第306話 暗く濁った瞳

 カルデイア大公国大公の居城、ライゼンハイマー城。


 華美な装飾を排除した、まさに質実剛健を絵に描いたようなこの城は、造り、立地ともに長らく難攻不落を謳っていた。

 にもかかわらず、いざ戦が始まると僅か数時間で落城したため、そのあまりの呆気なさにブルゴー兵たちは皆肩透かしを食らってしまう。

 とは言え、もとより長期戦を覚悟していた彼らにとって、この結末はまさに神の恵みと言わざるを得なかったのだが。


 その全てはハサール王国からの助っ人魔術師――リタのおかげと言っても過言ではない。

 気力、体力ともにとっくに限界を迎えていたブルゴー兵たちにとって、祖国から遠く離れたこの地での戦いはあまりに過酷だった。

 それ故、もしも彼女がいなければ兵の損耗は相当なものになっていただろうし、長期戦に突入していたのも間違いなかった。

 しかし蓋を開けてみれば、あっという間に決着がついていたのだ。それも、誰も想像すらしなかった方法で。


 今回のようなケースでは、多大な犠牲を覚悟の上での攻城戦か、じっくり時間をかけての兵糧攻めを行うのが通例だ。

 しかしリタはそのどちらも選ばずに、まさに彼女にしか取り得ない方法を選んだ。

 

 確かにそれは少々残虐に過ぎたのは否めない。しかしそんなことに関係なくブルゴー軍は勝利に沸いた。

 最早もはや彼らにとって勝ち方などどうでもよく、やっと国へ帰れる事実に心の底から喜んだのだ。


 しかしそれと同時に、現実的な問題が持ち上がる。

 戦に勝ち、敵の首都を制圧したまでは良かったが、このまま占領を続けるためにはある程度の兵力は残さなければならない。

 そのため、やっと帰国できると喜ぶ兵たちへ向かって、約半分の居残りを命じる必要があったのだ。


 果たしてそれをどう説明しようかと思い悩むケビン。

 30歳を過ぎてなお若々しい顔に浮かぶ渋面には、戦に勝った喜びなど微塵も見られず、眉間には深いしわが刻まれて口はへの字に引き結ばれる。

 そんなブルゴー王国の王配に向かって、おもむろにリタが話しかけた。

 


「殿下……如何なさいましたか? 何やら心ここにあらずといったご様子ですけれど」


「あ? あぁ……いや、少し考え事をな。 ――そうか、そういえばここにセブリアンがいるんだったな」


「はい殿下。マンさんの情報によれば、どうやらこの離宮にセブリアンが閉じ込められているとか」


「閉じ込められているって……仮にも一国の支配者ともあろう者が、何故こんなところに?」


「さぁ……それはわたくしにもわかりかねますが……おおかた部下たちにでも裏切られたのではありませんの? 如何いかにも彼らしいと思いますけれど」


「あぁそうか、裏切りか……実際そうかもしれないな。前大公の唯一の血筋、そして後継ぎとして盛大に担ぎ出されておきながらこうもあっさり裏切られるとは……確かに奴らしいのかもしれない」


「ふふふ……とは言え、幸か不幸か裏切り者たちは死に絶えて、当の本人は生き残りましたけれど」


 そう告げながら、何処か皮肉そうな表情を見せるリタ。

 するとケビンは、不意に小さな溜息を吐いた。


「まぁ確かに。 ――ともあれ、遂にカルデイアもついえたわけだが、肝心のセブリアンを捕らえなければこの戦は終わらない。なにせこれは先代国王イサンドロ陛下の弔い戦なのだからな」


「そうですわね。この戦の落としどころ――それはセブリアンを裁きにかけること、それに尽きますわ。現役の国家元首を殺されたのですもの。先代国王がどのようなお方であったにしろ、その報いを受けさせるのは当然。そうしなければ決して国民は納得しないでしょうし、他国への示しもつきません。 ――セブリアンを捕らえ、民の前に引きずり出してその首をねる。そのために殿下は遥遥はるばるいらっしゃったのではなくて?」


「あぁ、全くリタ嬢の言うとおりだ」



 時には笑みをこぼしながら嬉々として言葉を交わすケビンと、既知の間柄、そして他国からの助っ人とは言え、一国の王配であるケビンに対して些か気安すぎる態度のリタ。

 ハサールに帰れば伯爵家の令嬢でしかない彼女にとって、まさにケビンは雲の上の存在だ。にもかかわらず、まるで畏まった風も見せない。


 しかし今や誰もそれを指摘する者はいなかった。

 何故なら、長期戦も辞さずと覚悟を決めた最終決戦。それがあっと言う間に終わったのは彼女のおかげだったからだ。

 最後にはブルゴー兵たちの奮闘により幕を閉じていたが、いずれにしろ彼女がいなければここまで順調に事が運ぶことはなかった。


 それを思えばそんなことなどほんの些事でしかなかったし、当のケビンがまるで気にする様子も見せないので、わざわざそれを指摘する必要もなかった。

 もっともケビンのロリコン疑惑が拭えない昨今、敢えてそこに誰も口を挟もうとしなかったというのが正直なところではあるのだが。

 

