31. レリッサと魔術師2

 結論から言えば、ディートルはめでたくラローザ家の住人となった。

 父が二つ返事で了承した為だ。


「や、久しぶりだね、セドリック」


 ディートルは、雪を肩に乗せて帰宅した父を、そう言って玄関で出迎えた。

 片手を挙げていきなりそう言った少年に、父は一瞬驚いた表情をしたものの、丁寧に頭を下げた。


「クライスト殿でしたか。お姿が変わっていたので、すぐに気づかずに申し訳ない」

「そうだね、あんたと会った時は僕、青年だったかな? 爺さんだったっけ?」

「中年くらいですかな」


 そんなやりとりに、レリッサは目を丸くして「お知り合いだったんですか?」と尋ねた。


「以前に言っただろう。例の戴冠式の夜の出来事が、全て『呪』であると特定した者、と言うのが、クライスト殿のことだ」


 レリッサは息を飲んでディートルを見た。

 どうしても外見が年下に見えるので、つい見た目通りに受け取ってしまうが、彼は大魔術師なのだ。

 その実年齢が気になるところだが、ディートルは大したことではない、と言う顔をして、父についてサロンに入っていった。


「閣下。お仕事が溜まっておりますが」


 サロンに入るなり、父は、パトリスやアイザックと共にボードゲームを挟んでいるリオネルにそう声をかけた。

 リオネルはボード上から顔を上げて、「すぐ帰るつもりだったんだけどね」と苦笑する。


「リオン義兄にいさんがあんまり強いんで、パトリス兄さんとアイザック様が何度も再戦を申し込んで、全然終わらないんだよ」

「だから今、パトリスお兄様とアイザック様の合同連盟で、リオンお義兄様と対戦しているところなの」


 結構良い勝負よ、とホーリィが言った。

 ボードの周りでは、夕方に起きてきたエメリアや、サマンサ、エドもまた、パトリスとアイザック側について、次の一手を考えている。

 実に白熱した戦いだった。


 護衛に来た当初こそ、ラローザ家の人間に遠慮していたアイザックだったが、なんだかんだと打ち解けているようだ。


 父はため息をついて、脱いだ外套をダンに受け渡した。


「閣下に勝てるわけがないだろう」

「将軍、それはやってみないと分からないよ」


 そう言いながらリオネルが指した手が、また難しい手であったらしく、パトリスとアイザックが小さく呻き声をあげている。


「ま、すぐ決着がつくよ。それよりセドリック」

「何でしょうか、クライスト殿」

「ここの魔術師団はどこにある? ちょっと見に行きたい」

「それなら明日、ご案内しましょう」

「魔術師団がどうしたの?」


 父とディートルの会話を聞きつけて、サマンサがボードの側から離れてこちらへ向かってきた。


「ああ、魔術師団をちょっと掌握しょうあくしようかと思ってね」

「…掌握…?」


 なにやら不穏な言葉に、レリッサは目を瞬かせた。


「元々、ディートルには、この国の魔術師団にテコ入れを頼むつもりで、もう少ししてから呼ぶ予定だったんだ」


 そう言ったのは、あっという間に勝負を終わらせて、レリッサの傍らにやってきたリオネルだった。

 部屋の隅のボードの方を見れば、パトリスとアイザックが気落ちした様子でボード上の駒を片付けている。普段、心情を他に諭させないように努めているアイザックが、ああして気落ちしているのをあからさまにするのは、非常に珍しいことだった。


(そんなに悔しかったのかしら…)


 そんなことを思いながら、レリッサはリオネルとサマンサの会話に意識を引き戻した。


「テコ入れって?」

「スタッグランドは魔力持ちが少ないせいもあって、魔術師団は国から切り離された独自団体だ。だけど、他国では、国の機能に取り込んで、政府直轄の機関にするのが普通なんだよ」


 それは数多いる魔力持ちを統括するために、政府の息が掛かった機関が必要なためだ。魔力を持つ者が多いと言うことは、それだけ脅威の対象が多いと言うことだ。野放しにしておけないし、魔力持ちだけで結託されては、生身の人間は敵わない。

