第69話-② 中央政府首相臨時代理・柳井義久

 一二月一五日

 〇八時五四分 

 ライヒェンバッハ宮殿

 椿の間


 ムワイ首相の密葬から三日。帝都の空は薄曇りで、宮殿に掲げられた国旗は半旗のまま。各党党首が宮殿に呼び出されたのはそんな朝だった。


 椿の間にはすでに各党党首が揃っていた。与党帝国民主党のアレックス・ハガード代表代理、星間自由同盟のガルシア・ホセ・マルティネス代表、開拓者の声のヤコブ・ハーラン代表、野党第一党自由共和連盟のブレンドン・アドラム総裁だけでなく、その他の野党代表者も顔を揃えていた。


「皇帝陛下、ご入来」


 マーガレット・チェンバレン侍従長の声に、椿の間の一同が立ち上がる。


 メアリーⅠ世は、いつも通りの軍服に身を包み、ゆっくりと椿の間に設けられた一段高い場所にある玉座に収まった。


「楽にしてちょうだい。朝早くからご苦労様。態々私があなた達を呼び寄せた理由は、分かるわね?」


 皇帝は挨拶もそこそこに、単刀直入に本題に入った。


「ムワイ首相の逝去は、我らにとって大きな損失だわ。でも、国政は一刻たりとも停滞を許されない状況よ」


 短い沈黙の後、皇帝は侍従の捧げ持つトレイからコップを取り、水を一口含んだ。


「私は、あなた達各党党首が国民の付託に答え、それぞれの信念を背負っていることを理解している。しかし、それは国政を放り出して政局にかまけて、椅子取りゲームにを抜かすことを許すものではない――ここまで言えば理解してくれるかしら?」


 柳井が一歩前に出る。


「陛下のお言葉の通りです。今この時期に国政が停滞すれば、内外に禍根を残します。政局はあくまで各党の都合であり、それに国民が振り回されることだけは避けていただきたい」


 柳井にしては高圧的な言い方だったが、これは皇帝が言わんとしていたことを代弁しているに過ぎないからだ。


 自由共和連盟のアドラム総裁が口を開く。


「宰相閣下、我々は停滞を望んでいるわけではない。しかし、各党共にこれからの帝国のビジョンを考えていることは理解していただきたい」


 柳井は頷きつつも、視線を鋭くした。


「臣民の一部では極端な声が勢いを増していますが、多くは平穏な国家と議会の運営を望んでいます。そうした極端な声に迎合すれば、短期的な支持は得られるかもしれませんが、長期的には帝国の安定を損なうものでしょう」


 柳井は敢えて具体的な党名を出さなかったが、これが新星、帝国による秩序、帝国民衆党、民衆革新プラットフォームと、それらへ秋波を送る各党への牽制であることは誰も疑わなかった。


「私は、あなた達に命じるつもりはない――今のところはね」


 皇帝は各党党首の顔を見つめながら言葉を継いだ。


「だから、改めて言う。国政の停滞は許さない。これは私の立場からの強い願いであり、警告でもある……何についての警告か、分からないなんて言わせない」


 皇帝の言わんとすることを理解した各党党首、特にこれまで議会で主導権を握ってきた帝国民主党や自由共和連盟の党首二人は顔を青ざめさせていた。


 つまり、皇帝は万が一のときには皇帝大権を行使して、内閣と議会を無力化すると公言しているに等しいからだ。敵の侵攻などでなく、内政上の混乱で大権を行使されるようなことになれば、政府と議会への信頼は地に落ちる。皇帝の支持率は各党とは比べものにならないほど高い。