 行きがかりとは言え途中から同行することになったリタは、今ではブルゴー軍から絶大な信頼を得ていた。

 もとより人目を引く美貌もそうだが、宮廷魔術師もくやといった強力な魔法と召喚術を涼しい顔で使いこなす実力は、今や兵たちの畏れと羨望の眼差しを一身に集めるまでになっていたのだ。

 そして気づけば、ケビンの横に佇む姿はすっかり見慣れたものになっていた。


 それはブルゴー王国西部軍最高司令官、コランタン・クールベ将軍にしても同じだった。

 この60歳手前の大柄な老人にとって、リタはまさに孫娘のような存在だ。しかしながら言葉の端々に滲み出る広い見識と深い造詣、そして人生を達観したような発言の数々は、ともすれば幼いとさえ表現できる外見に反して何処か年重としかさの者のように見えたのだ。


 そんなリタに対してコランタンは自然と敬意を払うようになり、今では一目置くようにさえなった。

 その彼が突然前に割り込んでくると、早口に告げる。



「殿下。前方に怪しい人影が見えます。どうやら武器を持っているようですので、十分お気をつけ下さい」


「……あぁ。どうやらそのようだな。そしてあれは……噂をすれば影。カルデイア大公セブリアンに違いない。やはり生きていたか」


「はい。そうではないかと私も思いました。しかし、仮にも一国の大公ともあろう者が供回りも連れずにあのような姿で……我々のせいではありますが、それにしても些か憐憫の情を誘うものではありますな」


「確かにな……まぁ、仕方あるまい」


 思わず小さな溜息を吐いてしまうケビンと、何やら意味ありげな視線を送るリタ。

 その姿を見つめながら、部下に向かってコランタンは声を上げた。


「おい!! あそこに兵を向かわせろ!! 取り囲んで警戒にあたれ!!」


「はっ」


 その声を合図にして、ブルゴー兵たちが駆けていく。

 するとその背中にケビンが声をかけた。


「おい、お前たち。周囲を取り囲むだけでいいからな。 ――腐ってもあの男はカルデイア大公なんだ、くれぐれも失礼のないように。それから武装も解除する必要はない」


「し、しかし殿下……あのままでは危険です。万が一ということもありますし……」


「いや、かまわない。所詮ヤツは剣士でもなければ兵でもない。そんな者に後れを取る俺だと思うか?」


「しかし――」


「……誰に向かって言っている? まさかこの俺か?」


「た、大変失礼いたしました!!」


 無表情にそう告げたケビンに対して、思わず直立不動になってしまう小隊長。

 決して声を荒らげているわけでも睨みつけているわけでもなかったが、その姿からは得も言われぬ迫力と少々の苛立ちが滲み出ていた。

 




「ケビン!! やっと貴様に会うことができたな!! 俺はこの時をずっと待っていたのだ!! さぁ、その素っ首叩き斬ってやるから覚悟しろ!!」


 中庭の端。ケビン一行が小さな離宮の前まで歩いてくると、そこに兵たちに取り囲まれたカルデイア大公――セブリアンが立っていた。

 そしてケビンの姿を認めた途端、大声を上げた。


 背が低くだらしなく太った体躯は昔とそう変わらなかったが、加齢とともに顔に深く刻まれた年輪はこの10年の悲哀を物語る。

 もともと童顔ではあったが、今やその面影もかなり薄くなっていた。

 

 恐らくその辺で拾ったのだろう。小柄な身体に不釣り合いなほど長い剣を持つ様は、筋力不足のためにブルブルと震える右手と相まって何処か滑稽にさえ見えた。

 尊大な口調の割にはまるで迫力を感じさせない、そんなセブリアンに向かってすっかり表情を消し去ったケビンが口を開いた。


「やっと会えたな、セブリアン殿下――いや、カルデイア大公セブリアン・ライゼンハイマー。10年前とはまるで立場が変わってしまい、いささか戸惑いを隠せないのが正直なところだ。しかしお前を捕らえて連れ帰るのが俺の仕事。なにせそのために、泥塗れになりながらこんなところまでやって来たのだからな。 ――さぁ、おとなしく縄につけ」


「ふんっ、この若造が!! 貴様に捕らえられるくらいなら、自ら潔く死を選ぶわ!! それにしてもケビン、貴様のその姿……見れば見るほどはらわたが煮えくり返る!! ――10年前のあの仕打ち、決して忘れてなどおらぬからな!!」