 アザリア公国などはその筆頭に挙げられる国だ。だからその国で、宮廷の筆頭魔術師をしていたディートルは、やはりすごい魔術師なのだ。


「スタッグランドでも、いずれそうなれば良いと思ってね」


 リオネルはそう言うと、表情に憂いを見せた。


「この前のサマンサじゃないけど…、魔力暴発によって周囲を巻き込む事故も増えているし…。それも、魔術師団が十五歳以上からの入団と、多額の献金を条件としているために、間口が狭くなっているせいだ。それをどうにかしないと、いつまで経っても事故が減らないんだ」

「だから、一度この国の魔術師団を解体して、政府の機関として取り込むことを目的として、リオンは僕を呼び寄せるつもりだったってわけ。…ま、君のことがあって、予定よりだいぶ早くなったけど」


 ディートルは話し終わると、「お腹減った。夕食まだ?」とダンを急かしに行ってしまった。

 リオネルはそれに苦笑いをして、父に「ディートルをよろしく頼む」と言い置いてから、レリッサを見下ろした。


「それじゃあ、俺は帰るよ。仕事が残ってるから」

「お見送りします」


 屋敷の外は、今や大粒の雪が降っていた。

 一冬に粉雪が舞う日が一日、二日あるかないかと言うスタッグランドでは珍しいことだ。


「積もりそうだね」

「ええ、本当に。道中、お気をつけて」


 マントを羽織ったリオネルに、レリッサは手を振る。

 リオネルが眉を下げた。


「名残惜しいとは思ってくれないんだ?」

「え?」


 突然、ふわりと、レリッサをリオネルのマントが包んだ。

 温もりが頰から伝わって、抱きしめられていると気づいたのはそれからだ。


「俺はこんなに、離れがたく思ってるのにな」


 ぎゅっと身体に回された腕に力がこもる。

 リオネルの肩の向こうには雪がちらちらと舞っていて、マントの裾からはみ出した足は寒いのに、顔も頭も、胸も、お腹も、リオネルに接しているところは全部熱い。


 レリッサは、おずおずと自分の腕をリオネルの背中に回した。

 するとリオネルの腕にさらに力がこもって、溶けて一つになってしまうくらい密着する。


(どうしましょう…)


 胸が鳴って、耳の中がうるさい。


 腕を回したリオネルの身体は、見た目の割に胸板があって、身体つきもしっかりしていて、当たり前なのに、ああ男の人なんだな、などと思う。


「このまま連れて帰りたいな」

「リオン様…」


 そうなったら良いのに。答えるように、リオネルの背中の布地を握る。

 それが合図になったみたいに、リオネルがすっとレリッサの腰を撫でて、片手でレリッサの頰を包んで上を向かせた。


 口づけが降ってくる。

 ちゅっと一つ、軽く。その後、飲まれてしまうくらい深く口付けられる。


「…っは…」


 吐息は熱くて、攻め立てられて頰が上気する。

 すっかりとろんとした目で離れていったリオネルの瞳を見つめ返せば、その奥に、欲を感じさせる熱を見つけた。


「ああ、しまったな。そんな顔されると、本当に連れて帰りたくなる…」


 気づいてる? とリオネルは言った。


「今のレリッサ、俺を熱くさせる顔をしてる」


 どんな顔だろう。

 首をかしげると、彼は苦笑いで首を振って、「分からなくて良いよ」と言った。


「その顔を分かってやられると、ちょっと困る」


 手加減できなくなりそうで。

 そう言うと、リオネルはもう一度レリッサを抱きしめた。


「また明日来るよ。魔術師団に俺も一緒に行こうと思うから」

「…リオン様は、もうとっくに、『王』になる準備ができているのですね…」


 レリッサは、先ほどの会話を思い出しながら言った。

 先ほどの、魔術師団の話。


「ディートル様を呼び寄せようとされていたのは、『王』になられた後の展望を見据えられて、なのではありませんか?」


 リオネルは本当に、この国を変えようとしている。


(…すごい人…)


