投げる練習をしよう

 *────



 ここは惑星カレド、セドナの仮称を与えられた地形座標中央部の丘陵地帯。

 それは瞬きの間に行われた。

 見上げるほどにそばだつ、白い岩石質の断層の傍らに、

 どこからともなくふっと現れた無数微小の青白い粒子が、

 くるくると渦巻きながら、二つの人の形を形成する。

 そんな青白いヒトガタに、

 ぱりぱりと、どこかホログラフィックなエフェクトが覆いかぶさり、

 そこに現れたのは――



 *────



「おっ、カノン。おかえり。今回はほとんど同時――」

「あっ、フーガくんっ。おかえり――」


  ――しとしと しとしと


「……雨、ですね」

「……雨、降っちゃってる、ね」


 2時間ほどの夕食休憩を挟み、この世界に帰還する。

 現実の時刻は夜8時ほど、こちらの時刻はお昼前だ。

 だというのに天を仰げば、切れ目のない雨雲が空を閉ざしている。

 俺たちがダイブアウトしている間に降り始めたようだ。

 レザーコートを着てきたおかげで、雨に直接打たれることはない。

 そもそも、これくらいなら無視してもいいくらいの雨量だ。

 見たところ、土砂降りにはなりそうにない、が……


 雨に濡れた手の甲を、ぺろりと舐める。

 ……うん、たぶんな雨だな。あとは知らん。

 下手にカノンを心配させることもないだろう。

 ただの雨だと仮定して動こう。


「こりゃ、帰りはちょっと急いだほうが良いな。

 このくらいの降水量なら心配ないとは思うけど、川が増水すると怖い」


 いま心配するべきは、どちらかと言うとそちらだ。

 あの川が増水した場合の挙動がわからない。

 仕掛けた筌も流されるかもしれん。

 手早く回収して、早めに拠点に戻ろう。


「んっ。わかった。ここでやることは、もうない?」

「んー……じつは1個だけ、この辺で技能を習得したいと思ってたんだけど。

 ここまでの道中でいい場所もなかったし、ここでやるだけやってくか」


 急ぐとはいえ、既に2時間の休憩を挟んだ後だ。

 あと10分くらいなら誤差のうちだろう。

 革袋の中から、あらかじめ作っておいた石の楔――ポールペン状の花崗岩の杭――を2本取り出す。


「ついでだし、カノンも覚えられるか試しとく?

