十七才の母


 

 「……先輩、手を繋いじゃ駄目ですか?」


 そう隣を歩く鳴海 蛍が言うので……俺は仕方なく手を差し出した。そうしたら隣の彼女は嬉しそうに俺の手を握り、並んで歩く。


 「……先輩、今日は先輩の好きな唐揚げにしましょうか?」


 「……あぁ、楽しみだよ、蛍さん」と俺が言ったら


 「……いつもみたいに“蛍”って呼び捨てで呼んでください」って不機嫌そうに言うので


 「……わかったよ、蛍」と改めて言ったら


 「……はい」と嬉しそうに言う。


 スーパーに買い物に行くと言う彼女について来たらこんな風に手を繋ぎたいとお願いされて……こんなことになっている。近所の知り合いに出くわしたらどうしようかと頭を悩ませながら並び歩く……


 ……この年で母さんと手を繋いで歩いてるのを見られたらどうしようかと……


 この出来事の始まりは、小柄な母さんが止めとけば良いのに椅子に乗って蛍光灯を交換しようとして椅子から転げ落ちたことから始まる。


 「お、お母さん大丈夫!?だから私がやるって言ったじゃない!」


 そんな声が聞こえたので部屋から飛び出して階下に降りたら


 倒れた椅子、床に横たわる母さん……これだけで何が起きたかは明らかだ。


 「か、母さん!」


 と俺が身体を揺すろうとしたら姉さんが「待って!頭をぶつけたみたいだから……」と言うので


 「と、とりあえず救急車を!」と電話をかける。


 その後、母さんは搬送されて検査することになった。姉さんに聞いたら「……後で私がやるよって言ったのに、お母さんが私の見てないときに蛍光灯を一人で交換しようとしたみたい……」と姉さんは自分を責め、泣きそうになっている。

 本人は「私一人で、できるから」とやろうとして普段は周囲に止められる、背も低く、運動が苦手なんだからその辺りは俺達に任せて欲しい。


 「……姉さん、大丈夫だよ。父さんは?」


 「……お父さんは出張で帰ってくるのは三日後だから……」


 「……そうか、とりあえず検査とか終わったら父さんに連絡するよ」


 「……そうね」


 ……とりあえず検査の結果、脳に異常は無かったようで俺も姉も安心したのだが……


 「……先輩?」


 目を覚ました母さんは俺を見てそんなことを言い出した、医者の話では一過性の記憶の混乱だと言う。


 具体的に言えば……今の母さんは十七才の頃の状態になった。


 「……しばらくすれば治ると思いますから、とりあえず様子を見ましょう」と医者の言葉を信じ、病院に任せてとりあえず病室を出ようとしたら


 「先輩っ、どこに行くんですか!?私を置いていかないでください!」と母さんが泣いて俺にしがみつく。


 「か、母さん!?」と俺は慌てるも無理に引き剥がせないと困っていたら


 その様子を見て姉さんは


 「……とりあえず、お母さんの記憶が戻るまであなたが若い頃のお父さんの役をするしかないわよ」とそんなことを言い出した。


 ……そんな訳で俺は若い頃の父さん役を演じている。医者に許可を貰って、目を離さないことを条件に家に帰ることになった。燕姉さんは


 「……私は貴方の彼氏の親戚の“睦月 燕”です、よろしくね」


 と母さんに挨拶したら、母さんは少し迷いつつも


 「……確かに先輩に似てますね」と納得して燕姉さんに頭を下げて


 「……宜しくお願いします、鳴海 蛍と申します」と挨拶を返した。


 記憶は完全に十七才の頃に戻っているわけではなく、混乱しているようで自分の家に帰ってきても「ここは私の家じゃないです」とか言い出さず、母さんは普通に馴染んだ。


 「……ご飯をどうしようか」と姉さんが言い出した。燕姉さんは料理をしない運命の星の下に産まれてきた人だし、俺もそんなに手際よく作れるはずがない……二人で困っていたら


