「餓鬼は餓鬼らしく」

 病室内、カクリが魔蛭の目を潰そうと繰り出した時──


「『なぜ止める』」

「……………何となく」


 明人が意識を取り戻し、カクリの手首を掴み止める。だが、ほんの少し遅く。魔蛭の右瞼に掠ってしまった。


「右目ぐらい問題ねぇか」

「問題大ありだわ!! それにこれは掠っただけだからな!!」


 左手で明人が魔蛭のパーカーに付いていたフードを後ろに引っ張ったおかげで、少し掠っただけで済んでいた。


 カクリは掴まれていた腕を振りほどき、後ろへと跳び距離を置く。


「『なぜ邪魔をする。その人間はお主を殺そうとした。なら、こちらも殺していいはずだ』」

「正直、俺自身はそう思う。こいつは死んでも良いと」

「おい」


 明人の素直な返答に、魔蛭は気まずそうな表情を浮かべる。


「だが、こいつには色々聞きてぇ事があるからな。ここで死なれたら困んだよ。それに、今のお前に殺させる訳にはいかねぇ。後々面倒な事になるのが安易に想像できる」


 しっかりとした足取りで魔蛭の前に立ち、明人はカクリを見返していた。

 自身に殺意を持っとぃる魔蛭に、無防備に背中をさらしている。そのことに彼は困惑し、明人を見上げていた。


 明人が今気にしているのは、豹変したカクリ。カクリは無表情で、何を考えているのか分からない。普段から表情筋が動く方ではないが、それでも明人なら何を思ったいるのかを理解出来ていた。だが、今は理解できず、ただただ見つめている。


「『そうか。だが、それは今の我には関係の無いこと。邪魔をするのであれば、お主も殺す』」

「主様を慕う心はどこに行ったのやら……」


 カクリは明人の言葉を無視し、瞬きをした一瞬で近付いた。明人は驚きつつもギリギリのところで横に避け、魔蛭も急いで跳び退いた。


「ちっ、避けやがった」

「なんでお前が残念そうなんだよ」


 魔蛭が避けた事に対し不服だったのか、明人は残念そうに愚痴を零す。


「俺を殺させる訳にはいかねぇんだろうが。命賭けて守れや」

「命を賭ける価値がお前にはねぇから。まぁ、余裕があれば蹴るなり何なりで助けてやるよ」


 カクリから二人とも目を離さず、淡々と会話を続ける。その際に、魔蛭は怒りで眉をぴりぴりと震わせていた。


「『次は、逃がさぬ』」


 魔蛭に狙いを定め、カクリはひざを折る。先程よりためを長くし、一歩で向かった。だが、突っ込んだはずのカクリの手は――――明人の横腹を刺していた。


「ぐっ──」

「おまっ!?」


 吐血してしまい、白い床に血が飛び散る。その様子を目の前で見ているカクリは、表情一つ変えずに手を抜こうとした。だが、それを明人は左手で掴み動かせないようにしている。


「『離せ』」

「断る」


 カクリは何とか腕を動かそうとするが、それは彼の力で叶わない。


「『離せ』」

「断ると言ってんだろうが。しっかり人の言葉を聞けや」


 無表情で、なんの感情が込もっているのか分からない声が室内に響く。そんなカクリを明人は、いつもの口調は崩さず。悲しげな表情で見下ろした。


「なんでお前はそんなに優しいのかねぇ……。もう少し適当に考えろよ。いやぁ、本当に人気者はつらいわ」


 床には明人の腹部から流れている血とは別に、透明な雫も一緒に落ちる。


 ──────カクリの目から、透明な涙が溢れ出ていた。


「餓鬼は餓鬼らしく、馬鹿面さらして寝てろ」


 優しく、暖かい声で明人は、カクリの手を抜き自身へと引き寄せ、優しく背中を撫でてあげる。親が子供をあやしているように見える光景に、魔蛭は何も言わずただ見ているだけだ。


「『…………あき……と』」


 明人がカクリの背中を優しく撫でていると、安心したような声が聞こえた。すると、伸びていた髪は短くなり、徐々に元の姿へと戻っていく。


 いつもの、ただの少年の姿に戻ったカクリ。疲れきったらしく、そのまま眠ってしまった。


「いや、ガチ寝してんじゃねぇわ。俺が寝てぇくらいだわ」


 カクリの手が抜けた事により、明人の腹部からは血がとめどなく流れ、白いポロシャツや床をどんどん赤く染めてしまう。このままでは血が足りなくなり、命の危険にさらされる。

 その傷を見ている魔蛭は、バツの悪そうな顔を浮かべ、自身のパーカーを脱ぎ始めた。


「…………あ? なんの真似だ」

「借りを作るのはごめんだからな」


 脱いだパーカーの袖を破り、明人の怪我している箇所に巻いた。流石に病院だと言っても、簡単に話せる内容では無いため包帯を借りるなどが出来ない。


 知られてしまったら、この場に適した事情を話さなければならないが、今の二人にはそんな事を考える余裕も、体力もなかった。


「ちっ。借りは倍で返すもんだろうが。慰謝料請求もんだぞこれ」

「元はと言えば、お前が俺のプライベートに黙ってついて来たからだろうが」


 カクリを脇に抱え、明人は魔蛭の言葉を無視しその場から離れようとドアの近くへと移動した。その際、やはり痛むらしく顔を歪め動きを止める。


「ダイジョーブカー?」

「うるせぇ黙れ喋んな」


 心配していないような声で話しかけられ、明人は一切顔を向けずにドアに手を添える。だが、何故かそこから動こうとはせず、彼は振り返らず魔蛭に問いかけた。


「────お前、今日はなんで一人なんだよ」

「おめぇらと一緒にするな。四六時中あいつと一緒とか御免こうむるわ」

「そうかよ」


 明人はそれだけ言うとドアを開けた──のだが、何故か直ぐにドアを勢いよく閉めてしまった。


「あ? なんだよ、さっさと行けよ」


 魔蛭は不思議に思いつつも聞いたが、明人は出ようとはせず振り返った。顔は無表情だが、なぜか冷や汗が酷い。目線も泳いでおり、相当焦っていた。


 魔蛭はなぜ彼がそんな表情を浮かべているのか分からず、怪訝そうに眉を顰め見返している。すると、明人が外に出れない理由を一言で簡潔に伝えた。


「…………ヒトガキタ」

「……………マジカ」


 今の惨状を再確認するため、彼らは病室内を見回す。

 そこまで大きく乱れてはいないが、白い床は血で赤く染っており、明人達は怪我だらけ。

 幸いにも音禰付近は無事だったのだが、逆に音禰が何かしたという言い訳も出来ない。そもそもずっと眠っているため、惨状を説明するための言い訳など出来る訳がなかった。


「……………」


 二人はお互い見合いながら、その場から動けず固まってしまった。

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