 いまからやる程度の経験で覚えられるなら、覚えておくに越したことはないだろうし」

「んっ、やるって、なにするの?」

「投げる」


 やる気があるようなので、楔のうちの1本をカノンに手渡す。

 狙いは……近くの断層でいいな。ちょうどよく模様もあるし。

 切り立つ断層までの距離は、……とりあえず5mくらいで試すか。


「あ、【投擲】、覚える、の?」

「そうそう。ここまでの技能の覚え方を見るにたぶん、2、3回、

 なにか道具を、的に向かって投げれば覚えられると思うんだよな」


 カノンが伐採を覚えたときは、一振りだけでも覚えられたわけだから、たぶん1回だけでもいい。

 でも、いまいちその技能に類する経験の判定基準がよくわからないから、念のため数回試しておきたい。


「……断層の、カノンの目の高さくらいの場所に、丸い紋様があるな。

 あそこを狙って投げよう。簡単な的あてゲームだな」

「……ちょっと遠い、かも?」


 5mと言えば近く感じるかもしれないが、一般的なダーツ競技における的までの距離のおよそ2倍だ。

 狙って当てようと思うと、かなり難しい。


「別に、当たらなくてもいいとは思う。

 伐採だって木を切り倒す前に覚えられたわけだしな。

 狙って投げるっていう行為自体が経験なんじゃないかな」


 なんなら的すら必要ないかもしれない。


「ん、じゃあ、やってみよっか。

 ……これ、どうやって投げればいい、の?」

「カノンのやりやすいように。

 ……参考にはならんと思うけど、俺の投げ方を見せとくよ。

 ちょっと離れててくれ。跳弾も危ないから、俺の後ろの方に」


 正確に投げるだけならば、ダーツを投げるときのように指先で摘まんで、目の高さに合わせて、まっすぐ投げるのがいい。

 余計な力が伝わると、その分狙いがぶれてしまう。

 だが投擲は、単に狙って投げる動作だけを指す行為ではない。

 なげうつ。

 投げ、撃つのだ。

 今回の投げ方は、推進力も確保する欲張りプラン。


 細い石杭を中指に添わせるようにして手のひらに載せ、両脇の人差し指と薬指で軽く固定する。

 下の部分も、親指側と小指側の腹の間に同じく固定。

 最後に、楔の中央部分を親指で抑える。

 これで、手のひらを下に向けて動かしても、この石の楔は俺の手から零れ落ちることはない。

 親指が載っているあいだは、激しく振っても大丈夫だ。

 そして、十分な速度が載っているときに綺麗に押さえを解けば、この石杭は中指の直線状に打ち出される。


 あとはこの手のひらの石杭を、身体全体を射出機として、前方へと撃ち出すだけ。

 伐採と同じだ。いかにして、この小さな石杭に、力の流れを載せられるか。

 如何に力を殺さず、この杭を前方へと撃ち出せるか。

 そのやり方は、まぁいろいろあると思う。最善のやり方は知らん。


 たとえば、こうして踏み込みながら、サイドスロー気味に腕を振り抜き、撃ち出す刹那に順番に押さえを離せば――



  ガキィ――ンッ!!! ……カランッ



「と、まぁ。けっこうな速度で飛んでいくわけだ。……普通に弾かれたけど」


 俺の手から放たれた石杭は、重力の影響を十分に受けきる前にまっすぐ断層面に到達し、狙った紋様の……少し外側に、先端から当たって弾かれた。

 うん、なまってるな。

 今は投擲のアシストもないし、当然と言えば当然だが。

 動かない的に当たらないようでは、動く生き物の眼を狙って潰すなんてできるはずもない。

 さいわいフルダイブで感覚掴みやすいし、今のうちに練習しとかないと。


「……なんか、すごい音、したね」

「そりゃどっちの岩も硬いからな。

 石杭の方は研磨してあるし、あっちの断層の断面もけっこう硬そうだし。

 音が濁らないから、いい音するよな」


 だが、岩よりもやわらかいものなら刺さるし潰せるだろう。

 人の身体が生み出せる力というのは、案外ものすごい。

 300kg近くの荷重だって持ち上げられるのだ。

 正しい力の載せ方さえ知っていれば、けっこういろいろ出来ちゃったりする。

 火事場の馬鹿力、なんてのもあるし、人並み以上に身体を鍛えている必要すらない。


「で、さっきも言った通り、カノンはこの投げ方は真似しなくていいぞ。

 この投げ方、けっこういろんな筋肉使うから、下手に全力出すと筋を痛めるしな。

 伐採の時みたいになるぞ」


 そもそも、今は全力で投げる必要がない。

 今回は、ただ技能を覚えたいだけだからな。

 それでも俺が全力で投げてみたのは、こっちの世界での投擲の感覚を早めに掴んでおきたかったからだ。

 うまいこと使えるようになれば、弓やらスリングショットやらに比べて、手軽で強力な飛び道具になる。

 なにかに襲われた時の護身手段として頼りにしたい。

 投擲は、前作で俺が好んで使っていた数少ない攻撃手段の1つなのだ。

 その辺に落ちてるものがすべて武器になるからな。持たざるものとしては便利だ。


「……えっと、じゃあ、わたしも、やってみる」


 石杭を手の中に握り持ったカノンは、野球選手のようなフォームで、振りかぶって投げるようだ。

 うん、それも勢いがつけやすい、いい投法だ。いい投法なんだけど――


