ex 黒装束の聖女、決死の時間稼ぎ
この状況で、ミカ一人が逃げ出すのは容易だ。
最初に張った相手の起こした現象に対し山を張って対抗策として発動させた結界は自立型の物へと切り替えた。
そしてシズクが掛けてくれた、他人に付与する強化魔術としては見た事も聞いたことも無い水準の強化魔術もあり、自身の自衛のための強化魔術を解いた今、あの山で掛けられた電流が走る拘束魔術の効力は肉体に現れていない。
そしてその拘束魔術にあの時程の効力が残っていない以上、持続して使用する魔術はまともに扱えなくても、その一瞬で発動させる魔術に限って言えば歯を食いしばればなんとか運用できる。
だから逃げようと思えばこの結界の外へと空間転移の魔術で出て、そのまま走り去れる。
このあまりにも突発的に始まった戦いは、逃げようと思えば逃げられる。
寧ろ自分の立場を考えれば、逃げられるならば逃げなければならない。
自分にはまだやるべき事が山のようにあるから、こんな所で死ぬわけにはいかない。
あの山で自分達の目的の為に殺人未遂を犯したように、歯を食いしばって自己中心的な行動を取らなければならない。
命の価値が平等だなんて考え方は世間知らずなお姫様の考え方で。
色んな人が命懸けで生かしてくれた自分の命は、自分が思っている以上に重い。
だから。だから。
この場は後ろめたくとも、何だろうと。
とにかく逃げるべきなのだ。
生き延びるべきだと。
理性はそう訴え掛ける。
そんな理性を、本能が止めた。
本能が止めれば、理性もきっと一時的ではあるけど本能へと寄っていく。
寄って行ってくれる。
逃げる訳にはいかない。
逃げて良い訳が無い。
既に善良な人間に対する自己中心的な殺人未遂を犯している立場の人間が言える事ではないのは間違いないけれど……それでも。
「……腹くくるしかないか」
この場を放棄したら、自分が好きだった人達に顔向けできない。
ルカに顔向けできない。
「コイツの動きを無傷で止めれる!? 必要な時間があれば私が稼ぐ!」
だから茨の道を進む事に決めた。
考えて辿り着いた、投身自殺にほど近い策を実行に移す覚悟は決まった。
「やってみるっす!」
その為の下準備。
シズクが相手の動きを止めるまでの間の時間稼ぎ。
当然、そもそも止められる保証なんてない。
自分はシズクの事を殆ど何も知らないから、何ができるのかも全く分からない。
だけど……信頼したいとは思う。
あれほど素人感の凄い構えをせざるを得ない程、この距離での戦闘に慣れていないのに、シズクは逃げなかった。
逃げないで一緒に戦ってくれている。
それだけで、信じて託すのには十分だ。
それで駄目でも責めはしない。
だから後ろの心配はせずに……とにかく目の前の事を。
「時間を稼ぐ? 無傷で止める? おいおい悩ましいなこれは」
そして男も構えを取り直す。
「時間一杯好き放題やるか、さっさと終わらせるべきか。うーん迷うぞ」
と、そこで良い事を思いついたという風に男は掌にポンと拳を置く。
「さっさと終わらせてその後好きにすりゃいいんだ。なるほどもしや俺は天才かぁ」
「……」
聞く耳は持たない。
静かに呼吸を整えて、目の前の男に意識を割く。
「よしそんな訳で……今は数発で我慢しとくか!」
そう言った次の瞬間には、目の前に男が居る。
空間転移などの特別な事をした訳ではない。
強化魔術で得た脚力によるシンプルな間合いの詰め方。
だがそれが通常の強化魔術を切りシズクの強化魔術に身を預けているこの状況。
従来より動体視力が落ちているこの状況では、まるで瞬間移動でもしてきたかのように見える。
それでも……転移魔術を否定できる程度には。
その動きを肉眼で捉えられる最低限度の出力は貸して貰えている。
だとすれば……その一撃は止められる。
「お……ッ!」
「……ッ!」
放たれた拳を往なした。
そしてそこから流れるように放たれた追撃も、辛うじて往なす。
やる事はその繰り返し。
ルカに身を守る為に教えて貰った事を、一つ一つ丁寧に熟していく。
モーションから攻撃の軌道を読み、躱し往なし、そして。
躱せない攻撃は、可能な限りの防御を重ねて受ける。
「……ッ!?」
放たれた直感的に躱せないと悟る攻撃。
その蹴りが直撃する瞬間自前の強化魔術を発動させ、一気に身体能力を引き上げ、そしてそのまま攻撃を受けた。
「ぐ……ッ!?」
腹部を貫くような鋭い一撃。
だけど意識を失う程の物ではない。
自身の強化魔術にシズクの強化魔術が重ね掛けしてあるからとういう事もある。
だけどそもそも……それ程重い攻撃ではない。
あの山の中で殴り合った、あの聖女の一撃の方が遥かに重い。
だから耐えて、受けて、吐きそうになりながらも踏み止まった。
全身に走る電撃と痛みに耐えながら、両足に力を入れ踏み止まった。
弾き飛ばされ結界を割る訳にもいかないから。
自分が弾かれて、シズクを攻撃にさらす訳にはいかなかったから。
歯を食いしばって耐えた。
「お、良いねえ」
(ちっとも良くない……でも)
今の十数秒の攻防。
完全にフリーになったこの十数秒で……確かに状況が変わった。
足元が、冷たい。
(……水?)
強化魔術を解きながら、その感覚の正体を知る。
「な、なんだこれ」
男も困惑した声を出しながら、思わずと言わんばかり自分達から距離を取る。
だけど距離を取ろうが取るまいが、状況は変わらない。
「見ての通り水っすよ」
突然、足元に水が張られた。
それは物凄い勢いでこの閉鎖空間の中で水位を増していき、瞬く間に足首程の水位となった。
そして次の瞬間、シズクは呟く。
「拘束」
起こす現象のイメージを言葉にするように。
「な、は? あ、足が……ッ!?」
そして男が困惑するようにそんな事を呟く。
端から見るに、まるで沼に足を取られたように。
否、もっと強力に。
足が水に絡まり固定されているように、その場から動けないでいるようだった。
ミカは何の問題も無く動けるのにだ。
(凄い……)
具体的に行われた事は分からない。
だけどシズクは何もない空間に短い時間でこれだけの水位の水を張り、そしてその水を操り敵を拘束してみてた。
圧倒的なまでの技術の賜物。
「さ、やったっすよ! てかこんなのやった事無いんでそんなに持たねえと思うっすから、早いとこ頼むっす!」
「……分かった」
これ以上、凄いと感心したり賞賛したりなんてのは後回しだ。
なんとか時間を作った。
その時間で自分の要望に応えて貰った。
さあ此処からだ。
此処まで来てそれでもまだイチかバチか。
失敗は出来ない。
チャンスは一度。
子供を助ける為に、分の悪い賭けに出る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます