アフターストーリー

新婚初夜 その1

 ハサール王国西部辺境候にして、武家貴族家筆頭のムルシア侯爵家嫡男フレデリク・ムルシアと、国内有数の財閥貴族であるレンテリア伯爵家次男長女リタ・レンテリアの婚姻の儀。

 国中から集まった多くの列席者のもと厳かに式は終わり、今は王城の大広間で披露宴が行われているところだ。

 

 いかに有力貴族家同士の婚姻とは言え、所詮は侯爵家と伯爵家。

 両家の結婚披露宴を王城で開くなどまさに前代未聞なのだが、国王たっての希望により、今回限りとして特別に許されていた。 


 ハサール王国国王ベルトラン・ハサール。

 この57歳の国王は、平均寿命が50代前半のこの時代においてはかなりの高齢と言っていい。

 変わらぬ不屈の精神と眼光鋭い眼差しは、あと10年は現役を続けられそうに見えるものの、昨年から急にガタが来た肉体は如何いかんともしがたく、遂に王位を譲る覚悟を決めた。


 気が優しく頼りなかった息子――フェリシアノも今年30歳になり、やっと国王の職責を果たせると踏んだのだろう。ベルトランは離宮に引っ込んで、悠々自適の引退生活を送ることにしたのだ。

 その彼が妻マルゴットを伴って、新郎新婦のもとへ挨拶にやって来た。


「フレデリク・ムルシア、そしてリタ・ムルシアよ。本日は誠にめでたい。改めて祝いの言葉を贈らせてもらおう。仲睦まじく、末永く幸せに過ごすのだぞ」


「おめでとうございます、フレデリク殿、リタ殿。主人同様、わたくしからも改めてお祝い申し上げますわ」


 鷹揚に頷くベルトランと、優しげな笑みを浮かべるマルゴット。

 二人を前にして、フレデリクとリタが慌ててひな壇から立ち上がった。


「こ、これは国王陛下ならびに王妃殿下! そのような勿体なきお言葉、身に余る光栄でございます! それでなくても分不相応に王城の大広間をお借りしているのです。そのうえ祝いのお言葉まで賜るなど、あまりに勿体なきものと存じます!!」


「夫同様、わたくしからもお礼申し上げる次第にございます!」


 眩いばかりに飾り立てられた新郎新婦。

 二人がひな壇から降りて直立不動になると、満足そうな笑みを浮かべながらゆっくりとベルトランが答えた。


「よいよい、二人とも。そう畏まってくれるな。今日のことは私の我儘から始まったことなのだから、なにも気にすることはないぞ。なにしろお主たちは、今や恩人と言っても過言ではないのだ。その晴れ舞台に、どうしても我らは特別なことをしてやりたかった。――王城で披露宴を開くなど、それこそ公爵家でさえ叶わぬこと。お主たちにとっては、まさに一生の思い出になるであろう。もっとも、それがかえって面倒であったというのなら詫びるが――」


「と、とんでもございません! 面倒だなんて、決してそのような! この栄誉は、必ずやムルシア家末代まで語り継ぐこととなりましょう! 私も妻も、誇りで胸がいっぱいにございます! ――なぁ、リタ?」


「もちろんですわ。私たち如きのために王城をお貸しいただき、あまつさえ披露宴にご出席までいただいたのですもの。これ以上の栄誉はございません。以後様々な機会にて自慢させていただく所存でございますわ」


 フレデリクに続いてリタも答える。

 いつも冷静な彼女にしては珍しく、興奮のためか、その声は些か上擦っているように聞こえた。

 すると再びベルトランが寛容に頷く。

 

「ふははは。そうか、ならば良し。とは言え、これ以上我らが居座っていても窮屈なだけだろう。宴も始まったばかりではあるが、この辺で我々は失礼させていただくことにする。――もっともそれは方便ではあるがな。我らはこれからブルゴー女王夫妻と会談があるのだ。すまぬが客人を借りていくぞ」


「それではフレデリク殿、リタ殿。わたくしたちはここで失礼させていただきますわね。あとは両家のみの無礼講でお楽しみくださいませ」


 片目を閉じた、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら王妃が告げた。



 王妃マルゴットは、隣国アストゥリア帝国の出身だ。

 先頃の戦役においては、まさに戦犯とも言うべき先代皇帝エレメイの妹にして、現皇帝の姉にあたる人物でもある。


 この国に嫁いで31年。

 以来マルゴットはすっかりハサール人になったつもりでいたのだが、やはりその出自ゆえにここ最近はいわれのない誹謗に悩まされていた。

 もちろんそれは表立ったものではない。しかし裏で陰湿に囁かれる中傷は、彼女が表舞台から去る決心をするに足るほどのものだった。

 それもまたベルトランが王位を退く理由の一端ともなっていたのだ。


 惜しまれつつも広間から去っていく年老いた国王夫妻と、新たな門出を祝う若い夫婦。

 まるで世代の代謝を象徴するような光景に、リタもフレデリクも少々複雑な思いを抱かざるを得なかった。



 国王夫妻が出ていくと、続けてブルゴー女王夫妻――ケビンとエルミニアも去っていく。

 去り際にケビンがリタの耳元で囁いた。


「それではばば様。大変名残惜しいですが、ここらで我々も失礼させていただきます。陰ながら今夜の成功を祈っていますよ」


「えっ……? 成功?」


 意味がわからない。

 そう言いたげなリタにケビンが告げた。

 

