帰還

 


   ……おい ……て………か フーガ……



 近くから――


 誰かの――声が聞こえる。


 だが――まだ、ねむい――



「……あと、ごじかん……」



   ……いや、さすがにそれは長くないか?


   ……フーガくん、起きられ、る?



 うん?

 カノンの、声も――



(……あれ?)


 閉じた瞼の向こう側が、明るい。

 その光は、白く、やわらかい――文明の灯。


(……ここ、どこだ……?)


 両の眼を開けば――そこに、あるのは――

 見知らぬ、天井――ではなく。


(……。…………脱出、ポッド……?)



 *────



 どこか金属質な光沢をもつ、白亜の壁。

 首を傾ければ、内壁に設えられた、見覚えのある計器類。

 それに――


「あ、起き……た?」

「おはよう、フーガ」

「……カノン……。……モンター、ナ……?」


 眼をしばたかせ、ぼんやりと滲む視界を拭う。

 そこには――なぜか横向きになった、二人の姿がある。

 背中に感じる、やわらかな感触。

 どうやら俺は、なにか寝台のようなものに寝かされているらしい。


(……?)


 状況が、よくわからない。

 ここはどこ、わたしはだれ。

 いったい、なにが――あった?


「おは……よう……?」

「混乱しているようだが……身体に変調はないか?」

「……うむ?」

「痛いとこ、ない?」

「……うむ」


 寝台の上で上体を起こし、軽く頭を振る。

 自分の身体を軽く確かめてみるが、特に動かないようなところはない。

 インナースーツのみを纏った身体には――目立った傷はない。

 ああ、ちょっと、思い出してきた。

 アミーと戦って、黒い石をぶっ壊して、

 カノンに、答えを聞いて――

 それで。……それで――


(……あれ?)


 ……そのあと、どうなった。

 最後の記憶は、あの場所で。

 いまいる場所は、脱出ポッドの中で。

 脇腹に負ったはずの傷も、なくなっていて。

 擦り切ってぐちゃぐちゃになっていた手のひらも、治っていて。

 潰れていたはずの右眼も、なぜか見えるようになっていて。

 状況から、推察するに――


「あれ? 俺……死んだ?」


 カノンと一緒に、死に戻ったのか?

 たしかに、このまま死ぬかもしれんとは思っていたが――


「むしろ、あれでなんで死んでいなかったのか……。

 それはフーガだけじゃなくて、カノンもだが……」

「えっ。……俺、死んでないの?」


 じゃあ、なんで俺は拠点に戻っているんだ。

 なんで俺の身体は、治っているんだ。

 ……いや待て、俺たちの拠点に、寝台なんてあったか?

 よく見れば、周囲にはなにか、見慣れない家具も――


「ここはどこ、と聞きたげな素振りだが……まずはそこからだな。

 フーガ。ここは、私の拠点だ。私が、君を背負ってここに連れ帰った」

「えっ」

「そもそも、私に背負われている間、何度か声を掛けたときに、反応があったと思うのだが……。

 道中のことは、覚えてないのか?」

「いや、まったく」


 背負われて? モンターナに?

 あの――ガラス化した廃墟の中から?

 俺を背負っての道中は、いろいろと無理があるのでは?

 いや、そもそもの話。


「……モンターナも、来られたのか?」


 俺たちは、ガラス化した廃墟の中のポータルの残骸によって、得体のしれない森の中に転移させられた。

 転移させられた場所にはポータルの残骸らしきものがあったが、それは反応を示さず、ゆえに元の場所に戻ることもできなかった。


(……それなのに、俺がここにいるということは)


