2.十年前の約束


 何が起きたんだ。



 大きな鈍器――もとい魔法杖ロツドをせっせと背中に戻している少女を、少年は倒れ伏したまま呆然と眺めていた。


 持てる知識を総動員しても、今起きたことを何一つ理解できなかった。


 こんな女の子が、魔法を扱う凶悪な盗賊たちを、杖でぶったたいて倒してしまった。


 単純な物理で、魔法を圧倒してしまった。


「ふふん。みたか、わたしのまほう」

「……いや……あの……ただぶん殴ってただけのような……」

「まほうだもん! つえつかってたでしょ!」

「………………」


 確かに魔道士は、その力が未熟なうちは魔法杖ロツドを使う。しかしそれは、あくまで低年齢時の不安定な魔力を補助するためだ。


 少なくとも魔法杖ロツドを鈍器として殴打することを、魔法とは呼ばない。


 しかしこの年端もいかぬ少女に大の大人をぶっ飛ばせるような筋力があるはずもなく、そういう意味では確かに、魔法のような超常的な力なのかもしれない。


「ねえ、きみ」


 少女の不可思議な力に少年が首をかしげていると、少女にずい、と詰め寄られた。間近に迫った少女の、宝石みたいな黒い瞳に見つめられ、少年は慌てて視線をそらした。


「な……なんだよっ」


 やってることはむちゃくちゃだが、その少女は正直言って、かわいかった。


 全身の血が全部登ってきたかのように、耳まで熱くなるのがわかった。さっきまでの恐怖とはまた違う感情で、心臓がばくばく速くなり、頭の中が真っ白になる。


 少女はそんな少年をしばらくじっと見つめていたかと思うと、ふ、と口の端をつり上げて、言った。



「きみ、まどうしなのにすごくよわいんだね」



「な……!」


 唐突にかけられたあまりに身も蓋もない言葉に、少年はたちまち目をつり上げた。


「お、おまえの方こそ、魔道士のくせになんで魔法使わないんだよ!? 全部なぐってただけだろ! ほんとに魔道士なのかよ!?」


 そう言うと少女の顔が初めて年相応の子供らしく、怒りでほおを膨らませた。


「まっ、まどうしだもん! つえだってあるし!」

「殴ってただけだろその杖!」

「……っ」


 反論できないらしく、少女は拳をぷるぷるふるわせながら、ついに事実を認めて白状した。


「ま、まほうは! おおきくなったらつかえるの! まほうがつかえないのはいまだけなの! おおきくなったらまどうしになるの!」

「やっぱ魔法じゃねーじゃん!」

「う、うるさいうるさい! よわいひとはだまっててよ!」

「何だと……!!」

「なによ……!!」


 お互い息を荒くして額を付き合わせ、しばし睨み合い――最初にふっと目をそらしたのは少年の方だった。気まずげに顔をしかめながら、少年はなんでもない空間にぼそぼそと言葉を吐いた。


「……ふんっ、ま、まあ助けてくれたことは……ありがとな……けど! いいか、おれはな、大人になったらこの国で最強の魔道士になる予定なんだからな。今のうちにその……な、仲良くなった方がお得だぜ」

「ふーん」

「信じてねえな!?」

「うん。だってよわいもん」

「じゃ、じゃあ! 俺が本当に最強の魔道士になったらどうするんだよ!?」

「え? うーん、じゃあねぇ……」


 真剣に悩み始めた少女は、難しい顔で数秒押し黙ったあと、何かひらめいたようにぱっと顔を上げて、こう言った。




「けっこんしてあげる!」




「は?」


 きょとん、と少年は目をしばたいた。しかしその言葉を脳みそが理解すると、やはりなぜかまた顔が熱くなって、少年は激しく動揺した。


「け、けけけけけけけっこんっておま」

「かおまっかっかだよ」

「うっ、うるせー! 言ったな!? 約束だからな!? 絶対約束だからな!?」

「うん。どうせむりだもん」

「無理じゃねーし! ぜってぇ結婚してやるからな! ……な、名前、教えろよ!」

「りりなだよ。りりな・ろーずりっと。ま・ど・う・しの! りりなだからね!」


 念を押すようにそれだけ言うと、少女は少年の名前すら聞かずに、そのまま路地からいなくなってしまった。

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