「ふふふ……わかりませんか? 成功ですよ成功。――もちろん初夜のね。朗報をお待ちしてますよ」


 言いながら、ニヤリと笑うケビン。

 その仕草から、彼が言わんとすることを察したリタは、思わず顔を真っ赤に染めてしまうのだった。



 宴もたけなわとなり、次第に酒の入った者たちも増えてくる。とは言え、さすがは名だたる貴族たちと言うべきか、決して羽目を外す者はいなかった。

 それでも国王が退出して無礼講になると、相応に飲酒する者がチラホラ見受けられるようになる。すると突然一人の男が叫んだ。


「あぁぁぁ、リタぁぁぁ……とと様は……とと様は……お前がいなくなると思うと、寂しくて寂しくて……もうダメだぁ……」


 親族席の端から聞こえてくる、なんとも情けない声。

 ともすれば場末の酒場かと思うような擦れた声は、誰あろう、リタの父親――フェルディナンドのものだった。

 絶え間なく訪れる列席者たちに飲まされ続けているうちに、すっかりフェルディナンドは出来上がっていた。そして娘を手放す寂しさを、酔った勢いで滔々とうとうと語り始めたのだ。

 それを今はフレデリクの父親――オスカルがしみじみと聞き入っているところだった。


「おぉ、フェルディナンド殿。わかる……わかるぞ、胸にぽっかりと穴が開いたようなそのお気持ち! 我が娘エミリエンヌが昨年嫁いだときは、私も一晩中泣きはらしたものだ。 ――さぁ、今宵はともに飲み明かしましょうぞ! ささ、もう一杯!」


「うぅ……かたじけない、オスカル殿……ぐびぃー!! おえぇぇっ!」


 明らかに飲み過ぎだろう。一気に酒を呷ったフェルディナンドが嘔吐えずいていると、シャルロッテがオスカルの襟首をつまみ上げた。


「おやめくださいまし! 新婦の父君を酔い潰して、一体どうなさるおつもりなのです! あなたというお方は、まったく!」


「す、すまぬ、シャルロッテよ、許せ! し、しかし、この御仁の気持ちをわかるのは俺しかいないと――」


「だまらっしゃい! あなたはこちらへお越しくださいまし! まったく!!」


 公衆の面前にもかかわらず、情け容赦なく夫の耳をつまみ上げるシャルロッテ。

 すると今度はエメラルダが夫フェルディナンドの背中をさすり始めた。


「あぁ、あなた! しっかりしてください! そんなところで酔い潰れないでくださいませ!」


「あぁ、エメラルダ! 今夜も君は綺麗だなぁ……あはははは、ぶちゅー!」


 酔った勢いで最愛の妻にキスをするフェルディナンドと、必死に逃れようとするエメラルダ。

 その背中を母親のイサベルが引っ叩いた。


「フェルディナンド! 一体あなたは何をしているのです!! 父親ともあろう者が、娘の披露宴で醜態を晒すなど末代までの恥さらしとなりますわよ! いい加減になさいまし!!」


「あぁ……これは母上……母上は寂しくないのですか? リタが……リタがいなくなってしまうのですよ? 私は、私は……リタが……リタがいないと……うっ、うぷっ……おえぇぇぇぇ!!」


「いやぁぁぁぁ!! な、なにをなさるのです、この子はっ!! は、恥を知りなさい!!」


「も、申し訳ありません母上……おえぇぇぇぇぇ!!」


「きゃー!!」 



 すっかり阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てた披露宴会場。

 その様子に半ば諦めた視線を投げながら花嫁リタが小さな溜息を吐いていると、その横から話しかけてくる者がいた。

 これでもう何十人目だろう。今や数えることすら放棄して顔に笑みを張り付かせたままリタが振り返ると、そこには見知った顔がいた。


「よぉ、フレデリク! リタ! 調子はどうだ? 疲れてねぇか?」


 さんざめく披露宴会場に、よく通る美しい声音。まるで女性歌劇団の男役のように美しい容姿。

 それはラインハルトだった。

 このリタとフレデリクの義弟にあたる人物が、客の切れ目を狙って話しかけてきたのだ。

 彼の妻は言わずと知れたフレデリクの妹――エミリエンヌなのだが、現在妊娠中のため大事を取って領都に置いてきていた。そのため今日はラインハルトとその両親のみが親族として式に出席していたのだ。

