五日目/思索の海

 9月3日。火曜日。平日。


 ぱちりと目を覚ます。

 枕もとの時計を見れば午前6時半過ぎ。


 誰に起こされるまでもなく、自然と目が覚める。

 昨日そうして起きたように。

 今日こうして起きたように。

 明日もまたきっと、この時間に起きるだろう。

 そうでないと困る。

 なにせ――有休を申請しているのは今日までなのだから。


 ぼんやりと、朝陽が差し込む窓を見遣る。

 レースカーテン越しに見る空は仄暗い。今日は曇りだろうか。

 それとも、たまたま朝方だけ曇り掛かっているだけで、快晴になるのか。

 どちらでも構わない。なんならこれから雨が降ったって。

 なぜなら今日も、俺は惑星カレドに旅立つのだから。

 5日間連続で、家に閉じこもってゲームに興じるなんて、いったいいつ以来のことだろう。

 きっと『犬』をプレイしていた頃以来だ。

 あのとき、俺はまだ大学生だったから。

 潤沢な余暇を、思う存分ゲームに注ぎ込むことができた。

 夏季休暇とか、そりゃあもう社会的には酷いもんだったよね。

 俺にとっては至福の時間だったけど。


 小夜にデューオ。そしてカノン。

 モンターナやりんねる。そしてその他多くの、同じゲームを愉しんだ同志たち。

『犬』を通して、多くの人間に出逢った。

 血の通った人間に出逢い、親交を育んだ。

 人生の道行きの中で、俺たちはたまたま同じ時に、同じ場所を歩いていた。

 そのあと歩く場所が変わり、俺たちは別れたけれど。

 それでも今なお、同じ時間を歩いていることに変わりはない。


 ――カノンも。


 俺との交友が断絶したあと、俺と同じだけの時間を、俺とはちがう場所で過ごしてきたはずだ。

 彼女は現実に生きる、血の通った、一人の人間なのだから。


 だから――引っかかる。


 ワンダラーとしての、彼女の性。

 親しい者のみに許す、彼女の距離。

 言葉遣い。仕草。嗜好。まなざし。


 どうして、彼女は、こんなにも――



 *────



 思索の海を抜け出し、今日もまた軽いジョギングに出かける。

 答えのない問いに溺れそうになったときは、身体を動かすに限る。

 その問いが重要なものであっても、この場で答えを出すことが最善とは限らない。

 特にそれが、他人という、不確定要素の塊に関係するものであるならば。


 空にはうっすらと雲が掛かり、どこかすっきりしない空模様。

 朝方の、都会外れの住宅街の歩道を走る。

 ときおり見かける道行く人々は、俺のことなど意識にも入れないだろう。

 俺が彼らを「道行く人々」というレベルでしか意識しないのと同様だ。

 人の数だけ人生がある、とはよく言ったもの。

 俺には彼らが過ごすことになる今日一日すら経験できはしない。

 俺には知りえない24時間分の経験は、24時間だけ彼らを前に進めるだろう。

 男子三日合わざれば刮目してみよ、なんて言葉がある通り。

 人間なんて、日々変わっていくのが当たり前なのだ。

 一年も会わなかったら、もう互いの近況なんてわからなくなるだろう。


 だからこそ、一度交流を失くした知己との再会というのは気を遣うものだ。

 互いに知らない時間を過ごした分だけ、互いに知らない場所を歩いてきた。

 だから交流を失くした時刻からはじめて、少しずつお互いの歩んできた道のりを擦り合わせて、目の前にいる人物が、間違いなく自分の知っている人物だということを納得しようとする。

 目の前の人物が大して変わっていなかったのなら、空白を埋める凪いだ日々を訥々と語り合い、「お互い変わっていないな」と笑い合うだけでいい。

 もしもすっかり性格や考え方が変わってしまっていたならば、いったいなにがあったのかと尋ね、答えを聞き、「そんなことがあったのか」と納得しなければならない。

 そうしたあとでようやく「いろいろあったみたいだけど、やっぱりお前はお前だよな」と言って安心できるのだ。

 だって、それができなきゃ、目の前の人物が、自分の知る人物だと確信できないだろう。

 知己というのは、かつて出逢った頃から地続きだと確信できるからこそ、知己なのだ。


(……。)


