第2話 エリオットとデイジー

「――ドルド通り三丁目…」


 その日、デイジーは生まれて初めて、一人でアダゴ村から出ていた。今までは過保護な祖父が一緒だったのだが、頼れる祖父はもう居ない。祖父は1年と少し前に他界してしまった。喪に服す時期はとうに過ぎたが、祖父の花屋を開く勇気はデイジーにはまだなかった。しかし、時間と共に少しずつ傷は癒えていたようだ。

 村から出ると、祖父との記憶が思い出され、再びふさぎ込んでしまうのではないかと心配だったが、思ったよりも大丈夫な様だ。寂しい気持ちはもちろんあるが、町を歩くと、祖父と過ごした楽しかった情景が思い出され、デイジーは眉を下げながら微笑を洩らした。


 ――しかし…、感傷に浸っている場合ではない。計算だとすでに目的地には着いているはずだが、デイジーはかれこれ3時間は道に迷っている。それもこれも、あの恐怖の一夜から不幸が度重なっているため、この迷子もその関連だとデイジーは思っているのだが…――。




「…ここ、かしら…?」

 デイジーはずっと握りしめてヨレてしまったフォルテミア教会から届いた手紙を確認する。


「ドルド通り三丁目、2-18…、あった!」


 村を出てようやくたどりついたようだ。思ったよりもメインストリートではなく、ルミテスの繁華街から少し離れた裏通り、やや薄暗い所に目的の場所はあった。早めに村を出たというのに、約束の時間から一時間も過ぎてしまっている。しかし、とりあえず伺ってみよう、とデイジーはアパートの共同玄関を開き、重いボストンバッグを持ち直して螺旋階段を上っていく。手紙に記載された301号室に着くが、特に看板など出されておらず、普通の一室にしか見えない。


「…合っているのかしら…?」



 デイジーはひとまず目の前のドアをノッカーで叩く。




シーン…




「…いらっしゃらないのかしら…。それとも、遅刻しちゃったからもう取り合ってくれない…?」


 それは困る。遅刻した自分が悪いのは百も承知なのだが、デイジーからしたら、生命にかかわる重大なことが起こっているのだ。


「エリオ神父!遅刻して申し訳ございません!約束をしておりましたローズです!デイジー・ローズ!お話だけでも伺ってくれませんか!?」























――『エリオット』――


 業界での通称はエリオ神父。


 若くとも、その腕前はベテランとも肩を並べると言われているエリオットは、その日すでに一件の悪魔退治を無事済ませ、昼過ぎに帰ってきた。着ていたキャソック脱ぎ、すでにしわになっているのだが、丁寧にチェアに掛け、自身はソファへ寝転ぶ。


 不眠不休で自身の精霊を召喚し、祈祷書を読み上げていたのだ。神経もすり減り疲れ果てていた。すぐにでも入眠出来るコンディションだったエリオットの耳に入ってきたのは、無機質なノック音。エリオットは眉間にしわを寄せながらソファの上からドアを睨んだ。



「…誰だ?」


 この部屋を訪れる人は決まっている。弟か、同期の神父かのどちらか二択だ。それ以外はこの部屋に来ることはない。そして、その二人はノックをすることはない。誰か部屋を間違えたのかと思い、無視を決め込む。




コンコンコン


『――エリオ神父!遅刻して申し訳ございません!約束をしておりましたローズです!デイジー・ローズ!お話だけでも伺ってくれませんか?』 




「…は?」


 聞こえてきた声にエリオットは間抜けな声が出た。今日は依頼など受けていない。そもそも依頼なら教会で話を聞くことが普通だ。なぜここに女が訪れるのか。


 自慢じゃないが、エリオットはモテる。そもそも祓魔師エクソシストという職業自体、この国では花形であるのだが、その中でもエリオットの人気度は群を抜いていた。サラサラできらきらと輝くブロンドヘアが悪いのか、透き通った綺麗な青い瞳が悪いのか、悪魔などから守ったり、優しく話を聞いたりするだけで、必ずと言っていいほど惚れられてしまうのだ。





