第213話 婚約者からの頼み事

 山の木々もすっかり赤く染まった晩秋。

 あと半月もすれば山々も白く染まるという季節に、ここカルデイア大公国では一つの式典が開かれた。


 それは新大公セブリアンの即位の儀だ。

 前大公オイゲンの葬儀から一ヶ月と半分しか経っていなかったが、実質的に新大公の体制が始まっているというのに、いつまでも即位の宣誓を終わらせないのには問題がある。

 そういった事情もあり、社会通念上は未だ喪が明ける前ではあったが、即位の儀だけを早急に済ませたのだ。


 とっくに財政が破綻してしまっているカルデイアにおいて、余計な金と手間をかけてまで単なるセレモニーでしかない「即位の儀」を行うのは無駄である。

 そうセブリアンは訴えたのだが、これは単なる式典にあらず、と側近や重鎮たちは一歩も譲らない。


 新大公を迎えるにあたって、その儀式をないがしろにするのはあまりにお粗末すぎるし、国家元首の就任に際して周知を行わないのはすでに国家としての体を成していないのではないかと批判すら出たのだ。

 特に諸外国に対しては瀕死のカルデイアの国情を知らしめることにもなりかねないとして、如何に無駄であろうとも式典だけは開くべきだと説得されたのだった。


 そんなわけで、金と時間のない中でもそれなりに豪奢なセレモニーが開かれたのだが、結局近隣諸国からの出席者は殆どいなかった。

 隣国ブルゴー王国は言うに及ばず、ハサール王国からは使者すら遣わされない。

 あとは東部のファルハーレン公国とアストゥリア帝国、そしてファン・ケッセル連邦国から、最低限の義理は果たしたと言わんばかりに地味な中堅貴族が寄越されただけで、その他の国々も簡易な祝いの文を送ってきた程度だった。



 その扱いはカルデイアの現状を如実に物語っていた。

 周辺国にとって大公国はとっくに終わった国であり、いまさら無理をして付き合うほどではなかったからだ。

 お世辞にも国土は広いとは言えず、目立った資源も農産品もなく、巨額の戦後賠償金に苦しめられる飢えた国民を抱えるカルデイア。

 そんな国を助けた挙げ句、さらに生きながらえさせようとする奇特な国などどこにもなかったのだ。

 

 この国は10年以内に消えてなくなる――そう思う周辺国の間では、すでにカルデイア亡き後の領土の取り合いが水面下で始まっていた。


 その中でも一番動きが顕著なのが、カルデイアからファルハーレン公国を挟んで東に広がるアストゥリア帝国だ。

 四方を他国に囲まれるアストゥリアは典型的な内陸国であり、他国との貿易は専ら陸路に頼っているのが現実だった。


 しかし近年とみに他国との貿易が盛んになっているアストゥリアは、今や陸路による輸送量の限界に直面していた。

 そのため、ここで海路を手にできれば一気にその取扱量を増やすことができるとして、海に接する領土を喉から手が出るほど欲していたのだ。

 ここに来てカルデイアの現状を鑑みたアストゥリアは、どうにかしてその争奪戦に加われないかと頭を悩ませていたのだった。


 そんな状況をとっくに承知のカルデイアではあったが、それでも敢えて行った即位の儀は特に問題もなく粛々と終わった。

 一応は国家の体面を保つ程度には豪奢で格式を保った式典を終えることができて、携わった者たちは皆胸を撫で下ろしていたのだった。


 

 