 ともすれば、帝国臣民が立憲君主制など捨て去り、皇帝親政を望んでしまうとなれば、議会など不要と言うことにもなりかねない。


「陛下、我々とて混乱など望んではいません」


 ハガード国防大臣の言葉を受け、卓上の資料を軽く叩いた。


「だからこそ、あなた方には協力が必要です。連立の枠組みを守るか、新たな枠組みを作るかは、皆さん次第です」


 帝国民衆党の鄭月鈴ジェン ユーリン代表が苦笑する。


「まるで大連立の予告のようだ」

「予告ではありません。しかし、陛下が安定を望んでおられるという事実を、頭の片隅に置いていただきたい」


 柳井は口元だけに笑みを浮かべて応えた。


 皇帝は立ち上がると、各党代表の座る机の前まで歩み出る。


「私は帝国皇帝として、あなた達各党党首の責任感と良心に期待する……裏切ったら、承知しないんだから。あとは柳井に任せるわ」


 その言葉に、場の空気がわずかに引き締まった。誰も即答はしなかったが、互いの視線が交錯し、無言のうちに何かを測り合っているのがわかる。


 皇帝が椿の間を退室するのを、一同が立ち上がり頭を垂れて見送った。


 扉が閉まると、皆が一様に安堵したかのように息を吐いた。柳井のような特殊な人間はともかく、大多数の人間にとって、皇帝と同じ空間を共にするというのは精神的重圧を伴うものだった。


「本日の会談は、陛下のご意向をお伝えする場でした。今後の動きは各党に委ねられますが、国政の停滞は許されない——その一点だけは、全員が共有していると信じます。それでは、散会といたします」


 党首たちはそれぞれの随員と短く言葉を交わしながら椿の間を後にする。廊下に出た瞬間から、彼らの頭の中では次の一手が組み立てられていた。



 樫の間


「義久、あれでよかったのかしら」


 皇帝にしては珍しく、迷いのある声だった。


「はい。陛下の言葉は十分に響きました。あとは彼らがどう動くかです」


 皇帝は窓の外、曇天の空を見やった。


「どっちみち荒れそうね。でも、舵は握っておきたいわね」

「陛下は艦長としても優秀であらせられます。どうにかなるでしょう」


 皇帝が以前の親征の際に、インペラトリーツァ・エカテリーナを駆って敵艦隊を撃滅したことは、高位文官や軍人の間では周知の事実である。


「あら? 高みの見物のつもり?」

「私は所詮、舵輪ですから」

「目一杯回してあげるから覚悟なさい」

「とうに覚悟はしておりますよ」


 柳井は苦笑しつつ応え、その場を辞した。



 帝都 ウィーン

 帝国議会議員会館

 特別応接室


 机の上に置かれたコーヒーカップは湯気がゆらめいていた。柳井は与党三党のベテラン議員たちを集めていた。帝国民主党、星間自由同盟、開拓者の声——いずれも現政権の屋台骨を支える古参であり、党内の空気を読む嗅覚と、票の流れを左右する影響力を持つ面々だ。


「お忙しいところ、急な招集に応じていただき感謝します」


 柳井が口火を切ると、帝国民主党の重鎮、宁泰然ニン タイランが頷いた。


「宰相閣下、陛下のご意向は承知しました。しかし、我が党内の空気は一枚岩とは言い難い」


 柳井は視線で続きを促す。


「下院も上院もハガード君支持で固まっていますが、党内左派は依然として条約への不満を抱え、独自候補を立てるべきだという声が二割ほど。下院の議席にして一五〇前後が造反の可能性ありと見ています」


 星間自由同盟のマサシゲ・セラ国対委員長は溜息混じりにコーヒーカップを手に取ってから口を開く。


「我が党は基本的に現体制維持ですが、条件があります。防衛費の上限と附属議定書の運用透明化、この二点が確約されなければ、十数名が白票に回る恐れがある」


 開拓者の声のハーラン院内総務は、手元のメモを見ながら言った。


「うちも似たようなものです。辺境振興予算の確保が見えなければ、五、六名が動くかもしれません」


 柳井は頷き、卓上の資料を開いた。そこには各党内の派閥構成と、造反の可能性がある議員名が赤字で記されている。


「現状、三党合計で過半数は確保できる計算ですが、造反が重なれば危うい。特に我が党内の左派動向が鍵です」


 宁泰然が渋い顔で言った。現在帝国下院は一五九二議席を一二の政党と無所属議員が占めている。このうち現在九二八議席を連立与党が占めて安定的な政権運営を可能としていたが、ここから一三一人造反すると、過半数である七九七議席を割り込んでしまう。現状、造反の危険がある議員はこの数より多い。


