第252話 ペネロペの激白

 ライゼンハイマー城の一角にはペネロペ専用の部屋がある。

 他と比べても明るく垢抜けたその部屋は、壁をぶち抜いて二間をつなげているため大公の私室などより遥かに広い。


 もともとそこは、外国要人のための客間だった。

 しかしてがわれた部屋が狭すぎると文句を付けたペネロペが、誰に断るでもなく勝手に使い始めたのだ。

 挙句の果てに壁紙や絨毯、内装から家具に至るまでその全てを自分好みに変えてしまい、妙にその部屋だけが浮いていた。

 

 それは彼女の我が儘だった。

 今は戦時中ゆえ、外国からの客人なんてまず来ない。だから自分が使ってもかまわないだろう――などと意味不明な俺様理論を提唱すると、管理の者に一言告げただけで勝手に自分のものにしてしまった。


 さすがの宰相もそれには苦言を呈した。

 しかし子供のように堪え性のないペネロペは、将来の大公妃に物申すのかと盛大に逆切れする始末だ。

 それでもセブリアンから諫められれば大人しく従ったのかもしれないが、当の大公自身が婚約者に全く興味を示さないので、それも無理な話だった。


 もっとも戦準備で大忙しの彼らにはそんな些事にかまっている暇などなかったし、彼女の好きにさせていれば大人しくしてくれていたので、意図的に放置していた事情もあったのだが。

 

 そんなわけで、未だ大公妃になってもいないうちから我が物顔で城内を闊歩するペネロペだった。




 そのペネロペの私室に、突如甲高い悲鳴が響き渡る。

 悲鳴と呼ぶにはあまりに刹那的なその声は、ともすれば断末魔の叫びにも聞こえた。


「きゃぁぁぁぁぁー!!!!」


 短い悲鳴とともに、真っ赤な血潮を噴き出しながら倒れ伏す一人の女。

 その身を小刻みに痙攣させながら、流れ出る赤で際限なく床を染めていく。

 するとそこにもう一人の若い女が駆けよってきて、まるで狂ったように叫んだ。


「きゃぁぁぁぁ!!!! ロース!! あぁ、ロース!! いやぁぁぁぁ!!!!」


 薄茶色の髪を高く結い上げた、すらりと背の高い肉感的な若い女。

 見るからに高貴な身分と思しき女が、大きな胸を揺さぶりながら狂ったように悲鳴を上げていた。


 

 ――それはペネロペだった。

 そして床に倒れているのは、専属メイドのロースだったのだ。

  

 恐らく即死だったのだろう。天井を見上げる青い瞳に色はなく、最早もはや呼吸すらしていなかった。

 お仕着せのメイド服は真っ赤に染まり、元が何色だったのかもわからないほどだ。



 ロース・ブラーウ。

 現在18歳の彼女は、ペネロペの実家――フーリエ公爵家傘下に繋がるブラーウ侯爵家の三女だ。

 上に4人も兄姉がいるため実家を継げない彼女は、13歳でフーリエ家にメイドとして入ると、気に入られてペネロペ専属になった。

 

 侯爵家の令嬢が何故メイドになんかなるのかと思うだろうが、この時代にはよくあることだ。

 如何に上級貴族家の娘であれど、それが三女辺りになると良い縁談も来にくくなるため、より上位の貴族家で行儀見習いとして働きながら条件の良い結婚相手を探してもらうのだ。


 歳も近くて話も合う。

 優しく気立ても良いうえに、ペネロペの話もよく聞いてくれる。

 そんな一歳年下のロースを、まるで妹のようにペネロペは可愛がった。

 そしてそんなペネロペを、ロースも姉のように慕っていた。



 だからだろうか。セブリアンがペネロペに斬りかかった時、咄嗟にロースはその身を盾にした。

 そして主人の代わりに、その身体で剣を受け止めたのだ。


 まるで容赦なく、至近距離からの重い斬撃。

 怒りに任せた勢いは凄まじく、如何に剣が不得手のセブリアンとは言え、メイド服ごとロースを切り裂くのは容易なことだった。

 