「……ストーカーか?」


 鳴りやまないノックと声に、寝たいエリオットはイライラする。


「…チッ…。」


 遂にエリオットは舌打ちついて、ソファから立ち上がる。そして長い脚でずんずんと大股になりながら玄関へ向かった。





「エリオ神父!お願いですっ……きゃっ!」




「…うるさい…。」


 扉を開けると、茶髪の女がびっくりした様子で後ろへ下がった。思ったよりドアの近くにいたようだ。


「ご、ごめんなさい…!いらっしゃらないのかと思って…。」

「居ないと思ってあんなに大声で叫ぶのか?」

「あ…、それも、そうですが…。」


 見た限りストーカーではなさそうだ。情欲の目ではなく、本気で困った目をしている。


 自身の問いに再び驚いた表情を見せた女が、目をきょろきょろと彷徨わせながら自信なさげに問いかけてくる。


「えーっと…。エリオ神父でいらっしゃいますか?」

「こんなにうるさく部屋をノックして、他の誰にあんたは用があるんだ?」

「……エリオ神父です。」

「で?急に押しかけてきても対応できないぞ。まずは教会に連絡しろ。ストーカーだったら保安官に連絡する。」

「え?いえ、事前に教会へは連絡しております…。ここに、承諾通知もございますし…。」


 女が目の前に差し出した通知書に目を通す。確かに正式な物だ。指定された場所もここで合っているが…――



「おい。日付を見ろ。」

「え?」

「12月11日。今日は10日だ。」

「え!?…あ、ご、ごめんなさいっ!嘘…、間違っちゃったみたいで…!」


 見るからにあわあわと焦る女を見ながらエリオットは考える。


(…それでも、なぜ教会じゃなくて俺の家が指定されているんだ…?)


 普通だとありえないことが正式な書物に記載されていた。眠気が覚めてきたエリオットは目の前の女を観察する。流行ではないが、自身に似合うシンプルなドレスを着た、胸まである柔らかな髪を上半分だけポニーテールにしてリボンでくくった女性。いや、少女か。女性と少女の間の可愛らしくも大人っぽい女。中央で分けた前髪で珍しい紫の瞳がよく見える。――その女が気が付けば、何度も自身に頭を下げていた。



「で、では明日また伺います…。本当に申し訳ございませんでした…。」

「…。」


 その時、エリオットは嫌な予感がした。


 女が最後にもう一度だけ頭を下げて、階段を降りようと足を出した瞬間、背を押されたように女の身体がふわっと浮いた。



「…え?」

「おいっ!?」







ガシッ


ドサドサドサ――



 間一髪のところでエリオットが飛び出し、女の腹を抱えこむ。二人分の体重は、自身の足と、螺旋階段の手すりに置いた腕で支えた。しかし、何か力が働いているようで、支えているのにそれでも下へ下へと凄まじい力で引きずられる。


(…っなんだ?これは…!?)


 女の腕から離れたボストンバッグは、一気に螺旋階段の下まで落ちていた。このままでは二人ともバッグと同じく無残な経路をたどってしまう。


「っヴルカンッ!!」


 エリオットは自身の精霊を呼び出す。すると、その呼び出しにこたえるように、精霊が自身の体内から外へ出たのを感じとる。







ブワッ!!


ビュオォォォォ!!!





 精霊が離れた瞬間、螺旋階段の下から突風が噴き出し、女を引く力は無くなった。その反動と突風で、二人は尻餅をついてしまったのだが…――



 一気に静寂が辺りを包み込む。



 女はポカーンとした表情で腹を抱えた状態のままのエリオットを振り返った。



「あ…、ありがとうございます…。」

「…おい…。……何を憑れてきた…。」


 疲れを思い出したエリオットは頭痛がした。それを和らげるように、眉間を揉みながら女に問いかけた。 

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