「ペネロぺ・フーリエでございます。この度は大公妃としての栄誉を賜り、身に余る光栄に存じます。さらに此度はこのような――」


 新大公の即位の儀から三日後、セブリアンの従叔母いとこおば――リカルダ・バッケスホーフ公爵夫人に連れられて一人の女性がやってきた。

 それはバッケスホーフ公爵家に縁の深いフーリエ公爵家の長女で、幼い頃からリカルダが目をかけていた女性だ。


 ペネロペ・フーリエ公爵令嬢は、真っ直ぐに伸びた薄茶色の髪と緑がかった瞳が印象的な、スラリと背の高い肉感的な体つきの19歳の女性だ。

 少々目鼻立ちがはっきりしすぎているきらいはあるものの、リカルダがドヤ顔で連れてくるだけあって、その整った顔は誰が見ても十分に美しかった。

 さらに美しいのは容姿だけにとどまらず、柔らかく優雅な所作と滲み出る品の良さは、彼女の生まれの良さを表している。



 彼女の実家――フーリエ公爵家は、五代遡ると大公家に繋がる言わばライゼンハイマーの親戚筋だ。

 五代も前に分家しているのでその血はかなり薄まっているとは言え、やはりセブリアンとは遠い親戚にあたる。


 実の兄妹――大公オイゲンとその妹ローザリンデの不義の子であるセブリアンは、大公家の血が濃すぎるが故の弊害が見受けられる。

 それは所謂いわゆる近親相姦による影響であり、彼の外見や精神的な部分に顕著に現れていたのだ。


 そのため、彼の妻になる者はライゼンハイマーとは縁のない一族から選ぶはずだった。

 しかし己の影響力を行使したいリカルダはそれらの意見を強引に押し退けると、息子の嫁にするために幼い頃から目をかけてきたペネロペを強力に推したのだ。

 そんな派閥長のゴリ押しとも言える人選に異を唱えられるわけもなく、傘下の貴族家が渋々それに従った結果、満場一致でペネロペが選ばれたのだった。 



 そのような事情で決められたセブリアンの正妃ではあったが、由緒正しき家柄と非常に美しい容姿は、まさに大公妃になるために生まれてきたような女性と言えた。

 さらに言えば、その背後に第二公家と揶揄されるバッケスホーフ公爵家が付いているとなれば、これほど理想的な人選もなかったのだろう。


 もっとも肝心のセブリアン自身は、ペネロペに全く関心を示さなかった。

 美しく着飾った彼女を紹介された時も、その容姿を軽く一瞥しただけですぐに興味を失ってしまった。


 露出の少ないドレスを着るペネロペではあるが、そのすらりと背の高い肢体は着衣の上からでもわかるほど肉感的だ。

 普通の男であれば、そんな彼女に多少は劣情を刺激されそうなものだが、セブリアンには全くそんな様子は見られない。


 それどころか、将来の伴侶を紹介されたにも関わらず、眉間にしわを寄せて苦々しい顔さえしていたのだった。

 

 

