第178話 熊への依頼

 場所は変わって、ここはハサール王国の首都アルガニル。

 さらにその郊外に位置する長閑のどかな田園地帯の一角に建てられた古い家だ。


 決して大きいとは言えないが、壁も屋根も隅々まで手入れが行き届き、所狭しと周りに並ぶ色とりどりの鉢植えを見ると、その家がとても大切にされているのがわかる。

 さらに真っ白に塗られた壁と薄緑色の窓枠、そしてオレンジ色の粘土瓦でかれた様子は、何処かメルヘンチックな印象を醸していた。


 そんな住む者の拘りを感じさせる小さくも可愛らしい家に、朝も早くから甲高い声が響いていた。


「お父さん!! お客さんだよ!!」


「あぁ!?」


「だから、お客さんだってば!!」


「こんな朝早くにか? 誰だ!?」


「うーんと、ギルドの人!!」


「ギルド? ……ちょっと待たせとけ!! すぐには手が離せねぇってな!!」


「はーい。 ……すいません。今お父さんうんこしてるから、少しだけ待ってください」


「は、はぁ……」


「ちょっとアニー!! お客さんにそんなこと言うもんじゃないでしょ、もう!!」


「えへへへへ!! ではごゆっくり―!!」


「こらっ、アニー!!」


 早朝から賑やかなこの家は、ご存知の通り冒険者ギルド・ハサール王国支部に所属する冒険者、クルスとパウラ一家のものだ。

 今から11年前にここに住み着いた彼らは、順調に家族を増やしながら以前と変わらぬ暮らしを続けていたのだ。



 現在41歳のクルスは、相変わらず無精ひげの目立つ熊のような容姿をしていた。

 若い頃から老け顔の彼にはここ10年間の変化はあまり見られなかったが、よく見るとやはり隠し切れない衰えが見える。

 190センチある長身にがっしりとした筋肉質な体形は昔のままだが、さすがに40歳を過ぎた身体は中年太りよろしく、少々だらしなく腹が出ていた。


 熊のような厳つい見た目と遠慮のない物言いのために、昔から何処か威圧感のあるクルスだが、さらに無駄に肥えた分相手に与える圧力も増していた。

 目の前に立たれるとまるで壁のようにしか見えないうえに、見上げるような高さから決して上品とは言えない口調で捲し立ててくるのだ。


 初対面の者であれば、まずその見た目に恐怖を覚えるかもしれない。

 だから如何に喧嘩っ早い酒場の破落戸ごろつきであっても、決して彼に喧嘩を売ろうとする者はいなかった。


 

 そんなクルスではあるが、変わらず剣の腕前は微妙だった。

 ギルドには職種を剣士で登録しているのに、決して対人戦闘が含まれる依頼を受けようとはしない。

 昔からそれは徹底しており、彼が妻のパウラと行動を共にするようになったこの20年間、独身時代も含めて一度もそれらの依頼は受けていなかった。

 何故なら、昔受けた「盗賊討伐」の依頼で、一度死ぬ目に合ったからだ。


 その時は命からがらうの体で逃げ帰ったクルスだが、その後パウラにこっぴどく叱られてしまった。


 叱られたのは、まぁいい。これまでもよくあったから。

 何より堪えたのは、パウラが涙を流していたことだ。

 自分の無鉄砲さに涙を流して怒るパウラを見てしまったクルスは、それ以来固く守り続けていた。

 今では専ら素材収集や捜索などの依頼を中心に受託する、至っておとなしいギルド員だった。粗野で乱暴な口調は別にして。



 クルスの妻で現在36歳のパウラは、相変わらずの「低身長貧乳ロリばばあ」ぶりを発揮している。

 童顔ではあるものの、もとから整ったその顔は年齢とともに益々妖艶になり、最近では年齢不詳の美しさが評判だった。


 今から11年前、25歳の時に結婚したパウラは、翌年に長女「アニー」を、その3年後には長男「シャルル」を出産した。

 その二人の子供も10歳と7歳になったいま、彼女も徐々にギルド員の仕事を再開しつつあるのだが、決してソロで依頼を受けることはなく、その全てを夫のクルスとの共同受注にしていた。


