第21話 踊る治癒魔法

「なぁ、おまぁら何しちょるん? もしかして、死にそうなんか? ちぃいっぱい出ちょるのぉ。なぁ、痛いんか? なぁ」


 突然に呼び声にパウラが振り向くと、そこにはおよそ場違いな幼女が佇んでいた。

 年の頃は四歳ほどに見えるが、それにしては滑舌の悪い舌足らずな喋り方と小柄な体格を見る限り、やはり三歳かもしれない。

 もっとも三歳と四歳の違いなど、いまこの場において大した問題ではないのだが。



 突如現れたその幼女は、輝くような金色の髪に透き通る灰色の瞳が目立つなかなかに可愛らしい女の子で、その整った目鼻立ちを見ていると数年後の美少女の片鱗が垣間見えた。

 そして日に焼けて真っ黒くなってはいるが、洋服の袖から見える地肌の色を見る限り、本来は色白であることがわかる。


 しかし着ている服は古くて擦り切れているし、髪にも枯葉や土が絡み付いている。

 そしてなにより、全体的に薄汚れていた。


 そんな幼女が背後に白馬を従わせて佇んでいるのだ。



 それは言うまでもなく「卵強奪作戦」遂行中のリタだった。

 彼女はユニコーンの「ユニ夫」の背中に跨って、逃げるオウルベアを追いかけてきたのだ。

 そして目標ターゲットであるオウルベアに追い付いたと思ったら、そこで死にかけの一人と一匹を見つけたというわけだ。


 その姿は余りにも場違いで、パウラは一瞬森の妖精でも見ているのかと思うほどだった。

 しかし目の前で事切れそうになっている相棒の男と、奥の茂みから聞こえてくる苦しそうな獣の唸り声を聞くと、ハッと現実に引き戻される。




「あぁ、クルス、しっかり……」


「おぉ……俺はもう死んだのか……? 目の前に天使が見える……それにしては随分と小汚い天使だな……」


 出血多量で朦朧とした意識のままクルスが呟くと、その言葉を目敏く聞きつけたリタが小さな可愛らしい唇を尖らせた。


「……おまぁ、ほんま失礼なやつじゃのぉ。せっかくたしゅけてやろう思とんのに…… このまま死にさらすか、あ゛?」


「助ける…… えぇ!! 助けられるの!? どうやって!?」



 今さらどうにもならないと諦めていたクルスに対して、事も無げに「助ける」などと言葉を漏らす幼女。

 その姿にパウラは目を釘付けにした。

 

 応急処置程度しか医療の心得のないパウラにしても、目の前のクルスの状況がすでに手遅れなのは火を見るよりも明らかだ。

 鋭い爪によって斬り付けられた傷からは絶えず血が流れているし、皮膚の内側の組織が見えるほどに傷も深い。


 何よりあり得ない方向に曲がった身体を見る限り、彼の背骨が折れているのは間違いないのだ。

 そしてその状況で生き永らえた事例を彼女は知らなかった。

 だからクルスはあと数分で死んでしまうと思っていたし、クルス自身も薄れゆく意識の中で半ば諦めていた。


 しかしこの幼女は助けられると言う。


 確かにこの状況では彼女は天使か妖精にみえる。

 しかしそれにしては薄汚れているその姿は、果たして信用していいものかと迷ってしまうほどだ。

 だが、これ以上悪くなりようのないこの最悪の状況のなかで、この幼女を信じてみても損はないだろうと思った。


 

「ねぇ、彼を助けられるの? 本当に?」

  

「うむ、たやすい。ちちんぷいぷいじゃ」 


「ちんちんぷいぷい?」


「ちがうわ!! ……まぁ、見てさらせ」


 リタは茂みの中で唸り続けるオウルベアに一瞥を送ると、おもむろに両手を空に掲げて踊り始める。

 その姿は幼児のお遊戯そのもので、見ている者の頬が思わず緩むほど可愛らしい動きだった。

 

 しかし、もとよりリタはヒーリングの魔法を行使するのにも無詠唱で行えるのに、何故こんな回りくどいことをするのだろうか。

 それは両親から無詠唱で魔法を行使する姿を人に見せてはいけないと、しつこいくらいに言われていたからだ。


 

 数千人に一人の割合で「魔力持ち」が生まれるのは広く世間に知られている。

 確かにそれは珍しいと言えば珍しいのだが、「魔力持ち」自体は首都の研究機関に行けば幾らでも見られることから、実際に言うほどのものではない。


 しかしその中でも無詠唱で魔法を行使できる者がいるかと言えば、他国も含めてそれこそ数えるほどしかいないのだ。

 それも長期間の修行の末に苦労してやっと身に着けるほどのものなので、「無詠唱魔法使い」の希少性はドラゴンのそれに匹敵するほどだ。


 もちろん生前のアニエスがそれを身に着けたのも厳しい修行の末であったし、彼女自身も世界に数人しかいない「無詠唱魔法使い」の一人だった。


 そんなわけでリタは、どうしても魔法を使わなければならない時でも、何か呪文を唱える真似事をするように心がけていたのだ。




「ぬぅーん、ぬぅーん、だばだばだ――でゅびでゅば――」


 確かに両親には呪文を唱えているふりをしろと言われてはいるが、それがなぜそんな奇妙な踊りなのかはリタ本人でなければわからない。

 それでも彼女はとても楽しそうに踊っているので、それはそれでいいのだ。


 そして山の林道に、大量出血と背骨の骨折で死にかけている男と、「だばだば、でゅびでゅば」言いながらクネクネと腰を振って踊りまわる幼女という、なんともシュールな光景が繰り広げられたのだった。