 つまり。


「モンターナには……わかったのか。

 ポータルの残骸に残存していた……っぽい、転移処理の、呼び出し方が」


 モンターナは、俺たちと同じように、あの場所に転移してくるだけではなく、俺とカノンを連れ、元の場所に戻ることもできた。

 それはつまり、相互の行き来が出来ているということだ。


「考えられる可能性はそれしかない。……そうだろ?」

「ご名答。壊れたポータルには、転移処理がまだ残っていた。

 だけど、ちょっと、いろいろ、厄介なことになっていてね……。

 起動条件を特定したり、問題を解決したりするのに、かなりの時間が掛かってしまった。

 だから―― まずは、謝らせて欲しい」


 悔やむように顔を歪めながら、モンターナは言う。


「なにがあったかは、大まかにはカノンから聞いた。

 フーガ、カノン。迎えに行くのが遅くなって、本当に……すまない」


 そう言って、俺とカノンに向かって、深く頭を下げる。

 その声音は、かれの胸中の後悔や辛酸が滲みだしているかのようだった。

 俺たちをあの廃墟へと誘った、モンターナの立場。

 俺たちのもとにやってきて、血みどろの俺たちを見たときの、モンターナの胸中。

 それらを考えれば、かれが俺たちに頭を下げる理由も、わかる。

 もしも俺がかれの立場だったら、悔やむだろう。

 もっと早く来るべきだったと、そう考えたくなるだろう。

 だから――俺は、こつんと、かれの頭を軽く小突く。


「モンターナ」

「うん」

「……来るって、信じてたぜ?」

「――っ!!」


 お前なら絶対に、迎えに来ると信じていた。

 だから――俺たちは、あの場所で足掻き抜くことを選んだのだ。

 モンターナが、なにかしらの解決策を持ってきてくれるのを、信じていたから。


「な、カノン?」

「んっ。モンターナさんが来るまで、がんばろうって、ね」

「丑三つ時までは、って話だったけどな。

 ……あれ、そういや、いま何時だ?」


 仮想端末を開き、右上を見ると――


「……三時半……」


 時間が、少し飛んでいる。

 あの森の中に飛ばされたのが、ちょうど日が変わるくらいの時刻で。

 ズールと戦っていたのが、1時間くらいで、そのあとなんやかんや。

 大雑把にだが、おそらくは2時間ほど、俺は気絶していたようだ。


(……気絶、ね)


 腹部からの失血と、各種器官の損傷。

 モンターナが来なかったら、俺は間違いなくそのまま死んでいただろう。

 死ぬはずだったところを、この男に救われたのだ。

 ゆえに彼には大いに感謝こそすれ、謝罪される筋合いなどどこにもない。


「……フーガ、カノン。お互い、積もる話もあるだろう。

 だが……今日はいったん、ここまでにしよう。

 体力はともかく、すり減らした精神力は回復しきっていないはずだ。

 さすがにもう、寝たほうが良い」

「……たしかに、なんか……だるいな」

「わたしも、ちょっと……つかれた、かも」

「よければ、カノンも寝台を使うといい。

 二人で使うには少々狭いが、腰掛けるくらいはできるだろう」

「んっ……」


 俺の傍らに腰掛けてくるカノン。

 まだ、頭が……ぼんやりとする。

 集中力が続かないというか、思考がまとまらない。

 一度、本格的に寝たほうがよさそうだ。


「ああ、それと……フーガ。

 申し訳ないが、君の身体が負っていた傷については、カノンと相談して、ある程度治させて貰った。

 さすがに眼球が潰れていたのは、その……見るに堪えなくてね」

「……申し訳ないのか、それは?」

「印象に残るような傷は残しておくのだと、フーガは言っていただろう?

 それを私が勝手に消し去ってしまうのは躊躇われて、ね。

 そもそも1時間程度の治療では治しきれなかったという話でもあるが」


 拠点の治療設備で治しきれないって、どんだけズタボロだったんだ、俺の身体。

 いや、1時間程度で潰れた眼球を復元する機能の方がすごいのか?

 ……そういや、眼球が治る感覚、ちょっと味わってみたかったな。

 熱かったり痒かったりするのかな。

 まぁいい、今後またそんな機会もあるだろう。


「そのあたりの詳しいことは、カノンに聞いてくれ。

 君の傷の治し方については、君と一緒に治療を受けていたカノンに一任してある」

「うん……うん?」

「ああ、それとカノンもだ。

 腕の骨とか、首の傷痕とか、まだ治り切っていないだろうから、無理はするなよ」

「んっ、だいじょうぶ」

「大丈夫、大丈夫ってなんだ……?

 いやほんと、なんで君ら生きてたの。

 っていうか、なんで強制ダイブアウトとか死亡判定とか喰らってないの。

 君らのアバター、その辺なんかおかしくなってない?