 二人はギルドにパーティ申請をしているので、基本的には二人で一つの依頼を受けることが多い。

 子供たちの世話があるので、パウラは毎回仕事に出られるわけではないのだが、その時はクルスがソロで受ける。

 たまに2日から3日程度の遠出はあるが、基本的には日帰りが殆どだ。


 全く危険がないような素材収集依頼の場合は、娘と息子もつれて小旅行のようなことを行うこともある。

 その時子供たちは嬉々として依頼を手伝ってくれるし、キャンプのような生活を楽しんでいた。



 長女のアニーは今年10歳になった。

 母親のパウラは父親が言うところの「童顔ロリばばあ」なのだが、その母親によく似た顔はとても愛らしく、その容姿は父親同様とても背が高かった。


 母親のように美しく、父親に似て背が高い。

 そんな滅多にいない恵まれた容姿のアニーは近所でも評判の美少女なのだが、性格まで母親似だった。


 気が強く、極端に負けず嫌いな性格は、まさにパウラそのものだ。

 まるで小さなパウラと言っても過言ではない彼女には、しものクルスもタジタジで、外では尊大な態度を崩さない彼も家の中ではおとなしくせざるを得ないらしい。

 特にパウラとアニーに同時に攻撃されると、なにも言えないまま降参することも多かった。



 長男のシャルルは7歳だ。

 彼もまた母親に似て整った顔をしており、厳つい熊のような父親に似なくて良かったとよく言われる。

 それでも全体的な顔の雰囲気はやはりクルスに良く似ており、特にその横顔はそっくりだ。


 アニー同様、父親の血を濃く受け継いだ彼はとても背が高く、肩幅が広くがっしりとした骨格は間違いなくクルスの遺伝子だった。

 性格はとても穏やかでおとなしく、口が悪く破天荒なクルスと気が強くしっかり者のパウラのどちらに似たのかと、よく言われていた。

 


 そんな4人家族の小さな家に、今朝早くから客が訪れていた。

 それは冒険者ギルドの事務官で、アニーも一度見たことがある女性だ。

 出迎えたパウラが家の中へ上がるように促したが、彼女はすぐに帰るからと玄関先で待ち続けていたのだった。 


 しばらくするとクルスが現れたのだが、彼は家の中ではなくその奥にある小さな小屋から出て来た。

 ごそごそとズボンのベルトをいじりながら出てくるのを見ていると、クルスは本当にトイレで用を足していたらしい。


 その様子を見た事務員は、申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。



「おはようございます。 ――申し訳ありません、こんなに朝早くから」


「いや、かまわんが。 ……で? 何の用だ? お前らが直接訪ねてくるなんて、嫌な予感しかしないんだが」


「すいません。クルスさんに指名依頼が入ったので、そのお知らせにと――」


「あぁ? 指名依頼だぁ? 誰が? どんな依頼だ? 何故俺なんだ?」


 矢継ぎ早に質問を投げながら、胡乱な表情を隠せないクルス。

 この10年、彼は誰にでもできるような簡単な依頼しか受けてこなかったので、ここで指名依頼と言われてもピンと来なかったのだ。

 自分を指名してくるということは、なにか特殊な依頼なのだろう。

 しかし彼には、その内容がどうしても思い浮かばなかった。


 すると事務官は言い淀んだ。


「いや、それは――」


「なんだよそれ。とにかく中に上がって詳しく話せ。 ――一体誰がどんな依頼を持ってきたんだ?」


「すいません。それが……私も内容を聞いておりませんので。とにかくあなたを呼んで来いとギルド長が仰るものですから…… 大変申し訳ありませんが、これからギルド支部までご足労願えませんか?」


「あ? ――まぁ、今日は仕事を入れてないからいいけどよ。直接ランベルトの奴が呼びつけるなんて、やっぱり嫌な予感しかしねぇんだよなぁ……」


 などとぼやきながら、それでもおとなしくギルド支部まで出かけることにしたクルスだった。





 歩くこと30分。

 事務員に連れられたクルスが冒険者ギルドに到着すると、未だ朝早い時間にもかかわらず、すでに大勢の人間で混み合っていた。

 報酬が高かったり達成条件が容易だったりと、条件の良い依頼を受託するのは早い者勝ちなので、皆朝早くからギルドの掲示板を見に来るのだ。


 そんな朝から騒がしい一階ロビーを通り抜けて、さらに奥へと進んで行く。

 ここはもう25年も通っている場所なので、目を瞑っていても何処に何があるのかは熟知している。

 それでも滅多に入ることのない応接室へ案内されると、そこには既にギルド長のランベルトが待っていた。

 彼は手に何か書類の様な物を持って読んでいるところだったが、クルスに気付くと声をかけてくる。


「おう、クルス。朝っぱらから呼び出して悪かったな」


「いや、べつにかまわんが。どうせ今日は仕事を入れてなかったし、家に居ても女どもにガミガミ言われるだけだしな」


「そうか。お前も色々と大変なんだな。 ――娘はもう10歳だったか?」


「あぁ、そうだ。気付いたらもうそんな年齢だ。早いもんだ」


「何言ってやがる。40過ぎたらもっと早くなるんだぞ。 ――この前パウラに聞いたんだが、お前の娘、口が相当達者らしいな。あの・・パウラがもう一人家にいるようなもんなんじゃないのか?」


 その質問に、なんとも言えない苦笑をクルスが返す。

 しかし言葉に出しては何も言わなかった。

 そんなクルスに向かって、ニヤリとランベルトが意地の悪い笑みを見せる。


「そうか、そりゃあ大変だ。そのうち娘が年頃にでもなったら、家にお前の居場所なんてなくなるんじゃないのか? ギルドではデカいツラしてるくせに、家ではおとなしいなんてな。何だかウケる」


