第187話 終わりの始まり

「まずはどうぞ、侯爵様。このような状況で立ち話もなんですから、こちらでご一緒にお茶でも如何です?」


 ニッコリと微笑みながらリタが手招きをすると、それを合図にお付きのメイド――フィリーネが素早く席を用意する。

 ティーセットを並べて湯を温め直していると、その様子にベネデットは激高した。

 

「ふ、ふ、ふ、ふざけるな、貴様ぁ!! このような折に、のんびり茶など飲んでいられるか!! 一体なんのつもりでこのような無体を――」


「ですから、さきほどから何度も申し上げておりますのに。 ――わたくしは汚物を消毒して差し上げているのですわ。同じことを何度もお訊きにならないでくださいまし。いくらお年と言えど、記憶力を疑われてしまいましてよ?」


「うがぁー!!!!」


 何事もないかのようにツラっとしたリタ。

 そんな顔をしつつも、さり気なく煽るのをやめようとしない。

 ベネデットは今や声にもならぬ妙な叫びを上げたかと思うと、すでにボサボサになっている髪を掻きむしる。

 そして半ばヤケクソになりながらも、どっかりと椅子に腰を下ろした。


「茶をよこせ!!」



 まるで睨みつけるような侯爵の視線を浴びながら、それでも慣れた手つきで手早くフィリーネが茶を入れると、ベネデットは奪い取るようにそれを口に運ぶ。


「熱っ!! クソがっ!!」


「侯爵様……せっかく美味しいお茶なのですから、まずは香りをお楽しみくださいませ。そのようなお召しあがり方は、あまりに無粋ですわよ」


 まるで呆れたようなリタの視線。

 

「う、うるさい!! とにかくお前は、あれを止めろ!! 屋敷が滅茶苦茶になってしまうだろ!!」


「あら、今さら止めるつもりなんて、欠片もございませんわ。 ――それで、侯爵様。わたくしがこちらへ訪問した、本当の理由をご存じ?」


 突然リタの表情が変わる。

 薄紅を差した愛らしい唇は弧を描いたままだが、その特徴的な細い眉はキュッと吊り上がる。

 彼女がそんな顔をしていると、父方の祖母――イサベルにそっくりだった。


 そんなリタの表情に、思わず身体を引いてしまうベネデット。

 その顔には、明らかな動揺と恐怖が見て取れた。

 それでも彼は侯爵としてのプライドを捨てきれず、虚勢を張り続ける。



「し、知るか、そんなこと!! む、むしろ、こちらが訊きたいくらいだ!!」


「あら? ご存じない? 本当に? むふぅ……侯爵様ならご存じかと思いましたのに」


 顎に指を当てて、あからさまに残念そうな顔をするリタ。

 その顔は妙に芝居がかっており、彼女が演技しているのは明らかだった。


「き、貴様!! こんなことをしてただで済むと思っているのか!? 伯爵家の――しかもただの小娘の分際で、白昼堂々侯爵屋敷を襲うなど言語道断だ!!」


「ふむぅ……ならば言わせていただきますが――先日の決闘騒ぎですけれど、アンペール家はお負けになりましたわよね?」


「そ、それがどうした!? な、なにか関係があるのか!?」


「大ありですわ。その時の国王陛下の下知を憶えておいでですの?」


 じっくりとめるようなリタの視線に、別の感情が混ざり始める。

 あからさまに蔑むようなこれまでの視線には、今や多大な怒りが含まれていた。

 その変化にはベネデットも気付いていたが、それでも彼は虚勢を張り続ける。


「も、もちろん憶えている。陛下のお言葉なのだ、当たり前ではないか!!」


「それでは確認のために、再度確認いたしましょうか?」


「……」


 まるで深呼吸をするように、リタが大きく息を吸い込む。

 するとその自慢の胸の大きさが二割増に大きくなった。


「お前たちにひとつ忠告しておこう。 ――この裁定は、法にのっとり正当に選ばれた立会人と、同様に見届け人として承ったこの私、ベルトラン・ハサールの名において宣言するものだ。中にはこの結果に不満を抱く者がいるやもしれぬ。しかし、もしも報復などをはたらこうとするならば、国王の名において苛烈なまでの制裁を科すものと覚悟せよ」