「左派の一部は、帝国民衆党と水面下で接触しているとの情報もあります。彼らは“ハガードでは勝てない”と吹き込まれている」


 宁泰然の言葉に、柳井は短く息を吐いた。


「……万が一、首班指名で過半数を割れば、皇帝大権発動の口実を与えることになる。それは避けねばならない」

「閣下、もしハガードでまとまらない場合、代替案は?」


 セラが慎重に言葉を選ぶ。柳井は一瞬沈黙し、低い声で答えた。


「首班指名を二回流し、陛下による暫定首班特例任命を誘発させる、という手があります」


 帝国議会では、下院議員が政府首班となる不文律がある。また、法制度としては下院で選出された内閣の首班を上院で拒否した場合でも、下院に差し戻され、その決定が優先される。


 下院で一度目の投票で過半数を獲得した議員が首班となるのだが、そもそもどの候補も過半数に届かない場合も考えられており、その場合は皇帝が首班指名を行うことが、帝国議会法および内閣法にて規定されている。


 特に今回、現与党体制の崩壊を狙った投票行動が行われる可能性があり、特例任命が起きる可能性は十分にあった。


 柳井が提唱した些か乱暴な手法について、ハーランが眉をひそめる。


「暫定首班……柳井閣下、あなた自身ということですか?」


 柳井は否定も肯定もせず、資料を閉じた。


「誰であれ、条件は同じです。政権枠組みを維持し、国政を安定させる。それが陛下の望みであり、我々の責務です」


 宁泰然が腕を組み、低く言った。


「では、まずは造反防止だ。条約運用の監視委員会設置を約束し、星間自由同盟と開拓者の声には予算面で譲歩する。これで二〇票は戻せるはず」


 セラが頷く。


「防衛費上限の明文化も必要です。火星の夜明けと大衆の声は自党の候補を出さず、こちらの出方を窺っている様子がある」

「では、彼らの政策についても譲歩が必要か」


 火星の夜明けは三〇年ほど前に帝国民主党から分離独立した政党であり、政策主張は似ているが、設立の経緯から連立には入らずに政策単位で賛成・反対を示すタイプの政党である。


 大衆の声は労働組合系の政党で、こちらも帝国民主党とは政策主張に一致する部分もあるが、帝国民主党が予算という枷をはめられた状態で現実を直視しなければならないのに対し、大衆の声は些かロマンチシズムなところがある――というのが、世間一般の評価である。


 柳井はメモを取りながらまとめに入った。


「では……一つ、アムステルダム条約の履行状況監視のため、各党議員を含む委員会設置を確約。 二つ、星間自由同盟には防衛費上限と透明化条項を提示。 三つ、開拓者の声には辺境振興予算の確保を明文化。四つ、火星の夜明けおよび大衆の声に政策連携の提案。各党執行部の説得は、お願いします」


 全員が頷き、冷め切ったコーヒーに手を伸ばした。柳井は窓の外を見やり、静かに言った。


「六〇日間の猶予は、長いようであっという間でしょう。私から各党への働きかけは行いますが、まずは党内の意思統一を最優先に、お願いいたします」


 ハガード臨時政権はあくまでムワイ前首相の死去に伴う特例により成立したもの。内閣法に定める六〇日の猶予期間を終えるまでに首班指名の対応をまとめなければ、政権が崩壊してしまう。


 柳井の言葉に、頭の中でカレンダーを捲った一同の表情は硬いままだった。

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