 しかし正直な事を言うと、リタがクネクネと踊り続ける間もクルスは失いそうになる意識を必死に繋ぎ留めていた。

 もしもこのまま意識を失ってしまえば、もう二度と目が覚めないような気がしたからだ。

 そしてそんな自身の必死な苦労をあざ笑うかのような奇妙な幼女の踊りに、クルスは何気にイラっとしていた。


「やるならさっさとやりやがれ!!」


 決して口には出さなかったが、クルスは密かに心の中でそう叫んでいた。



「ぬおぉー、ひーりーんぐ!!」


 一頻り踊り続けた後に、リタは叫んだ。

 そしてその紅葉もみじのような可愛らしい両手を広げると、地面に倒れるクルスの背中にそっと当てる。

 その瞬間、クルスの身体の中に温かな波動のようなものが流れ込み、気付けば背中と脇腹の切創は跡形もなく消え、折れた背骨も真っすぐになっていたのだった。





「ありがとう!! ありがとう!! 本当にありがとう!!」


「す、すまねぇ…… ほんとに助かったよ。お前さんは命の恩人だな」 


 まるで奇跡のような光景が広がったあと、そこにはまるで何事も無かったかのように身体を起こしたクルスと、目を見開いて驚くパウラの姿があった。

 彼らは一様にリタに対する畏怖の念をその顔に浮かべて、口々に感謝の言葉を口にする。


 そして初めて目にした奇跡のような治癒魔法の力に、二人とも驚きの表情を隠せずにいた。

 その証拠に彼らは、すっかり傷の消えたクルスの身体の彼方此方あちこちを覗き込んだり指で突いたりしている。


 しかし当のリタはそんな事には一向に構うことなく、草むらで唸り続けるオウルベアのオスに近づくと、クルスと同じようにその傷にヒーリングを唱えたのだった。



「あっ、お前、やめろ!!」


「な、なにしてるの!? そんなことしたら――」


 その様子に驚いたクルスとパウラが慌てて止めに入ったが、時すでに遅く、すっかり怪我と体力を回復させたオウルベアが、再びその巨体を起き上がらせたあとだった。

 

「グオオォォ!!」


 しかし彼はその身を起こしても再び襲いかかって来ることはなかった。

 彼は怯え続けるメスと我が子である卵を抱えたまま、静かにこの場を後にしたのだ。

 そして去り行くオウルベアの家族の後姿を見送りながら、リタはその顔に複雑な表情を浮かべていたのだった。



 結局リタの「卵強奪作戦」は途中で中止を余儀なくされた。

 それは瀕死の重傷を負いながらも必死につがいのメスと卵を守ろうとするオスのオウルベアの姿に、リタが自身の父親の姿を重ねたからだ。

 そして己が必死に食べようとしていた大きな卵が、オウルベアにとっては大切な我が子であることに今更ながら気付いたのだった。


 確かにいちいちそんな感傷を持ち込んでいれば、今後も動物を狩って食べることなどできなくなるだろうが、今のこの状況においてオウルベアの卵を強奪するのは余りにも躊躇われた。

 これではまるで自分が若い夫婦から子供を取り上げようとする悪人のようではないか。

 しかもそれを食べるなど、こんな悪魔のような所業はないだろう。


 などと、過去に一度はそれをやってのけて「美味しい」を連呼していたことなどすっかり忘れて、些か反省する四歳幼児だった。




 すごすごと山の中に消えていくオウルベアの家族を見送ると、再び二人の冒険者がリタに近づいて来る。

 そして遠慮がちに声をかけた。


「いいのか? あの魔獣を逃がせば、また別の人間が襲われるかもしれないぞ」


「そうよ。このまま逃がすだなんて……」


「いいのじゃ。あやつらは家族じゃからな…… こどもには親がひつようじゃろぅ」


 彼らの言葉を聞きながら、去り行く魔獣から視線を外さずにリタは口を開く。

 その口調には何処か哀愁のようなものが滲んでいた。


「そうか。――とは言え、お前さんが救った命だ。今はお前さんのしたいようにしてくれ」


「……そうね。あなたは私たちの命の恩人なんだもの……文句は言えないわ」


 立ち竦むリタに並んだクルスとパウラも、同じように魔獣の背中を見送っていた。





 魔獣の家族が山の中に消えて行くと、くるりとリタが振り向いた。

 その目は訝し気にじっと二人を見つめている。


「うむ。ところで、おまぁら、ここでなにしとん? この先はオルカホ村しかないろ」


 そんな幼女の胡乱げな視線を敢えて無視して、クルスは答える。 


「あぁ、すまん、まだ自己紹介もまだだったな。俺はクルス。冒険者ギルドの組合員だ」


「あたしはパウラ。この人と同じギルドの組合員よ。ギルドの依頼でこの先のオルカホ村に人を探しに来たの。もしかしてお嬢ちゃんは村の子?」


 「人探し」という言葉に、リタの眉がピクリと上がる。

 さすがはスカウトのスキル持ちと言うべきか、微妙なリタの反応をパウラは敏感に捉えてると、さらに注意深く目の前の幼児を観察し始める。


「……そうじゃ、わちはリタじゃ。村の子供じゃ……しょれで、人探しとは、なんぞ?」


「ありがとう、リタちゃん。エステパで噂を聞いたんだけど、オルカホ村で『魔力持ち』の女の子が見つかったって。あたしたちはその子に会いに来たのよ」


「ふぅーん、しょうか…… しょれで、しょの子に会ってどないするん?」


 そこで、パウラの瞳がキラリと光る。

 何でもないふりをしながら、しかしリタの一挙手一投足に全神経を集中して少しの反応も漏らさないように目を凝らす。


 そして、決定的な一言を投げてみた。


「えぇ。魔女アニエスの居場所を尋ねようと思ってね。彼女なら知っているって聞いたから」

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