第48話 誕生

  慶長六年、真田昌幸、信繁親子が九度山へ幽閉となったその年

その後を追う様に身重の女が半年遅れで九度山を訪れた。


「高梨内記の娘、桐と申します。どうぞよろしくお願い致します」

 信繁の正室お春の前で、折り目正しく挨拶をする桐に負けじと

お春も朗らかな笑顔を見せて応じる。

「桐様とは、大阪城で何度かお会いしておりますね。見知った方

に来て頂けるのは心強いです。仲良く致しましょうね」

 一見和やかな女子同士の挨拶に見えるが、何故か部屋の中が凍

える様に寒く感じる。

 お春の横に座りながら、信繁は二人の醸し出すに気押され

冷や汗を滲ませながら、冷めた茶を啜った。

「信繁様」

 お春が仮面の様に完璧な笑顔で、信繁に向き直る。

「何かな、お春」

 慌てて湯飲みを置き正座する信繁。

「この際ですからしかと確かめて置きたいのですが、他にお迎え

になるご予定の妻子はいらっしゃいませんか?」

「‥‥居ません」

まことですか?」

「真です」

「あ、そう言えば、大阪で信繁様に言い寄っておりました侍女達

が何人かおりました。未亡人の方も–––––」

 桐が思い付いた様に手を叩き、信繁の首を締める発言をする。

「き、桐!お前何を」

 信繁が青ざめて桐を諫めようとする。

「未亡人の方のお噂は聞いた事があります。確かお駒殿––––」

 お春も桐の話に同調して、記憶を辿る。

「そう、お駒殿です。何度か信繁様とご一緒している所を、お見

かけ致しました」

 お春と桐は意気投合して、その後も信繁の大阪での黒歴史をあげつらう。

 居た堪れずに信繁が部屋から逃げ出そうとすると、二人は協力し

て信繁を引き戻し、取って付けた様な笑顔で信繁に迫った。

「信繁様、白状するなら今の内ですよ。本当に他にお手を付けた方

は居りませんか?」

 その時、信繁は人生で一番の窮地に立たされていた。


「信繁と桐がのう、彼奴あいつめ誰に似たのか手の早い事だ」

 カラカラと笑う昌幸の横で『貴方以外の誰に似たというのです』

と言わんばかりにお清の方が、胡乱うろんな目で夫を見つめる。

 雲行きが怪しくなる前にと、内記がすかさず謝罪の言葉を述べる。

「せっかく信幸様の御尽力で上田に留まる事が出来ましたのに、こ

の様な事になり、誠に申し訳ございません」

「いや、儂としては信幸でも信繁でも、どちらでも良かったのじゃ。

お前の娘が側室として信繁を支えてくれれば、儂等も安心だわ」

「桐は私達にとっても娘の様な者。本当に良かった‥‥‥」

 お清が袂で涙を拭った。


 信繁の子を宿した桐が九度山へ来た事で、流罪となった真田家の

人々は新たな希望を見出した様に沸き立った。

 しかし、数ヶ月後にお梅が誕生してから桐の様子に異変が見られ

る様になった。

 周りの者達も始めは産後の鬱かもしれぬと、初めてのお産で心身

の疲れが出たのだろうと見守っていた。

 しかし桐は生まれた我が子を抱き上げようとはせずに、部屋に引

き籠る日々が続いた。


「信繁様、桐殿の具合は未だ良くないのでですか?」

 お春が僅かに張り出した腹を庇いながら、信繁の側に腰を下ろす。

 半年先には彼女も母となる事が分かり、真田家に再び慶事が訪れ

る事で家人達は何処か浮足立ちながら、皆忙しく諸々の準備に追わ

れていた。

「まあ、良く眠っております事」

 お春は信繁に抱かれて眠る赤児を覗き、笑みを溢す。

 信繁はゆっくりと赤児を揺すりながら、赤児の背中を優しく手の

平でポンポンと叩く。

「‥‥慣れていらっしゃいますね。私達よりも様になっております」