「何を言う。そもそもあれはお前が仕出かしたことではないのか? 王位継承権を持たないことを知りながら、素知らぬ顔で玉座を手に入れようとした。それだけでも万死に値する所業であるのに、その秘密を知った者たちまで残らず消そうとした。 ――確かにその出自にはいささかかの同情は禁じ得ない。しかし、だからと言って罪もない者たちを殺して良いという理屈にはならんだろう」


「やかましいわ!! 正義面して綺麗事ばかり並べやがって!! まったく反吐が出るわ!! ――俺は王になるべく生まれて王になるべく教育を受けてきたのだ!! それなのに……それなのに……ある日突然王の血を引いていないなどと言われて平気でいられるはずがなかろう!! ――卑しい平民出身のお前に何がわかるというのだ!?」



 人を殺す視線とは、きっとこれを指すのだろう。

 思わずそう思ってしまうほど、その目つきには恨みと怒りと敵意が入り混じっていた。

 しかしその言葉にも全く表情を変えることなく、尚もケビンは言い募る。


「確かに俺は平民出身だ。決してそれは否定しないし隠そうとも思わない。それに今では、ブルゴーの王配などというまさに身に余る地位に就いたのも事実だ。しかし、だからこそ思う。人を大切にする想いは、王族も貴族も平民も何も変わらないのだということをな」


「ふんっ、下らぬ!! それがなんだ、どうしたと言うのだ!? そんなことで俺に説教をするな!! 貴様はいったい何様のつもりだ!!」


「……何様でもないさ。俺は人よりも多少才能に恵まれただけの、ただの平民上がりの男に過ぎない。 ――まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりお前は、我が愛する妻の母――ジャクリーヌ殿を殺した。まだ幼かったエルミニアから残酷にも母親を奪ったのだ。それだけでもお前を裁く理由がある」


「くだらん!! そんな安い命など俺の知ったことか!!」


「安い……か。まったく言ってくれるな。 ――そして口封じのために、我が妻と息子をさらったのもお前だろう。さらにハサールの将軍――バルタサール卿を殺したのもそうだな?」



 終始目立たぬように、ケビンの後ろに佇むリタ。

 ここに来た時からずっと無言で二人を見つめていた彼女だが、その言葉にピクリと眉を動かした。

 しかしそれも一瞬で、その後も変わらず黙ったままだ。

 気付いているのかいないのか、そんな彼女に全く注意を払うことなく、セブリアンは叫び続けた。


「それがなんだ!? それがどうしたというのだ!? 仮にも一国の王位継承がかかっていたのだぞ? そんな些末なことに一々かまっていられるわけがなかろう!! ――邪魔者は消す。それのどこが悪い!?」


「邪魔だから殺す……それがおかしいと言っているんだ。もとよりお前は頭がおかしいと思っていたが、まさかそこまで異常だとは思わなかった。 ――思えばイサンドロ陛下もお前にとっては邪魔者だったのだな。ブルゴー時代も、カルデイアに行ってからも」


 まるで蔑むようなケビンの言葉に、突如セブリアンはハッとする。

 それまでケビンに怒りをぶつけていた彼ではあるが、それでも理性を失っているようには見えなかった。しかしここにきて、突如様子が変わり始める。



「イサンドロ……そうだ、イサンドロだ……あいつは……ジルダは……ヤツを殺しに行って……殺された……ジルダは……ジルダは……殺されたのだ……」


 これまでとは打って変わって聞き取れないほどの小さな声で呟くと、セブリアンは同じ言葉を繰り返し始めた。

 そして突然叫んだ。


「そうだ、ジルダだ!! あいつはお前らに殺されたのだ!!」


「なに!?」


「お前には俺を裁く理由があると言ったな!? ならば俺にもお前を裁く理由がある!! ――お前はジルダを殺した!! お前は俺から愛するジルダを奪ったのだ!!」

 

「……お前は何を言っている? それにジルダとはいったい誰だ? さっぱりわからんぞ」


 やっと表情が戻ったかと思えば、思い切りケビンは胡乱な顔をする。

 まるで意味がわからない。

 そう言いたげにセブリアンを注視する様は、相手の言葉、仕草から何かを紐解こうとする姿が垣間見えた。


 そんなケビンに、さらにセブリアンは叫んだ。



「仇……そう、お前はジルダの仇なのだ!! ――さぁ、剣を抜け!! そして俺と戦え!! ジルダの受けた痛みと悲しみ、そして無念さをそっくりそのままお前に返してやる!! さぁ、思い知るがいい!!」


 突如様子が変わったセブリアン。

 今や理性の欠片すら見つけられない瞳には、変わらず暗く濁った色しか浮かんでいなかった。

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