三日目/静寂

 9月1日。

 季節の一つの境界線。

 夏が終わり、秋が始まる。


あっちぃ……」


 にもかかわらず、寝起き早々の俺の口から漏れ出たのは、そんな情緒もへったくれもない呻き。

 ほんのりと汗ばんだ身体が不快で、思わず寝台から身体を起こす。

 仄暗い部屋に差し込む、窓からの日差し。

 時計を見れば、時刻はまだ朝8時前後だというのに、


(……残暑厳しそうだわ、今年も)


 セドナはあんなに涼しいのに、……などという思考が思わず頭をよぎる。

 それはフルダイブゲーマーとしてやや危険な思考か。

 ゲーム中の現実の俺の身体の体温はニューロノーツが管理してくれているはずだから、ゲーム内で過ごしている間に現実の身体の変調云々は問題ない。

 だがゲーム内があまりに快適になり過ぎると、現実よりゲームを選ぶようになるのではないか。

 いや、仕事がある限りは選びようがないか。

 そもそも、その問題はフルダイブゲームに限らない。


 とりとめのない思考の海を揺蕩いつつ、いくつかの朝のルーティンを終える。

 正午にはまだ早いとはいえ、時計の針はそれなりに昼に近づいている。


 今日は、日曜日。

 今日もまた、なにか、やるべきことがあるわけではない。

 そうしたものは、『犬2』発売前にあらかた潰してきた。

 だからある程度自堕落な生活をしてもいいのだが――

 せっかく『犬2』をやるために作り出した、久しい余暇なのだ。

 怠惰に躊躇いなく、しかしなにかしら有意義に使っていきたい。



 *────



 昨夜はマキノさんと別れて『犬2』を落ちたあと、いろいろと調べものをしていた。

 トウヒやら、植物の成分やら、名前やら。

 ネット上の海を軽く浚い上げてわかる程度の浅い知識だが、なかなか面白かった。

 早めに寝るつもりだったのに、ついつい夜更かししてしまった。


 ゲームというのは、現実の知識を深めるきっかけにもなる。

 多かれ少なかれ、という注釈がつくところだが、『犬』は明らかに多い方だ。

 そして、逆もまたしかり。

 現実の知識や経験が、ゲーム内の知識を深めるきっかけになる。


 ゲームを支配する理がゲーム的であればあるほど、ゲーム内での知識や経験がものを言う。

 反対に、理が現実準拠であればあるほど、現実の知識や経験がものを言う。

 ゲームと現実の相互扶助関係。

 これはなにもフルダイブゲームに限らない。

 テレビゲームというのは、原始ゲーマーたちがコンピュータやブラウン管をじっと覗き込んでいた時代から変わらず、一種の仮想体験装置シミュレーターなのだ。

 サンドボックスゲームを教材として取り入れる教育機関があるのも、ゲームの進化・多様化というよりは、ゲームという仮想体験に対する人間のものの見方の進歩というべきだろう。


「――ん、特に新情報なし」


 つらつらと考えながら、『犬2』の公式ページや広報を巡回する。

 このゲームの広報、見てもあんまり役に立たない。

 複数のソーシャル・ネットワーキング・サービスで発信されているのだが、なんというか、具体的な情報を敢えて削ぎ落しているような節がある。

 ゲーム内での体験を紹介するスクリーンショットや動画が中心で、技能が云々、最初にやるべきこと云々といった情報はない。


 まあ、宣伝ってのはゲームを既に始めている人にでなく、これから始めて欲しい人に行うものだろうからな。

 具体性など不要。

 対象とする層を考えれば、視覚に訴える動画や一枚絵の方が、ゲーム内の豆知識より圧倒的に効果的だろう。


(しかし、仕方ないとはいえ、……絵面が地味だな)


 動画では、眼下に広がる雄大な自然や、そこで味わうアウトドア体験の一場面を切り取ったもののコラージュつぎはぎを映している。

 カメラアングルの工夫によって、世界の雄大さは十分伝わってくる。

 だが、爽快なアクションや派手なエフェクトが飛び交うわけでもなし。

 プレイヤーの派手な死にざまが映されているわけでもなし。

 完全に箱庭系シミュレーションゲームの絵面だ。

 いや、ジャンルとしては正しいんだっけ。


(やはりマイナーゲー……?)


 いや、そんなことはないな、うん。

 実際セドナに着陸してきているプレイヤーもマップ見るたびにちょいちょい増えているしな。


 今のところ、公式のお知らせでは新規登録者の制限を行う旨などは記載されていない。

 つまり、まだまだユーザーのキャパシティには余裕があるということだ。

 いったい何人くらいまでのアクティブユーザーを抱えられるんだろうな?

