恥じらいに欠けるのも事実。初めのうちは、意図して羞恥と戸惑いを演じるのです」


「は、はぁ……」


「そうして夫君の寵愛を受けつつ、徐々に徐々に恥じらいを捨て去りなさい。時に繊細に、時に大胆に。必ずやフレデリク殿もあなたの手技の虜となるでしょう」


「と、虜……ほ、本当に?」



「えぇ、もちろんです。――よろしいですか? これはわたくしが母から教わった秘技中の秘技。この責めに耐えられる殿方などおりませぬ。確かに初めは思い切りが必要ですが、頑張って勇気を出してごらんなさい。必ずや夫君も喜んでくれるはずです」


「だ、大丈夫でしょうか……? 受け入れてもらえるでしょうか?」


「大丈夫です、問題ありません。なぜなら、これは我が夫――あなたのお爺様で実証済みだからです。殿方でこれが嫌いな方はおりませぬ。――さぁリタ。夫君のもとへ戻りましたら、是非とも試して御覧なさい。必ずやフレデリク殿にも喜んでいただけるはず。このわたくしが保証いたします」


「わ、わかりました……お婆様、あ、ありがとうございます。とても勉強になりました」


「いいえ。可愛いあなたのためなのです。これくらい、どうということもありませんよ。もしもこれで足りないと仰るのなら、さらにとっておきをお教えしましょう。その時は遠慮なく申しなさい」


 とっくに成人し、嫁にまでいった孫娘にもかかわらず、未だに可愛くて仕方ないと言わんばかりに目を細めるイサベル。

 そんな祖母に向かって、変わらず顔を真っ赤にしたまま頭を下げるリタだった。



「はぁ、びっくりした……夫婦の愛には様々な形があるのは知っていたけれど、まさかあんなことまでするだなんて……それにしても、私にできるかしら。まさかフレデリク様がドン引きしないでしょうね。だけど彼が喜んでくれるのなら、何事もチャレンジしないと……」


 未だ興奮冷めやらぬまま、一人廊下を歩くリタ。

 するとその視界に一人のメイドが入って来る。その姿を認めた途端、リタの顔にパッと満面の笑みが広がった。


「あぁ、フィリーネ! フィリーネじゃない! やっと会えた!!」


「えっ……リ、リタ様!?」


 年の頃は二十代後半だろうか。見慣れたメイドのお仕着せに身を包む、ひょろりと背の高い一人の女性。リタの声が聞こえた途端、零れるような笑顔とともに駆け寄って来る。


「あぁ、リタ様ぁー!!」


「あぁーん、フィリーネぇぇぇぇ!!」


 ぎゅー!


 どちらからともなく抱き着くと、リタとメイドの女性――フィリーネは互いの身体を力一杯抱き締めた。

 身長171センチのフィリーネが153センチのリタの胸に顔を埋める。

 その様は傍から見ると少々滑稽だったのだが、当の本人たちはまるで周囲を憚ることなく嬉々として互いを求めあったのだった。

 

「うえぇぇぇぇ、リ゛タ゛ざま゛ぁぁぁ、お会いしたかったですぅぅぅ!!」


「私もよ、フィリーネ! 私もあなたに会いたかったの!」


「あぁー! リ゛ダざま゛ぁぁぁぁ!」


「フィリーネぇぇぇ!」


 溢れ出る万感の想いとともに抱き締め合っていた二人だが、暫く後にやっと落ち着きを取り戻した。どちらからともなくその身を離すと、瞳に涙を溜めたまま話を続けた。


「わかっていたことではありましたが……リタ様が嫁いでからというもの、そりゃあもう寂しくて寂しくて……」


「私だって寂しかったわ。ずっとお世話してくれていたあなたと別れたんだもの。まるで半身をもがれたような感じだったの」


「なにを言ってるんですか。今やあなた様は侯爵家の若奥方様でしょう? 私なんかよりずっと素晴らしいメイドが付いているでしょうに」


 恨めしそうな顔をするフィリーネ。その頬を伝う涙を指で拭いながら、リタが優しく微笑んだ。


「まぁねぇ、確かにそうなんだけれど、でもやっぱり違うのよねぇ。なにせあなたは私が10歳の時から専属で世話してくれていたんだもの。私の表も裏も全て知っているでしょう? だからとっても楽だったのよねぇ……いろんな意味で」


「ま、まぁ、確かにそうですけれど……」


「今なんて、夜着姿で廊下をウロウロしているだけで『若奥様! はしたないですわよ!』なんて説教垂れてくるし、ベッドに寝転がってお菓子も食べさせてくれないし……はぁ、本当に窮屈でたまらないわ」


「あ、いや……さすがにそれは、侯爵家の若奥方として如何なものかと私も思いますけど……」


 しみじみと語るリタに対して、どこか呆れ顔のフィリーネ。

 もっともそれは無理もなかった。7年前、リタが10歳の時に専属になったフィリーネは、以来ずっと主人の世話だけをしてきた。もちろん他の仕事を手伝うこともあったのだが、基本的には片時もリタから離れることはなかったのだ。