 だから、俺はカノンと再会した時、まず第一に、彼女のいまを探ろうとした。

 そして、4年前の彼女と今の彼女との差異から、彼女の変化を探ろうとした。

 その変化こそが、俺が確かめるべき、彼女が4年の間に歩んだ道のりそのものだろう。


 俺とカノンの交流が途絶えたのは、4年も前の話だ。

 お互いの知らない4年分の歩みを経て、お互い変わっていて当然なのだ。

 だから俺とカノンの此度の再会は、まずは4年間の断絶を埋めるところから、始まるはずだった。

 互いが知らない互いのいまを確かめるところから、始まるはずだった。



 それなのに――それは、必要なかった。



 カノンとの時間を経た今なら確信できる。


 彼女は、あまりにも、4年前のままだ。



 だから、おかしいのだ。



 *────



 気がつくと、我が家の扉の前だった。

 どうやら俺は、いつの間にかジョギングを終えていたらしい。

 正直なところ、どこを走ってきたのかいまいち覚えていない。

 たぶん昨日と同じコースを走り、昨日と同じコースで帰ってきたのだと思う。

 身体を使えば思索から抜け出せると思ったのだが、今回の思索は想像以上に根が深い。


 それは、惑星カレドに降り立ち、カノンと過ごしている間は、看過できる懸念。

 なにせ、なにか問題が起きているわけではないのだ。

 俺とカノンはかなり仲良くやっていると思う。

 彼女も、自分の意見や要望をちゃんと示してくれている。

 俺も彼女に対しては、礼儀を欠かない程度には遠慮していない。

 気のおけない仲、というやつだ。

 その距離感が心地よい。彼女と過ごす時間は楽しい。

 ずっとそうしていたいと、思ってしまうほど。


(……。)


 彼女は、俺を『犬2』へと誘った。

 俺との、再会を望んでくれた。


 じゃあ、もう、のか?


 彼女は、もう、なのか?


 俺が心配するまでもなく。

 俺がなにかをするまでもなく。

 彼女は、もう――


(……


 それは、おかしい。

 だって、あのとき、彼女の足は――



「――――あっちぃッ!!」


 あれ、……俺はいつの間に風呂に……?


 というか風呂の温度調整、盛大にミスってるんだけど!



 *────



 風呂の湯が熱すぎたという単純かつ衝撃的な感覚刺激によって、ようやく答えのない思索の海から這い上がることができた。

 答えが出ないことを、うじうじ悩んでいても仕方がない。

 カノンと正面から相対して、そのなかで答えを探していこう。

 一人で巡らせる思索の中に、それに勝る答えはないと見た。


 時刻は午前10時過ぎ。今日もまた、空いた時間がある。

 有休が今日までということで、貯蓄していたカロリー補給のトモダチもそろそろ品切れだ。

 ここまでありがとう、ゼリータイプとかブロックタイプとかあるみんな。


 ……カロリー補給と言えば、そろそろ食糧問題はどうにかしたほうが良いな。


 ゲーム開始時点の脱出ポッドには、2週間分の飲料水と携行食糧が備蓄されている。

 具体的に言えば、1日3回の2週間分で、それぞれ42食分あるということだ。

 これらの食事は、およそ4時間に一回摂取すればいい、というバランスで作られている。

 ゆえに、ざっくばらんに計算すれば、ゲーム内のプレイ時間で168時間分の活動を賄うことができる、ということだ。


 プレイヤーは四六時中ダイブインしているわけではないから――なかにはずぶずぶのプレイヤーもいるだろうが――現実時間で言えば実際にはもっと長いこと保つ。

 極端な話を言えば、1日1時間しかダイブインしないプレイスタイルなら、現実時間で168日は携帯食料だけもしゃもしゃしていてもいいのだ。

 まぁ、間違いなく、飽きるだろうが……

 ゆえに食糧問題というのは、プレイスタイルによっては喫緊の問題ではない。


 一方で、俺とカノンは二人で一人分の備蓄を食い潰しているうえ、ダイブインの時間も長いため、食糧問題は割と差し迫っている。

 初日を除いた3日間は、1日の内ほぼ半日として計36時間は惑星カレドで過ごしている。

 つまり、通常のプレイヤーで言えば72時間分の食料は既に消費したということだ。

 初期の備蓄食料が半分切ろうとしているうえで、安定した食料供給にいまだ目途が立っていない現状にはさすがに危機感を覚える。

 今日あたり本格的に食糧問題の解決に乗り出した方がいいかもしれない。

 それに……


 俺の有休の関係で、今後は時間をぶっこんで探索するのが少々難しくなる。

 今日が終われば、次のぶっこみは早くとも次の土日だ。

 そこまでは仕事帰り後の時間を使ってのダイブインになる。

 カノンとまるまる時間を合わせるのも難しくなることが多いだろう。

 それを考えると、食料に関しては今日のうちに目途を立てておいて、時間が合わないときは各自で採取できるようになっておいたほうが良い。


 石材の採取方法も、木材の採取方法も、カノンには教えられたと思う。

 衣服も道具も家具も、一通りはカノンと一緒に作ることができた。

 飲料水の確保は最初からできていたし、これであとは食糧問題さえ解決すれば、俺がいないときカノン一人でも、不自由のない『犬2』ライフを送ることができるだろう。


(余計な気遣いかもしれんが)