 結果、左肩から右脇腹にかけて袈裟懸けに斬られたロースは、短い悲鳴とともにその生涯を呆気なく閉じたのだった。




「ロース!! あぁ、ロース!! お願いよぉ、返事をしてちょうだい!! いやよ、死んじゃいやぁ!!!!」


 今や物言わぬ肉塊に成り果てた専属メイドに縋りつきながら、外聞もなく泣き叫ぶペネロペ。

 最早もはや自身の身に何が起きているかさえ忘れ果て、ただひたすらに叫び続けていた。

 するとその背後に、再び幽鬼のような姿が現れる。


 それはセブリアンだった。

 すでに一人の少女を斬り殺しているにもかかわらず、そんなことにはお構いなしに血濡れの剣を振りかぶる。

 しかしペネロペは全く気付かないまま、ひたすらロースの死体を揺すり続けていた。


「あぁぁぁぁぁ!! ロース!! あぁぁぁぁ!!」


「ペネロぺェ……覚悟しろ、死ねぇ!!!!」


「へ、陛下!! おやめください!! 陛下!! 今この時にバッケスホーフ家を敵に回しては、それこそ国が立ち行かなくなってしまいます。何卒なにとぞ、何卒お考え直しを!!」


「えぇい、そんなもの、俺の知ったことかぁ!!」



 ヒューブナーの制止など聞こうともせず、セブリアンは振りかぶった剣を思い切り振り下ろしてしまう。 

 その先の光景は誰の目にも明らかだった。

 背中から斬り付けられたペネロペが、悲鳴と血をまき散らしながら地面に倒れ伏すのだ。

 それはロースと同じだった。

 高貴な公爵家令嬢が、血に塗れた死体と化す……はずだったのだ。

 


 誰もが目を覆いそうになったその瞬間、その場に低い声が響き渡った。


「陛下――もうその辺でおやめになった方がよろしいかと」


 腹の底まで響くような低い声。

 丁寧な言葉遣いでありつつも、其処彼処そこかしこに粗野さが垣間見えるその声は、セブリアンにもヒューブナーにもすぐにわかった。


 言うまでもなくそれは諜報暗殺者集団「漆黒の腕」の首領、ゲルルフに間違いなかった。

 一体いつからそこにいたのだろうか。

 足音ひとつ立てずに現れたかと思えば、セブリアンの剣をひょいとばかりに摘まみ上げてそのままへし折ってしまったのだ。


 それにはさすがのセブリアンも驚きを隠せなかった。

 しかし直後に怒鳴り声を上げる。



「き、貴様、何をする!! 邪魔をするな!!  ――おのれぇ……一度ならず二度までも……!!」


 突如剣を取り上げられてしまったセブリアンは、行き場を失った怒りの矛先をゲルルフに向けた。

 しかしその暗殺者の首領は、事も無げにうそぶくく。


「陛下。大変差し出がましいのですが、ここは娘一人の命で収めては如何か。見たところこの者には何一つ罪も非もない様子。何卒それに免じて――」


「なんだと貴様ぁ!!!! この俺に物申すのか!! 一体何様のつもりだ!! 俺の邪魔をしたのだ、こんな娘など死んで当然だろうが!! それともなにか、貴様が代わりに手を下すとでも言うのか!? あぁ!?」


 感情を剥き出しにしたまま、ひたすら怒鳴り続けるセブリアン。

 ゲルルフが皮肉そうな笑みを返していると、その横から宰相ヒューブナーが口を挟んでくる。


「へ、陛下!! ゲルルフ殿が述べたとおりです!! 罪もなく死んだこの娘に免じて、なんとかここは収めていただけませんでしょうか!?」


「ぐぬぬぬ……」



 気付けばこの場の全員がセブリアンを注視していた。

 どこを見ても自分を見つめる目、目、目。

 そして床に倒れる若いメイドの真っ赤な死体と、それに縋って泣き叫ぶペネロペ。


 それらの様子にぐるりと視線を走らせたセブリアンは、突如両腕をだらりと下げて天井を仰ぎ見た。

 その様子を見る限り、どうやら彼は必死に感情を抑えようとしているらしい。

 しかし未だ両手は小刻みに震えたままだし、その口からは強く奥歯を噛み締める音が聞こえてくる。


 背後にペネロペの鳴き声を聞き続けること約3分。

 やっと顔を下げたセブリアンは、ペネロペに向かってゆっくりと歩き出したのだった。




 思わず叫びたくなるほどの緊張感が満ちる中、セブリアンはペネロペに声をかけた。

 未だその唇は小刻みに震えており、彼の怒りが収まっていないことは明白だ。

 するとペネロペは、ロースの死体から離れると床に尻を付けたまま後退っていく。


「ペネロペ……!! 貴様は自分が何をしたのかわかっているのか!?」


「ひぃ……!!!!」


「訊いているのだから答えろ」 

 