 だから彼女は、リタの全てを見てきたと言っていい。


 今や国を代表する侯爵家の若奥方であり、絶世の美女との呼び名も高いリタではあるが、フィリーネが知る限りその素顔は意外と残念だったりする。

 ベッドに寝転がってお菓子を食べる癖は相変わらずだし、放っておくと部屋の中を半裸でウロウロする。

 夏に暑いからと言って、水を入れたたらいに足を突っ込んだまま寝てみたり、冬に寒いからとドレスの下に毛糸の腹巻とパンツを愛用したりもした。


 さらに言えば、春と秋には山菜採りに夢中になり、趣味の家庭菜園では年中泥だらけになっていた。

 未だ10代の少女にもかかわらず、まるで年寄りのような感性を垣間見せるリタは、ネタとしては面白かったが本人に自覚がないのだから余計にたちが悪かった。

 

 そんなリタではあるが、伯爵家令嬢時代にそれなりに上手くやれていたのは全てフィリーネの尽力によるところが大きい。

 己を捨て、主人のサポートに徹したフィリーネがいたからこそ、リタは貴族令嬢としての体面を保っていられたといっても過言ではなかったのだ。


 そのリタが嫁いだ時、唯一の心残りがフィリーネの存在だった。

「私がお嫁に行くまでに、必ず素敵な殿方を紹介してあげるわ」と約束したにもかかわらず、結局果たせずに終わってしまったのだから。

 リタの名誉のために言うなら、決して約束を守らなかったり、忘れたわけでもない。実際に数人の男性を引き合わせたし、デートのセッティングもした。

 けれどそれらはことごとく上手くいかなかった。なぜなら、あまりにもフィリーネに時間がなさ過ぎたからだ。



 フィリーネの朝は早い。

 朝はリタの着替えとメイクから始まり、来客や外出のスケジュール管理を行う。出掛けると言われればともに付いて回り、行く先々で補助をし、茶が飲みたいと言われれば即座に準備する。

 その他にも常に主人の動向に気を配り、何事にも不足がないように先回りするのが彼女の仕事なのだから、一日中気が休まる暇がない。


 まさに主人の手足として動き回るフィリーネ。彼女の仕事が終わるのは毎晩22時過ぎだ。それから宿舎に引き上げて風呂に入り、着替えて眠ればすぐに翌日の仕事が始まる。

 そんな彼女なので、結局全ての男性と上手くいかなかった。

 もちろんリタは協力を惜しまなかった。特に予定がない日は率先してフィリーネに休みを与えたし、男性と引き合わせた後も全力でサポートした。


 けれど一人として続かなかったのは、全てフィリーネの責に負うところが大きい。

 結局彼女は、なんだかんだと言いながら、リタという類稀なる主人に尽くす以上の喜びを男性に見出すことができなかったのだ。

 それを察したからこそ、最後にリタは敢えてなにも言わずに嫁に出たのだった。

  


 そのフィリーネにリタが問う。


「屋敷を出てからずっと会っていなかったけれど……最近はどうなの? 仕事は?」


「はい。リタ様の専属を外れてからは、もっぱら厨房に関する仕事を任されています。料理人との連絡や配膳と片付け、食材の管理などその他諸々ですね」


「そう……」


 フィリーネの答えに、リタはどこか寂しそうな顔をする。

 長年尽くしてくれたというのに、自分がいなくなった途端に格下げされて雑務ばかりを任されていた。

 令嬢の専属メイドまで務めたのだから、本来ならもっと高い地位――メイド統括や女中長などになって然るべきなのだろうが、未だに彼女はその他のメイドと同じ仕事をしていたのだ。


 その扱いに落胆を禁じ得ないリタ。けれどその時、ふと言いようのない違和感に気付く。

 じろじろと無遠慮にフィリーネを眺めながらその正体を探っていると、突如予感めいたものが脳裏を横切る。なのでリタは言ってみた。


「あのね、フィリーネ。気に障ったらごめんなさい。もしかして、あなた……少し太った?」


「えっ?」


「以前に比べて、なんだかこう……全体的にふっくらしているような気がして。――ほら、あなたって昔から痩せて背が高いイメージあったのだけれど、こうして見ていると、なんかこう……」


 言いながらリタがフィリーネの腹部に視線を留める。するとその予感は確信に変わった。


「あの……もしかして……そのお腹は……」


 まさにおずおずといった様子でリタが問う。するとフィリーネが突然顔を真っ赤にして告げた。


「えぇと、その……実はお腹に赤ちゃんがおりまして……」


「……」


「あの……リタ様?」


「……」


「えぇーと……どうされました?」


「はぁぁぁぁぁぁ!? なんですとぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?」


 瞳を大きく見開いて、これでもかと大口を開けて叫ぶリタ。

 まるでアホにしか見えないその顔は、のじゃロリ幼女時代の彼女を彷彿とさせた。



 ―――――――――――――――



突然ですがお知らせです。

9月5日(月)発売の書籍第二巻ですが、先日書影が公開されました。

詳しくは近況ノートの方へ書きましたので、そちらをご覧いただけますと幸いです。


近況ノート

https://kakuyomu.jp/users/chikuwa660/news/16817139557488021437


よろしくお願いいたします。

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