第4話 デイジー・ローズという女



 来た道を二人で戻り、再び先ほどと同じ場所へデイジーを座らせる。


 エリオットは咄嗟に家に泊まれと言ってしまったが、この小さな部屋でデイジーをどこで寝かせようかなどと考えると、どんどんと疲れが顔を出す。チェアの背もたれへ全体重を任せ、エリオットは目元を手で隠して天井を仰いだ。



「はぁ…。」

「…あ、あのー、エリオ神父…。その、すいません。」

「…何が?」

「いえ、何がというか、お疲れの様で…。」

「…。」


 まだデイジーが自身を見つめる目は、情欲とは無縁な信頼などの無垢な瞳だ。相手は悪魔に好かれた依頼主。その相手を保護するのもエクソシストの務め。女を自宅に招き入れること自体がありえないのに、これ以上この女に優しくはしたくないのが正直なところだが、エリオットは腹をくくる。



「はぁ。…あんたは今日、俺のベッドで眠れ。俺はソファで寝る。」

「いえ、そんな。私がソファで結構です。」

「は?女をソファで寝かせるわけないだろう。」

「ダメですよ。私のせいでエリオ神父にご迷惑をかけているのですから。」

「…。」

「…。」


 意外にもデイジーは強情だった。せっかく相手に惚れられるかもしれないという煩わしさを考えないように対応しているというのに、エリオットは面倒くさくなる。



「…じゃあ、今晩のことは後で考えよう。俺は疲れた。寝かせてくれ。」


 そう伝えると、きょとんと目を丸くした後に、口元を抑えておかしそうにデイジーが笑い出した。


「ふふっ。もちろんですよ。あなたのお宅なんですから、お好きにされてください。」

「……それはそうなんだが…、その間あんたは…。」

「本でも読んでおります。汽車に乗るから、何冊か持ってきていますので。」

「…。」


 嫌な顔をされると思ったエリオットは、ふわっとおかしそうに笑い、一人で本を読んでおくと言うデイジーの反応に面食らった。

 いや、自分で言い出したことだ。不本意な客を放置して寝る予定を変更するつもりはない。しかし、こうも全肯定され、笑顔で見送られるとは思わなかった。文句に備えて考えていた言葉は、無意識に気遣いの言葉へと変わっていた。

 優しい言葉をかけてしまったエリオットは内心舌打ちを打って気持ちを切り替える。



「…じゃあ俺は寝るから、あんたは俺の家から出なければ何処に居てもいい。だが、ソファは俺に貸せ。」

「ソファで寝るんですか?」

「あぁ。」


 エリオットは今晩デイジーをベッドで寝かせるつもりだ。もともとエリオットのベッドではあるのだが、昼間に他人が寝ていたベッドへは入りたくないかもしれないという彼なりの配慮だ。



 エリオットは食器棚からシェリーグラスを4つ取りだす。そこへ蓋つきのゴブレットに入っていた聖水を注ぎ、グラスの中にコインを落とした。きらきらと光を乱反射させ、揺らめきながら沈むコイン。最後にそこに精霊の力を少しだけ加える。


「…何ですか?それ?」

「簡易的な悪魔祓いの道具だ。これで俺が寝てる間は大きな動きは出来ないだろう。」


 そう言ってエリオットは玄関と、窓の近くへグラスを一つずつ置く。寝室の窓の前にも一つ置くと、デイジーのいるリビングへ戻り、エリオットはソファに座っていたデイジーの前に佇んだ。


(あとはこいつをどうするか…。)


「あ、ごめんなさい。ソファでお休みになられるんですよね。」


 何を勘違いしたのか、デイジーがソファから慌てる様に離れたが、まぁ良いかと、デイジーをダイニングのチェアへ誘導する。



「俺が寝ている間、俺には触れるなよ。」

「はいはい。…ふふっ。モテるのも大変ですね。」

「…。」


 デイジーの反応では、いかにも自身が自意識過剰みたいで嫌だが、言っておかなければ後で苦労するのは自分だ。デイジーの発言に無視を決め込んでエリオットは最後の寝支度をする。



「…はぁ。…ほらよ。」


トンッ


 エリオットは人差し指と中指でデイジーの額をはじいた。一瞬光がほのかに舞う。



「……何ですか?今の?」

「は?お前のじいさん祓魔師エクソシストなんだろう?加護ぐらい知ってるだろう。」

「私の知っている加護付与はこの様なものではありません。」

「はぁ?」

 エリオットは怪訝なまなざしで自身を見上げてくるデイジーを、訝しい表情で睨み返す。



(この女はもしかして正式なやり方を求めているのか?)