 以外そうにお春が信繁を見つめる。

「そうか?」

 信繁は腕の中で眠る赤児を慈しむ様に見守りながら、お春に言葉

を返す。

「この子は信繁様に似て、きっと美人になりますね」

 しみじみとお春がそう溢すのを聞いて、信繁が可笑しそうに笑う。

「‥‥お梅、」

 ポツリとお春が呟く。

 信繁の顔が一瞬強張り、驚きの目でお春を見る。

「今、何と?」

 お春がにっこりと微笑みながら、信繁に答える。

「いえ、この子の腕に梅の様な形の痣があるから、それに因んで

という名前も良いかなと‥‥申し訳ございません。

桐殿や信繁様にも何か考えている名前があるでしょうに」

 お春が出過ぎた事をと詫びる。

「いや、良い名前だと思う」

 信繁が噛み締める様にその名前を呟く。

「お梅か、そうだな‥‥‥これも何かの巡り合わせ–––––お梅、

この子の名はお梅にしよう」

 信繁はそう言いながら、指先でそっと赤児の頬を撫でた。


 お加代が殆ど箸を付けていない膳を持って、部屋を出る。

 お美代が母の元に来て、心配そうに尋ねる。

「桐様、そんなに悪いの?」

 お加代が目尻を下げて、娘にどう答えようか迷うが、無心に

桐の様子を案じる仕草に対し、偽りのない返答をしようと決めた。

「桐様はお身体の具合はどこも悪くないのだけどね、今少しお心

を病んでおられるみたいなのです」

「お心を?」

 そんな病は聞いた事がないと、お美代は戸惑いの顔で母を見上

げる。

「どうすれば、治るの?」

 お加代は困った様に首を振り、今はそっとしておきましょうと

言って、炊事場へ膳を持って行く。


 半年前、ここに来た頃の桐は明るく喜びに満ち溢れ、周囲の者

達もその様子に励まされ、九度山での再出発を皆決意した。

 心配されていた正妻のお春との中も、いつの間にか意気投合し

まるで旧知の間柄の様に親しくなった。

 また持ち前の姉御肌を発揮して、貧しく不便な九度山での生活

を少しでも良くしようと、身重の体ながら献身的に働いた。

 お美代や他の家臣の子供達もそんな桐に懐き、お美代は桐を姉

の様に慕っていた。


「桐様‥‥‥」

 お美代がそっと襖を開けて、桐の様子を覗く。

 寝間着姿で、桐は布団の上に正座してじっと板壁を見つめていた。

「桐様」

 お美代がもう一度声を掛けると、やつれた様子の桐が振り返り瞳

を瞬く。

「‥‥お美代ちゃん」

 桐がそっと微笑む。その笑みに勇気付けられ、お美代は部屋に入

ると、桐の側に来て手のひらを差し出す。

「これ、桐様にあげる。早く良くなってね」

 小さな手のひらには、和紙で作った折り鶴が乗っていた。

 桐はそれを手に取りお美代の頭を優しく撫でる。

「ありがとう、お美代ちゃん」

 微笑む桐の顔が不意に強張る。

「‥‥‥泣いている‥‥あの子が‥‥‥‥泣いている!」

 桐が耳を塞いで頭を下げ、ガタガタと身体を震わせる。

「桐様!どうしたの!何処か苦しいの?」

 お美代が驚いて、桐に縋り付く。

「ああ、許して!もう私を許して、梅乃–––––」

 桐が泣きじゃくりながら、激しく首を振る。

 異変に気付いたお加代や他の侍女達が来て桐を宥めるのを呆

然と見つめながら、お美代は子供心に桐の病の深刻さを悟った。


『どうして?あんなに生まれてくる赤児に会えるのを楽しみに

していたのに–––––』

 潰れた折り鶴を拾い上げながら、お美代は肩を落として部屋

を出て行った。


 


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