第19話 こじらせ女子と一角獣

「おのれら、待つのじゃ……」


 逃げる二頭のオウルベアの後姿を見つめながら、リタは追い縋るような目つきのまま固まっていた。

 てっきりオスのオウルベアが闘いを挑んでくるかと思っていたが、予想に反して彼は背を向けて逃げて行ったのだ。


 それだけ前回見たイフリートが恐怖だったのだろう。

 およそこの世の者では傷一つ付けられない冥界の四天王の存在を本能的に察知したあのオウルベアは、もう二度とリタに襲いかかろうとは思わなかったようだ。

 しかしオスのオウルベアが自分を恐れていると勘違いしたリタは、憮然とした表情のまま立ち竦んでしまう。



 もう一押しすればあの美味しい卵をゲットできたのに、彼らは闘う事すら放棄して一目散に逃げていく。

 二頭のオウルベアの顔に浮かんだ隠し切れないほどの恐怖を見ていると、まるで自分が悪者のようではないか。 

 ただ自分は美味しい卵が食べたかっただけなのに、それをどうしてあんなにも怯えた様子になるのか。本当に失礼な魔獣だ。


 などと自分がオウルベアの子供とも言える卵を強奪しようとしていたことを棚に上げて、リタは憮然とした顔のまま佇んでいたのだった。



 しかし何度思い起こしても、あの大きな卵は逃すには惜しい。

 そもそもこんな山奥くんだりまでやって来たのもあの卵を獲るためだったのだ。もしもこのまま帰るようなことにでもなれば、今までの苦労が全て無駄になる。

 それに両親に禁止されている山に入っておきながら手ぶらで帰るなど、わざわざ叱られに帰るようなものだ。

 やはりここは大きな手土産が必要だ。


 そう思ったリタは、誰もいない山の中で「えいほっ、えいほっ」と踊り始める。

 そしてしばらくクルクルと回った後に、大きな声を上げた。


「せいれいさぁーん、いらっしゃぁーい!! さもん!! ゆにこーん!!」


 ボワンッ!!


 リタが踊っている間に充満していた煙のようなものが何かの形を作ったかと思うと、次の瞬間彼女の目の前に、光輝くような白馬が現れた。



 いや、それは白馬ではなかった。


 染み一つ無い真っ白な体躯。

 さわさわと風になびく真っ白な長いたてがみ

 まるでライオンのような尻尾に二つに割れた蹄。

 そして額から延びる螺旋状に筋の入った一本の長いまっすぐな角。


 そう、それは伝説の魔獣「ユニコーン」だったのだ。

 

 ユニコーンは馬によく似た形状の魔獣だし、実際に馬と混同されることも多いが、その生態は全く違う。

 脚の速さは馬や鹿とは比べ物にならないほどだし、耐久性も抜群だ。


 そして普通の馬と一番の大きな違いは、「穢れなき乙女しか触れられない」ということだ。それは一度でも異性経験を経た女性は触れることすらできないことを意味し、それは絶対に誤魔化すことはできないのだ。

  

 もちろん今世のリタはまだ四歳児なので当たり前のように「純潔」だし、前世でのアニエスも生涯それを守り通した。

 もっとも前世での彼女が生涯純潔だった理由は、単に彼女が色々とこじらせた結果なのか、魔法に生涯を捧げようと誓った結果なのかはわからない。


 しかし齢212歳のアニエスが当たり前のようにユニコーンに跨っているのを見た者が、微妙に何かを察して哀れんだ顔をしているのを見ると、どうやら前者が正解のようだ。

 魔法使いでも普通に結婚して家庭を持つ者が多いことから考えても、魔法のために生涯独身を貫くというのは理由としては弱すぎる。


 つまり若い頃のアニエスは、所謂いわゆるこじらせ女子」の先駆けだったということなのかもしれない。 


 実は今回リタが呼び出したこのユニコーンは、彼此かれこれもうリタ――アニエスとは二百年来の友人だ。

 アニエスが初めて召喚契約を結んだのも彼だったし、初めての召喚魔法で呼び出したのも彼だったのだ。

 だから前世でのアニエスは好んでこのユニコーンに騎乗していたし、彼もアニエスを慕っていた。


 そんなことはさておき、久しぶりに友人のユニコーンに再会したリタは嬉しそうにその美しいたてがみを優しく撫でた。


「おぉ、ユニや、ひさしいのぉ」


「ブルブルー」


 「ユニ」とは二百年前に友人になった際にアニエスが名付けたこのユニコーンの名前だ。捻りも工夫も何もないなんともストレート過ぎる名前ではあるが、当の「ユニ夫」は気に入っているらしい。


 そのユニ夫は久しぶりのアニエスとの再会に嬉しそうにしている。

 彼も契約主のことは外見ではなくその精神の形で識別しているので、態々わざわざリタが名乗らなくてもすぐにわかったようだ。

 その証拠にユニ夫は鼻づらをリタに擦りつけるようにして甘えてくる。


「ヒヒン、ヒヒン」

 