 僕とちがうゲームやってない?」


 モンターナがぶつぶつと呟いているが……

 いよいよ……頭がぼやけてきて、よくわからない。


「……すまん、モンターナ。……ここで、このまま落ちてもいい? ……疲れた」

「……わたしも、おねがい、したい、かも……」


 頭を振る俺の傍らで、カノンもまたうつらうつらと舟を漕いでいる。

 モンターナの拠点がどこにあるのか知らないが、いまからカノンの拠点まで歩いて戻るのは……さすがにだるい。


「ああ。もちろんだとも。既にこちらでフェローの申請はしてある。

 それを受理して、そのままダイブアウトしてくれればいい。

 そうすれば、拠点内でのダイブアウトとして扱われるよ」

「そりゃ、至れり尽くせりで――」


 最後の力を振り絞り、仮想端末を開いて、ポップアップを処理する。

 モンターナの拠点からのフェロー申請を……受理。

 よし、これで、もう――


『プレイヤー「モンターナ」の拠点に対する、プレイヤー「フーガ」のフェロー登録が完了しました。』

『新しい技能を取得しました。(6)』

『新しい実績を取得しました。(7)』

『仮想インベントリに、未対応形式のデータが二件存在します。』


 ブブブブォン、と多重展開するウィンドウを……押し退ける。

 今はもう、細かい文字を読みたくない。

 ダイブアウトのボタンを、押して。

 俺の身体が、光の粒子に包まれていく。

 こちらにもたれかかってくる、カノンの熱を感じる。

 ああ……今回も、生還したんだ、な――


「……すまん、落ちる」

「……わたしも、もう……」

「ああ。……おつかれ、フーガ、カノン。

 いまは、ゆっくり休んでくれ。

 そしてまた……この世界で逢おう」

「ああ…… さんきゅ、モンターナ。んじゃ、また……」

「おやすみ、なさい」

「ああ、おやすみ。……二人とも」


 そうして、敷布の気持ちのいい肌触りと、あたたかな命の熱を感じながら。

 俺の意識は、三度、暗転する。



 そうして俺たちは―― この世界から、離脱した。




 *────




 こうして、激動の7日目は幕を閉じた。

 モンターナのお誘いからはじまった、俺たちの冒険は終わった。


 誘ってくれてありがとう、モンターナ。

 今回の冒険は、俺が期待していた通りに刺激的だった。

 やっぱりお前は、稀代のトリップアドバイザーで―― 最高の冒険家だ。

 今回のいろいろについては、また週末にでも語り合おう。

 お前に伝えたいこと、聞いてみたいこと、考察を交わしたいことが山ほどあるんだ。


 そして―― おつかれさま、カノン。

 いっぱい、がんばったな。

 お互いまずは、ゆっくり、休むとしよう。


 俺たちの時間は、これから、いくらでもあるのだから。





 *────




「……。」


 肩を寄せ合うようにして、同時にこの世界から消失した二人を見送って。

 男は、呆れたような笑みを浮かべて自嘲する。


「『できればさかのぼり録画しておいて』……なんて。

 言うタイミング、なかったよなぁ……」


 たしか、さかのぼれるのは24時間だったはずだ。

 あとで、メールでも入れて……おこう、か……

 ふらふらとよろめく身体が、部屋の隅に崩れ落ちる。


(……いや、もう、なんていうか……)


「もう、限界――」


 もう、洗浄室に這いずる力も……

 恐らくは折れているであろう、脇腹の傷を治す余力も……ない。


「……ククッ。無茶した挙句、着地をしくじって骨折する冒険家なんて、いるわけない、よなぁ……」


 鈍い痛みをこらえながら、ダイブアウトのボタンを押す。

 フッと気が抜けたように、意識が――薄れていく。

 白く染まりゆく意識の中、歯噛みするのは自身の力不足。


「嗚呼……クソっ。映画の中のようには、動けない、よなぁ……

 まったく、フルダイブゲームってやつは、これだから手強い……」


 だがこれこそが、これから自分たちの冒険する舞台。

 前作よりも手強く、前作よりも鮮烈な、もう一つの現実。

 ここには――もう一つの世界があるのだ。



(なぁ、フーガ、カノン――)



 この世界では 僕も 君らみたいな――


 ワンダラーに なれる だろうか――





 そうして男もまた、先行く彼らと同様に、光の粒子となり。

 

 虚空へと溶けるように――この世界から、離脱した。

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