第61話 判明したラスボス
「お帰り、フェルディナンド。やっと帰って来てくれたな。さぁ、もっと近くで顔を見せておくれ」
「お帰りなさい、フェルディナンド。 ――そしてエメラルダさん。二人だけの生活は、夢と希望、そして自由に溢れてさぞ楽しかったことでしょう。 ――お話はこの後ゆっくりと聞かせていただきますので、まずは中へお入りなさい」
立ち竦むフェルたちにそう言葉をかけてきたのは、ハサール王国レンテリア伯爵家当主「セレスティノ・レンテリア」とその妻「イサベル・レンテリア」だった。
使用人たちが作った道を抜けてゆっくりと近づくと、そのまま彼らは歩みを止めてしまう。
そしてやにわにセレスティノが息子を抱きしめようとしたのだが、直前にイサベルが止めた。
妻が夫を制止するなど、貴族の礼節では
そしてそんな妻の態度にも怒ることなく、セレスティノはただ残念そうにしているだけだった。
「エッケルハルト。
「はっ。お褒めのお言葉、恐縮至極にございます。とは言え、私は己の職務を全うしたまでのこと。過分なるお褒めのお言葉は不要にございます」
「ふふふ……あなたは相変わらずですね。 ――とにかくお手柄でした。長年行方を
「あ、あぁ、そうだなイサベル。お前の言う通りだ。 ――エッケルハルト、
「滅相もございません。私はご主人様の
エメの背後に隠れながら祖父母の様子を観察していると、すぐにリタにはこの家の力関係が見えて来た。
彼らに出会ってから未だ数分しか経っていなかったが、その様子からはフェルが家を飛び出した理由を何となく察することができたのだ。
リタが思うに、今回のキーパーソンはレンテリア伯爵その人ではなく、伯爵夫人であることは間違いなかった。
そもそも五年も前に家を飛び出した息子が帰って来たというのに、その反応はあまりに淡泊すぎる。
居場所もわからず、場合によっては既に死んでいるかもしれない我が子が帰って来たのだ。普通であれば笑顔とともに喜んだり、身体を抱きしめたりもするだろう。
もっとも本音では、伯爵自身はそうしたかったようだ。
夫人が止めてさえいなければ、恐らく彼は息子の身体を抱きしめていたに違いない。
その表情が物語っているように、きっと今頃は喜びの涙を流していたことだろう。
そんなことをリタが考えていると、両親に謝罪するフェルの声が聞こえてくる。
緊張のためなのか、畏れのためなのか、それともその両方なのかはわからないが、その声は少し震えていた。
「父上、母上。永らく家を空けましたこと、ここにお詫び申し上げます。過去に私が仕出かした事実は決して許されるとは思っておりません。そしてどのような顔をすればいいのかすらわかりませんが、この度は恥を忍んで帰って参りました……」
普段は朗々と声の通るフェルだったが、この時ばかりはその声も小さかった。
エメとリタの前では立派な夫と父である彼も、両親の前では未だ小さな子供のように見えてしまう。
それほどまでに、両親に対して彼は頭が上がらないようだった。
もっともそれは仕方のないことだった。
なぜならフェルは、親の決めた婚約者を捨てて勝手に他家の娘を連れて逃げたのだから。
しかし彼自身はそれで良かったかもしれないが、その後始末に両親は相当苦労したはずだ。
婚約者の家には謝罪に出かけ、家名には傷がつき、周囲の醜聞に悩まされる。
事の顛末は国に報告しなければならなかったし、派閥の長である侯爵家には厳しく叱られた。
そして名に傷がついた元婚約者には代わりの相手を見繕い、その結婚費用も負担しなければならなかったのだ。
挙句の果てにエメの実家――ラローチャ家との関係も悪化した。
その一連の出来事は、所属する派閥の中でのレンテリア家の立ち位置を微妙なものにするほどで、他家との力関係にも大きく影響を与えるほどだった。
貴族という枠組みの中で、個人がその意思を無理に貫くことが周りにどれほどの影響を与えるのか、当時二十一歳のフェルと十七歳のエメには想像もつかなかった。
それはそれだけ彼らが若かったということなのかもしれない。
「とにかくここで話をしていても埒が明きません。もうすぐ夕食の時間ですので、話はそこで伺いましょう。さぁ、こちらへ――」
「イサベル……悪いが少し待ってくれないか。その前に……フェルディナンドよ、それでリタは――お前たちの娘は何処にいるのだ? 私達にその姿を見せておくれ」
イサベルが息子たちを家の中へと招き入れようとしていると、セレスティノがそれを遮った。