 その彼に向かってフレデリクが答える。


「あぁ、ラインハルト殿。お気遣いありがとうございます。正直に言えば少し気疲れを感じますが、身体はまだまだ元気です。――リタはどうだい?」


「もちろんわたくしも大丈夫ですわ。ご覧ください。このとおりピンピンしております」


 夫の問いかけに、ニコリと笑みを浮かべてリタが答える。その愛らしくも美しい姿にフレデリクが見惚れていると、ラインハルトが呆れたような顔をした。


「……そうか。疲れていないならそれでいい。これからお前らには大事な儀式が控えているんだからな。決して無理はするなよ。いざって時に役に立たなくなっちまう。特にフレデリク、お前がな」


 その言葉を聞いた途端、リタもフレデリクも顔を真っ赤にしてしまう。

 脳裏に何が浮かんだのか、互いの顔をちらちらと見ながら恥ずかしそうに俯いた。


 ラインハルトが告げた通り、これから二人はある儀式を執り行わなければならない。それは新婚の二人が初めて行う共同作業――「床入りの儀」と呼ばれるものだった。

 血統を残すことを目的とする貴族同士の婚姻は、「床入りの儀」が済むまで成立しない。

 これは様々な目的から行われる偽装結婚――いわゆる「白い結婚」を避けるためだった。


 もちろん今回も例外ではなく、今夜行われる夫婦の営みは、その全てを立会人が見届けることになる。そのうえで結果を両家に報告するのだ。

 立会人の仕事とは、単に初夜を見届けるだけに留まらず、新郎も新婦も若くて経験がない場合にはその場で手順を指南することもある。

 その意味において、立会人とは新婚初夜の教師役も兼ねていると言えるだろう。


 ちなみに今夜の見届け人は、ムルシア家に勤める年かさのメイドだった。

 彼女はこれからリタの世話役となる人物で、メイド歴40年の大ベテランだ。すでに老人とも言える年齢の彼女は、遠い昔にフレデリクの母親――シャルロッテの初夜も見届けたことがある。


 しかし、いかに義務とは言え、夫婦の秘め事を第三者に公開するのはいかがなものか。

 本音ではリタもフレデリクもそう思うものの、こればかりは国のしきたりであるため守らなければならない。そうしなければ婚姻自体が認められないのだ。

 もっとも相手は好々爺とも言うべき優しげな老女なので、言うほど気にしてはいなかったのだが。


 そんな事情を二人が揃って思い出していると、さらにラインハルトが詰め寄ってくる。


「それで……大丈夫なのか? お前ら、やり方はわかるのか? ちゃんと学んできたのか?」


「や、やりかたって……そんな生々しいことを言わないでくださいよ。――だ、大丈夫ですよ、なんとかなりますって」


「そうか? しかしなぁ……はっきり言うが、俺は心配なんだ。なんと言ってもこれは大切な儀式だからな。万に一つも失敗は許されん。それはわかっているよな?」


「わ、わかってますよ。だから大丈夫ですって」


 これ以上ないほど顔を真っ赤に染めながら、フレデリクが答える。

 リタに至っては恥ずかしさのあまり顔を上げていられないらしく、耳まで赤くして俯いてしまった。

 その様子を顎を撫でながら見つめるラインハルト。何を思ったのか、彼はおもむろに手をぽんと叩いた。


「お前たちも知っていると思うが、俺はこの手のことには詳しい。男女の営みにかけちゃあ、俺様の右に出るものはいねぇ。実際、嫁のエミリエンヌなんぞ一発ではらんだほどだからな」


「い、一発って……い、いやらしいですわね……もっと他に言い方ってものがあるのではなくって?」


 赤い顔のまま非難がましい視線を向けるリタ。

 しかしラインハルトは、まるで気付いていないかのように平然と告げた。


「まぁ聞け。そこで提案がある。――今夜の立会人にはこの俺様がなってやろうじゃねぇか。そして手取り足取り指導してやるよ。なんなら見本を見せてやってもいい。――さぁ、どうよ!?」

 

 腰に手を当てて、得意満面に踏ん反り返るラインハルト。

 すると直後に、乾いた音が二度響き渡った。


 ばっちーん!!


 ばっちーん!!



「おまぁ、ええ加減にせぇよ!! 何が悲しくておまぁのようなエロバカチンの前でそんなことせなあかんのじゃ! しかも見本を見せるじゃとぉ!? 一体どうやってじゃ、このハゲが!! あぁ!?」


「ぬぉぉぉぉ……!」


 あまりの激痛に、両頬を押さえてのたうち回るラインハルト。

 しかし事の顛末を見ていた者たちは、決して助けようとはしなかった。

 それどころか、頬に手形を付けた哀れな男に、周囲の女たちはまるで生ゴミでも見るかのような冷ややかな視線を向けるのだった。

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