 ただ純粋にそう思う。

 そこに一体、どれほどの覚悟があるのか。いまだにそれについて迷っているレリッサには分からない。


「そうだね。今のままだと変えられないことも、『王』になれば変えられる。そう言う意味では、早くそう言う未来が来れば良いと思う」

「リオン様」

「だけど」


 レリッサの肩に顔をうずめて、リオネルは囁くように言った。


「まだもう少し、このままで居たいとも思う。全てが上手くいくかは分からないし、上手くいかなかったら、君を失うかもしれない…」


 怖い。と、そう告げるように、リオネルがレリッサの腰を強く抱きしめた。

 レリッサは肩に乗った彼の頭を、そっと撫でてみる。硬質な髪が、ちくちくとレリッサの手に触れる。


「一緒にいます。もし上手くいかなくても」


 言葉は、自然と出ていた。

 それはレリッサなりの覚悟だったけれど、レリッサ自身はそこまでは気づいていない。

 ただ彼を一人のままにしたくなかっただけだ。


 上り調子の時も、上手くいかなくて下っていく時も。

 波に飲まれ混迷とした中でも、あるいは見渡す限りの砂漠でどこへ行くか惑っても。

 どの道を行くとしても、彼と共に。


「だから、どうなってもずっと一緒ですわ」

「…君に」


 リオネルが顔を上げた。

 琥珀色の瞳が、嬉しそうに、けれどどこか泣きそうに輝く。


「本当は、君にそう言うことを言わせちゃいけないんだろうな」


 そう言いながら、リオネルはレリッサの額に口づけた。そして額に触れたまま、リオネルは囁いた。


「『その時』は、もうそんなに遠くない。絶対に掴んでみせる。君と歩む未来だ」


 幸せでないとね。

 そう言うと、リオネルはにこりと微笑んで、レリッサを腕の中から解放した。


 熱いくらいの温もりが離れていく。


「風邪ひいちゃまずいから、先に入って」


 レリッサはリオネルから離れて、玄関の取手に手をかける。リオネルを振り返った。


「ひとつだけ、聞いても良いですか」

「ん? なに?」


 思い浮かんだのは、彼の兄のこと。


「リオン様は、セルリアン様のことを、どう思っておいでですか」


 リオネルが一瞬驚いた顔をして。そして、困ったように笑った。


「んー…なんて答えたら良いかな…」


 リオネルは答えを探すように視線を彷徨わせている。


 レリッサの中で、ずっと重たくのしかかっていたこと。

 自分が|兄弟姉妹(きょうだい)に囲まれて生きているせいかもしれない。

 セルリアンのことがどうしても気になった。


 リオネルが『王』になった後。

 セルリアンはどうなる?


「昔は優しい兄だったと思うけど…」


 リオネルは慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「正直、今はもう良く分からないな。なにせ十九年前のことだから。今はどっちかって言うと、あの人は兄というより、やっぱり『王太子』なんだと思う」


 十九年の月日は、二人の兄弟を分かつには十分すぎる年月で。

 そのせいで、血の繋がりが空虚になってしまったのだろうか。


(だとしたら、悲しい…)


「セルリアン様は、どうなりますか…」

「そうだな…。分からない。できる限りのことはしたいと思ってるけど」


 そう言いながら、リオネルは悲しそうに眉を下げた。


「争わずに済めば良いんだけどね」


 レリッサは、リオネルや父がどうやって王位を取ろうとしているのかを聞かされていない。

 けれど、国王のリオネルへの態度を聞く限り、『呪』を解除するために王位を譲ってくれと頼んで、すんなりいくはずがないと言うのは、容易に想像がつく。


「結局、剣を交えなければならないのですか…」


 かつての、アンドロアスとマクシミリオンのように。

 一つの王座に、二人の兄弟。

 争わずには、その座は得られないのだろうか。


 リオネルが苦笑いを浮かべて、小さくため息をついた。

 それからレリッサに歩み寄って、もう一度マントでレリッサを包み込んだ。


「そんなに悲しそうな顔をされると、気持ちが鈍るな」

「っ。すみませんっ。そんなつもりではっ。ただ…」


 セルリアンとリオネル。

 どちらのことも知るからこそ、どちらにも傷ついて欲しくないと思うのだ。


 リオネルはレリッサの背中を、落ち着かせるようにぽんぽんと撫でている。


「俺は、『王』になるよ。『王』になって、変えたいことがたくさんあるんだ。国王や、王太子の、今までのやり方とは違う、新しいスタッグランドの形を作りたい。それは、王家の血をひく俺だからできることだ」