スラリと背の高いその身体を妻の前に割り込ませると、待ちきれないといった様子でリタの姿を探し始める。
どうやら彼は、先程からずっとまだ見ぬ孫娘のことが気になって仕方がなかったようだ。
そんな父親の想いを察したフェルは、エメの後ろに隠れているリタに声をかける。
そして優しく手招きをした。
「あぁ、リタ。ほら、姿をお見せして。 ――この方たちは、お前のお爺様とお婆様だよ。ほら、ご挨拶は?」
「う、うむぅ……」
父親の呼び声にリタは一瞬エメの背中にしがみつく仕草を見せたが、すぐに覚悟を決めてゆっくりとその姿を現した。
恐る恐る姿を見せるその様は、すでに213歳の老成した前世の姿は微塵も見られなかった。
母親の背後から恥ずかしそうに姿を見せる四歳の幼女。
その仕草にはその年齢の子供にしか醸し出せない可愛らしさが満ち溢れていたが、彼女の場合はそれで終わりではなかった。
それはまさに天使だった。
まるで絹のようにきめ細かい真っ白な肌と紅を引いたような紅い唇に、母親ゆずりのプラチナブロンドの髪が映えている。
そして顔の各パーツは、まさに神の造形かと思わせるような完璧なバランスで配置されていた。
さらに両親の良いところだけを受け継いだと思しきその顔は、将来の美女の片鱗が垣間見えていたのだ。
そして何より、その瞳の色だった。
その透き通るような灰色の瞳は、まさにレンテリア家を象徴する色だった。
そこには疑いようのないレンテリアの血が流れていたのだ。
「……」
「……」
リタの姿を見たセレスティノもイサベルも、そのあまりの衝撃に声も出なかった。
まだ見ぬ孫が女の子であることは既に知っていたが、まさかここまで衝撃的な姿を見せられるとはまるで思っていなかったようだ。
それだけ今のリタは愛らしい天使、もしくは妖精のように見えたのだ。
そのあまりの衝撃に二人が茫然としていると、そんな天使が口を開いた。
「お爺しゃま、お婆しゃま、
まさに四歳児然とした
その姿は、言葉では言い表せられないほどの愛らしさだった。
元来の舌足らずな喋り方はさすがに直せなかったが、実はリタは事前にエッケルハルトから話し方の指導を受けていた。
しかし、もとより公式な場では敬語を使いこなすことができるリタ――前世のアニエスには、そんなことは造作もないことだった。
そうでなければ、他国からの客人の相手をすることもある一国の宮廷魔術師など、
すると、そんな彼女にセレスティノが話しかけてくる。
「おぉ、おぉ、お前がリタか……あぁ、本当に天使のようだ。その金色の髪も、紅い唇も、そしてそのレンテリアの灰色の瞳も、全てが完璧だ……これほどまでに愛らしい子は見たことがない」
まるで呆けたように見つめるその顔は、すでに彼がリタの軍門に下っていることを物語っていた。
さすがは敏腕執事と言うべきか。エッケルハルトの計画通り、リタは出会って30秒でレンテリア家当主セレスティノ・レンテリアを己の信者へと変貌させたのだった。
しかしそんな喜びも、ほんの束の間だった。
初めこそ驚いていたレンテリア伯爵夫人だったが、彼女はすぐに冷静さを取り戻しす。
そしてすっかりリタにメロメロになっている夫の腕に手を添えると、気を取り直して口を開いた。
「玄関先でお話をしていても埒が明きません。とにかく皆さん、一度屋敷の中にお入りください。 ――お話はその後いたしましょう」
背すじを伸ばし、毅然とした口調で述べるイサベル。
すでに彼女には先ほどの呆けた姿は微塵も見られず、伯爵夫人然とした口調でさらに言い募った。
「さぁ、皆さん。そろそろ持ち場にお戻りくださいまし。これから息子の帰還を祝って、ささやかな宴を開きますので、その準備をお願いいたします。よろしいですか?」
決して大きな声でもなければ、口調も厳しくはない。
それでもその一声によって、場の空気ががらりと変わる。
これまでフェルディナンドの帰還を喜び、リタの愛らしさに興奮していた使用人たちだったが、女主人の一声にピリピリとした雰囲気が再び漂い始める。
そしてその声を合図に、それぞれの持ち場へと速やかに戻って行ったのだった。
エメの手を握りながらその様子を眺めていたリタは、今回の真のラスボスを理解した。
それはレンテリア伯爵自身ではなく、その妻――イサベル・レンテリアに間違いなかった。
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