第6話 ひと時の安息




 和やかな食事を終えるまでは良かった。エリオットとデイジーの攻防は会計の際に起こった。



 エリオットは女性とこのような食事をしたことがない。しかし、『女というのは男に金を払わせて当たり前だと思っている』と、同期の祓魔師エクソシストが嘆いているのを聞いたことがある。

 エリオットとしては別にデイジーが金を払わなくても、大した店に連れて来たわけでも無いし、エリオット自身稼ぎが悪いわけでもない。だから、デイジーがトイレに行っている間に会計を済ませたのだ。しかし、デイジーはそれが納得いかなかったようだ。


 悪魔から守ってもらっているし、部屋に泊めてもらうのだから、自分が払いたいと店を出てからエリオットに詰め寄ってきた。店の中で言い出さない辺りは、デイジーなりの配慮だったのだろうが、エリオットは大いに戸惑った。

 バルでの件は、初の外食記念なので、エリオットがごちそうするということで収まったが、次は自宅へ戻ってからだ。


 フォルテミアの冬は寒い。一年中じめじめとしているため、湿度はあるが、冬の気温はぐっと下がる。

 部屋に入りランプをつけると、冷えた身体を温めるために、エリオットはすぐにリビングと寝室の薪ストーブへマッチの火を入れる。火が付いたのを確認してデイジーへ風呂を促すと、デイジーはきょとんとした顔をしてエリオットを見つめてきた。


「え?…私後で大丈夫ですよ。冷えましたでしょう?エリオ神父が先に入られてください。」

「…。」

 デイジーはあたかも自身が後で入ることが当たり前かのような返事をしてきた。冷えたのはお前も同じだろうと思いつつ、デイジーの様子を見てエリオットは考える。


(…こいつ、絶対にベッドで寝ろと言ってもソファーで寝るって言い張りそうだな…。)


 床に膝を付きながら、ボストンバッグの荷物を整理しているデイジー。

(…もういっそのこと、ソファーで寝かすか…?いや、流石に女にそんなことさせられない…。)




 女性関係がしっかりしているとは言えないが、エリオットにだって紳士的な思考は持ち合わせている。ストーブがあると言っても今は12月。華奢なデイジーがソファなどで寝れば、すぐに風邪をひいてしまいそうだ。


「…分かった。風呂は先に俺が入る。」

「はい。ごゆっくり。」

 にこっと微笑むデイジーの笑顔に見送られ、エリオットはバスルームへ移動する。先にシャワーのお湯を出しバスルームを温める。

 まだひんやりとしているローマン・カラーを脱ぐと、神父らしからぬ引き締まった身体が現れた。祓魔師エクソシストは神父といえど身体を張った仕事が多い。どちらかというと兵士に近い。そのため体力づくりもするし、筋トレだってする。信徒と関わっている一般的な神父よりも身体付きの良い神父が多いのだ。

 服を脱ぎ終わったエリオットはシャワーを頭から浴び、冷えた身体を温める。その間、朝からの出来事が勝手にエリオットの脳内によみがえってきた。



(…デイジー・ローズか…。…不思議と不快じゃないな…。)



 エリオットは今まで女性と関わるときは、本当に身体だけの繋がりしかなかった。一緒にいることが面倒で、大抵、事を済ませると朝を迎えず自宅へ帰ることがほとんどだ。もちろん、自宅に女を連れてきたことはない。居座られては面倒だからだ。

 いつも情事は女性の家か宿かどちらか。考えてみれば最低だが、その条件を飲んでお互い都合のいい関係で成り立っていたのだから、別に悪いことではないとは思う。しかし、純真無垢を体現した様子のデイジーに知られてしまった事がなんだか後ろめたい。真っ白な少女を染めてしまったような…。


(…いや、事を犯したわけでもあるまいし…。…あいつも18歳なら淀んだ男女の関係だって知ってるだろう…。…多分…。)




(やはりなんだか罰が悪い。)


