第254話 意趣返し

 顔面を血塗れにしたまま、絶望のあまり泣き崩れるペネロペ。

 あまりと言えばあまりに哀れなその姿は、ともすれば見る者全ての同情を誘うものだった。

 とは言え、如何に酷い姿にされていようとも全てが自業自得としか言いようがなく、こうして命が助かっただけでも幸運と言えた。


 大公の最愛の女性を死に追いやり、あまつさえ腹に宿った公子までも殺してしまったのだ。

 たとえそれが次期大公妃になる者であったとしても、万死に値する所業であるのに違いはなく、場合によっては国家反逆罪として処刑されてもおかしくないものだった。


 しかしこの戦時下において、彼女の後ろ盾――第二公家とも揶揄されるバッケスホーフ家を敵に回すことなどできるはずもなく、それらの事情を鑑みてもやむなく生かしておくしかない。

 もっともとっくに愛想を尽かせていたセブリアンは、予定通り結婚こそすれ、一生彼女を飼い殺すつもりでしかなかったのだが。

 

 自分で蒔いた種とは言え、自慢の美貌を潰されたペネロペは少々気の毒に過ぎた。

 怪我の具合を見る限り、たとえ完治したとしても多少の傷は残るだろうし、前歯に至っては差し歯を入れなければ見るに堪えないはずだ。

 しかし事情を知ったお付きのメイドや騎士たちは多少の同情はしたものの、本気で心配する気にはどうしてもなれず、甲斐甲斐しく世話をしながらもその対応は実に事務的だった。

 そんな哀れなフーリエ公爵家令嬢を横目に見ながら、セブリアン一行は足早に部屋から出て行ったのだった。




 セブリアンを先頭に、三者三様互いに無言のまま廊下を歩いていたが、ふと思い出したようにヒューブナーが口を開いた。

 最早もはやその顔には全く感情は浮かんでおらず、口調も不自然なまでに淡々としていた。

 

「まずは礼を述べなければなりませんね、ゲルルフ殿。もしもあの場で陛下を止めていただかなければ、今頃ペネロペ様は死んでいたでしょう。この戦時下において、バッケスホーフ家の後ろ盾を失うことはあまりに影響が大きすぎます。その意味でもあなたには感謝するほかありません」


「ふふふ……べつに私は、そんなつもりではありませんでしたよ。 ――まぁ、気紛れ……でしょうか」


「気紛れ……ですか。それでも助かったのは事実です。 ――正直陛下がどうお思いになっているかはわかりませんが、少なくとも多少の溜飲を下げるほどにはペネロペ様に報復できたのですから。さらに彼女の進退にまで話を及ぶこともできましたし。 ――ところでひとつお訊きしても?」


