第1話 宇宙の色 その五



 浴室のあとはベッドでも。

 情熱をそそぎあって、そのまま眠りについた。寝落ちしたと言ったほうがいいかもしれない。青蘭に求められると、よくそんなことがある。


 夜中に龍郎は、ふと目をさました。


 青蘭は天使のころの記憶をどこまでとりもどしたのだろう?

 青蘭の想いは、ほんとに龍郎に向けられたものなのだろうか?

 青蘭が生まれ変わる前、アスモデウスだったころに愛しあった恋人の天使は、今、龍郎の右手に埋まった苦痛の玉の持ちぬしだ。

 青蘭が惹かれているのは、龍郎ではなく、苦痛の玉の持ちぬしだった天使なのかもしれない……。


 このごろ、愛しあったあとは罪悪感をおぼえる。なんだか、他人の恋人を借りているような、そんな心地だ。


 幸せいっぱいの青蘭の寝顔を見ながら、龍郎はそっと吐息をついた。


 そのときだ。

 窓の外に何かの気配を感じた。

 そんなはずはない。

 ヴィラ形式の個室は周囲を完全に各棟で隔離されている。

 寝室の窓の外にはテラスとプール付きの美しいプライベートガーデンがあるだけ。さらに、ホテルの周囲は森と渓谷だ。


 もしかして、観光客の荷物目当てで泥棒が柵を乗りこえてきたのだろうか?


 龍郎は起きあがり、急いで服に袖を通した。さすがに裸は無防備な気がする。ぬぎすてて散らかったままの昼間の服を着て、テラスのある窓に歩みよる。足音を立てないよう用心した。


 窓にはカーテンをひいてある。

 日本人としてのたしなみだ。

 たとえまわりが森でも、万一どこかから他人が見ているともかぎらない。


 龍郎はその窓の前に立った。カーテンをつかみ、いっきに引きあける。


「うわッ!」


 思わず、大声を出してしまった。

 窓の外に、あの女が立っている。

 昼間、ゴアガジャ遺跡で見た横向きの女だ。あのときと同じように龍郎から見て右向きの横顔を見せている。

 女のささやくような声が、ガラス越しに聞こえた。


「…………て。返し……わたしの…………」


 おかしい。

 どうしてこの女はいつも横向きなのだろう。見かけるのは三回めなのに、いつも体の半面しか見たことがない。

 今だって、なかに侵入しようとしていたのなら、室内のようすをうかがうために、窓に対して正面に立つものではないだろうか?


「……おまえ、何者だ? 何を返せと言うんだ?」


 女は答えない。

 ただ黙って横を向いている。

 なんだか異様だ。

 横向きだと、女からは龍郎の姿が見えていないはずだ。眼球だけ動かしても、視界の端でわずかに全身の一部が見えるだけ。まともな人間なら、真っ向から顔を見ようとするだろう。少なくとも一度は。


 背中がゾワゾワする。

 それに、変な匂いもかぎとった。


「……こっちを向けよ。何を返してもらいたいのか、おれの目を見て話せ」


 思いきって、龍郎はそう言ってみた。

 女は横を向いたまま、ニヤリと口唇をつりあげる。


 それから、ゆっくりと女がこっちをふりかえる。顔だけじゃなく、体の向きを変え、全身を龍郎のほうに向けようとする。


 ようやく、どんな女かハッキリわかる——と思ったのだが、妙な違和感があった。


(あ……れ? なんだ? やけに形が……)


 真夜中なので、外は暗い。

 龍郎たちの室内の明かりだけが、かすかにテラスを照らしている。だが、その照明も一番暗く落としてある。女の姿はともすれば闇に溶けこみそうだ。


 それにしても、輪郭がふつうじゃなかった。人間の頭は基本的に楕円形だ。多少の形の違いはあるにしろ、球状の物体である。


 なのに、女の左半面がじょじょにこっちを向いても、いっこうに右側の半面が見えてこない。深い闇に飲まれて……いや、発光源のわからない光が急に強くなった。


 女は一センチかえりみるのに一分は要した。ほんとにジリジリと、気の遠くなるような時間をかけて体の向きを変える。


 だから、変な光のなかで女の頭部がやけに歪んで見えても、それは光のかげんだろうと最初は思っていた。


 しかし、女の向きがいよいよ正面に近づくにつれ、目の錯覚ではごまかせなくなった。

 やっぱりそうだ。

 女には、

 体の中心で真っ二つに裂かれたように、右側半分がキレイさっぱりない。

 女が横顔しか見せなかったのは、体の向こう側がなかったからだ。


 いろいろなものを見てきた龍郎だが、これにはおどろいて床に尻もちをついてしまった。


 女は、くるりと背をむけた。

 体が反転するとき、女の切断面が見えた。人間なら、もちろん体の半分がない状態で生きてはいない。


 だから、女が人でないことはわかっていた。人間が切断されれば、そこから内臓や骨がはみだしてくる。でも、女の断面は見事に直線になっていて、まるで硬質なガラスのようだ。そして、そのなかに詰まった流動的な液体のようなものが、グルグルと回転している。

 その流動体は強い光を発し、青、白、黒、あるいは苔のような色へと変化する。と思えば、酸化した血のようなダークレッドにも。


(宇宙から来た石だ!)


 龍郎は確信した。

 ヌルワンから聞いた、森のなかで光り輝いていた隕石。

 あれはこんな光を放っていたのではないかと。


 龍郎が驚愕しているすきに、女は逃げだした。すべるように空中を移動し、やがて消えた。




 了

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