「……」

 

「答えろと言っている!!」


「はひぃっ!! な、なにとは……な、なんですの? な、なにをお訊きになりたいと――」

 

「なぜ貴様はジルダをけしかけた!? ジルダを行かせたのだ!?」


「そ、それは……ジ、ジルダさんなら敵将を討てるかと……へ、陛下がこの戦を終わらせたがっているのは、わ、わたくしもよく存じ上げておりましたから……」 


 突如セブリアンの眉が跳ね上がる。

 その姿は、それまで必死に抑えていた感情が再び爆発する寸前に見えた。



「そうではない!! そんなことを訊いているのではない!! ――ジルダは俺の子を身籠っていた。それはお前も知っていたそうだな。それなのになぜ黙っていたのだ? なぜ俺に知らせなかった!? お前のすべきことはジルダをけしかけることではなく、俺に知らせ、ジルダを守ってやることではなかったのか!?」


「そ、それは……」


「――話によれば、妊婦にとって今が一番大事な時期らしいではないか!! 無理をすれば、最悪子が流れてしまうとも聞いたぞ!!」


「うぅ……」


「それなのに……それなのに……何故お前はジルダをけしかける様な真似をした!? お前の立場であれば、むしろ行かせないようにすべきではなかったのか!? 守ってやるべきではなかったのか!?」


「うぅぅぅ……も、申し訳……申し訳ありませぬ……しかし……しかし…わたくしは……」


 責め立てるセブリアンの迫力に、遂にペネロペは泣き出してしまう。

 その涙は恐れのためか、それとも後悔のためなのかはわからなかったが、少なくとも後者でないことは間違いなかった。

 

 そんなペネロペをメイドも騎士も、そして部屋女中も、その全員が固唾を飲んで見守っていた。

 そして何気に事情を察した彼らは、事の成り行きに次第に興味を持ち始める。


 彼らとて長年ペネロペに仕えてきたのだから、彼女の為人ひととなりは十分に理解している。

 それ故セブリアンの言葉には皆納得してしまっていたのだ。



「わかっているぞ……俺にはわかっているのだ!! ――お前はジルダを亡き者にしたかった。殺してしまいたかったのだ!! 正妃よりも先に側妃が懐妊した。この事実に戦々恐々としたお前は、策謀を巡らしてジルダを死に追いやったのだ!? 違うか!? あぁ!?」


「そ、それは――」


「まるでジルダ自身がその道を選んだかのように、巧妙に死地に送り出しておきながら、あまつさえそれを密告までした。 ――組織がジルダを消さざるを得なくなるのを知っていながらな!!」


「あぁ……!!」


「なんて汚い女だ!! 汚すぎて反吐が出るわ!! 自ら手を下していたならまだしも、全てを人に委ねた挙句に自分はのうのうと高みの見物か!? ……だがそれも最後だ。俺は……俺は……貴様を絶対に許さない!!」


 凄まじいまでの目つきで睨みつけるセブリアン。

 剣を取り上げられてしまった彼には今さら何もできることはなかったが、それでも震える拳を力いっぱい握り締める。

 するとそれまで黙っていたペネロペが、やっと口を開いた。

  


わたくしは……わたくしは……嫉妬したのです……そして恐ろしくなってしまったのです。 ――陛下が……陛下がジルダさんを愛しているのは知っていた……そして自分が全く愛されていないことも。 ――もしも……もしも彼女に子が生まれてしまえば、わたくしは用なしになってしまう……だから……だから……」


「だからなんだ!?」


「だからジルダを消したのです!!!! わたくしがこの国で生き残っていくために!!!!」

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