第264話 ファルハーレンの事情

 モンタネル大陸南西部には、ファルハーレン公国という名の小国がある。

 そこは北をハサール王国、南をブルゴー王国、そして東と西をそれぞれアストゥリア帝国とカルデイア大公国に挟まれた、海のない典型的な内陸国だ。


 その名から推測できる通り、元は西のカルデイア大公国に属する一地方貴族家だったファルハーレン公爵領が発祥であり、その後長年に渡る紆余曲折を経て現在の形に落ち着いた。


 地政学的には、今や衰えたとは言え軍事国家で有名なカルデイア大公国と、広大な国土と軍事力、そして経済力を有するアストゥリア帝国の緩衝地帯の意味合いが強い。

 また同時にハサール王国とブルゴー王国を南北に分断していることから、その二国を「近くて遠い国」と言わしめる一因ともなっていた。


 国土の狭さ同様に経済規模も小さく、軍隊費はお世辞にも潤沢とは言えない。

 そもそも人口の少なさゆえに軍事に割ける人員も多くなく、必然的に軍事力も弱小と言わざるを得ない状況だ。



 そんなファルハーレンではあるが、突如前触れもなく東の隣国アストゥリアから、軍隊の通過についての打診が舞い込んでくる。

 しかしファルハーレンはそれに色よい返事を返すことはできなかった。


 そもそも他国に侵略するために、軍事同盟を結んでもいない第三国を通過するなど常識的にあり得ない。

 何故なら、善意で門戸を開いた途端、悪意を持った相手に牙を剥かれるかもしれないからだ。


 隣国であり、ハサールを介した親戚国とは言え、決してファルハーレンはアストゥリアを信用していなかった。

 それは過去から続く様々な因縁のために、今さらその国の軍隊を入国させるなど考えられなかったのだ。



 もう一つある。

 今や倒れる寸前であるにもかかわらず、むにまれぬ理由によって隣国ブルゴーと戦を始めたカルデイア大公国。

 そのため国内の防衛が手薄になっているこの昨今、どさくさに紛れてアストゥリアは攻め込むつもりらしい。

 そして幾つかの港を占拠して、自国の貿易港としての活用を目論んでいた。


 しかしそれこそが、ファルハーレンが首を縦に振らない最大の理由だった。

 なぜなら、この地にこのような弱小国が存在し得るのは、カルデイアとアストゥリアの緩衝地帯になっているからに他ならないからだ。

 にもかかわらず、一方的にカルデイアが倒れてしまえば、自国の存在意義が消滅すると同時に、そのままアストゥリアに飲み込まれてしまうのは目に見えていた。


 とは言うものの、自国とは比べものにならない大国アストゥリアの打診を無下に断るのも難しく、対応に苦慮する間に気づけば強硬手段に訴えられる羽目に陥ってしまう。

 アストゥリア軍が越境を開始してすでに2日。

 ここファルハーレン公城では、会議という名の怒鳴り合いが続いていた。




 ――――




「なれば問うが、お前たちはどうすれば良いと言うのだ!?」


「ですからこれまで何度も申し上げております!! 現状を鑑みても、最早もはやアストゥリアの軍門に下るしかないと!! ――聞けば此度こたびの越境は、皇帝による勅命だと聞き及びます。故に今や手遅れなのです!!」


「くどいぞ!! 何度同じことを言わせるのだ!! 決してこの国は他国の下には入らぬ!! それがあの・・アストゥリアであれば尚の事、絶対にあり得ぬのだ!!」


「しかし殿下!! 今はそのようなことを言っている場合ではありません!! こうしている間にも刻々とアストゥリア軍は迫りつつあるのです!! すでに迎撃のための軍は展開しつつありますが、数日間足止めするのが関の山でしょう!! ――それ以上は無理です!!」


「それならば、軍を下げて籠城すべきなのでは!? あくまでもアストゥリアは西――カルデイアへ抜けて行きたいだけなのでしょう? それならば我々が閉じ籠もっている限り、わざわざ手出しなどしてこないのでは!?」


「なんだとぉ!! 貴様に矜持はないのか!? 己の足元を他国の軍が我が物顔で闊歩するのだぞ!? 指をくわえて見ていろとでも言うのか、この馬鹿者がぁ!!」


「し、しかし、アストゥリアは本当にそのまま通過するだけかもしれません。なれば敢えて軍をけしかけるのは、むしろ悪手なのではないかと――」


「うるさい!! 貴様が言っているのは、ただの保身にすぎぬのだ!! 我々が無事であればそれで良い――つまりはそういうことなのだろう!? ――では問うが、臣民に対する責任はどうするつもりか!?」


「何を仰るのです!! 戦を始める方がよほど彼らを苦しめることになるのを、殿下にはわからないのですか!?」


「うぬぅ……やかましい!! 貴様ら全員、今すぐこの場から出ていけ!!」


「畏まりました。 ――それでは一時間後に再度会議を招集いたします故、それまでに各自妙案を考えてくるように。 ――解散!!」




 顔を真赤に染めて頭から湯気が昇る勢いで怒鳴り散らす、ファルハーレン公国公王、エンゲルベルト・バルナバス・ファルハーレン。

 現在32歳の彼は、今から6年前にハサール王国第一王女アビゲイル・ハサールと結婚した。


 ご多分に漏れず、彼らの婚姻も国家間による政略結婚でしかなかったが、当時26歳のエンゲルベルトと20歳のアビゲイルの間には、結婚から始まった壮大なロマンスがあった。


