最終話 老害少女の結婚
モンタネル大陸南西部。その北側に広がるハサール王国の首都アルガニルには、王族が住まう城がある。
そこには国教である王国聖教会が隣接しており、日頃から宗教儀式や祭典、結婚式など様々な行事が挙行される。今日はそこで、国を挙げての一大行事が執り行われていた。
それはハサール王国西部辺境候にして、武家貴族家筆頭のムルシア侯爵家嫡男フレデリク・ムルシアと、国内有数の財閥貴族であるレンテリア伯爵家次男長女リタ・レンテリアの婚姻の儀だった。
普通であれば侯爵家と伯爵家の婚姻などに国王が介入することはない。しかし今回は国王ベルトランたっての希望により国を挙げての挙式となっていたのだ。
とは言え、国防の要であるムルシア家を厚遇するのはまだわかる。しかしなぜレンテリア家まで特別扱いするのかと問われれば、それはリタがベルトランと懇意にしていたからに他ならない。
隣国ファルハーレンに嫁いだ長女と生まれた孫。従前より達成が困難とされてきたこの二人の救出を、リタは完璧な形で成し遂げた。
そのうえ、これまで国交がなく疎遠だったブルゴーとの同盟を結ぶ切っ掛けを作ったのも彼女だし、仇敵カルデイアを滅ぼし得たのもリタの尽力があってこそだった。
そのためベルトランは、リタ・レンテリアという少女を相当高く買っており、その婚姻に便宜を図るのは当然のことと言えた。
というわけで、一般的な貴族の結婚式とは異なり、特別に設えられた来賓席にはハサール国王夫妻及びブルゴー女王夫妻の席まで用意されていた。
そのあまりの栄誉と緊張のために、両家の者たちは皆その身を震わせるのだった。
厳かなる神父の宣言とともに、いよいよ婚姻の儀が始まった。
多大なる緊張と期待に打ち震えながら、新郎フレデリクが待つこと暫し。ついにその時が訪れる。
新婦入場のファンファーレが鳴り響く。すると音もなく扉が開いて、もう一人の主役が現れた。
入口から祭壇まで、教会の中央を貫くバージンロード。その「命を捧げる程の深い愛」を意味する真っ赤な絨毯の上を、父フェルディナンドにエスコートされた花嫁リタが歩み出す。
背筋を伸ばし、真っすぐ前を向く花嫁の顔は、よりいっそう凛として美しかった。
初めて新婦を見た者は、皆一様に感嘆の溜息を漏らしてしまう。
純白のウェディングドレスに彩られた、美しくも愛らしい、まさに天使かと見紛うようなその姿に誰もが目を奪われたのだ。
そして食い入るように注目を浴びる中で、ついに花嫁が新郎に引き渡されたのだった。
「新郎フレデリク・ムルシア。あなたはリタ・レンテリアを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「新婦リタ・レンテリア。あなたはフレデリク・ムルシアを夫とし、健やかなるときも―—」
それを耳に聞きながら、リタはぼんやり考えていた。
この誓いに返事をすれば、ついに自分は人の妻となる。
そして母となり、祖母となり、曾祖母となって、いずれこの地に骨を
孤児として育ち、あわや餓死かと諦めかけたこの命。
その212年にも及ぶ長い人生に全く悔いがなかったかと問われれば、決して否とは言えないが、それがこの瞬間に繋がったとするならば、そのすべてが良かったのだと思える。
リタとして生きてきたこの14年間。片時も
この世に生を受けてから、一度も起き上がることなく三歳の幼さでこの世を去ったリタ・レンテリア。
楽しいことも嬉しいことも喜びも、なに一つ経験することなく
ありがとう。本当にありがとう。心の底から感謝している。
あなたがいてくれなければ、きっと私は死んでいた。こうして愛と友情、そして最愛の人との幸せを教えてくれたリタ。私はあなたのことを一生忘れない。
約束する。
あなたの分まで幸せになる。
必ず幸せになるから、どうか……どうかこの身を貰ったことを許してほしい。
たくさん、たくさん子供を産んで、いっぱい、いっぱい可愛がる。そして次の時代へとあなたの血を繋げていく。
だから――
「リタ? リタ、どうしたんだい? 大丈夫?」
「えっ?」
訝しむようなフレデリクの声。
突如思考の底から戻ったリタの瞳に、胡乱な顔で見つめる神父と焦ったような夫が映る。
どうやら今は、自分が宣誓する番らしい。
瞬時に悟ったリタは、慌てて口を開いた。
「ち、誓います」
「……よろしい。それでは誓いの接吻を」
リタの返事とともに再び真顔に戻ると、ついに神父はその
勢いに任せてしまったファーストキスではあるものの、実はあれから一度もしていなかった。それどころか、以後会う度に互いに気恥ずかしくなったりしたものだ。
もっともそれは当然だった。
いかに相手が婚約者とは言え、貞淑を是とする貴族令嬢が結婚前から気軽にキスする方がどうかしている。実際、その事実が実家の耳に入ったリタは、しこたまイサベルから説教されてしまった。
衆人環視のもとでの接吻。
前回のそれは完全に不可抗力だった。しかし今回ばかりは勝手が違う。むしろこれは二人の誓いを見せつけるためのものなのだから、万に一つも失敗は許されない。
そんなある種の強迫観念にフレデリクが怖気づいていると、リタが小声で囁いてくる。
「どうされたのですか、フレデリク様。さぁ、お早く誓いの接吻を」
「わ、わかってるよ、リタ。さ、さぁ……いくよ……」
緊張のために手は震え、足元も覚束ない。フレデリクは顔を近づける前からタコのように唇を尖らせてしまう。
その様子に周囲からくすくすと笑い声が漏れ出ると、見ていられないと言わんばかりにリタがその顔を両手で挟み込んだ。
そして――
ぶちゅー!!
