第13話 他人から見たら、良い母親

 母は他人から見たら、めちゃめちゃ良い母親に見えていたと思う。


 パパの会社の人関連やパパ方の親戚との交流や接待は一切しない人だったが、私の誕生会はしっかりとする人だった。


 今の時代はそういうのやるのか分からないが、私の子どもの頃は誕生日がある週の土曜日の午後に(当時は土曜日は半日授業だった)お昼ご飯を含めたお誕生日会をやる風習があった。


 それは家族でやるものとは別で、学校や近所の友達を招待してやるのだ。


 母が、前もって何人までならいいよ、と言うので私はその人数の友達を招待しておく。

 そうすると、私の帰宅よりも早くにもう私の家に着いている子なんかもチラホラいて、そういう時に母は子どもたちにご飯を食べさせ話しかけ、接待していた。


 普段、友達が遊びに来た時にも母はあれやこれやと友達を接待する。


 だからうちに遊びにきた友達は、母の事をなんて良い母親かと思うし羨ましがられる。

 そういえば私は、そうやって友達から母の事を羨ましがられた時に否定したことは無かった。母の悪い部分を言う事も無かった。


 ただ、そんな母に育てられた私に「甘やかされて育った」と言った人にだけはとてつもない憎しみを感じていた。


 子どもだったから自分の中の感情やその理由などを上手く整理したり、突き詰めたりは出来なかったけれど、多分私の中で「お前に何が分かる!」という気持ちが沸き起こっていたのだと思う。


 私には物心ついた頃から、母に愛されたいという気持ちは欠落していたので母に対する関心があまりに無さ過ぎた。


 なので母に甘えることも、何かを話したがったりすり寄っていったりも無い。

 けれど遊びにきた友達は、色々して話しかけてくれる母になつく。


 そうすると友達が帰った後に私は嫌味を言われる。

「他の子は皆、愛嬌があって可愛いのに、あんたは可愛げがない」と。


 そんな事言われたって、友達がしていたように母にすり寄ったり話しかけたりなんて気持ち悪くて出来ない。

 だいたい、母だって私の事可愛くないのにすり寄られたら気味悪いだろうに。


 いや分かっている。

 母が求めているのは私が甘えたりすり寄ったりする事ではなく、よその子みたいな愛嬌をふりまくなのだ。


 けれどそれが出来るほど、やっぱり私は母を好きではなかったし、好かれたくも無かったのだった。

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