 「……先輩、私が料理しますから」と言い出した母さんに俺と姉さんは「お願いします」と頭を下げた。


 ……そういうわけで冒頭の状況になるわけだ。俺の手を握って離さない母さんとスーパーの中を歩いていると……


 「あれ?創ちゃん!」と俺を見つけて近寄ってくる幼馴染みの衛藤 玲楓がいた。


 「……先輩、どなたですか?」と警戒する母さんに


 「……衛藤 玲楓だ、覚えてないかな?」と言ったら


 「……覚えてないですけど……イケメンさんですね、あっ勿論、先輩の方がイケメンですよ!」と母さんは言うので


 「……そう、イケメンなんだ」と玲楓が女性なことは黙っておいた。母さんは普段から父さんに近寄る女性を警戒している、父さんは仕事場で貰ったバレンタインのチョコも母さんの目に入らないようにこっそり俺に「……母さんに内緒で食べてくれ」と渡す。子供の頃はチョコが一杯食べられて嬉しかった思い出がある。


 「……玲楓、今は蛍と買い物なんだ……このことについて詳しくは燕姉さんに聞いてくれ」と母さんの手を引いて玲楓と別れた。玲楓は「え?え?」と不思議そうな顔をしていたが仕方ない。


 帰宅したら母さんはいつものように料理を作ってくれた、記憶の混乱があってもそういう技能は失われていないようだ。


 「ごちそうさまです」と俺と姉さんはいつものように手を合わせたら「ふふ、先輩と燕さんは似てますね」と母さんは笑う。


 皿洗いを手伝って……これからどうしようかと思っていたら姉さんが「……お父さんには連絡しておいたから『帰るまで頼む』って……」とこっそり伝えてきた。


 俺が自分の部屋に戻ろうとしたら母さんも一緒についてきた。確かに目を離すわけにもいけないけど……どうするか……


 「……えーと、蛍。……一緒にゲームでもして遊ぶ?」と聞いたら


 「……はい」と母さんが言うのでゲームで遊ぶことに。


 「……これはどういうゲームなんですか?」と聞いてくる母さんに


 「えーと、インクを撃ち合うシューティングゲーム……と言えば良いのかな」と俺が答えたら、母さんは隣にちょこんと座り


 「……先輩がやっているのを見させていただきます」と言うので最初は俺がゲームをした。母さんはじっと画面を見つめていた。


 「……そろそろ、やってみる?」と母さんにコントローラを渡したら


 「……はい、やってみます」と言ってから胡座をかいている俺の太腿に母さんがちょこんと乗ってきた。なんで?と思う間も無くゲームが始まるが……あれ?母さん……上手くないか!?


 「……ほ、蛍さん……このゲームやったことあるの?」と聞いたら


 「……初めてです」と母さんは画面に集中しながらも返事をした。……マジか、俺より上手いかもしれない……母さんの新たな一面を知った気がする。


 ……それにしても、ちょこんと座る母さんは小柄で……そんな母さんより、いつの間にか俺は大きくなった。

 そういえば、子どもの頃に母さんが俺を抱っこしながら


 「ふふ、創ちゃんも大きくなったね。これ以上、大きくなったら抱っこできないね」


 と母さんが言った言葉を覚えている、子どもの時は、これ以上、大きくなったら母さんに抱っこしてもらえない……大きくなりませんようにと神様にお願いしたことを思い出した。今となっては懐かしく、そんなことを願ったから身長が伸びてないのでは?と思ってしまう。神様、あのお願いはキャンセルします。


