第280話 万感の想い、それと乳
「はああああああああああ!?!?!?!?!?」 (((;°Д°;))))
突如ケビンの口から放たれた、悲鳴にも似た叫び声。
それと同時に、いつもは鋭く細められている瞳は大きく見開かれ、意志が強そうな真一文字の口もまるでアホのように開け放たれていた。
もとより彼には周囲の目が集まっていたが、その突然の豹変ぶりに皆何事かと身構えてしまう。
そしてケビンの視線の先に注目した。
そこには一人の少女が佇んでいた。
まるで8等身かと見紛うような顔が小さいその様は、年齢不詳な童顔と相まって何処か妖精のように見える。
少々時代錯誤的な縦ロールを施されたプラチナブロンドの髪は光り輝き、神憑り的に整った顔には清楚で可憐な笑みが浮かんでいた。
そんな10代半ばの美少女が、周囲の視線などお構いなしにケビン一人を見つめていたのだ。
何処か意味ありげな視線を交えて、互いに見つめ合う勇者と少女。
その姿に全員が胡乱な顔をしていると、将軍コランタン・クールベが真っ先に口を開いた。
「殿下? どうされましたか? なにかございましたか?」
「あ……あぁ、将軍……そ、その……と、突然大きな声を出してしまい、大変失礼した。き、気のせいだ……なんでもないから気にしないでくれ」
まるで自分自身に言い聞かせるようなケビンの言葉。
いつも自信に満ち溢れた快活な彼であるのに、今だけは何処か気が動転しているようにしか見えない。
視線は未だ少女に向けられたままだし、金縛りにあったかの如く身動ぎ一つしないのも変わらなかった。
「殿下……? この少女がどうかなさいましたか? もしや、お知り合いとか?」
「……」
改めてクールベが話しかけても、まるで聞こえていないかのようにケビンは全く反応を返さない。
このままでは埒が明かないと判断したクールベは、やむなくアビゲイルに問いかけてみることにした。
「公妃殿下。失礼ながら伺うが、この少女は
「はい。彼女は
その言葉とともにアビゲイルが脇に避けると、その少女――リタが一歩前に踏み出した。
するとその小柄な容姿に周囲の目が集まってくる。
「僭越ながら、名乗らせていただきます。
そう告げたリタは、周囲を一度見渡すとペコリと会釈をする。
決して狙っているのではないのだろうが、その仕草がまた可愛らしくて自然と周囲に笑みがこぼれた。
するとその中から、小さな囁きが聞こえてくる。
「リタ・レンテリアと言えば……確か
「アンペール家? ……あぁ、あのハサールの東部辺境侯か。 ……そうだ、確か西部辺境侯であるムルシア家に決闘を申し入れて、見事に返り討ちにされたのだったか」
「ムルシア家が? アンペール家を?」
「いや、違うな。正確にはムルシア家ではなく、レンテリア家の令嬢がやらかしたらしい。魔術師であるにもかかわらず、素手でアンペールの嫡男を殴り倒したとか」
「……ということは……この少女が?」
「ごくり……」
そんな囁きが聞こえてくる中、変わらずリタは柔らかい笑みを浮かべたままだった。
そして次にラインハルトが、その次にルトガー、ロレンツォが紹介されるに至って、その
しかしその間も一瞬たりともリタから視線を外そうとしないケビンに、さすがのクールベも怪訝な顔を隠せずいた。
「如何されましたか? 先程からあの少女ばかりを注視しておられるようですが」
「……」
「殿下? 殿下……? 殿下!!」
何度話しかけても、まるで上の空のままリタを見つめ続ける勇者ケビン。
その彼に向かって、不敬であるのを承知でクールベが大声を出した。
「あっ……な、何だ、将軍。どうかしたか?」
