カノンの拠点で(1)

 南北を山岳に囲まれた盆地状の平坦な地形を、北から南にかけて縦断する蛇行する細い川の、南西側に広がる穏やかな樹林帯。

 それが、このセドナのマップの南西側、カノンを含むプレイヤーの初期開始地点がまばらに散らばる周辺の概要だ。

 カノンの拠点は、その南西部のなかでもかなり東寄り。

 すなわちマップの南中央部から南西に少しだけ進んだ地点にある。

 マップ上の距離感がまだいまいちつかめないが、俺が墜ちた川から非常に近いように見える。


 俺の墜落した川からここまでに、まばらな樹林の中を10分ほど歩いただろうか。

 その道のりは穏やかで、樹々の根や低木の茂みに足を取られると言ったこともなく、わざわざ整地せずとも川まで用意に辿り着くことができる。

 セドナはなかなかいい着陸地点だったと言える。

 他の着陸地点のことはわからないが、少なくともこの地形座標に不満はない。

 ありがとう、着陸地点を探してくれた機械音声さん。

 ここはいい場所だよ。


 やがて俺たちは、まばらな林の中にぽっかりと開いた、小さな空き地に辿り着く。

 その中央にあるのは、高さ3メートルほどの、継ぎ目の見えないなにか白い金属製の構造物。

 あちこちの塗装が剥げ、ところどころに擦過傷を負っており、それが無事に着陸したのではなく、恐らくはなにか無理をして不時着したのだろうと思わせる。

 丸いカプセルの上方と下方を少しだけ平らに潰したような、空気抵抗を減らすようにデザインされたかたちのそれは、その下部に六対の厳めしい金属製の足を生やしており、地面から50cmほど離れた空中にしっかりとその身を固定している。


 目の前にあるこれが、「プレイヤーの初期開始地点として配置される脱出ポッド」であり、カノンの――


「あ」

「どうした、の?」


 おっと、一つ忘れるところだった。思わず声を出してしまった。

 これからカノンの拠点関係で時間がかかりそうだし、今のうちにしておきたいことがある。


「……悪い、カノン。ちょっとこの辺りに棒さしてもいい? 1分くらいで終わるから」

「ぅん? いい、よ?」


 この周囲の空き地のうち、しばらくのあいだは森の木々が落とす影が掛からないであろう地点を見繕い、近くに落ちていた、細くまっすぐな木の枝を垂直に突き挿す。

 そして倒れないように周囲の土を盛る。

 その後、同じくその辺で拾った小石で、挿した樹の枝が地面に落とす影をなぞる。

 そして、仮想ウィンドウを開いて少々確認を一つ。


「……ん、いいよ。終わった」

「……あ、わかった、かも?」

「一応な。一応」


 そうして改めて、その脱出ポッドの正面に戻ってくる。

 この脱出ポッドこそが、カノンの拠点だ。



 *────



「じゃあ、開ける、ね?」


 カノンはポッドの前に立つと、自らの仮想端末を立ち上げ、何か操作を行う。

 するとほどなく、プシュー、という気の抜ける排気音とともに、目の前の脱出ポッドの正面の壁がこちら側に倒れるようにして開く。

 そこには、親切なことにタラップが。

 至れり尽くせりだ。


 そんなことを想いながらその様子を見守っていると、なぜかカノンは、なにかを躊躇うような逡巡の素振りを見せ、自らの脱出ポッドに入っていこうとしない。

 そんなカノンに疑問の声を掛けようとした俺は――


「そ、掃除、とか、まだ、全然、ないっ、けど――

 ……どう、ぞ?」


 そこで、先ほどから考えていたことを、胸の中で改めて決意する。



 *────



『8月30日20時 新生セドナにて君を待つ』


 そんな手紙を以て、俺を『犬2』へと誘ったカノン。

 彼女と再会し。再会の挨拶を交わし。

 その後しばしの浮ついたやり取りを介して、俺はカノンという人間の今を測ろうとした。

 4年間交友を断絶していた、カノンという、とある一人の友について。

 そうした確認の最後に、カノンの瞳に浮かんだ変わらぬ色を見て。

 俺は、彼女に対する今後の方針を決定する。


 しばらくの間は、『犬』の頃のように、カノンに接しよう。

 4年分の空白が、まるでなかったかのように接しよう。

 情報が少ないまま、むやみやたらに探るのは危険だという気配がする。


 カノンは、俺を『犬2』に誘ってくれた。

 俺との再会を喜んでいるように見える。

 俺との会話を楽しんでいるように見える。

 俺と彼女は、この世界でも、ワンダラーとして在ることができる。


 現状わかっていることはこれだけだ。

 そしてしばらくは、これだけでいい。


 焦ることはない。

 ゆっくりと、彼女のいまを、測って行こう。



 *────



 俺を先に行かせるように、手のひらを脱出ポッドの方へと向けるカノンに対して、


「……こういうのって、ふつう家主が先に入るもんじゃないか?」

「そっ、そうかな? そうかも……」


 そんな疑問を呈すると、カノンは、とてとてと、脱出ポッドのタラップを上がっていく。

 その後ろ姿、腰ほどの高さまで流れる、黒髪が揺れる。


(――変わらない、な……)