 もともとはカノンもソロプレイヤーだった。

 ソロプレイヤーという名のワンダラーだったが。

 通常プレイのイロハはひと通りは分かっているだろうが、それでも彼女のメイン・プレイスタイルはテレポバグで遊ぶワンダラーだった。

 テレポバグがまだ使えない今、通常プレイ部分もカノンにも楽しんでもらいたいと思って、一緒にいろいろやってきたが、果たしてカノンはそれらを楽しいと感じてくれただろうか。


 もしも楽しいと感じてくれたのなら、彼女は俺がいないときでも、『犬2』をプレイしたいと思うだろう。

 もしもそれらに楽しみを見出していないのなら、俺と一緒にやれないときは、『犬2』をプレイしようとは思わないかもしれない。

 『犬2』には、まだ、テレポバグがないからな。

 テレポバグさえ自由にできるようになれば、この悩みは杞憂になるのだが。


 というかマジでポータル早く来てくれ。

 テレポバグさせてくれ。

 カノンと遊んでるおかげで別口から発散されてはいるが、俺もそろそろ禁断症状が出るぞ。



 *────



 空いた時間を使って、昨日家具を作る中で疑問に思ったことを一通り調べてみた。

 えもんかけとか、ポールスタンドとか、スタンドテーブルとかそのあたりについて。

 昨日の時点ではいまいちそれらの言葉が示すものが判然としなかったのだが、実際けっこう幅広いものを指しているようで、ネット上でも情報が交錯していた。

 カタカナ語の語義がぼやけるのは、いくぶん仕方がない面もある。

 ほとんどの場合、日本語と英語は一義的に対応しているわけではないからな。

 スシとかスキヤキとかがまるで対応していないのと同様だ。


 そういえば、家具類の画像を見ていて思ったのだが。

 参考となるようなものを先に調べておいてから真似して作るのも効率的なやり方だよな。

 モデリング作業中に画像や動画が見られるとなおいい。

 スタンドテーブルとか、実際のバーテーブルの画像を参考にして作っていれば、変な工夫を挟もうと思うこともなかったのかもしれない。


 ちなみに、リアルで調べたこの手の情報を、そのままゲーム内に持ち込む方法は、少々強引だが一応ある。

 ダイブインしていない状態で、フルダイブシステムデバイスを使って、自分の拠点に向かって、そうした情報を添付したメッセージを送ればいいのだ。

 自分のメールボックスに向けて、携帯端末で撮影した写真や、別端末で得たファイルを投げ込む方法に似ている。

 これならゲーム内から、現実で調べた情報を参考にしてものを作ることができる。

 今後複雑なものを作るようなことがあるときは、俺もそうしよう。



 その他ちょっとした調べ物を挟んだあとに、公式情報も確認する。

 真新しい情報、特になし。ヨシ!


 新しいゲームなのに全然イベント来ないなと思うかもしれないが、実際にプレイしている人はたぶんそんな事思ってる余裕ないんじゃないかな……。

 サンドボックスゲームの序盤は、やるべきこと、やりたいことが本当に盛りだくさんなのだ。


 それにこのゲーム、かなり進行が遅いゲームだからな。

 俺とカノンとか、かなりの時間をこのゲームに費やしているのに、ようやくはじめての伐採が終わったばかりだ。

 1日1時間程度のプレイを続けるスタイルだと、木の伐採までにもかなり時間がかかるだろう。

 そう言う場合は、供給を安定化させたプレイヤーに道具や資源を融通して貰ったり、他の人は他の人としてマイペースにプレイするなりすればいい。

 別に誰かと競い合うようなゲームではないからな、このゲーム。


 ランキング報酬とかないよ。イベント報酬は参加者一律。

 課金要素もないよ。最近また増えつつある毎月定額型。

 ルートボックス要素もないよ。敢えて言うなら初期開始地点のランダムボタン。

 その手のコンテンツに疲れたヒトにはおすすめだよ。



 *────



 さて、昼食も食べて、体調も万全。準備は整った。

 今日は火曜日、当然平日。金月火と、3日間取った有休の最終日。

 ま、別に大して貴重な余暇でもない。

 水木金と3日挟めば、また2日間の休日だ。

 素晴らしき哉、週休2日制。

 ゆえに、今後も覚悟しろ『犬2』。

 俺はお前が没するその時までしゃぶり尽くすからな。


 ニューロノーツ先生、本日のご機嫌はいかがですか。

 ほう、今日は薄曇りで暑さは控えめと。でも雨は降らないと。

 湿度のチェックはオーケー?オーケー。

 では、こちらの俺の身体の頼むよ。


 今日はあんまり遅くまでやらないとは思うからさ。

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