僕の旋律は狂ってる?

空草 うつを

前編

「今日は引き立て役、よろしくな」


 肩にまわされたいかつい腕を、僕は恨めしそうに睨む。しかし、その腕の持ち主はその視線に気づくことなく、くつくつと見下すような笑い声を発している。


「松山君、僕は——」


「行くよな?」


 低い声音で同期の松山が僕に圧力をかけてくる。そうすれば、僕がおとなしくついてくると思っているのだろう。しかし、僕は頑として拒絶しようとした。


「あら、松山君に三宅君」


 僕たちの視線は、曲がり角から顔をのぞかせてこちらへやってくる人物に集中した。

 ふたつ上の先輩社員、打越真央うちこしまお。学生時代に読書モデルをしていたというだけあってスタイルが良い上に仕事もできる。まさに才色兼備とは彼女のことだ。誰とでもすぐに打ち解ける打越は、今年入社したばかりの僕たちにも分け隔てなく声をかけてくれる。


「ふたりとも仲が良いのね」


 松山が肩を組んでいるからだろうか。打越に誤解されて僕は困惑する。


「打越さんは、今日の新歓来るんですか?」


 先ほどまで僕に意地の悪い笑みを浮かべていた松山は、爽やかな新入社員の顔を作り上げている。


「もちろん行くよ」


「二次会もあるらしいですよね。確か、カラオケ大会とか?」


 僕に対して、松山は蔑むような目を一瞬向ける。打越はそれに気づいていないのか、「毎年恒例だからね」と答えていた。


「うちの部長が好きなのよね、カラオケ。だから、部長が歌う番になったら合いの手入れて盛り上げてあげて。有頂天になって何曲も連続で歌うから」


「まじっすか?」


「そうすれば、私たちが歌う曲少なくて済むでしょ?」


「なるほど。でも困りましたねー」


「困る?」


「三宅の歌、うまいんすよ。だから、たくさん聞かせてあげたいんですよね」


「そうなの? 三宅君」


 打越がまっすぐに僕を見ている。光を反射していらめいている瞳に、僕の心臓は飛び跳ねてしまった。否定しようにも、その美しい瞳に見つめられた僕は口をもごもごと動かすことしかできずにいた。


「打越さんも期待しててくださいよ。な、三宅」


 松山は意地悪く僕の肩を叩く。打越も、何の疑問も抱かずに「楽しみにしてるね」と言って去っていった。


「逃げるなよ、三宅君」


 松山は上機嫌に、鼻歌を歌って事務所へ入っていった。残された僕は、誰もいないことを確認して深くため息をつく。


 憂鬱だ。

 憂鬱すぎて、お腹が痛い。


 あれは四月の中旬のこと。まだよそよそしい同期たちで飲みに行った帰りだ。まだ時間があるからとカラオケへと向かった。

 カラオケは好きではなかったが、ここで断って後々関係が悪くなったら嫌だ、などと思いつつ、僕はひたすら聞く側に徹した。何度かマイクを渡されたが、僕のよりも皆の歌が聞きたいなどと理由をつけて、その場をやり過ごそうとした。


 僕は、壊滅的な音痴だったから。


 音痴の自覚が芽生えたのは、小学校の頃。音楽の授業で歌のテストがあった。ひとりずつ歌わされるという地獄の時間。

 そこで、恥ずかしがりながら歌った僕に、クラスメイトたちは笑い転げて言った。


「三宅君、すっごい音痴だね」


 それからというもの、僕は極力歌うのを避けてきた。中学校の合唱の時はなるべく口パク。その方が皆の邪魔にならないし。めざとい女子に口パクだと気づかれないように必死に取り繕った。

 高校や大学生になると、皆友達とカラオケに行く機会が増えるが、僕はその誘いを上手くすり抜けてきた。


 しかし、同期のカラオケの時、松山にマイクを無理やり持たされ、「下手でも歌ってみろよ」と半ば強引に歌わされた。一度音痴なのが分かれば、二度とこんなことはされない、そう信じて歌ってみた。

 案の定、あまりの音痴にドン引きする顔が目に入ってくる。松山に至っては大爆笑だったが。


 今度の新人歓迎会も、二次会のカラオケ大会は辞退しようと思っていた。他の同期も「その方がいい」ときっぱり言ってくれたが、松山だけは違った。

 松山は、打越に気がある。歌のうまい松山は、カラオケ大会という機会を逃さずに打越との距離を縮めたいようだ。ただ歌うだけじゃ打越に近づけないと思ったようで、引き立て役として僕に白羽の矢がたった。


 音痴な僕が歌っている最中、松山が割って入って僕の手助けをする。そうすれば、「フォローしてあげるなんて松山君は優しいね」と打越に賞賛されてデートの予約を勝ち取る。浅はかな計画だが、松山がそれで満足しているなら、僕は何も言えない。


「何で音痴に生まれたかな……」


 自らの不運を嘆いて、もう一度ため息を吐きちらし、重い足取りで午後の仕事に向かった。

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