 それは、リオネルが見る、スタッグランドの未来。


「もっとこの国を良くしたい。もっとみんなが笑顔で、明日が当たり前に来て、今日も楽しかったって言える国であって欲しい」


レリッサの頭の中に浮かんだのは、領地にいる領民たちだった。

ラローザ領は比較的豊かな資源に恵まれている方だが、それでも領民の中に格差は確かに存在する。その格差が、少しでもなくなれば…。

いつも手を振って出迎えてくれる彼らの、その笑顔が頭に浮かんだ。


(私も…)


 レリッサはリオネルの腕の中で顔を上げた。

 琥珀色の瞳と目が合う。


「私も、リオン様が思い描くスタッグランドが見てみたいです」

「うん。一緒にね」


 リオネルはにこりと微笑んで、レリッサの頰を撫でた。


「どうなるかは分からないけど、できるだけ平和的に解決できたら良いって、俺も君の父君も思っているから」

「わかりました」


 レリッサは微笑んだ。

 結局、レリッサには父やリオネルを信じることしかできないのだ。


「それじゃあ、今度こそ中に入って。本当に風邪をひいてしまう」

「はい」


 レリッサはリオネルの腕の中から抜け出して、玄関の扉を開いた。


「おやすみなさい」

「おやすみ」



**********



 雪をうっすらと屋根に乗せて、馬車が一台。

 石畳をガラガラと言わせて、やがて大通りから細い脇道に入った。

 中から紳士が一人出てきて、すぐにまた後ろからやってきた馬車に乗り込んだ。


 馬車にはすでに二人の男が乗っていた。

 男の片方は大層恰幅が良く、六人乗りの箱馬車の座席をかなり占有している。


「貴方がスタッグランドに雪を連れてきたのか?」


 そう告げたのは、もう一人の男の方だ。

 赤茶色の髪に、ペリドットの男。

 この国で、宰相と呼ばれる男だった。


「何をおっしゃるかな。テルミツィアでは、この程度雪にも入りませんぞ」


 後から馬車に乗り込んだ紳士は、頭にかかった雪をふるい落として言った。


「それで? 例の物は?」

「性急だな。世間話くらいできないのか」

「時間が惜しいのは、お互い様では? 宰相閣下」


 ふんと宰相は鼻を鳴らして、懐から書状を一枚取り出した。

 中を開いて、紳士が満足そうに口角を上げた。


「良いでしょう。正真正銘、王の印章のようだ。良く手に入れられましたな」

「何。印章など誰が押しても同じこと…」

「ふむ」


 紳士は少し考え込む素振りをした後、ニヤリと笑った。


「王子は、己が傀儡かいらいとなっているとは気づきもしないというわけか」


 宰相は答えない。

 紳士はその書状を恰幅の良い男へと差し出した。


「良いでしょう。タイミングはそちらに任せますよ。公爵」

「本当に例の件、チャラになるんだろうな!?」


 恰幅の良い男が書状を受け取りながら、身を前に乗り出した。

 馬車が大きく揺れて、紳士は顔をしかめる。


「もちろん。貴方がそれなりの働きをすれば、こちらは要求に答えましょう」


 紳士は宰相へと視線を戻した。

 何を考えているのか、人相が悪く眉間には常に皺が寄っている。あまりずっと見ていたい顔でもない。


「貴方の方の条件は…」

「大将だ。総大将を必ず落とせ。それ以外は、私はどうでも良い」

「スタッグランドの『黒死鳥』か。…大層な重荷だが、やってみましょう。それにしても、私の要求は一つなのに、貴方方は二人で二つ。どうも割に合わん気がしますな…」


 顎を撫でながら言った男の言葉に、宰相が不快そうに眉間の皺を深くした。


「国を売っているのだ。十分な対価だろう」


 そう言うと、宰相は話は終わったと、馬車の扉を押し開いた。

 それを見て紳士はわざとらしく嘆息した。


「性急なのはどちらですかな」


 宰相は答えない。

 紳士は、雪が舞う中へと戻っていった。


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