  キィンッ! ……カランカラン


「あっ、……そっか。……まっすぐ、飛ばない、よね」

「……そこが、この手の杭……ぶっちゃけ棒手裏剣の、難しいところだよな」


 まっすぐ飛ばさないと、刺さらない。

 仮に狙ったところに飛んでも、側面から当たってしまってえば、ちょっとした衝撃を与えるだけ。

 刺さりやすいが、刺しにくい。

 それがこの手の飛び道具の難しいところだ。


「カノンの投げ方と持ち方は、上投げの野球選手っぽい投げ方だったよな。

 それだと、投げたものが回転しがちなんだ。

 プロ野球の選手のようにうまいこと投げれば無回転にもできるんだけど、相当の技術力がいる。

 だから……俺たちみたいな一般人がこの手のものを勢いよくまっすぐ飛ばそうと思ったら、持ち方やら投げ方やらからかなり工夫しないと、まっすぐ飛んでくれないんだよな」

「……難しい、よね?」

「慣れだけど、慣れるまではそこそこかかるかもしれん」


 カノンはたぶん、覚えようと思えばそこそこ早く覚えられるだろう。

 身体の使い方がうまい。人体から道具への力の流し方がうまい。

 だが物を投げて当てたいだけなら、無理してこんな使いにくい道具を使うこともない。

 丸い石とか、その辺に落ちてる硬いものを投げるだけでも十分な威力が出る。

 カノンが無理にこの石杭をまっすぐ飛ばせるようになる必要はないだろう。


「……もう1回、やらせて?」

「いいぞ。今は拾って再利用しないとな」


 そうはいっても、カノンがやりたいというのなら、別に止める理由もない。

 断層の傍に落ちていた俺とカノンの石杭を拾い、2本ともカノンに渡す。

 あれだ。こういうのって、ゲーム感覚でちょっと楽しいよな。

 どうやったらまっすぐ飛ぶのかいろいろ試してみる時間。

 輪投げの輪をどうやって飛ばすか考える時間に似ている。

 あるいは……忍者の里での、手裏剣体験?



  カキンッ ……カラッカランっ


  ガギンッ ……カランカランっ



「む……、なかなか、まっすぐ飛ばない」

「技能覚えたらまた感覚が変わるかもしれんし。今は無理しなくていいさ」


 というか、カノンが石杭を投げるたびに、当たったときの音が大きくなっているような気がする。

 ちょっと怖い。



 *────



 その後俺も数回投げ足して、投擲の経験試行を終える。

 わかったことは……。


「この花崗岩の石杭、やべぇな……」


 手の中に1本だけ残った石杭に目を落とす。

 けっこう本気で投げたし、断層面の岩石にも傷がつくくらいの衝撃を与えているはずなんだけど、こちらの先端はほとんど潰れていない。

 あちらは傷ついて、こちらは傷ついていない

 つまり、こちらの方が硬いということだ。

 しかも、細く尖らせた切っ先はひび割れてもいない。

 上手く研磨すると、ここまで硬度があがるのか。

 製造装置、やはり恐ろしいデバイスだ。


「でも、1本、割れちゃった、ね」

「当たった角度が悪かったな」


 垂直方向の硬度的には問題ないのかもしれないが。

 細い先端。横方向からの力に弱いのは仕方ない。

 対象に対してまっすぐ刺さらないと、対象の硬さによっては割れてしまう。

 金属製にすれば、その辺の問題はある程度は解決するのだが。


 だが現状でも十分だ。

 垂直方向に差す分には、金属の杭並みの硬度を持つだろう。

 これなら、実用に堪える。しっかり練習しておこう。



 *────



 時間にしてわずか10分ほどの投擲練習を終え、俺たちは帰路へと着く。

 川の中に仕掛けた罠を回収するため、道のりは行きと同じ。

 雨の時に川沿いを歩くのは怖いが、いまのところ川の水量に目立った変化はない。

 そもそもこの川は、川幅10m、水深3mとそこそこの容積がある。

 しとしと降る程度の雨では、急激な変化は起きないだろう。

 ……たぶん。


  しとしと しとしと――


 行きにも通った川沿いの道を歩きながら、レザーコートを羽織りなおす。

 いまのところ、コートは水を上手く弾いてくれている。

 耐水加工だの撥水加工だのはできていないが、十分に役立っている。

 とはいえ、頭上から降り注ぐ雨は、徐々に身体を濡らしていく。

 セドナの気温の低さもあり、蒸し暑いというよりは肌寒い。


「寒くない、カノン?」

「んっ。だいじょうぶ……だけど……」

「ん?」


 カノンもまた、レザーコートを羽織り直しながら。

 その小さな手のひらをこすり合わせる。

 革グローブは、投擲の練習のときから外されたままだ。


「……ちょっと、手は、冷たい、……かも」

「……うぐっ」


 完全な死角から放たれた不意打ちに、思わず呻き声が漏れ出る。

 くそ、会話の流れ自体は前にもあったから完全に慢心していた。

 おのれカノン、しかしワンダラーに同じ不意打ちが二度通じるとは――


「……いい?」

「……ん、もちろん」


 今回は俺の負けということにしておこう。

 ……負けということにしておくというか。

 誰がどう見ても普通に負けているのだが。

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