 エリオットは普段よりも早くシャワーを浴びた。















「…。」

 一人で部屋にいるデイジーが気になり、シャワーを早めに済ませたエリオット。だが、リビングに戻るとデイジーはすぐそこに居るのだが、反応はなかった。


(…結局、ここで寝てんのか…。)


 デイジーはすやすやとソファーの上で眠っていた。

 昼間と言い今と言い、良く他人の家で、しかも男の家でこんなにも熟睡できるもんだとエリオットは思ってしまう。


「…おい。起きろ。」


 エリオットはデイジーの肩を揺らし、目の前の少女を起こす。風呂に入らないにしても、ベッドへ移動してもらわなくては。ソファはエリオットの寝床だ。


「…ん…。」

「…俺はシャワーを浴びたぞ。あんたはどうする?」

「あ…、…すいません、寝ちゃって…。」

「別にいい。移動とかで疲れてたんだろ…。」

「はい…、それもありますが…、実は、最近あまり眠れてなくて…。」

「は?いつから?」

「…5日前?…あの子どもたちの霊を見てから…。」

「…お前な…、それを早く言え。他に何かあるかって聞いただろ。」

 エリオットはなぜかイラっとした。それなら食事だってさっさとすませて帰ってきたというのに。


「すいません…。私事だから、あまり関係ないかなって思っちゃって…。」

 しゅんとした様子のデイジーを見て、エリオットは苛ついていた気持ちが今度は焦りに変わる。

「い、いや、責めてるわけじゃないんだが…。…私事ってなんだ?」

「…だって、悪魔や悪霊がでて眠れないんじゃなくて、怖くて眠れなかっただけなんですもの…。」

「…。」


 目を伏せ、少し恥ずかしそうにしているデイジーをエリオットは瞬きをしながら見つめる。意外な発言だった。のほほんとしており、能天気だなとは思っていたが、恐怖心はずっと持っていた様だ。デイジーへの認識を改めていると、「でも、」とデイジーが話を続けた。



「エリオ神父がすぐ傍に居るって思うと安心しちゃって…、つい熟睡してしまいました…。…やっぱり、誰か傍に居るって良いですね。」

 デイジーの表情は、言葉通り安心しきった明るい笑顔だ。


「……はぁ…。…他に言ってないことはないか?」

「いえ、そのほかは特に何もないかと…。」

「本当か?」

「ふふっ。本当です。ごめんなさい。心配してくださってありがとうございます。」

「…何笑ってんだよ…。」

「いえ。なんか嬉しくって。」

 本当にこの女が何を考えているのかが分からない。能天気なのか、バカなのか…。 

「…はぁ…。…シャワーはどうする?」

「お借りしても宜しいですか?さすがにお部屋に泊めていただくのに、シャワーを浴びない訳にもいきませんので。」

「あぁ…。そこの右側のドアだ。タオルは脱衣所にあるから好きなものを使え。」

「はい。ありがとうございます。」

「それと、…あまり男にそういう事は言わない方がいい。」

「…?そういう事?」

「はぁ…。分からないならいい。」

「……エリオ神父もあまりため息ばかり吐いていては幸せが逃げてしまいますよ?」

「ご忠告どうも。」

 イラっとしたエリオットはデイジーへ「早くいけ!」と促した。脱衣所へ消えていくデイジーを見送り、エリオットはソファへ深く腰かける。




 「…はぁ…。ヴルカン…。明日は頼んだ。」


 エリオットは、良く分からない落ち着くような、そわそわするような感情に気を留めず、自身の精霊に声をかけた。すると、ふわっと体内が一瞬だけ暖かくなる。ヴルカンからの返事だ。


 エリオットはローテーブルに置いたままだった、『デイジー・ローズ』の依頼書をもう一度手に取った。依頼書を読みながらデイジーから聞いた話を思い出す。


(…あいつが見た子どもらは、悪霊か、本当に悪魔か。)



 悪霊にせよ、悪魔にせよ、祓わなくてはならないのには変わらない。エリオットは読んでいた依頼書を再びローテーブルに戻し、ソファから立ち上がった。そして、真夜中に備えて、昼間窓際に置いた悪魔祓いのシェリーグラスを回収する。