まるでファーストキスさながらに、勢いよく唇を重ねたのだった。
小柄で華奢な花嫁が、必死に背伸びしながらキスをする。そのなんとも微笑ましく可愛らしい姿に、周囲から一斉に歓声が上がる。
「おめでとう!!」
「末永くお幸せに!!」
「なんてお似合いの二人だろう!!」
カランコローン……カランコローン……
首都アルガニルに響き渡る、荘厳かつ美しい鐘の音。
いつまでも鳴り響くその音色は、魔女アニエスの生まれ故郷——ブルゴー王国にまで届くような気がした。
新婚時と変わらず、いつまでも仲睦まじいリタとフレデリクは、ブルゴー王家もかくやという勢いでどんどん家族を増やしていった。
そして気づけば、大家族侯爵家として近隣諸国にその名を轟かせるようになった。
リタの結婚を見届けた祖父セレスティノは、直後に長男へ家督を譲るとそのまま隠居生活に入った。そして妻イサベルとともに頻繁にムルシア侯爵領へ出かけては、たくさんの曾孫たちに囲まれて幸せに過ごしたという。
リタよりも一年早く結婚したエミリエンヌは、妊娠中のために残念ながらリタの結婚式には参列できなかった。その後長男が生まれると、意外にも子煩悩な一面を覗かせた夫ラインハルトとともに、いつまでも幸せに暮らした。
冒険者ギルド・ハサール王国支部副支部長を長らく務めたクルス。
彼は魔獣に襲われたギルド員の救出に向かったまま姿が見えなくなった。その後捜索するも見つからず、死体も出てこなかったため、そのまま行方不明者として処理された。
それは彼が49歳、妻パウラが44歳の時だった。
ハサール王国にその名を知られる、魔術師ロレンツォ・フィオレッティ。
彼は最終的に王国の宮廷魔術師にまで上り詰める。同時に名だたる無詠唱魔術師として、リタとともにその名を後世に残した。
ファルハーレン公妃と公子の救出に尽力したとして正騎士に取り立てられたジルは、奉公先のコルネート伯爵家に養子として入った。その三年後、キルヒマン子爵家令嬢アーデルハイトの婿となりキルヒマン家へ迎え入れられた。
ジルの同期だったカンデも遅れること2年、念願叶ってついに正騎士に取り立てられた。そして故郷オルカホ村に住む婚約者——ビビアナを呼び寄せて結婚し、幸せな家庭を築いた。
ハサールに留学したブルゴーの魔術師レオポルドは、その後10年に渡りリタから直接指導を受けた。そして祖国に戻ると王配ケビンの後押しのもとに念願の宮廷魔術師の座を射止め、その命が尽きるまで後進の指導に携わり続けた。
ちなみに鳩の魔獣――サブレとは、生涯に渡って友人であり続けたという。
そして互いに精霊界に住む者同士、その後も親交を深め続けたという。
国軍の約四割を失ったアストゥリア帝国は、皇帝エレメイの退位とともまるで牙を抜かれたようにおとなしくなった。
その2年後、東のファンケッセル連邦国及及びアルバトフ連合王国、そして南のサルデニ王国による侵攻を受けたアストゥリアは、恥も外聞もなくハサール、ファルハーレン、ブルゴーに救援を求めたものの当然聞き入れられるわけもなく、結果国土の半分を失ってしまった。
次期魔王の選出から始まった魔国の内戦は、15年かかってやっと終わりを告げた。
それによりすっかり疲弊しきった魔族たちは、国内の立て直しに精一杯となり、再びブルゴーに侵攻してくることはなかった。
ハサール及びブルゴーと同盟を結んだファルハーレン公国は、この三国による自由貿易の中心地として栄え、その後数百年に渡り経済の要衝としてその名を轟かせることになる。
そしてその後生まれた第一王女がブルゴーに嫁ぐと、この二国は親戚国となった。
旧カルデイアの地にはブルゴー王国の施政が行き渡り、「
しかしその後、カルデイア最後の大公――セブリアン・ライゼンハイマーの忘れ形見が見つかるに至り、それを旗印にした小さな反乱が起こる。その蜂起と鎮圧にはちょっとした物語があるのだが、それはまた別の話になる。