「よしよし…… おまぁは、相変わらず懐こいのぉ」


 二百年来の友人に久しぶりに会ったリタは、暫く嬉しそうに熱い抱擁を交わしていたが、突然ハッと大事なことを思い出す。

 そうだ、なにもこんなところで抱き合うためにユニ夫を呼び出したのではなかったのだ。


「ユニ夫よ、ちぃと頼みがあるんじゃが、聞いてくれるかの?」


「ひひん、ぶひんー、ぶふぅー」


「おぉ、しょうかしょうか。ありがとうの、ユニ夫や」


 まさに以心伝心とはこのことか。

 ユニ夫はすぐにリタの希望を察すると、その背に彼女を乗せて颯爽と走り出したのだった。




 ――――




「この山を越えるとそろそろオルカホ村だな。どれ、ちょっと休憩しようか」


 時刻は昼前。

 それなりに整備された道を歩いてきたので疲労は少ないが、昨夜は頑張り過ぎたせいで些か腰にだるさを感じるクルスだった。


 オルカホ村の村民にとっては村では手に入らない品を購入するためにはどうしてもこの道を通ってエステパまで行かなければならないので、村にとっては唯一とも言えるこの街道はそれなりに整備されていた。

 

「それにしても長閑のどかな景色だな。もっともこんなところで一生過ごせと言われると少々困ってしまうがな」 


「まぁね。首都生活の長いあたし達みたいのは、結局は田舎では暮らせないのかもね」 


「あぁ、まったくだ――」


 ガサガサガサ――


 などと道端に腰を下ろしたクルスとパウラが雑談をしていると、突如右前方の木々が大きく揺れる音が聞こえてきた。

 この音が中型の動物か魔物が潜む音であることに即座に気付いた二人は、腰を低くした姿勢のまま前方の木々の間に注意を向ける。



 ガサガサガサ…… 

 グルルルゥ――


「……おっと、これは少々厄介かもな…… なんだ? 熊か? 猪か?」


 木々の間から聞こえる低い唸り語を聞きつけたクルスが、真剣な表情で様子を窺う。

 その顔にはすでに普段のお茶らけた様子は微塵もなく、彼本来の剣士としての顔つきが戻って来ている。


 パウラが、そっと足音を立てずに迂回しながら相手の姿を確認した。



「う、うそぉ…… オ、オウルベア!? なんでこんなところに!?」


 パウラの顔に驚愕の表情が張り付いている。 

 彼女はシーフのスキルを活用して偵察を行ったのだが、その視界には身の丈2.5メートルはあろうかという中型の魔獣「オウルベア」の姿があったのだ。


 それも一頭ではなく二頭もだ。

 彼らは何かから逃げて来たのか、背後を気にする様子を見せながら必死にこちらへ向かって駆けて来る。


 そもそも森の奥地に縄張りを持つ彼らが、こんな街道沿いまで出て来るなど聞いたことがない。それも腕に大きな卵を抱えているところを見ると、彼らはつがいなのだろう。

 そして二頭が一緒に移動しているところを見ると、本来メスが卵を温める場所である彼らの巣に何かがあったとしか思えなかった。

 

「オウルベアだと!? 何頭だ?」


「二頭。目視確認」


「了解。しかしなんでこんなところに?」 

 

「そんなのあたしが知るわけないでしょ!! ほらっ、ボサボサしてられないわよ。十五秒以内にエンカウント、戦闘準備!!」 


「ちっ!! ついてねぇな!!」


 こんな時でもクルスのぼやき癖は治らない。

 素早く腰の剣を抜き放ちながらも、何やらぶつぶつと呟いている。



 それにしても、すでにこの距離では逃げることすら敵わない。

 この距離でオウルベアに背を向けると、確実に背後から襲われるのは目に見えている。

 確かに体躯は熊に似て鈍重そうだが、実際の彼らの足は早い。

 恐らくクルスやパウラが全速力で逃げても、確実に追いつかれるであろう程の速度で走れるのだ。


 そしてそれを知っているこの場の冒険者二人には、すでに逃げるという選択肢はあり得なかった。理由は未だ不明だが、本来山奥でひっそりと暮らしているはずの魔獣がこんな街道沿いまで出て来ているのだ。

 しかもこのあと確実に遭遇するだろう。


 クルスは口に皮肉そうな笑みを浮かべながら剣を構えており、傍から見ると余裕がありそうにみえる。しかしその実彼は、内心では相当マズい事態だと思っていた。


 そもそも普通の熊であったとしても体長が2.5メートルもあるのでは正面からでは倒せないだろう。

 それも今回は熊ではなく魔獣なのだ。しかもあの凶暴で有名なオウルベアのつがいが二頭。理由はわからないが、彼らは本来の巣から追い出されたらしいのだ。


 ある意味それは手負いの魔獣に近いものがある。

 何故なら彼らは、その子供とも言える大きな卵を抱えているからだ。

 子供を守る為であれば、親は死にもの狂いになる。

 それは人間も動物も同じなのだ。


 

 半ば諦めにも似た薄笑いを浮かべながらクルスが剣を構えていると、パウラの予想通り目の前に二頭のオウルベアが姿を現す。

 その突然の遭遇に、彼らとしても驚いているようだった。


「グルルルゥ…」

「ゴルルァー!!」


 予想通り二頭はつがいだった。

 一回り大きなオスのオウルベアが、腕に卵を抱えた小さなメスを庇うようにして前に立ち塞がる。

 その様子もやはり人間と同じだった。


「おいおい、俺たちはお前さんと戦う気はないぜぇ。頼むからかかって来るなよ――」 

  

 その様子に思わず声を出したクルスだったが、まるで子供の胴体ほどもありそうな太い腕を振り上げるオウルベアの姿に目が釘付けになる。


 その太い腕の先端には、触れるだけで肉を切り裂きそうな鋭い爪が光っていた。

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