「ふむ?」


「何故あなたはあのようなことを? あなたにはお二人を仲裁する義務などなかったのでは? それなのに、何故わざわざ――」


 それまで無表情だったヒューブナーの顔に、胡乱という名の感情が浮かび始める。

 ゲルルフはチラリと横目で流し見ると、いささか芝居がかった仕草で顎を撫でた。


「何故……? ふむ、何故かと。そうですな……強いて言うなら……意趣返し、と言ったところですかな」


「意趣返し……? なんです、それは?」


「そのままの意味ですな。まぁ、詳しくはご想像にお任せいたしますがね」


 その言葉に尚もヒューブナーは口を開きかけた。

 しかしそれきり口を閉ざしてしまったゲルルフには、それ以上何も訊けなくなってしまったのだった。




 意趣返し――


 実際、そのとおりなのかもしれない。

 何故ならジルダは、「漆黒の腕」にとって非常に有益な人材だったからだ。


 暗殺技術だけでなく諜報技術と剣術にも優れる彼女は、組織の中でも相当レベルの高い構成員だった。それ故、もとよりその依頼金額はかなりの高額だった。

 そんな彼女が四六時中傍にいるのだから、その金額は計り知れない。


 形式上ジルダは大公の護衛ということになっている。

 そのため組織には高額な依頼料金が継続的に支払われており、それは最早もはや無視できない金額になっていた。


 しかしそんな大切な金蔓かねづると言っても過言ではなかったジルダを、愚かなペネロペのせいで始末せざるを得なくなってしまう。

 組織とてカルデイアの一員なのだから、ジルダの独断は理解できるし、目を瞑ろうと思えば出来たのかもしれない。

 しかし掟を破った事実は如何ともし難く、他の構成員へ示しをつけるためにも、断腸の思いで彼女を始末したのだった。



 対してペネロペは、一貫して安全な場所からの高みの見物だ。

 ジルダが暗殺に走ったのにも死んだのにも一切己の手を汚しておらず、全てを人に委ねていた。

 それは組織にしてみれば、いい面の皮だった。

 言い方を変えれば、「漆黒の腕」はペネロペにコケにされたようなものだったのだ。


 それにはさすがの組織――いてはゲルルフも腹を据え兼ねた。

 浅はかで生意気な公爵家令嬢に散々コケにされた挙げ句に、いいように利用されたのだから、仕返しのひとつもしたくなったのだろう。

 とは言え、相手はあの・・バッケスホーフ家に繋がる者なのだから、正面切って仕返しなどできるはずもない。

 そのうえ、下手をすれば組織ごと潰される可能性もあった。

 だから彼は、セブリアンを利用してペネロペに一泡吹かせたのだ。



 もう一つある。

 これもあくまでヒューブナーの想像の域を出ないのだが、もしかするとゲルルフは、ジルダに仕返しをさせてやりたかったのかもしれない。

 良い意味でも悪い意味でも純粋なジルダをいいようにもてあそんだ挙句に、都合よく破滅させたのだ。

 しかもやっと授かった我が子とともに死なねばならなかった彼女の絶望と悲しみ、そして憎しみをおもんぱかれば、一発くらい殴り返したところでバチは当たらない。

 だから彼は、敢えてセブリアンに殴らせたのだ。


 そこに思い至ったヒューブナーは、思わずゲルルフの横顔を凝視してしまう。

 しかし見つめられていることなどとうに承知しながら、敢えてゲルルフは無視し続ける。

 そしてそれ以上、一切語ろうとはしなかったのだった。




 ――――




「エルミニア女王陛下。カルデイア国内に布陣しております西部軍より援軍の要請が来ております。 ――如何致しましょうか?」


 すでに戦時下にあるブルゴー王国は、新女王への権力譲渡のために規模を縮小した戴冠式を手短に済ませると、すぐにカルデイアに対して動き始めた。

 その真意はどうであれ、自国の王を討たれてしまったブルゴーは、単なるセレモニーでしかない戴冠式に貴重な時間と金、そして手間をかけるつもりなど毛頭なかった。

 事実それは「とりあえずやった」というアリバイ作り以上のものではなく、諸外国へも事後報告の手紙を送る程度と徹底していた。


 今後一切妥協することなく本気でカルデイアを潰すつもりのブルゴーは、そのための準備を大忙しで始める。

 それは言うなれば、前国王イサンドロのずさんすぎる出兵計画の尻拭いに過ぎなかったのだが、それでも一度動かした軍を無駄にしないためにも綿密に計画を練り直したのだ。


 そんな中、早速国家元首としての仕事に忙殺されるエルミニアのもとに、遠征部隊から早馬が届けられる。

 そしてその内容が冒頭の言葉だった。



「援軍要請か。 ――軍の采配に関しては俺が担当だ。すまんが伝令はこちらへ来てくれんか?」


 その報告に、横から口を挟んでくる者がいた。

 もちろんそれは、勇者ケビンだ。

 その彼がさも当然といった様子で口を出してきても、今や誰も諌めようとはしない。


 女王の夫とは言え、行政権を持たない単なる王配に過ぎないケビンがなぜそのような真似をしてくるのかと問われれば、それは妻のエルミニアと権力を分ける取り決めをしていたからだ。

