76話 尻が軽すぎなんじゃないか

 謹慎生活とは言うものの、俺の寝床はダンジョンである。


 公社での俺の扱いは『協議中、現状を維持せよ』であり、幸いにもすぐクビになることはなさそうだ。


 朝5時半、いつもより少し早めに起きて動きやすい服装に着替える。


「おはようレオ、軽く運動するから1時間経ったら教えてくれ」


 レオに声をかけてゴーレム部屋に向かう。


 ゴーレムたちの作業の邪魔にならぬ隅へ行き、トゥータッチスクワットとバービー運動で体を温める。

 その後は剣を持ち、少しだけ型の稽古だ。


(……ここで俺が腐るわけにはいかん。剣技を練り直し、力を蓄えるのだ)


 ここでふてくされるわけにはいかない。

 今回のことで魔王様には大変な迷惑をかけてしまった。

 退職で責任を取れぬのであれば他で挽回するしかあるまい。


(捨て身だ、俺にはこれしかない。不穏な情勢であれば好都合、孤剣を担いで討ち死にをすればいい)


 ゆっくりとした動作で、確実に型を行う。

 レオの呼び出しがあるころには体中がじっとりと汗ばんでいた。


「ありがとな、ちょっと汗を流してくる。もう少し頼むぞ」


 ダンジョンは湧き水を利用したシャワー完備だ。

 まあ、これは住んでる俺専用みたいなものである。

 たまにスライムを放つだけでキレイにしてくれるから掃除も簡単だ。


 簡単に体をあらって身支度を整える……が、ここで問題に気がついた。

 洗濯ができないのだ。


 今まではクリーニング店にまとめて出していたが、外出できないとなると厳しい。


「おはようございます」


 どうしたものかと悩んでいるうちにアンが出勤してきた。

 もう7時をいくらか過ぎたらしい。


「おはよう、騒がしてすまなかった」

「ふふ、今朝もエドさんニュースに出てました。ちょっと驚きました」


 アンは特に気にした様子もなく、手早く調理を開始する。

 本当にいい子と言うか……俺がクビになっても彼女が働ける環境は残したいものだ。


 朝食は優しい味のフレンチトーストとサラダ、それにリンゴだ。

 フレンチトーストはレオも食べるから甘さ控えめなのだとか。


 こんなのネコに食べさせていいのか疑問ではあるが、ガティートはまた事情がちがうのだろう。


「あのな、アン。相談があるんだけど、退勤のときクリーニング店に寄ってくれるか? 実は洗濯ができないことに気づいてな」


 おそるおそるアンに訊ねたが、二つ返事で「わかりました。私が洗濯します」と答えてくれた。

 俺は『オッサンの洗濯きもいです』とか言われなくてホッと息をつく。


「すまんな、ちゃんと袋に入れてクリーニング店に出すだけにするから」

「あはっ、別にいいですよ。施設では皆の洗濯もしてましたから。私が家でしてきますね」


 さすがに悪い気もするが、厚意を断るのもさらに申しわけない。

 お願いするとアンは「じゃあ、とってきますね」と俺の部屋に向かう。

 これには少しだけ驚いた。


 たぶん見られてマズいモノは出しっぱなしにしていないと思う……まあ、使用済みの下着とかは見られるわけだが。


「すまんな、負担だったら断っても良いんだぞ」

「いいえ、洗濯はキレイにすると楽しいんです。たくさんあっても平気です」


 アンの発言は幼妻的というか、グッとくるものがある。

 その姿を見て『アンを嫁にもらう男は幸せだろうな』とか『いいお嫁さんになるな』などと褒めてやりたいが、それはたぶんセクハラになるので自重しておく。


 そうこうしてるうちにリリーが、次いでゴルンが出勤してきた。


「おはようございます。あら、アンそれは……?」

「ああ、実は謹慎してると洗濯ができなくてな、アンに甘えてしまったよ」


 俺の言葉を聞いたリリーの片眉が不快げに上がり、ゴルンが「あちゃあ」と頭を押さえている。

 なにかやらかしただろうか……?


「エド、あまりアンの負担を増やしてはいけませんよ。クリーニングくらいなら私でも引き受けます」

「ああ、アンには悪いとは思うけど……」


 今の状況でリリーに任せるのは事態を悪化させそうで無理だと思う。


「いやー、参ったっす! マスコミがいたっす! ギリギリになっちゃったすねー!」


 ここでタックが登場し、なんとなく場の空気が変わる。

 俺は「ほっ」と息をついた。


「えー、私はなかったです。ちょっとあこがれます」

「あはは、気分が良かったっす! アンちゃんは早いから時間がズレたっすかね!」


 いつまにか時間は8時半、始業である。

 いつものように点呼をし、申し送りだが……まあ、今回は俺のことになるわけだ。


「――と、言うわけで俺はダンジョンで自主謹慎となる。皆には迷惑をかけて申しわけない」


 俺が頭を下げると、タックが「はいっ!」と手を上げた。


「自主謹慎って、いつまで謹慎するっすか!?」

「とりあえずは公社が俺の処分を協議中だ。それに従うことになるだろう」


 俺が答えると、またタックが「はいっ!」と手を上げた。


「マスコミいるからアンちゃんの買い出しが大変っすよ!」

「そうか……うーん、どうしたもんかな」


 たしかに出入りの時に取材を受けるのは大変だろう。

 俺が少し悩んでいると、リリーが「いいですか?」と軽く手を上げた。


「転移ポイントを公社以外に設置してはいかがですか? さすがに私有地は無理ですが、なんらかの施設であれば責任者の許可があれば可能でしょう」

「なるほど、それなら……兵舎の食堂に相談してみるか。さすがに軍施設内は問題だが、仕入れやら輸送やらの関係で外にもツテがあるだろうし、親父さんもたまにはアンの顔を見たかろう」