こうして一人の魔女の転生から始まったモンタネル大陸南西部諸国の激動の再編は、ここに一応の終結を見せた。
そして以後100年以上に渡り特筆すべき事象は起こらず、この一帯には束の間の平和が訪れたのだった。
―———
「さて、リリアーヌや。今日のお話はここまでじゃ。続きはまた明日してやるから、今日はもうお帰り」
「うん! ありがとう
「おぉおぉ、そんなに走ったら転んでしまうぞ。気をつけて帰るのじゃ。——それから母上にもよろしく伝えておくれ。忘れるでないぞ」
「うん、わかった! ばいばい、またね!!」
次第に日差しも強くなり、そろそろ夏も到来しようかという7月上旬のある日。
周囲を木々に囲まれた小さな家に、元気な子供の声が響いていた。
見たところ5歳ほどだろうか。
プラチナブロンドの髪と灰色の瞳が美しいなかなかに可愛らしい女児が、ぶんぶんと勢いよく手を振りながら走り去っていく。
その小さな背中を、一人の若い女が見つめていた。
女児と同じ色の髪と瞳を持ち、どこまでも優し気な微笑みを湛える妙齢の女性。
いや、それは女性というよりもう少し若い――少女のように見えなくもない。同時に、不思議となぜかずっと年上にも見えた。
上位貴族家の紋章が映える、豪奢な馬車に乗り込んだリリアーヌ。
彼女が車窓から手を振るうちに、次第に女の姿が遠ざかっていく。リリアーヌは同乗するメイドに尋ねた。
「ねぇねぇ、ティーナ。ずっとずぅーっと昔に生まれたのに、どうして大婆さまはお年寄りじゃないの? いっつも思うんだけど、なんだかお母さまみたいなの。時々
「リリアーヌ様。大婆様はあのような可憐なお姿をなさっておられますが、とっくに100歳を超えていると聞き及びます。あなた様のお父様、お爺様、さらにその前のお爺様の時代から全くお姿が変わっていないとも。話によれば、魔法で寿命を延ばしているとか」
「ふぅーん、そうなんだ。やっぱり魔法って便利なんだね。——ねぇねぇティーナ、いっぱいいっぱい練習したら、わたしも大婆さまみたいになれるかなぁ?」
「ふふふ、そうですね。一生懸命頑張れば、リリアーヌ様もそうなれるかもしれませんね。なにせあなた様も、
「うん、そうだね。わたしも大婆さまみたいに、いつか『伝説』と呼ばれるようになりたい! だからいっぱい魔法の練習を頑張るよ!」
「はい、その意気です。——それでは、お屋敷に戻ったら早速練習しましょうね」
「……うぅーん、今日はもういいや。なんだか疲れちゃったし」
「うふふ、そうですか。それでは、また明日から頑張りましょう」
「うん、そうする。——あぁ、そうだ。明日もまた大婆さまのところに行かなくちゃいけないの。お約束したんだ。わたしに全部お話をしたら、大婆さまは旅に出るんだって」
「旅……? どちらへですか?」
「えぇと……知らない」
「そうですか。それでは明日も馬車を手配いたしますね。――ところでリリアーヌ様、一体何のお話なのですか? 少し興味があるのですが」
笑顔の優しい専属メイドが、柔らかい口調で質問する。
するとリリアーヌが最高の笑顔で答えた。
「うんとね、魔女のお話だよ。むかしむかし、ずぅーっとむかし、とってもとっても強い魔女がいたんだけれど、悪い魔王にやっつけられちゃったんだって。それで目が覚めたら小さな女の子になっていて――」
木々の間の細い道を、
それは沈みかけた夕日を浴びて、いつまでも橙色に染まっていた。
拝啓勇者様。幼女に転生したので、もう国には戻れません!
~伝説の魔女は二度目の人生でも最強でした~
―完―
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