「先程から如何されたのです? あの少女ばかり見つめられて……もしやあの少女とお知り合いなのですか? ――それともまさか、あの可憐な姿に心奪われたとか申されませんでしょうな」
相手が実質的な国の支配者――王配であるにもかかわらず、まさにギロリと音が聞こえてきそうなほど鋭い視線で睨みつける将軍クールベ。
その役職に似合わないほどいつもは柔らかい物腰なのだが、この時ばかりは相応の態度だった。
そしてその顔には、『もしそうなら、奥方――女王陛下に言いつけるぞ』と書いてあった。
そんな様子に気づいたケビンは、慌ててひとつ咳払いをすると、その場を仕切り直そうとする。
それでもやはりその視線は、絶えずチラチラとリタに向けられていた。
「えぇ、ゴホンッ!! 重ね重ね失礼した。 ――それで、アビゲイル殿とユーリウス殿の処遇の話だったな。 ――先程も申したとおり、我々にはそんな余裕などないのだ。故に貴殿らの保護については――」
「んんっ!! ゴホンッ!!」
「!!」
アビゲイルたちの処遇について再びケビンが触れようとすると、突如前方から咳払いが聞こえてくる。
思わず集まる周囲の視線。
それを浴びたリタは、ニッコリ微笑みながら
「これは、ごめんあそばせ。寒暖差の大きい春先故に、どうも喉がいがらっぽくて。 ――話の腰を折ってしまい、誠に申し訳ございませんでした。どうぞ続きを、ケビン殿下」
「あ、あぁ……そ、それは痛み入る。 ……それでアビゲイル殿の処遇なのだが、先ほども述べた通り――」
そう言いながら再びケビンがリタの顔を眺めてみると、そこにはよく知る、そして懐かしい表情が覗いていた。
それは幼少時のケビンが、嘘をついたり誤魔化したりした時に見たもので、咎めるような、それでいて何処か悲しげなものだった。
まるで心の内を見透かされるような、突き刺さるようなリタの視線。
未だ口元には柔らかい笑みが広がっているものの、その瞳は決して笑ってはいなかった。
それを見た途端、意図せずケビンの口が止まってしまう。
そして数舜の間逡巡した後に、再度口を開いた。
「そ、その件に関しては、もう少し時間をいただきたい。他の者の意見などを擦り合わせたうえで、さらなる熟慮を重ねたいと思う。一両日中には返答いたす故、それまでごゆるりとお休みいただければ」
まるで急遽差し替えられた返答に聞こえなくもなかったが、それでもその言葉にアビゲイルとその一行は全員安堵の表情を浮かべたのだった。
ファルハーレン一行の合流を受けて、ブルゴー軍の野営地に幾つかの野戦テントが急設された。
その中のひとつに公妃アビゲイルと公子ユーリウスが宿泊することになったのだが、そこにはリタも一緒に泊まることになった。
それは公妃の護衛としては同性のリタが最適だったのと、護衛の中では彼女が一番の実力を誇っていたからに他ならない。
もっとも他の男性陣に混ざって雑魚寝するのを、リタ自身が難色を示したのが一番の理由だったのだが。
そんなわけで、ファルハーレン一行が馬車から荷物を降ろして宿泊の準備を始めていると、一人の伝令がリタを呼びに来る。
しかしその呼び出しが隊長ルトガーやアビゲイルならまだ理解できるが、何故にリタなのかがさっぱりわからなかった。
リタを見つめるケビンの様子が少々おかしかったことを鑑みれば、この呼び出しはきっとろくなものではないだろう。
場合によってはアビゲイルの保護と引き換えに、リタの身体を要求されるかもしれない。
クソぉ!!
勇者だかなんだか知らねぇが、とんだロリコン野郎だ!!
嫁との間に8人も子供をこさえておきながら、まだ足りねぇってか!!
もしもリタに何かあったら、フレデリクに一生顔向けできやしねぇ!!