 しかし、デイジーの瞳には情欲など一切滲んでいない。エリオットは困惑する。


「…あんたのじいさんが毎回正式な方法で加護付与してたのかもしれんが、俺はやらんぞ。そもそもそれは教会メインで働いてる神父がやるやつで、祓魔師エクソシストはまずやらん。面倒だしな。」

「なっ…!あなただって神父ではありませんか!?」

「あ?俺との触れ合いが欲しいのか?さっきの誓約書はどうした。」

「…っ!そういうわけでは…っ!」



 一般的な加護付与のやり方。それはお互いの額と額を合わせる方法だ。しかし、それはミサなどで教会を訪れる信徒に対して神父が行うもの。

 祓魔師エクソシストも神父のくくりだが、信徒との関りがほとんどないから正式に加護付与を行うことがない。そもそも、エリオットからしたらそんな顔を近づけてキスの一歩手前みたいなこと自滅するとしか思えない。後が面倒臭そうだから絶対やらないと誓っている。

 しかし、よほど嫌だったのか、今までずっと笑顔でのほほんとしていたデイジーが、不服そうな顔をして見上げていた。その表情を見ていると「やはり俺目当てか?」とうぬぼれの様な勘繰りをしてしまう。


「…。」

「…。」


 しばらくのにらみ合いの後、デイジーは両手を組んで瞳を閉じた。


「…先ほどの言葉訂正いたします。エリオ神父、精霊のお力感謝いたします。あなた様へも神のご加護がありますように。」

「…。」


 エリオットはデイジーの対応に思わず目を見開く。デイジーが行ったのは加護を与えた後の祈りと神父への感謝の言葉だ。しかし、この対応をしっかり行ってくれる人はミサでも少ない。むしろ、エリオットは神父人生初めて正式な対応を返された。

 いや、今までエリオットも簡易的な方法で加護付与を行ってきたというのもあるかもしれないが、こうもしっかりと対応してきた人物は初めてだった。再度言うが、これが正式な対応なのだが…。


 育ての祖父が祓魔師エクソシストであったため、そういうところを厳しく育てられたのか。エリオットが珍しさから目の前の人物を眺めていると、デイジーの閉ざされた瞼が上がり、紫色のアメジストのような瞳がエリオットを見つめ返した。目じりを下げ、優しく微笑む姿は、『デイジー』という素朴だがかわいらしい花の名前にぴったりだと、頭の隅でエリオットは柄にもなく思ってしまう。



「…先ほどは失礼いたしました。お疲れなのに、加護まで与えていただきありがとうございます。…私はここで本を読んでおりますので、どうぞお休みください。」

「…あぁ。何かあったら声を掛けろ。」

「はい。」


 先ほどの不服そうな表情は何だったのかとか、いろいろと気になることはあるが、エリオットはすでに眠気がピークを越えている。



「…寝る。」

「はい。おやすみなさいませ。」

「…。」


 エリオットは考えるのをやめた。他人がすぐそばにいるというのも眠りにくいが、如何せん疲れている。エリオットはソファへ寝転ぶと、思ったよりもすぐに眠りに落ちた。


















◇◇◇


◇◇




 何かが落ちる音でエリオットは目が覚めた。

 部屋の中は夕日が差し込み、赤と橙に染まっている。結構寝たようだ。寝起きでぼーっと窓の外の、部屋と同じ色に染まった空を眺めていると、横から僅かに人の気配を感じ、エリオットはソファから飛び起きた。





「…あー、」


 一気に『デイジー・ローズ』、今回の依頼主について思い出す。部屋が暗くなって本が読めなくなったのだろうか。本を読むと言っていたデイジーだが、ダイニングテーブルで、両腕を枕にしてすやすやと眠っている。その足元には本が落ちていた。きっとこの本が落ちた音で起きてしまったのだろう。


(俺も俺だが、こいつもこいつじゃないのか…?男がいるところでこんなに無防備に寝るか?普通…。)



 今日初めて出会った相手同士だ。デイジーは女なのだから、もう少し警戒心を持ってもいいのではないかとエリオットは思うが、自身がデイジーに対して何かする予定は一切ない。それに、今日は家に泊めるのだから、指摘するのも矛盾している。

 一呼吸おいて、エリオットは静かにソファから立ち上がり、キッチンへ移動する。何も入っていないことは分かっているが、冷蔵庫を開けてみる。やはり、リンゴが3つとミルクしか入っていなかった。


 水道の蛇口をひねり、グラスに水を灌ぐ。どうしたものかなと考えながらデイジーを眺め、水を飲んでいると、デイジーがもぞもぞと動き出した。



「…ん…、あれ?エリオ神父…?」



「…ここだ。」

 目をこすりながらソファを眺め呟くデイジーに、エリオットがキッチンから答える。


「…目が覚めたのですね…。起こしてくださってもよかったのに…。」

「別に、起こす理由もない。」

 だが、丁度良かったのかもしれない。日は暮れだしたが、食料がない。


「飯を食いに行くぞ。」

「へ?ご飯ですか…?」

「あぁ。何も食いもんがない。」

「まぁ。…食材があれば私がお作りしますよ?」

「食材がない。」

「ふふっ、…そうですか。」


 微笑みながらのほほんと返事をするデイジーを、エリオットは何が可笑しいんだと思いながら眺める。本当に、悪魔に憑かれているとは思えないぐらいの能天気さだ。


(…あ、)


 外出するに当たって、エリオットはデイジーへ釘を刺しておかなければならない――。


「外で俺の言動に違和感があっても、とりあえずはそれに合わせろ。」

「…?違和感、ですか?」

「あぁ。分かったな。」

「…はい。」

 きっと意味も分からず返事をしているのであろう。きょとんとしながら返事をするデイジーを尻目に、エリオットは玄関へ向かった。




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