 

 もちろんそんな取り決めなど、歴代の国王の中でも誰一人したことはなかった。

 如何に立憲君主制を敷くブルゴー王国と言えど、その権力は国の所有者――国王が全て握るのが当然であって、それを夫婦で分けるなどおよそ聞いたことがない。

 それでもケビンとエルミニアがその手法を選んだ理由――それは子どもたちのためだったのだ。



 ご存知のように子沢山のケビン夫婦には、四男四女の子供たちがいる。

 そしてこれまでコンテスティ公爵婦人としてずっと屋敷にいたエルミニアは、彼らの世話をするのが生きがいだった。

 しかしいざ女王として即位した途端、あまりの忙しさに子どもたちに会えなくなってしまったのだ。


 これにはさすがのエルミニアも参ってしまう。

 女王としての義務を全うするため、早朝から深夜まで絶え間なく仕事を続ける毎日。ふと気づけば、もう何日も子どもたちの顔を見ていないことに気づく。

 そして命よりも大切な彼らの世話を、夫のケビンに丸投げしていた。


 そんな毎日に鬱々とした気分を抱き始めたエルミニアに対し、見かねた宰相フェリクス・マザラン公爵が提案してくる。


「陛下のお仕事をケビン殿下とお分けになられてはいかがでしょう。前例がありませんので実際にやってみなければわかりませんが、少なくとも陛下お一人で全てなさるよりもいいのではないかと愚考します。 ――前例がないと言っても、そもそも女性の元首――女王自体が前例のないことなのですから、いまさら気にすることもないでしょう。 ――もちろん陛下がお嫌であれば再考いたしますが、ぜひご検討を」


 エルミニアは即答した。

 そのとおりにすると。


 

 一般に国王の決裁権は国政全てに及ぶ。

 逆に言えば、国王の決裁を経ない限り全ての物事が先に進まないことを意味するために、国王という職業は非常な激務だ。

 毎日毎日役人の作る書類に目を通し、理解し、内容を精査して自身の責任のもとに決済する。

 もちろん内容に納得できなければ再考の指示を出し、場合によっては自ら提案することも厭わない。


 そんなことを毎日強いられていれば、真面目で几帳面なエルミニアの仕事が終わるはずもなく、結果毎日のように帰りが深夜に及んでいたのだ。



 宰相の提案をケビンに相談してみると、二つ返事で了承してくれた。

 もともと彼もエルミニアの疲弊には気を揉んでいたし、これまでもなにか助けになれないかと悩んでいたので、その提案に否やはなかったのだ。 

 いや、むしろ嬉々として引き受けてくれたほどだった。


 とは言え、事は国政に関することなのでその判断は慎重にすべきとの声も上がった。

 しかし信用して任せる以上、夫の判断、決裁についてエルミニアは一切口を出さないことを約束していたし、もしも判断が誤っていたとしても、最終的には彼女自身が責任を取るのも確約していたため、結局は大きな混乱もなく事は決まったのだった。


 結果、エルミニアの負担は激減した。

 ケビンと同時進行で仕事を片付けていけるようになったおかげで、今では夫婦揃って夕食前に屋敷に戻れるまでになったのだ。



 ちなみにそれぞれの仕事に言及すると、国民の生活や福祉、税制などの内向きのものはエルミニアが、軍事や外交など外向きのものはケビンがそれぞれ担当している。

 それはまさに適材適所と言っても過言ではなく、その効率の良さを見ていると最早もはや以前のようなワンマン体制のほうが余程無駄が多かったと思えるほどだ。


 これまで多産、富国の象徴として市井にその名を知られてきたケビン夫妻だったが、いまではそれに夫婦協業の新風を吹き込んでいた。


 そしてその変わらぬ仲睦まじい様子は、今や国中の人気を博していたのだった。

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