などと幾らラインハルトが憤ってみても、いたってリタは平静だった。
そして「それでは、行ってきますわね」などとお気楽に告げると、周囲の心配を他所に一人呑気に歩き出したのだった。
――――
「失礼いたします、ケビン王配殿下。
「あぁ、入れ」
伝令に連れられて歩いていくと、予想通りそこはケビンの野戦テントだった。
そして合図とともに中に入ると、そこに彼はいた。
今や生きる伝説となった救国の英雄「
ブルゴー王国第18代女王エルミニア・フル・ブルゴーの夫にして、実質的な国の支配者でもある王配ケビン。
その彼が鎧を脱いだラフな格好で、リタの到着を待っていた。
そしてチラリとリタに視線を移すと、口早に伝令に告げる。
「先ほど命じた通り、周囲から人は遠ざけたか?」
「はっ!! ご命令通り、周囲のテントからは全員退去させました。これで多少の物音であれば聞こえないかと」
「そうか。それではすまないが、お前もここから離れてくれ。俺はリタ嬢と二人きりで話したいことがあるのだ。用が済んだら呼びに行くから、離れたところで待機していろ」
「はぁ……私もですか? しかしそれは――」
ケビンの言葉に思わず難色を示してしまう伝令。
男女の貞節にうるさいこの時代、たとえ既婚者であったとしても男女が二人きりになるのはご法度だ。
特にリタは名門貴族家の令嬢であるうえに、婚姻前のうら若き淑女でもあるため、ケビンの行動は些か常識から外れていた。
そんな事情もあり、何処か咎めるような視線を伝令が向けたのだが、そんなことにはお構いなしにケビンは鋭い視線を投げつける。
「聞こえなかったか? 俺はリタ嬢と二人きりにしろと言っている。 ――よもやそれが聞けぬとでも言うつもりか?」
「い、いえ、滅相もございません!! しょ、承知いたしました!! それでは私も下がりますので、ご用事がお済み次第声をおかけくださいませ!!」
「
その彼に突然睨まれた伝令は、まるで怯えるように足早に去っていったのだった。
そんなケビンに対して、前置きもなしに突然リタが口を開いた。
背筋を伸ばし、両手を腰に当てて細く小柄な体を反らしたその姿は、どこから見ても完ぺきな美少女だ。
しかしその顔には、何処か呆れたような表情が浮かんでいた。
「ごきげんよう、勇者ケビン。本当にお久しぶりですけれど、変わらずお元気だったかしら?」
「魔女アニエス……」
「それにしてもこの10年で、随分と偉くなられたようですわねぇ。あまり部下を虐めると、思わぬところで足を
「ばば様……」
「……って、ちょっと……人の話を聞いてますの?」
「ばば様……あぁ、ばば様……」
その姿からもわかる通り、
普段は鋭く細められている黒い瞳に涙を浮かべて、今にも抱きつきそうな勢いで両腕を広げていた。
その様子に軽く笑みを漏らしながらも、尚もリタは話を続ける。
「10年前の別れ際に、またお会いましょうと申したけれど、実のところはそれが今生の別れだと思ってましたのよ。なにせ国交のないハサールとブルゴー故、再び相まみえるのは難しいと言わざるを得ませんでしたもの。 ――それなのに、まさかこのような形で再会するとは、さすがの
「あぁ、ばば様!! ずっとお会いしたかった!! 僕は……僕はぁ!!!!」
リタの話が終わっていないにもかかわらず、遂に万感の想いを溢れさせたケビンは、相手がうら若き乙女であることさえ忘れて思い切り抱き着いた。
そしてリタ自慢の豊かな胸に容赦なく顔を埋めると、そのまま盛大に泣き出してしまう。
するとリタは、血相を変えて大声を出した。
「ちょ、ちょっとやめぇやケビン!! ち、乳に触んなや!! っちゅーか、乳に顔を埋めんなっ!!」
「あぁ!! ばば様っ、ばば様ぁー!!」
「ぬおー!! 乳に頬ずりすんな!!!!」
「ばば様ぁー!!!!」
「ぬおぁー!!!! それはフレデリクのもんじゃと言うちょろうがぁ!! ええ加減にせぇ、このスケベ親父がぁー!!!!」
ばっちーん!!
甲高くも鋭い、まるで絹を裂くようなうら若き乙女の悲鳴。それと直後に響いた殴打音。
それは少し離れた場所からも容易に聞き取れた。
そして何を勘違いしたのか、それを聞いた者たちは皆哀れんだような視線をケビンのテントに向けたのだった。
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