 もっとも、リカルダにとってその反応はすでに織り込み済みだったし、彼女に言い含められていたペネロペも同じだった。

 彼女たちにとっては現大公の子を身ごもることができればそれでよく、セブリアンに愛されることなどどうでも良かったのだ。


 生まれた子が男児であれば、その子は次代の大公になる。

 もしもそうなれば、その母親のペネロペとその実家――フーリエ公爵家は絶大な権力を手にできるし、その後ろ盾のバッケスホーフ公爵家も同様だ。

 すでに滅びつつあるカルデイア大公国の実態など、今や彼女たちの目には見えておらず、ただひたすらに自分たちの利益を追求することしか頭になかった。




 肝心のセブリアンに、まるで興味を示されないまま終わったペネロペの顔合わせ。

 およそ歓迎されているようには見えない終わり方ではあったが、それでも彼女は暫く滞在していくことになった。

 もちろんそれはセブリアンの意思などではなく、わざわざやって来てくれたリカルダたちをおもんぱかった宰相ヒューブナーの気遣いだった。


 セブリアンとは違い、宰相という立場上ヒューブナーは各貴族家との関係をも配慮しなければならない。

 顔合わせが終わったからと言ってすぐに帰らせるわけにはいかず、彼女たちを持て成すために数日間滞在することを勧めたのだった。




 顔合わせから二日後。

 あれから一度も将来の夫――セブリアンに会えないままのペネロペは、城の中で暇を持て余していた。

 地方のフーリエ公爵家の屋敷とは違い、ライゼンハイマー城はとても広い。

 城の中には見たことのない設備や珍しい意匠なども多く、初めのうちはペネロペも物珍しそうに城内を散歩していた。

 しかし三日も同じところにいれば、さすがに飽きてくる。


 それでも部屋に閉じ籠っているよりはマシだと思ったのだろう。

 本日二度目の散歩に出かけたペネロペは、ふと見覚えのある姿に気が付いた。



 年の頃は30代中頃だろうか。

 それは短くまとめられた髪と細く鋭い瞳が特徴的な中々に精悍な顔つきの女性で、背の高さは平均的だが、ドレスの上からでも贅肉のない鍛え抜かれた身体つきなのがわかる。

 豪奢なドレスを身に纏う嫋やかな姿は一見すると貴族のご婦人のようにも見えるが、その頬に走る一筋の刀傷が異彩を放っていた。


 それはセブリアンの専属護衛――ジルダだった。

 仕事の途中なのだろうか。彼女は手に書類らしきものを持って廊下を歩いていたが、ペネロペに気づくと壁際に下がってこうべを垂れた。


 そんな彼女にペネロペが声をかける。

 いい暇つぶしができたとばかりに、その顔にはにこやかな笑みが浮かんでいた。



「えぇと……ジルダさん……でしたかしら?」


「はい。ジルダでございます。 ――ペネロペ様にはご機嫌麗しく」


 そう言うとジルダは、より一層身体を低くする。


「そんなに畏まらなくても大丈夫ですわよ。もしかしてお仕事の途中なのかしら?」


「はい。大公陛下に書類をお届けするところでした。しかしそこまで急いでいるわけではございませぬ故――」


「まぁ、そうですの? それでは少しだけお話し相手になってくださらないかしら。明日出立なのですけれど、さすがに暇を持て余してしまいまして」


「はい。わたくしのような者でよければ、喜んで」


 ペネロペの誘いに、無表情に応えるジルダ。

 最早もはやその顔は能面のようになっていた。




 十年以上にも及んでセブリアンとの関係を続けているジルダではあるが、はっきり言ってその立場は微妙だ。

 対外的には大公の専属護衛ということになっているが、そのじつ彼女は闇の暗殺組織に身を置く女暗殺者であることは一部では有名だったからだ。


 大公セブリアンとの関係をおもんぱかった宰相ヒューブナーは、ジルダが組織を抜けられるように何度も「漆黒の腕」に説得を試みたのだが、もとよりそこには「抜ける」という概念自体が存在しない。

 一度でも組織に属した者は死ぬまでそこに縛られるのが当然で、途中で抜けるなど許されないのだ。


 勿論それはジルダも例外ではない。

 如何に「漆黒の腕」がカルデイアの子飼いの組織であるとは言え、その内部にまで口を挟むのは許されなかった。

 組織には組織の掟があり、誰もそれを曲げさせることなどできなかったのだ。



 そんなジルダに向かって、まるで邪気のない笑顔を向けながらペネロペが口を開いた。


「ジルダさん。あなたは大公陛下の専属護衛だとお聞きしておりますが、話によればそれだけではないとか。 ――すでに10年以上に渡って陛下の恋人同然だとも伺ってますわ。それは本当ですの?」


「……はい。わたくしは大公陛下の護衛としておそばに置かせていただいております。……そして、恥ずかしながら陛下のご寵愛も――」


 思わず顔を俯かせてしまうジルダ。

 幼少のみぎりより冷徹な暗殺者として育てられてきたジルダではあるが、彼女とて普通の女性と同じように様々な感情とともに生きている。

 しかし彼女がそれを表に出さないのは、単に隠しているからだ。

 

 感情よりも理性を優先させよ。

 

 ジルダはずっとそう言い聞かされて育ってきたのだ。



 それでも彼女は、ペネロペの質問に顔を歪めてしまう。

 目の前にいるこの女性は、自分が愛する男とこれから結婚するのだ。

 そして決して自分には叶えられない夢を叶えようとしている。


 どんなに自分が望んでも、そして愛する彼が望んでも絶対に叶えられないその願いとは――



「ときにジルダさん。話に聞いたのですけれど、あなたはお子を産めない体だとか。 ――それなのにどうして大公陛下と一緒にいられるのです? どんなに陛下が望まれたとしても、あなたはそれを叶えられないのに」


「……」


「あなたがいらっしゃると、陛下は私を見てくださらないのです。ですからジルダさん、単刀直入に申し上げますけれど――」


「……」


「陛下の前から姿を消していただけませんこと?」



 子供のように屈託なく笑いながら、ペネロペが小首を傾げる。

 細く白い指を唇に当てながら微笑むその様は、まるで少女のように可愛らしかった。

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