 三体の巨人が暴れ回る阿鼻叫喚の地獄絵図を背景に、朗々とした声が響き渡る。

 一言で可愛らしいと表現できるその声は間違いなくリタのものなのだが、一字一句違わず、細かいイントネーションまで拘ったそれを聞いていると、不思議と国王ベルトランの姿が脳裏に浮かんでくる。

 

 止め処なく、まるで流れるように言葉を紡ぐリタの姿に、よくもまぁここまで完璧に記憶しているものだと、本気で皆は感心していた。

 そしてその言葉に間違いがないのは、ベネデットもフォルジュも認めるところだ。



「そ、それがどうした? 何が言いたい?」


「あら、まだおわかりになりませんの? 随分とおつむの働きがマイペースでいらっしゃるのね。 ――決闘で負けた腹いせにこのわたくしを襲撃しておきながら、よくもまぁ言えたものですわね。どの口が言いますの? この口ですの?」


 そう言うとリタは、ティースプーンでベネデットの口を指す。

 愛らしくも美しいその顔には、今度は嗜虐的な表情が浮かび始めていた。


「な、何を言う!! 人聞きの悪い!! ……腹いせに襲撃だと? この私がそんな低俗なことをするわけがないだろう!! 証拠はあるのか!? あるなら見せてみろ!!」


「ありますわ。残念ながら襲撃者は全員――まぁ、一人は食べられちゃいましたけれど――侯爵様に雇われたとゲロしましてよ?」


「食べられた……?」


「ぜ、全員……ゲロした……」


 思わず胡乱な顔をするベネデットと、呆然とする執事長フォルジュ。

 その二人の反応は対照的だった。

 しかしリタはそんなことにはお構いなしに話を続ける。



「まぁ、その辺のことはいいですわ。 ――ここで大切なのは、わたくしに報復をしようとしたこと。これが何を意味するかおわかりですの? アンペール侯爵様」


「な、なにを……」


「ふぅ……まだおわかりになりませぬか…… 陛下自らが『報復は許さぬ』と仰られていましたのに、貴方様はそれを無視した。つまりそれは――陛下をないがしろにしたに等しい、ということですわ」


「な、な……」


「はっきり申し上げますが、これは万死に値する所業。一族郎党皆殺しのうえに領地は没収。そのくらいのことをされても文句は言えませんわね。なにせ、ここハサール王国の支配者であらせられる、ベルトラン・ハサール国王陛下に盾突いたのですもの。ただで済むはずがありませんわ」


「う……ぐ……ぬ……」


「さらに言えば、国内有数の財閥貴族であるレンテリア伯爵家のみならず、武家貴族筆頭のムルシア家にも喧嘩を売ったのですのよ? 今後の貴家のお立場を慮れば、些か残念な未来しか見えませんわね。 ――もちろん貴方様ですから、その辺も全て織り込み済みなのでしょうけれど」



 歯に衣着せぬ、まるで容赦のない言葉。

 その瞬間、フォルジュの背を、冷たいものが走り抜けた。

 何故なら彼は、そこを指摘されるのが一番怖かったからだ。


 リタに指摘された点は、執事長であるフォルジュも十分に理解していたし、これまで何度もベネデットには忠告してきた。

 しかしそれを無視して、感情の赴くままに暴走したのはベネデット本人だったのだ。

 もっとも今さら当主を責めたところで、零れた水は二度と器には戻らない。

 執事長としては、それを止められなかった己の力量不足を恨むしかないのだ。



 気弱に眉を下げ始めた執事長を横目に、当のベネデットは尚も強気の姿勢を崩さない。

 その根拠のない不遜な態度は、いっそ清々しいくらいだ。


「勝手な言いがかりはやめてもらおうか!! 私はお前に報復などしておらん!! 男たちに襲われた? そいつらが吐いただと? そんなもの証拠にならぬわ!! どうせ当家を貶めようとする他家の策略に違いない!! そう考えると、むしろ当家の方が被害者ではないのか!?」