 幼少時から両親――ハサール国王夫妻からたっぷりと愛情を注がれて育ったアビゲイルは、まさに天真爛漫を絵に描いたような女性に育ち、その明るさと気立ての良さはハサールの花と謳われたほどだ。

 父親から色濃く受け継いだ容姿はお世辞にも器量良しとは言えなかったが、全身から醸す清楚さと常に絶やさない笑顔、そして明るくハキハキとした口調は、それを補うに余りあった。

 

 それに反してエンゲルベルトは極端な武人肌で、その無骨で無口な性格はおよそ女性との浮名とは縁遠い。

 実際彼は自身の結婚には消極的――いや、正確に言えば興味自体がなかったのだが、いざ結婚すると妻に夢中になってしまったのだ。


 すでに夫婦となっているにもかかわらず、その無骨な容姿で寝ても覚めても愛を囁く夫に対し、アビゲイルも絶えず愛情を返した。

 そして結婚前から囁かれていた様々な心配を他所に、二人はまさに鴛鴦おしどり夫婦ぶりを見せつけたのだ。

 

 その仲睦まじい様子は周囲の微笑みを誘い、国民からは祝福されて、早速翌年には世継ぎの男児が産まれて順風満帆な結婚生活を送り始めたのだった。



 しかしそれがたったの6年で国家存亡の危機を迎えてしまうとは、一体誰が予想し得ただろうか。

 しかも最悪なことに、相手はあの・・アストゥリア帝国だったのだ。


 とは言うものの、現アストゥリア皇帝エレメイ・ヴァルラム・アストゥリアは、公妃アビゲイルの叔父にあたる人物なので、言わばこの二国は親戚同士でもある。

 にもかかわらずこのような強硬手段に出たのは、皇帝の代替わりが原因だった。


 隠居して今は病で死の淵にある前皇帝、ヴィクトル・ペトローヴィチ・アストゥリアの時代には、自身の孫が嫁いだファルハーレンには友好的だった。

 しかしその息子――現皇帝に至っては、幼少時に一度会ったきりの姪に情が動くことはなく、無慈悲に軍を送るほど冷徹だったのだ


 そして今まさにその対応を公王エンゲルベルトを中心に話し合っているところなのだが、まるで出口の見えない迷路に迷い込んだかの如くぐるぐると同じ話を続けていた。

 その彼が一時いっときの休憩を兼ねて私室に戻ると、そこには妻と子が待ち構えていたのだった。




「あぁ、お前たち来ていたのか。ならば、一緒に茶を飲もう」


 家族を前にしたエンゲルベルトは、直前までと打って変わって厳つい顔に笑顔を見せる。

 隣国ハサール王国西部辺境候オスカル・ムルシアもくやと言われるほど筋骨隆々の大柄な体躯をゆすりながら、器用に椅子に腰掛けた。


 興奮で真っ赤に染まった顔はもとに戻り、今や顔に笑みさえ浮かべて最愛の妻と息子を眺めていると、妻――アビゲイルがおずおずと口を開いた。 


「あなた……それほど状況は逼迫しているのでしょうか。噂ではあすにもアストゥリアがこの城を包囲するとか……」


「ふはははっ。なにを言っている。そのような噂など信じるに足らぬ。大方おおかた臆病者たちが立てた良からぬ噂に過ぎぬのだろう。 ――お前が気にすることではない」


「そうですか……そうであればよろしいのですが……」



 夫の言葉とともに安堵を浮かべたアビゲイルは、その横に佇む息子――5歳のユーリウスの髪を優しく撫でる。

 すると彼は、父親に向かってその透き通るような青い瞳を向けた。


「父上!! もしも戦となるのなら、この僕も一緒に戦います!! そのためにこれまで剣術を学んできたのですから!!」


「そうか、そうか。それは頼もしいな。 ――それではいざとなったら、お前を頼ることにしよう」


 未だ汚れを知らない、透き通るような純真な眼差しを眩しそうに見返しながら、エンゲルベルトは息子を見つめる。

 その顔には決して家族以外には見せない優しさが溢れ、大柄で厳つい姿からは想像できないほどの柔らかい笑顔だった。



 妻が撫でる息子の頭に一緒に手を置きながら、エンゲルベルトはゆっくりとしゃがみこんだ。

 そして愛する嫡男の顔を覗き込む。


「しかし言っておくが、お前の役目は母上を守ることだ。お前は常に母上と一緒にいて、いざと言う時にはその鍛えた剣技で守るのだぞ。 ――いいか?」


「はい!! わかりました、父上!! ご安心下さい、必ずや母上を守ってご覧にいれます!!」


「おぉ、そうかそうか。まったくお前は頼もしいな。 ――これで俺も安心だ」


 そう言うとエンゲルベルトは、愛する一人息子の薄茶色の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でたのだった。

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