 本来なら俺が顔を見せたいところだが、さすがにそれはまずい。

 リリーに軍施設へ連絡をとってもらうことにした。


 これで終わりかと思いきや、タックがまたも「はいっ!」と手を上げる。

 ちょっとめんどくさくなってきたぞ。


「マスコミ対策っすけど、アタシたちがバラバラのこと言わないほうがいいっすよ! なんか、口裏合わせとか――」

「たしかにそれはそうだ。今日中に考えておこう。迷惑をかけるな」


 そろそろ終わりかと思ったら、またまたタックが「はいっ!」と手を上げた……なんなんだ。


 こうして、長い朝礼が終わり業務が始まる。

 なんだか疲れたぞ。



 17時半、業務時間は無事に終了。

 ダンジョンは閉鎖空間なので、基本的にはいつも通りだ。


 だが、やはり違いはある。

 何がどうと言うわけでもないが、どことなく気まずいのだ。


 特にリリーからは得も言われぬ圧を感じる。

 やはり姉君である魔王様とスキャンダルになった俺に思うところがあるのだろう。


(何度も謝るのも変だしな……1対1ならまだしも皆がいては腹を割ってとはいかんだろうし)


 言わばリリーはこのダンジョンの実務を一手に担う要である。

 今の状況は好ましいものではない。


 それに、リリーは美人なだけに怒ると迫力があって怖いのだ。


「ぐふふ、お困りっすか!?」


 マスタールームのメンテナンスをしていたタックが天井から声をかけてきた。

 よく見たらダクトの向こうからこちらを覗いている。


「あ、ああ……困りごとと言うほどでもないんだが、なんというかな。申しわけなくてな」

「それならお任せっす! 明日にでも終業してから飲み会するっす!」


 タックの提案は実にドワーフらしいものだ。

 わだかまりを酒で流す、シンプルで力強さを感じる。


「だが、俺は謹慎中だしな、それはどうなんだろうな?」

「いまさらっすか!? アンちゃんにご飯作ってもらって、洗濯たのんで、いまさら自粛ムードっすか!? 店に行かなくてもここでやればいいっすよ!」


 タックはなかなか痛いとこをついてくる。

 ダクトの向こうから聞こえる声は反響して不気味だ。

 

「エドさん食べに行けないし、今日の夕飯もちゃんと作りますね」

「ああ、うん……頼むよ」


 なんだかアンに甘えるとリリーの機嫌が悪くなる。

 だが、頼らないと夕飯が悲しいことになるので頼らざるを得ないのだ。


 最近は少しずつ料理をしてるとはいえ、俺が独力で作るものなどたかが知れているからな。


「じゃ、これをアンに任せるから、お願いしていいか?」

「分かりました。どんなのがいいか考えてくださいね」


 アンは俺から30000魔貨マッカを受け取ると、屈託なく「あはっ、たくさんありがとうございます」と嬉しそうに笑った。

 居眠りしていたゴルンも「宴会か」と反応している。


 リリーはチラチラこっちを見てくるが、これだけ盛り上がれば止められるものではない。


(ふむ、酔ったふりをしてリリーに平謝りするのも悪くないか)


 行き詰まった戦況をなりふり構わぬ姿勢が打破することはある。

 腹をくくると、なんとなく気が楽になった。


 18時、皆が退勤し俺とレオのみが夕食を取る。

 メニューは焼サバ、冷やっこ、ナスのワサビあえ、キュウリの浅漬け、みそ汁とご飯だ。

 みそ汁の具はいわゆるBLT、ベーコン、レタス、トマトにバターを落としたハイカラなヤツである。

 変わっているが、これが意外とウマい。 


 焼サバはほどよく塩が利いている。

 ナスのワサビあえは皮がむいてあるタイプで上品な味わいだ。

 漬物もいい具合の漬かり具合である。


「レオ、アンの飯はうまいだろう? 俺がいなくなってもアンには残ってもらうつもりだ」


 俺が声をかけると、レオはチラリとこちらを一瞥いちべつし、気にする風でもなく無言で焼サバのほぐし身をガッついている。


(……ま、いいけどな)


 食事を終えた俺は食器を片づけ、しばし休む。


 19時半ごろからたっぷり時間をかけたトレーニング。

 一時的に俺のスタッフ登録を解除して、3階層を端から端までひたすらランニングだ。

 フル装備で水場を走り回るのはかなりキツい上に、モンスターもいる。

 これに並行して魔力を練り続けるのだ。


 走り回って心臓が破裂しそうな状態でも魔力の集中を切らさない、これができれば多数を相手に戦うことがでくる。

 ハッキリ言って俺みたいな年でやるトレーニングではない。


 レオが呼び出すころにはクタクタに疲れ切っていた。

 その後はシャワーを浴び、装備の手入れ。


 21時半ごろにはタックが置いていった少女コミックをパラパラと流し読む。

 地味な女性主人公がアイドル歌手、エリートサラリーマン、ちょい悪の同級生、甘え上手の後輩などに求愛されてフラフラする内容だ。


(この主人公、誰に対しても『ドキッ☆』とかやってるが、尻が軽すぎなんじゃないか?)


 タックの推しはアイドル歌手だそうだが、俺にはイマイチ分からない。

 早めに切り上げ、22時半ごろには布団に入る。


 俺も若いころはナイフみたいに尖っていたので重営倉の経験くらいはある。

 それに比べればこうして体も動かせてウマい飯も食える謹慎などラクなものだ。


(明日の目標はリリーと仲直り……と言うわけでもないか。ケンカはしてないしな)


 宴会なら酒のチカラでなんとかなる……かもしれない。

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