 夜は悪魔も悪霊も魔力が強くなる。



 エリオットは回収したシェリーグラスをダイニングテーブルの上に置き、自身の人差し指をナイフで少しだけ切った。そこからツーっと垂れてくる血液でシェリーグラスの淵をなぞる。すると、グラスの中の聖水がふわっとほんのり輝いた。しかし、それは一瞬だ。聖水はすぐにもとの透明な液体へ戻り、血液で赤く染まっていたグラスの淵も元に通り、透明な輝きを放っている。


 精霊と契約したエクソシストの血液は、精霊の力を加えるとより強い魔除けになる。自身の血液で4つのシェリーグラスすべての魔除けの力を強め、再び窓辺に戻す。しばらくすると、シャワールームからデイジーが戻ってきた。



「…。」

「エリオ神父。シャワーをお貸しいただきありがとうございました。」

「…いや、…はぁ…。」

「…エリオ神父?」



 別にいい、別に何を身に纏おうが本人の自由だ。しかし、デイジーが身に纏っているのは、長袖でくるぶしまでのロング丈のネグリジェ。露出はいたって少ないものの、レースと刺繍があしらわれたその柔らかな素材が、デイジーの美しいメリハリのある身体のラインをありありと表している。それに、露出が少ないからこそ逆に、大きくU字に開いた襟元から見える鎖骨と胸元にエリオットは目が行ってしまう。

 その人の性格によるものなのだろうか。どんなにアメリアが露出した格好をしても何とも思わないのに、デイジーが少しでも肌を見せただけで妖艶に見えてしまう。


「…あのなぁ、…お前、…俺だって男だぞ?」

「はい?」

「…いや、…はぁ。なんでもない…。」

「…お疲れですか?」

 エリオットはうつむいた顔を挙げ、気持ちを入れ替えた。



「…俺はお前の言う通り先に風呂に入った。だからお前はベッドを使え。」

「え?そんな、結構です。ベッドはエリオ神父がお使いください。」

「次はお前が俺の言う通りにしろ。っていうか、俺の家だから、俺の指示に従え。お前はベッド。俺がソファだ。」


 そう伝えると、デイジーはポカーンとした例の間抜け面になる。嫌な態度だっただろうか。しかし、こればかりは譲れない。エリオットは間抜け面のデイジーが、この次どう出るか身構えながら見つめていると、デイジーの表情が綻んだ。


「…ふふっ。横暴なんだか、優しいのか、分からない言い方ですね。」

「…………良いから寝ろ。寝不足なんだろ?体調が悪ければ悪魔を祓いにくくなる。」

「はい…。エリオ神父。」

「…?」

「あなたの優しさに感謝いたします。」

「…。」

 そう言ってデイジーは、エリオットの前で両手を組んで膝を着いた。祈りのポーズだ。

 閉じられた瞳は長いまつ毛が目立つ。その姿はまるでデイジー自身が女神の様だ。


「…では、お言葉に甘えて、ベッドを使わせていただきますね。」

「…あぁ。…昼間も思ったが、あんたずいぶん信仰深いんだな。」

「え?」

「…いや、そういう風に感謝されるのは初めてだ。」

「そうなのですか?」

「…あぁ。…まぁ、少し驚いた。…こっちにこい。」

「…?」

「…あなたに安らぎと癒しの眠りを。」


 両手でデイジーの頭を引き、額を合わせて安眠の祈りを送る。ついでに加護も与えた。


 就寝前の正式な挨拶など、今は簡略化され、ほとんどの人がやっていないだろう。エリオットも修業時代以降初めてやった。それに、額を合わせる方法など今までは絶対にやろうとは思わなかったのに、その信念をいとも簡単に覆された。その事実が何だか気にくわないがなぜか不快ではない。




「…もう寝ろ。」

「はい。ありがとうございます。お休みなさいませ。」


 デイジーの嬉しそうな笑顔はやはり花の様だった。

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