 そんな風にゲームで遊んでいたら姉さんが扉をノックして


 「蛍ちゃん、お風呂が沸いたから、一緒に入ろう」と姉さんが母さんを誘ってきた。母さんは少し悩む様子を見せ、俺の顔を見た。俺は母さんの目を見て頷いたら


 「……はい、燕さん。宜しくお願いします」と母さんが返事をしたら、姉さんは母さんの腕を掴み、連れていった。俺は自分の部屋に一人残され……少し溜め息を吐いた。目を離さないというのは結構、疲れる。勿論、疲れるのは構わない。それより、このまま母さんの記憶が戻らなかったらどうしようかと悩んだが……そんな顔は母さんに見せられないと思い、何か飲もうと台所に向かうために階段を降りていった。


 母さんと姉さんがお風呂に入ったあとに、俺もお風呂に入って……


 「それじゃ、三人で川の字で寝ましょう!」と姉さんが言い出し、和室の畳の上に布団を並べ出した。母さんを真ん中に据えて左右に俺と姉さんで挟んで横になる。


 「……先輩、なんか……不思議な感じです、昔も先輩と燕さんと一緒にこんな風に寝たことがあった気がします……なんででしょう?」


 暗い部屋で母さんがそう呟くので俺と姉さんは母さんに手を伸ばし、手を繋ぐ。


 そうだな、母さんの記憶が戻らなくても母さんは母さんだ。悩むことはないと思いながら眠りについた。


 そんな数日を過ごして、漸く父さんの帰ってくる日になった。父さんが帰ってくるのは嬉しいが……俺を「若い頃の父さん」と思っている母さんの前に、今の父さんが現れたら……どうなるのかわからなかった。ショックを受けて倒れたり、混乱して逃げ出したりしないか心配だと、何かあっても対応できるように目を離さないように姉さんとこっそり作戦会議をした。


 扉が開き、ネクタイを外し、ワイシャツの首もとのボタンを外しながら入ってきた父さんを出迎える俺たち、そして母さんは……


 「……先輩?……あなた?」と俺のことではなく、父さんに向かってそう呟いて見つめていた。父さんも母さんに笑顔を浮かべ


 「……蛍、記憶喪失なんて少女漫画みたいだな」と言ってから母さんをお姫様抱っこして


 「……少し、長い夢を見てるんだ、蛍が目覚めるまで腕枕してあげるから……少し休みなさい」と父さんが母さんに言ったら


 「……はい、あなた……」と母さんは返事をして目を瞑り、コテンと頭を父さんの肩に預けた。父さんは「二人とも、ありがとうな」と俺達に言ってから母さんを連れていった。


 「……ふう、お父さんに任せておけば大丈夫そうね」と姉さんはお姫様抱っこで運ばれていく母さんを少し羨ましそうに見ながら、そう言って自分の部屋に戻っていった。


 大丈夫なのかな……と思いつつも父さんに任せようと俺も自分の部屋に戻った。


 夜になったら……


 「……二人とも、ごめんなさい。御迷惑をおかけしました」と記憶が戻った母さんが俺達に謝ってきた、俺も姉さんも喜んで母さんに抱きついたら母さんは少し恥ずかしそうに笑っていた。


 夜中に階下に降りたら父さんが一人起きて、庭を眺めながら洋酒を飲んでいたので


 「……父さん、母さんの記憶が戻って良かったね」と言ったら


 「……創、ありがとうな。勿論、蛍の記憶が戻って良かったとは思うけど……ふふ、もしも、蛍の記憶が戻らなかったとしても……また、あの頃の蛍と恋愛をするから良いさ」と父さんはそんな台詞を恥ずかしげもなく言っていた。


 後日談としては……


 幼馴染みの衛藤 玲楓に


 「……創ちゃん、私は創ちゃんがマザコンでも気にしないからね!」と言われた、あの魔王は玲楓に何を言ったのだろう!?


 そして……


 「……母さん、もし時間があったら……母さんも一緒にゲームしない?」と俺は母さんを誘うようになった。


 母さんは


 「……終わったら宿題するのよ?」と言いつつも俺の隣にちょこんと座る、そんな生活の変化があった。


 


 


 


 

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