「……いい加減にしやがれ。俺が怒り出す前にさっさと要件を話せ、この野郎」


 軽口を叩くギルド長に向かって、不穏な顔をするクルス。

 その彼に向かって小さく鼻息を吐くと、ランベルトは居住まいを正した。ここからが本題らしい。




「さて、冗談はここまでにしよう。 ――それで、事務官から聞いたかと思うが、お前に指名依頼がきている。依頼主は誰だと思う?」


「知らねぇよ!! ここに来てクイズ大会とかしてんじゃねぇよ。勿体ぶってないでさっさと教えろと言ってんだろが!!」


「お前なぁ……いつも言ってるが、俺はお前の上司なんだぞ。少しは敬うとかないのか?」


「うるせぇな。説教は聞き飽きてんだよ!! それじゃなくても女どもには家で色々と――」


 ぶつぶつとぼやき出したクルスの声を遮ると、その質問にランベルトが答える。

 どうやら彼はクルスのぼやきに付き合う気がないらしく、その反応を見もせずに一方的に続きを話し始めた。


「リタ・レンテリアだ。レンテリア伯爵家の孫娘だな。そんでもって、あの魔女アニエスでもある。 ――その彼女がお前に護衛の依頼をしてきたんだよ」


「はぁ!? あのばばあの護衛だぁ!? なんだよそりゃ!? ――だってよ、あいつ軍隊を一人で潰せるようなヤツなんだぜ? そんなのに護衛なんて必要ねぇだろ!? それにこの前なんか、あのアンペール家の猪息子を素手で殴り倒したって言うじゃねぇか!!」


「そんなの知るかよ!! 間違いなく本人からの依頼なんだから、仕方ねぇだろ!! ――それでどうするんだ? 言っておくがこの依頼は断れないぞ。何と言っても相手はあの・・レンテリア家だからな。逆らわない方が身のためだぞ」




 その言葉を聞いた途端、クルスの顔に諦めの表情が浮かんだ。

 レンテリア家は爵位こそ中堅の伯爵家ではあるが、その豊かな領地の経済力を背景とする商人への絶大な影響力、そして上位貴族家に通じる多くの人脈は決して馬鹿に出来ない。


 特に孫娘のリタと、西部辺境侯であり武家貴族筆頭のムルシア侯爵家の嫡男とが婚約しているのは有名な話なので、敢えてそれに逆らおうとする者などいるはずもない。

 レンテリア家を叩けばムルシア家が出てくる。そう言われるほどだったからだ。

 

 確かに現当主のセレスティノは穏健派で有名だが、その妻のイサベルがとにかく容赦なかった。 

 家の評判を落としたり名誉を傷つけるなど、レンテリア家にあだなす者には全く手加減しないので有名だ。


 その証拠に、過去にレンテリア家に敵対した人間は、ことごとく叩き潰されてきたのだ。

 このようにイサベル一人ですら厄介なのに、最近では孫娘のリタの存在がさらに拍車をかけていた。



 リタは未だ15歳の少女ではあるが、滅多に見ないほど才能に恵まれた「魔力持ち」であるうえに、史上最年少で二級魔術師の免状を貰うほどの人物だ。

 そして攻撃と広域殲滅魔法のスペシャリストでもある。


 それだけでも恐れを抱くのに十分な相手であるのに、つい最近では、東部辺境侯アンペール侯爵家の嫡男を、女ながらに素手で殴り倒したと聞くほどの武闘派でもあるのだ。


 もしもそんな相手を怒らせようものなら、苛烈なまでの報復が待っているのは目に見えている。

 一体誰がそんな相手に喧嘩を売ろうなどと考えるのか。 

 そういった事情もあり、最近のレンテリア伯爵家はその経済力と人脈だけではなく、まさに「武闘派」とも言える部分も併せ持つ非常に恐ろしい家になっていたのだった。



 ふと、そんな話を思い出したクルスは諦めの声を上げた。


「わかったよ!! 受けりゃいいんだろ、受けりゃあよ!! レンテリア家はともかく、あのばばあの機嫌を損ねるのだけは勘弁だからな。そもそも俺と嫁の命の恩人でもあるんだから、言うことくらい聞いてやるってなもんだ」


「あぁ。それが賢明だな。 ――もっともお前なら、この依頼の条件を聞けば自分から飛びつくと思っていたがな。見ろよ、この報酬額」



 そう言うと、クルスの目の前に依頼書を広げるランベルト。

 そしてその報酬を信じられないような顔で見るクルス。


「なっ……なに……ま、まじか……」


 思わず絶句するのも無理はない。

 なんとそこには、クルスの家族が優に半年は暮らせるだけの金額が書かれていたからだった。

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