「あら、随分と言われますのね」


「当たり前だ!! お前もお前だ、なんだこれは!? どうしてこんなことをした!? よもやお前も襲撃者とやらの言を鵜呑みにしたのではないだろうな!? それがもし間違っていたなら、重大な問題だぞ!? わかっているのか!?」


 叫んでいるうちにその気になって来たのだろうか。

 ベネデットの語気が次第に荒く、強くなってくる。



 科学捜査が存在しないこの時代において、犯人の自白ほど重要視されるものはない。

 しかしそれこそが数多の事件解決を難しくしている部分でもあった。

 特に絶対的な権力を持つ貴族家が被疑者である場合、犯人の自白は単なる言いがかりか、他家の陰謀だとして無視されてしまう場合が殆どだからだ。


 その場合であっても警邏や捜査官が強権を発動することなどできもせず、そのまま被害者が泣き寝入りすることも多かった。

 犯人検挙を被疑者の自白に頼っておきながら、相手が貴族の場合にはその自白自体が信用できないと言われてしまう。

 そんな一種のジレンマが存在していたのだ。



「そのような無法者の言を信用した挙句に、その裏も取らず、あまつさえ侯爵家の屋敷を襲うなど言語道断!! この件に関してはこちらからも強く抗議させてもらうからな!! 場合によってはお前の方こそ縛り首になるやもしれぬぞ、覚悟しておけ!!」


「あら、随分と威勢がよろしいのですね、侯爵様。ふふふ……そうは仰いますが、むしろこの件を深堀りされて困るのは、貴方様の方ではなくって? 違いますの?」


「なんだとぉ!?」


 その言葉にベネデットの眉が跳ね上がる。

 これまで強気に言葉を吐いていた彼の顔に、再び胡乱な表情が生まれた。



 

 ここハサール王国は立憲君主制国家だ。

 それはつまり、人よりも法律が優先される国――法治国家であることを意味する。

 しかしその実態は、現代社会のようにあらゆる面で徹底されているわけではなく、其処彼処そこかしこに抜け道があったり、慣習が優先されたりもしていた。


 そしてその慣習という部分において、一番顕著なのが貴族間のトラブルだった。

 貴族家同士のトラブルでは、やられた方がやり返す――所謂いわゆる「報復」は、暗黙の了解のもとに認められていたからだ。

 もちろん法的には定められていないのだが、古くからの慣習として目を瞑られている現実があった。


 もっともそれは常識の範囲内でしかなく、死人が出たり、あまりにやり過ぎた場合はその報復自体が罪に問われることになる。

 逆に言えば、適度な範囲であれば貴族間の報復は黙認されているということだ。

 もちろん、報復の報復(二次報復)は認められていない。


 それではなぜ貴族だけに報復が許されているのかと問われれば、それは彼らの面子を守るためだった。

 なにより名誉と面子とプライドを重んじる貴族において、相手への報復を禁じることは、それ自体が面子を潰すことになりかねない。

 たとえ黙認という形であったとしても、己自身の手で名誉を回復させる手段を認めなければ、その不満の矛先は国へ向かってくることになるだろう。


 だから貴族間に関してだけは、暗黙の了解のもとに昔から報復が許されていたのだ。



 では、今回のリタの行動はどうなのだろうか。


 確かにリタは命を狙われた――殺されかけたのだ。

 それは紛れもない事実だ。

 そして犯人を捕らえてみれば、依頼主――黒幕はアンペール侯爵だという。

 

