第71話-④ 領邦領主・柳井義久
三月一日
一〇時一〇分
ライヒェンバッハ宮殿
野茨の間
この日、新領邦レヴィガータ伯国の領主および首相人事についての発表が行われるということで、野茨の間には報道陣が詰め寄せていた。領邦領主の任命式は、近年ならフリザンテーマ公国やコノフェール候国の例があるが、これらは既存領邦の新領主である。
一方、レヴィガータ伯国は新設の領邦であり、これはピヴォワーヌ伯国に続く新たな領邦として注目度が段違いである。正式な伯国の成立日は帝国歴六〇〇年一月一日になるが、その前に領邦としての形を整備するために、先んじて領邦領主が任命されることとなっていた。
「ただいまより、レヴィガータ伯国領邦領主の任命式を執り行うことといたします。ご参列の皆様、ご起立ください。皇帝陛下、ご入来」
報道陣も誰が新領邦の領主になるかは予想が付いており、なぜいつもならこういった式典で皇帝の傍らに控えている帝国宰相がいないのか、というだけでも答え合わせが済んでしまう。
ある意味では茶番なのだが、儀式は儀式であり、形式は必要不可欠だった。
皇帝が玉座に着くと、典礼長官が演台を離れ、侍従から樫の木で作られた箱を恭しく受け取り、皇帝の前へと運ぶ。
皇帝は箱を侍従に開けさせると、中から
なお、この宝石についてはEPRICOからの寄贈である。
「今日、この領主笏を受け取る者の名を継げる……柳井義久皇統伯爵」
予定調和なのだが、皇帝からその名が告げられたとき、来賓や報道陣からどよめきが漏れた。
野茨の間の大扉が開かれ、モーニングコートに身を包んだ柳井が、赤い絨毯の上を、皇帝の待つ玉座へとゆっくり歩いていく。
「皇統伯爵、柳井義久。御前に」
皇帝の眼前で跪いた柳井が頭を垂れる。
「卿にレヴィガータ伯爵の位を与える。皇統伯爵として領邦を掌握し、帝国の良き友邦として発展することに勤めると共に、辺境に我が名と権威を知らしめ、そして帝国の発展の光で照らし出すことを望む」
「ははっ。我が身命に代えましても、領主の勤めを果たす所存」
柳井が重々しく答えると、皇帝は一瞬面白がるような笑みを浮かべたあと、元の皇帝としての微笑に戻る。
「期待している。では、領主笏を受け取るがよい」
柳井は皇帝が差し出した領主笏を両手で受け取る。思いのほか重量があるもので、柳井は久々に渾身の力を腕に込めることになった。
「この領主笏は、領主の権限、領主の献身を示すものである。その笏が卿の手の内にある間は、卿にレヴィガータ伯国を委ねることとする」
「ははっ……」
柳井が跪いたまま一礼して立ち上がると、皇帝が典礼長官に目配せをする。
「今日、新たな領邦領主が任命された。帝国の新たなる友邦たるレヴィガータ伯国の領主に、歓呼をもって迎えられよ」
典礼長官の声と共に、帝国万歳、皇帝万歳、伯国よ永遠なれの唱和が野茨の間に響いた。
「続いて、イステール自治共和国、ハイリャン自治共和国、シャハリール自治共和国、パストゥス自治共和国の自治権返還式を行います。各自治共和国首相および自治議会議長、最高裁判所長官は前へ」
自治権返納式は、元々帝国皇帝の名で与えられていた各自治共和国の自治権を、領邦に編入されるに伴い返還するという儀式である。
各自治共和国の代表者達が、皇帝と領邦領主に対して自治権を返還する旨を宣言し、皇帝が頷き、領邦領主が自治権返還後も旧自治共和国の領域における公正な行政、裁判、立法が行えるよう保障する、という流れだ。
これは近年稀に見る儀式であり、ピヴォワーヌ伯国のように元々植民惑星として自治共和国ではなかった領邦、あるいはマルティフローラ大公国やフリザンテーマ公国のような古い領邦では、まだ自治共和国制度そのものが存在していなかったこともあり、帝国人にとっては初めて見る式典だった。
一六時三二分
向日葵の間
