エイス 10

 陽が落ちて暗くなった路地裏で、占い師の男の声が、静かに通る。大げさな身振り手振りを混ぜ、巷に出回っている王女失踪の話を分かりやすくまとめた。その話は、事前に得ていた情報や、城から聞いたものよりも、幾分あいまいなものが多かった。だが大筋は、ラトスが知っているものと大差ない。


 その程度かと、ラトスは半ば聞き流しはじめていた。ところが、しばらくすると占い師の男は、声を低くした。笑っているような声から、事務的で冷たい声に変え、話をつづけた。



「隠された場所?」

「ええ、そうです」


 占い師の男はうなずいた。笑っているような声ではなくなったが、人形のような笑顔はそのままだ。かえって不気味さが際立っている。


「エイスの東門を出てしばらく進むと小さな沼があります」


 言いながら、占い師の男は宙を指でなぞりはじめた。

 指先は、エイスの東門から出て十数日は歩いた先にある別の国までえがいた。それから占い師の男の指先は、エイスとその国の間に向けられた。その位置は、エイスの城下街からは少し遠いように思えた。歩けば二日か三日はかかるだろう。


「そこに探しているやつがいるのか?」

「そうです。そこに、隠れています」


 つまり監禁されているのだろうか。

 占い師が宙にえがいた絵の指差した場所は、エイスの国の北東である。国と国をつなぐ大道からは大きくはなれていた。それどころか、行商人も通らない野路もない。占い師の男の言葉をそのまま信じるならば、深い森の中に、隠された場所という小さな沼があるということになる。


 エイスの国は大森林の中に造られている。道もないようなところは不便以外何もない。誘拐されている可能性が高いことは分かっていたが、そんな辺鄙な場所に王族を隠すだろうか。身を隠すにしても、度が過ぎれば不測の事態に対処できないだけになってしまうだろう。


「そこにいるとして、だ」


 真偽は後で考えればいい。

 ラトスは占い師の指先を見ながらそう言うと、自分の顔を手で撫でた。占い師の男の顔をのぞくように見る。男は人形のような笑顔のままだった。


「そこで俺は、どうすればいい?」


 笑顔を作ったままの占い師の男をにらむようにして聞く。


「合言葉を言うだけでよろしい」

「合言葉だって?」


 そうですと、占い師の男はうなずく。

 人形のような笑顔で目の奥をぎらりと輝かせた。


「その沼のあたりに、珍しい小石、いや砂粒ですかな。まあ、それは行って見ていただければ分かるでしょう」


 そう言って、占い師の男はその場で膝と手をつき、四つ這いになった。そして、土で汚れた石畳に顔を近付けた。それは、唇の先が地面にふれるほどで、一見平伏しているようにも見えた。


「その砂粒に向かって、合言葉を言うのです」


 地面に口を近付けたまま説明する男は、冗談を言っているようではなかった。いや、騙すのであればもう少し受け入れられやすい話をするに違いない。


「なるほど」


 ラトスは左手をあげてうなずくと、四つ這いの占い師に右手を差し出した。


「それで。その合言葉というやつは何だ?」


 ラトスの言葉に占い師の男は、今までで一番の笑顔を見せてくる。

 差し出された右手を取り、起き上がった。やはり不気味な顔だった。この短時間で、何度そう思ったか分からない。


 占い師の男は、膝の土汚れを両手でたたき落とした。そして、右の手を懐に入れ、何かを取りだした。なんだと訝しむラトスに、占い師の男は右手のひらを開いてみせた。そこには、小さく折りたたまれた紙きれがあった。ラトスはためらいながらも、紙きれを手に取り、開いた。そこには、この国の言葉ではない文字がひとつだけ書かれていた。


「何と書いてあるんだ?」


 ラトスは紙の上の文字をじっと見て、しばらく考えたが、読むことは出来なかった。仕事柄色々な国をめぐっているが、こんな文字は見たことがない。


「そこには、≪パル・ファクト≫と書かれています。それが、合言葉です」

「聞いたこともない言葉だ」

「使われていない言語なのです」

「……古語か」

「ほう。驚きました」


 占い師の男は、大げさに驚いた表情を作って、両手を広げて見せた。

 その仕草はあまりに大仰で、舞台の上で何かを演じている役者のようだとラトスは思った。占い師とはこういう雰囲気を作り出そうとするのが好きなのだろうか。


「まさしく。これは古語です」


 ニヤリと笑って、ラトスの手の上にある紙を指差した。


「とにかく。これでいけるのだな?」

「ええ。それだけで」

「分かった」


 ラトスはそう言うと、懐から金貨を一枚取り出して、占い師の男に手わたした。その金貨は、エイスガラフ城で依頼と共に受け取った前金の半分だった。

 金貨は、たった一枚で半年は暮らせる価値がある。自分の情報にそれだけの価値があると信じている者は、何の疑いもなく金貨を取るだろう。だが、少しでも偽りが混じっていると自覚していれば、手や目の動きに少し迷いがでるのだ。よほどの訓練をしていなければ、それを演技で隠し通すことなどできない。


 そして占い師の男はというと、前者であった。

 彼は不気味な笑顔をくずさなかった。金貨を受け取るとすぐに懐にしまって、ラトスの顔をのぞき込んでくる。


「きっと、良い旅になると保証します」


 のぞき込んできた笑顔は不気味さを増していた。

 その瞳の奥はやはり、笑っていないようだった。

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