 たとえ犯罪者の言とは言え、捕らえた13名全員が同じ名を挙げているなら、それは信用するに値ある真実だった。

 そしてそれを信用したリタは、報復と称してアンペール侯爵の屋敷を襲って全壊させたのだ。


 犯罪者の証言の裏を取っていない彼女の行動は、確かに浅はかとのそしりは免れないのかもしれない。

 しかしそれは、リタなりに確信を持った結果だったのだ。


 男たちの証言を信用したリタは、まるで小山のような三体の巨人をけしかけて、黒幕の屋敷を破壊させ、焼かせ、溶かさせた。

 そして気付いてみれば、ベネデット・アンペール侯爵の屋敷があった場所は、完全な更地になっていたのだった。


 リタの名誉のために言えば、これだけの惨状であるにもかかわらず、誰一人として死人は出なかった。

 それどころか、避難する途中で転んでかすり傷を負った者は数名いたものの、襲撃を直接の原因とする怪我人は一人もいなかったのだ。


 これは偶然のように見えて、そのじつ意図したものだった。

 リタは召喚した三体の巨人に、決して人を傷つけてはいけないと厳しく言い聞かせていたからだ。

 その命令には、もちろん彼らは胡乱な顔をした――ヘカトンケイルとストーンゴーレムは表情が読めなかった――が、それでも召喚主の命令として粛々と彼らは従った。



 そんなわけでこの襲撃は、間一髪命を拾った伯爵家令嬢の仕返しとしては些か軽すぎ、メンツを潰された貴族の報復としては少々やり過ぎとも言えた。


 とは言え、優れた魔術師として数々の伝説を生み出してきたリタは、魔術師協会からは将来国を背負って立つ魔術師になると期待されていたし、武家貴族筆頭のムルシア家の将来の武闘派嫁でもある彼女の命は、決して軽いとは言えない。


 それらを考えると、彼女の命を狙った代償としては、貴族屋敷一棟などは安すぎると言えなくもなかった。



 いつの間にか三体の巨人たちは消え去り、その場には元屋敷だった瓦礫と解けた壁石と、燻ぶり続ける煙だけが残っていた。

 そして騒ぎを聞きつけた警邏と役人の集団が、今頃になって集まってくる。


 一体何事が起ったのかと、驚きのあまり目を大きく見開く警邏たち。

 そんな姿を横目に見ながら、燃え尽きる屋敷を茫然と眺めていた使用人と当主ベネデット・アンペール。

 その彼らの前で再びリタが口を開く。



「うふふ……全て綺麗に燃え尽きましてよ。これで汚物は完全に消毒されましたわね。一安心ですわ」


「おのれぇ……」


「あら? 侯爵様。もしかして今夜眠る場所がないのではなくって? 僭越ですが、ムルシア家にお願いして野戦用テントをご用意させますが、如何いかが?」


「くっ……いい加減にしろ!! 重ね重ね愚弄しおってからに!! ……いいか、見ていろ!! 必ずや後悔させてやるからな!! その時になって謝罪をしても聞き入れぬからな、覚悟しろ!!」



 己を指差して居丈高にがなり立てるアンペール侯爵。

 そんな彼に向かってリタはニンマリと笑った。


「その言葉、そっくりお前に返してやろう。しかし謝罪の時間はとっくに過ぎた、今さら何と言おうと聞き入れぬ。 ――決してお前一人の処分だけで済むと思うな。一族郎党全員が路頭に迷うまで徹底的に追い詰めてやる。今後アンペールの名はこの国から消えるのじゃ。これは終わりの始まり。逃げ道はないと知れ」



 如何にも貴族令嬢然とした、上品で優雅なリタ・レンテリア。

 その彼女が突然口調を変えたかと思うと、まるで吐き捨てるように言葉を紡ぐ。


 その愛らしくも美しい顔に邪悪な笑みが広がると、それを見たベネデットとフォルジュは、己の背筋に何か冷たいものが走るのを感じたのだった。

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