恒例となっている領邦領主任命式後の祝宴の前に、新領邦であることから全帝国に中継する形で閣僚の発表も行われていた。なお、この模様は当然イステール自治共和国他、レヴィガータ伯国の領内でも放送されている。
「まず、領邦領主は私、柳井義久。宰相兼務のため、通常は帝都に滞在し、旧イステール自治共和国首都星ガーディナを、領邦首都星とし、領主代理にラザール・ルブルトン皇統子爵を命じます」
この人事についても妥当であり、参列者達は晴れやかな面持ちであった。
「領邦中央政府について、首相は慣例に則り、領主たる私が任命することとします。ヴェロニーカ・アルチョモヴナ・ヴァルナフスカヤ皇統男爵を首相とし、ただちに組閣を行うこととなります」
本日付で宮内大臣を退任したヴァルナフスカヤ大臣は、即日皇統男爵に叙され、そのままレヴィガータ伯国領邦政府首相である。この人事については今この瞬間までどこにも漏れていなかったことから、驚きが向日葵の間に広がった。
「各省人事については、今後ヴァルナフスカヤ首相より発表があるので、それをお待ちください。暫定的に、中央政府閣僚任命および、領邦議会の選挙が終わるまでは旧自治共和国の統治機構が各地域を統治することとなります。私は帝国宰相として、陛下のため、帝国のため働くことを己に課して参りましたが、今後はレヴィガータ伯爵として、領民が平穏で、幸福に暮らせるように心血を捧げるものです」
柳井の簡潔なメッセージに拍手が送られた。この後の祝宴については関係者のみとなるため、報道陣が退出させられる。
「さて……今日くらいは宰相殿下から宴会部長の仕事を外してあげましょう」
意気揚々とグラスを掲げたのは、他ならぬ皇帝だった。
「あなたもついに殿下と呼ばれる身になったわね。結構なことだわ」
帝国において、領邦領主は皇帝選挙への出馬を行うことができるので殿下と呼ばれる身分である。
「せいぜい私の治世が長く続くことを祈ることね。でないと私は遺言状にあなたが皇帝になれるようにと書き残しちゃうから」
皇帝のジョークに、柳井は苦笑しつつ肩をすくめた。
「それが遠い先のことであることを毎晩祈っております」
「結構。それでは、苦労人の宰相殿下に新たな仕事が増えたことを祝して、この杯を空にしましょう。レヴィガータ伯国に幸多からんことを祈って」
乾杯と共に、レヴィガータ伯国万歳! の声が向日葵の間を満たす。
「やあ殿下。ご機嫌麗しゅう」
「伯爵としても、領邦領主としてもピヴォワーヌ伯爵殿下のほうが先達です。どうぞお手柔からに」
ピヴォワーヌ伯爵の大仰なお辞儀に、柳井は苦笑しつつ軽く会釈を返した。
「イステール他、第二三九宙域は中々面倒な宙域だが、まあ君のところの部下は優秀だからな。ルブルトン子爵ならうまく手綱を握るだろう……それにしても、君があのヴァルナフスカヤを首相に選ぶとは」
「意外でしたか?」
「いや。あの鉄の女を口説き落とすとは、君も中々やるじゃないか」
ピヴォワーヌ伯爵の悪戯めいた笑みを受けて、柳井は誤魔化すようにシャンパングラスを空にした。
「宰相殿下のお仕事が多すぎると、予てより問題になっておりましたので。私が首相になることで負担軽減が実現できるなら、皇統男爵として叙された身としても吝かではありません」
スーツ姿のヴァルナフスカヤ首相が柳井の後ろから現れる。
「おお、首相閣下もお見えか。四つの自治共和国を束ねた領邦は前代未聞だ。色々大変だとは思うが」
ピヴォワーヌ伯爵も、領邦領主として領邦議会の対応に手を焼くことは一度や二度ではない。その苦労を慮っての発言だった。
「ルブルトン子爵やロベール主任が、すでに議会工作を進めています。事前の予想よりも領邦運営は混乱しないと思いたいですが」
言われたほうのヴァルナフスカヤ首相も、伯国内の政治情勢を頭に叩き込んだ上での発言だった。
「殿下が領主であれば、意見統一もやりやすいというものです。精々利用させていただくことにします」
