死が僕らを分かつまで
織部
第0話
ボクがそれに気づいたのは三十歳になった頃だった。
ボクの身体は成長を止め、命に終わりがなくなっていた。ボクが彼らを置いていくのではなく、彼らがボクを置いていくのだ。それを悟った瞬間、ボクは妖精、神、そんなものの一部になった。
アドニは段々と歳をとっていく。茶色の髪には白髪が混じり、顔に深い皺が刻まれていく。それなのに、ボクには何の変化もない。
アドニとボクは夫婦なのに、傍から見れば似ていない祖父と孫。
身体を重ねるほど、
唇を重ねるほど、
手を重ねるほど、
ボクたちは遠くなっていく。
それでも、あの日交わした約束をボクは覚えていた。
アドニの命が尽きるまで、そばにいる。
アドニがボクのことを忘れても、ずっとそばにいる。
呼吸が止まり、身体の熱が冷めるまで、必ずそばにいる。
ボクとアドニを別つ時が、段々と近づいてくる。
叫びたいほど、泣きたいほど、どんなに罵っても終わりが来る。
嫌だ、やめてくれ! ボクから奪わないでくれ…
何度も何度も願った。それでも、その日は来てしまった。
固く閉じられた瞳。紫色の唇。身体は冷え、固くなっている。
ボクの愛する人。この世界で唯一ボクを愛してくれた人。どうか安らかに。
土に埋まっていく彼の棺の傍でひざまづき、ボクはただ願った。
煙草に火をつける。
すうっと思いっきり吸い込んだ途端、ゲホゲホとせき込んだ。美味しくない。なんでこんなもの好き好んで吸っていたのだろう。
それでも、もう一度吸い込む。煙草の先が赤く燃え、吐く煙は空気に霞んでいく。
昔々、ボクの愛する人が吸っていた煙草。この匂いを嗅ぐだけで、懐かしい日々が蘇る。隣にいるだけで幸せだった。あの声が、ボクの名前を呼ぶだけで、ぞくぞくした。
重なる唇。舌が絡まり、指先が身体に触れる。そして、ボクたちは一つになる。ぐちゃぐちゃと音がして、口から喘ぎ声が出て、真っ白に果てる。その後、汗ばんだ身体で抱きしめてもらうのが好きだった。
ボクたちには子どもはできない。ただ、欲求を発散するだけの行為。
それでも、心の底から幸せだった。幸福だった。
それも、もう過去のこと。
ボクはこの熱くなった身体を、一人で慰める。
ねえ、アドニ。あなたの匂いに包まれて、一人でするのは寂しいよ。
煙草が燃え尽き、灰になって落ちる。口からぽとりと煙草が落ちた。
その白くたなびく煙を眺めながら、「ああ…」と小さくつぶやき、果てた。
一体、どのくらいの月日が流れたのだろう。
ボクの友人たちの子が、さらに子を産み、その子がまた子を産み…
何世代も死を見送った。
最初は悲しかった別れも、いつの間にか日常になっていた。
この子もいつかは死んでしまうのだ。と満面の笑みで、ボクを見上げる幼子の頭を撫でながら、思ってしまう。
こんな化物のようなボクを、誰一人見放さず、必ずボクに子どもを見せに来る。まるで、次はこの子があなたの相手をすると教えてくれているようだった。
もちろん、嬉しくないわけじゃない。でも、置いて行かれるのは、やっぱりちょっと寂しいんだ。
たまに、友人たちに瓜二つの姿で生まれてくる子がいる。それを見ると、アドニの子がいたら、きっとそっくりだったのだろうと、妄想してしまう。
友人たちの生まれ変わりと出会うこともあった。彼らはボクのことを覚えていないようだったが、ボクには分かった。
だが、アドニの生まれ変わりには、まだ出会ったことがない。きっと出会ったところで、ボクのことなんて覚えていないだろう。
それでも、もう一度、もう一度だけでいい。名前を呼んでほしい。「ベオ」とただ一言だけ、ボクの名前を呼んでくれれば、それでいいんだ。
ただ、それだけの願いなのに…
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