 そのあたりはさっぱりだ。

 まさか1万人程度ってことはないだろうが、……どうだろうな?



 さて、雑事や軽い運動を済ませ、時刻は午後1時15分。

 カノンとの待ち合わせは昼食後の午後1時半。そろそろダイブインしてもいいだろう。


「Hey、ニューロノーツ先生、今日も頼む」


 デバイスを装着し、我が家のフルダイブデバイス・ニューロノーツにそう声を掛けると、今日は暑くなる旨、玄関の施錠や機器類の動作確認を行うべき旨などを伝えられる。

 うん、その辺心配かけてすまんな、先生。

 電子制御の高級マンションとかなら、ほんとは先生の方で鍵のオートロックや機器類のシステムダウンなんかもできるみたいなんだけどね。

 この家アナログだからさ。

 その辺の制御を先生に任せられないんだ。

 先生がしてくれるのは、俺の体調管理と、もう一つの世界への没入ダイブだけ。

 それで十分だ。


 そうして、俺の意識は暗転する。



 *────



「ただい――、……っと」


 惑星カレドへのダイブインに成功。

 場所は当然、ダイブアウトした場所と変わらず、カノンの脱出ポッドの中だ。

 だが、ダイブインのたびにいつも俺を出迎えてくれていたカノンの姿が、ない。

 現実の時刻は待ち合わせ10分前、少しフライング気味だ。

 カノンからのメッセージもなかったし、単純にまだ来ていないだけだろう。


(……待つか)


 カノンからは、この拠点の設備については自由に使ってくれと俺のマスター登録の際に伝えられている。

 今日の探索を行う前に、ちょっと作っておきたいものもある。

 だから、この時間を使ってやりたいことはあるといえばあるのだが……。

 それでもここはカノンの拠点だ。

 くつろぐのと、好きに使うのとではちょっとちがう。


 もはや定位置と化した無骨な腰掛けにもたれかかり、カノンを待つ。


 ……。


 脱出ポッドの採光窓を見れば、仄かな光が差し込んできている。

 こちらの世界では時刻にして午前六時頃、といったところ。

 周囲の樹林に遮られることなく日差しが届くには、些か早い。


 ……。


 ……。


 ……静かだな。


 脱出ポッドの内部、周囲のカオリマツの樹林。

 いずれも、音を立てるものは何一つない。

 耳に届くものがないだけで、こんなにも静かになる。

『犬』の頃は特にそういったものを感じたことはなかった。

 ……フルダイブ世界で感じる静寂は、これほど耳に痛いのか。


(……いや、ちがうな)


 静寂を感じる原因は、カノンだ。

 俺がこのセドナに墜ちて以来、俺の近くには常にカノンがいたからだ。

 俺はいつもカノンより早くダイブアウトし、

 カノンはいつも俺より早くダイブインしていたから。

 俺はこの静寂を味わうことが一瞬たりともなかった。

 だが――


(……。)


