「好きだったよ」
「今は、まだ魔蛭らしいな」
息を切らし、明人は前に立ち尽くしている人物に声をかける。だが、その声に返答はなく、彼と他の三人の息遣いだけが響く。
「おい、俺はてめぇがかけた呪いのせいで、体がいてぇんだよ。聞こえてんのか?」
苛立ち混じりに言うと、魔蛭はゆっくりと振り返り、彼を見る。肌は真っ黒で、目は赤い。悪魔のような姿は変わらず、明人は一瞬息を飲んだ。
『お前は、許さない』
魔蛭の声とは思えないほど低く、憎しみの籠った声。重苦しく、息をする事すら許されないような圧に、明人は直ぐ返答する事が出来なかった。
『俺は、お前を殺す。精神的にも、肉体的にもだ』
本気で明人を殺そうとしているのが分かる声色だが、それが
下から三人が不安げに明人を見上げる。
「それがお前の本心なら、俺は全力でやり合おう。負ける気しねぇけどな。でも、
明人はそのまま魔蛭へと近づく。
『それ以上、近づくな』
魔蛭は何かを操作しているように手を動かし始める。すると、周りから鋭く尖った黒い影が現れ、明人目掛けて襲いかかった。
黒い空間に黒い影。彼は「ちっ」と舌打ちをしながら何とか横へ飛び避けたがその際、呪いによって痛みつけられている体が悲鳴をあげ、明人は直ぐに体を起こす事が出来なかった。
先程より汗が流れ、歯を食いしばる。体が震え、もう動かす事すら難しい。
それでも、魔蛭の攻撃は止まらない。
その場に倒れてしまっている明人に向かって、空中に浮かんでいる尖った黒い影が飛び交い続ける。
「ク、クソがっ!!」
痛む体にムチを打ち、明人は必死に避けるが、黒の背景に黒い影。見極めるのも困難なこの状況で、全てを避け切るのは不可能。
少しずつではあるが、徐々に攻撃が当たり始めてしまった。
腕、足、額、頬。次々と傷つき始めてしまう。だが、記憶の中なため、血が流れ出る事は無い。
そんな事より、体を蝕む呪いの方が彼にとって煩わしいかった。肩を支え、顔を歪める。
「ちっ、話をする気はねぇのかよ!!!」
明人の声に、魔蛭はなんの反応も見せない。魔蛭は話し合いすら隙を見せない。
苛立ち始める彼に、死角から一本の黒い影が浮かび上がるように飛んでいく。
それに気付き、彼は反射で避けようとするも体に痛みが走り、動けなかった。そして、その黒い影は明人の左胸に深く突き刺さる──はずだった。
茶髪の少年。子供時代の真陽留が明人の身代わりになり、尖った影が胸に深く刺さってしまった。
「な、にして──」
目の前で広げられた光景に明人は、驚きのあまり言葉が出なかった。そして、真陽留は明人に目を向け口を動かす。すると、そのまま闇に溶け込むように消えてしまった。
残された二人は、覚悟していたような表情を浮かべている。同じ状況になれば身代わりになるつもりで、いつでも動けるようにしていた。
その姿を見て、明人はその場に立ち尽くす。だが、それでも影は動き続け、彼へと襲いかかる。
『終わりだ』
魔蛭が口にし、影を一斉に明人へと向かわせるように操作した。
明人に影が一気に襲いかかる。これでは、二人が身代わりになったところで意味は無い。
二人は何とか駆け寄ろうとするも、彼はそれを制しし、そのまま勢いよく走り出した。
姿勢を低くしていたため、影には掠った程度で済み、そのまま魔蛭へと近づく。だが、近づくにつれ影に当たる確率は高くなってきた。
体をひねらせたり、しゃがんたり跳んだりと。なんとか避けているが、全てを避けきれない。どうしても掠ってしまう。
その一本がとうとう明人の肩に深々と刺さってしまった。
「ぐっ!! くそっ」
それでもお構い無しに走り出し、手を伸ばし魔蛭の腕を掴んだ。覚悟を決めたように口を大きく開け、思いっきり言い放つ。
「──俺も、あいつの事が好きだったよ!!!」
明人がめいいっぱい叫んだ声。この空間に響き渡る覚悟を決めたような声に、魔蛭が操っていた影は空中で一度動きを止めた。
「まだ記憶を思い出した訳でもないし、この時俺が何を思っていたかなんて知らねぇ。だが、おそらく俺は好きだった。だから、あいつを俺の隣に置きたくなかった。あいつを縛り付けたくなかった。多分だが、そう思っていたんだと思う。でも、それが正しいかは分からん」
彼の言葉を聞いているのかわからない魔蛭だが、動きは止め、明人の目を見続ける。
「俺は、しっかりと記憶を思い出し、お前らに伝えたい。俺の本来の気持ち、想いを。だから、頼む。正気に、戻ってくれ──」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、魔蛭の腕を掴んでいる手に力を込めた。しかし、魔蛭はなんの反応も見せない。
その時──
『俺が絶対、おとちゃんを幸せにする!!!』
明人の後ろで、少年が大きな声で叫んだ。真剣な表情で、魔蛭を見ながら。
『お前、負けを認めるな!! 僕とお前、いつも一緒に居た!! おとちゃんと三人で一緒にいた!! 逃げるな!! 僕達から逃げるな!!!』
いじけているような、怒っているような。そんな涙声に明人は驚きつつ、乾いたような笑みを浮かべた。
「餓鬼の分際で、何を言ってんだか……」
呆れたように漏らすが、何か思いついたように。明人は、魔蛭を掴んでいた手を離した。
「改めて言うよ。俺、音禰が好きだった」
優しく微笑みながら口にする彼に、魔蛭は赤い目を見開き、一筋の涙を零した。そして──
「……──おせぇよ、この阿呆が」
笑いながら魔蛭ではなく、真陽留は口にした。すると、この空間に光が差し込み二人を照らす。
蜘蛛の巣のように光が広がっていき、暗闇の空間が壊れた。
「お前の記憶、音禰が預かってる。仕方がねぇから返してやるよ」
「当たり前だわ、返せよ。そして、あいつを俺のもんにする」
「言ってろ、阿呆が」
笑いながら言う真陽留の体は、徐々に薄くなっていく。明人の体も同じように薄くなり始めた。
明人は幸せそうに笑みを浮かべているが、なぜか少しだけ、悲しげにも見える。 まるで、何かを諦めているような表情をし、そのまま光に包まれていった。
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