「私の名前でよければ議会の説得でも銀行からの融資でも如何様にでも使ってください」
このあと、柳井は各領邦領主や各界の代表者と話し込んで、レヴィガータ伯国への支援や協力要請などをしていた。
ようやくそれらが一段落したとき、柳井目掛けて走ってくる少女が一人。
「おじさま!」
柳井に駆け寄ってきたのは、マルティフローラ大公リーヌス・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン。一〇歳になったかつての赤子は、快活で明るく、おてんばだった。
「おお殿下、走ると危のうございます」
柳井もやや腰をかがめてリーヌスに目線を合わせる。思えば乳母のマクミランに抱かれた赤子だったリーヌスが、少し腰をかがめる程度で目線が合う背丈まで成長しているのだから、柳井としても年月が過ぎ去る早さ、子供の成長の早さを感じずには居られなかった。
「リーヌス様。ご挨拶はきちんとなさいませ」
グラスを片手に現れたリーヌスの後見人、アウレリア・カーヤ・フォン・ヴァイトリング皇統伯爵にぴしゃりと叱りつけられ、リーヌスは背筋を伸ばし、淑女としての儀礼に則った挨拶をした。
「殿下、領主就任おめでとうございます。大公国領主として、殿下のご活躍を期待するものです」
「お心遣い痛み入ります。マルティフローラ大公殿下」
リーヌスはそこでペロリと舌を出して、「おばさまに叱られちゃった」とウインクをして見せた。なるほど中々の豪傑になるかもしれない、と柳井が感じた瞬間だった。
「ヴァイトリング伯爵も、お忙しいところ恐れ入ります」
「殿下にお取り立ていただいた身として当然でありましょう。リーヌス様のご様子はどうですか?」
ヴァイトリング伯爵に問われた柳井は、他の来賓へ挨拶に回るリーヌスを見て唸った。
「とても一〇歳とは思えませんね」
「お父上の業績についても随分とお調べになっている様子。このままだと、二〇歳前には領邦領主として一人前になるかもしれません」
「それはそれは。私もうかうかしていられませんね」
「閣下は――失礼、殿下はすでに領邦領主のようなことをされていたではありませんか」
柳井はブルッフハーフェン自治共和国やバーウィッチ自治共和国での首相臨時代理、そして中央政府首相臨時代理を経験し、そもそもが第二三九宙域の総督、そして帝国宰相である。
これだけの経歴がある人物は帝国史を遡っても初の事例である。
「私はピンチヒッターか代走のようなもので、この先、数十年の領邦経営者としては素人です。是非、伯爵のお知恵もお借りしたいところです」
「ルブルトン子爵がおられるでしょう? それにヴァルナフスカヤ男爵を首相とは、中々殿下も手回しがいい」
柳井自身はもちろんルブルトン子爵のことを高く評価しており、だからこそ宰相府において彼を第二三九宙域の領邦化計画を任せていたのだが、来賓の反応を見るに、柳井としてもルブルトン子爵の能力をまだまだ過小評価していたのではないかと不安になるほどだった。
「お褒めにあずかり恐縮です」
「領邦領主はいわば小さな帝国の皇帝。領邦内の最高権力者ですから、これまでと違って、殿下ご自身の決定が、領民の生活を左右することになりましょう。殿下ならば上手くやれる、と私は思っていますが」
「ヴァイトリング伯爵のお墨付きを得られたなら、私としても少し気が楽になります。精励するとしましょう」
柳井は近くに居た給仕に新しいシャンパングラスを二つ頼んで、一つをヴァイトリング伯爵に渡した。
「今日は宴会部長の仕事はないようなので、ゆっくり酒が飲めそうです」
「殿下がゆっくり食事を楽しめる日が来ることを祈って」
「さて、いつになるやら」
ヴァイトリング子爵がグラスを掲げたのに合わせて、柳井もグラスを掲げた。
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