 カノンは、俺がダイブインする前や、ダイブアウトした後に、この静寂を味わっていたのか。

 まるで世界の中で自分だけが孤立しているような、この静寂を。

 喧騒に満ちた現実の世界ではなかなか味わうことのない、耳の痛みを。


「……今度から、ちょっと早めに来るか?」


 いやでも、それはそれでカノンに気を遣わせそうなんだよな……。

 お互い前に前にずらしていって、下手したら30分前行動なんてことになりかねない。

 うん、気持ち早めにダイブインを心掛けるくらいでいいか。

 少なくとも、時間に遅れるということはないようにしよう。

 この静寂の中で、待ち人来ずを味わわせるのは本意でない。


 ……。


 そうしてふと、脱出ポッドの中に異変が起こる。

 その変化は、瞬きの間に行われた。

 空間の宙に、どこからともなくふっと現れた無数微小の青白い粒子が、

 くるくると渦巻きながら、人の形を形成する。

 そんな青白いヒトガタに、

 ぱりぱりと、どこかホログラフィックなエフェクトが覆いかぶさり、

 そこに現れたのは――


「――よっ、こんにちは。おかえり。カノン」

「あっ、フーガ、くんっ。こんにちは。

 ……待たせちゃ、った?」


 深い藍色のチュニックに身を包んだカノンだ。

 うむ、やはり似合っている。


「いや、全然。待ち合わせ時刻ぴったり狙い」

「ん、よかった。……あの、ただい、ま」


 カノンの表情にも安堵の色が浮かぶ。

 うむ、善き哉。


「……あの、昨日、戻ってから、思い出した、けど」

「ん、なんか忘れてた?」

「また、シャワー、浴びてない、かも」

「Oh...」


 それこそ、先に来た俺が終わらせておけばよかったな。

 というか、昨日はカノンが先に来て洗浄室を使ってたんだったよな。

 静かだなぁとか思ってる暇あったんですかね……。


「そういやそうだわ。一応昨日も外に出たしみそいでおくか」

「ん。 ……どっちから、使う?」

「お先にどうぞ。それとも、俺が先に使ったほうが良い?」

「……ん。どっちでも、いい、けど。

 じゃあ、わたしから、いい?」

「どうぞどうぞ」


 もしかしたら、チュニックやズボンを洗浄したいのかもしれない。

 その辺の清潔感覚まではさすがにわからないが。

 作ってから数時間しか経っていないし、この世界で寝たわけでもないしな。


「……あの、音、とか、気にしないで、ね?」

「シャワーじゃないし、気にするような音あるか……?」


 それに俺の見立てでは、あの洗浄室、けっこう防音がしっかりしている。

 洗浄室の中でライブでもやらない限りは特に気にするようなことはないだろう。


「……ん、じゃあ、お先に、使う、ね」


 そうして、少しためらいがちな所作と共に、洗浄室に入っていくカノン。

 チュニックも当然着たままだ。

 あの洗浄室は、更衣室・洗濯室も兼ねているようなものだし、気楽なものだ。

 特に気にするようなことは――


(――ないよな?)


 あれ、ないよな?


 前にも言ったが、このゲームはインナースーツを脱ぐことができない。

 ヌーディストの皆さんもこれにはしかめ面。

 カノンも、チュニックを脱いだからと言って素肌を晒すわけではない。

 インナースーツになるだけだ。

 洗浄室の機能も、水によるみそぎではなく、洗浄ミストで拭われるだけ。

 シャワーを浴びるというよりは、濡れ布で拭うという行為の方が近いだろう。

 なんなら公共施設で夏に行われてたりする、屋外ミストシャワーを浴びるようなものだ。


 なのに、なんだ。

 この……なんだ?


 洗浄室に入っていったときの、なにかを恥じるようなカノンの所作も相まって、なんだか妙な気分になる。

 くそっ、やけに静かなのも妙に気になる。

 やめろ、これそういうゲームじゃねぇから!


 ……落ち着け。

 なにもおかしなことはない。

 5分程度だ。無心で待とう。

 あの扉の向こうにあるものを想像してはならない。

 観測しない限りは確定しない。

 箱の中の猫だからな。

 ねこです。

 よろしくおねがいします。


 ……。


 ……。


 ……なげぇな5分!



 *────



 5分後。


「――、お待たせ、しました……」


 やめろ、カノン。

 どこか恥ずかしそうな所作をするんじゃあない。

 別に恥ずかしがるようなことないから。

 ただの洗浄だから。

 あっ、でもやっぱりなんかいい匂いする。

 チュニックもふわっと仕上がっているようだ。

 どうやらその手の衣類の洗浄・乾燥も完璧のようだな。


「ん、やっぱり早いな。じゃあ、俺も使わせてもらうよ」

「あっ……あの、うん……」


 たぶん気にしない方がいいぞ、カノン。

 このあたりは人間の豊かな想像力が却って牙を剥く部分だ。

 思えば前回俺が洗浄室を使っているとき、カノンがなにかを気にしていたような気配があったのも、このあたりのことだったのかもしれないな……。

 いや、さすがに俺のような的な想像ではないだろうけど。



 で、洗浄室での体験については特に変わったことはなし。

 カノンと違って、俺は装備も変わってないからな。

 新たな発見もない。


「おまたせー」

「んっ、大丈夫、だよ」


 洗浄室から出ると、カノンも応じてくれる。

 特に何かをしていたようではないようで、暇を作ってしまったかもしれん。

 まあ、この拠点はカノンの拠点だ。

 俺と違ってカノンはだれに遠慮するでもなし。

 なにかやりたいことがあったら、なにかしら製造したり分析したりもするだろう。


「そういやチュニックの精油とか、落ちてなかった?」

「ん、大丈夫、みたい。 ……でも、そのうち、薄まる、かも」

「そりゃ香りがするってことは、なにかが発散してるってことだしな」


 1か月、いやさ2週間くらい効果を発揮してくれれば御の字だろうか。

 精油スプレーかなにかを作ればあとづけで解決できるかもしれんが、今後カオリマツの伐採に際して葉が大量に手に入るようになるだろうし、いっそ定期的に新調してしまってもいいだろう。

 贅沢な着こなしだ。いろいろなファッションを楽しめそう。


「――では、そろそろ活動開始と行こうか」

「んっ、昨日、言ってた、やつ?」

「そうそう」


 昨日、カノンと解散する前に話していた、本日の予定。

 すなわち、それは、


「今日は川方面に行くぞーっ!」

「お、おーっ……!」


 俺がかつて墜落した、川方面の探索だ。

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