 姿も、立ち居振る舞いも。

 カノンも「カノン」のアバター・データを引き継いでいるのだろうから、姿が変わらないのは、当然だけれど。

 その出で立ちや仕草は、かつて見慣れていたもので。

 ちょっと意識を霞ませれば、まるであの当時に戻ったかのような錯覚すら。


「じゃ、じゃあ、あらためて――」

「……おっと、どうどう。

 その前に、たぶんそこらへんについてるコンソールで『登録』しておかないと、俺は拠点内に入れないぞ」


 自らの拠点とは、プレイヤーにとっての絶対安全圏だ。

 外敵に襲われることはないし、ポッド自体が利用不可能になることもない。

 その外敵とは、人によっては他のプレイヤーも含まれるがゆえに。

 他のプレイヤーの拠点には、そのプレイヤーの許可がないと、勝手に入ることができないのだ。

 具体的に起こる事象で言えば、見えない大気の壁に押し返される。



 *────



 ちなみに。

 『ワンダリング・ワンダラーズ!』というゲームには、プレイヤー同士の争いを可能とするシステム、いわゆるPvPは存在しなかった。

 ゆえに今作でも存在しないと思われる。

 そうした機能が存在するかを聞く初心者に「人間同士で争っている暇なんかないよ」といい笑顔でサムズアップするのは、『犬』の一種の様式美であった。



 *────



「あっ―― そう、だねっ。

 え、と……。今から、するね?」


 そう言って、カノンは脱出ポッド内部の壁面に設えられているであろうコンソールを操作していく。

 その手つきに迷いはない。

 カノンがここまで迷いなく操作できているのは、さまざまな部分で『犬』の仕様がそのまま残っているからだろう。

 今作から新規のプレイヤーだと、あまり馴染みのない機能として、その手のゲーム的な仕様をどこから設定するのか発見するのに時間が掛かるかもしれない。


 新作を手探りでやるのも楽しいけど、リメイクをいろいろ分かったうえでやるのもいいよな。

 当時の仕様やグラフィックを思い出しながら。


 そんなことをつらつらと考えていた俺の眼前に、フォンッ、と、俺が出したものではない仮想ウィンドウが続けて複数枚展開される。


 『プレイヤー「カノン」の拠点に対する、プレイヤー「フーガ」のマスター登録が完了しました。』

 『プレイヤー「カノン」の拠点を拠点として設定します。

  リスタート地点が更新されました。』

 『新しい技能を取得しました。(2)』

 『新しい実績を取得しました。(8)』


 おっとぉ?

 ブブブォンッ――と、重なり合うように連続でウィンドウが起動したから、後の方のはよく見えなかった。

 そちらはあとで確認しよう。

 それよりも、今は――


「『マスター』じゃなくてもいいぞ?

 『ビジター』はちょいと困るが、『フェロー』でも基本的な設備は使えたと思うし」



 *────



 他のプレイヤーを自らの拠点に招待するとき、そのプレイヤーは招待したい相手に合わせて、その相手が自らの拠点に対して持つ権利を段階的に定めることができる。

 すなわち、以下の3段階である。

 拠点に入ることはできるが、物を動かすことはできないし設備も使えない「訪問者ビジター」。

 拠点に入ることができ、物を動かしたり設備を使ったりすることもできるが、拠点の拡張や設定変更、他のプレイヤーへの入場権利付与などはできない「仲間フェロー」。

 そして拠点の主とまったく同様の権利を持つ「権利者マスター」。



 *────



「でも、フーガ、くん。いろいろ、やる、よね?

 マスターの方が、べんり、かも?」

「そりゃそうだが――」


 思わず、右手の人差し指で頬を掻く。

 面映ゆさをごまかす様に。


「少しはこう――」

「ぅん?」


 だめだ。

 いまのカノンとの――距離感がわからない。

 彼女も、もう成人しているはずなのだが。

 それなのに、どうしてここまで、あの頃から変わっていない。

 まるで4年間、時間が止まっていたかのようだ。

 そんなはずはないのに。


「まあ、勝手知ったる仲だしな。

 じゃあ、悪いが少しだけ、お邪魔してもいいか?」

「邪魔じゃない、し…… ――いい、よ?」


 そんな風に言ってくれる、カノンに。

 胸が、きゅっと――締め付けられる。


「……ん、じゃあお邪魔します」


 彼女の言葉に心の中で狼狽する俺に平手打ちを一つかまし、腹に力を入れて覚悟も決めて、俺は彼女の脱出ポットの中へ誘うタラップに、足を掛けた。

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