プロローグ

 生き物が死に絶えたかのような夜に、枯れて干からびたトウモロコシ畑をかき分けながら二人の男が現れる。空には目が痛くなるほど綺麗な月が輝いており、明かりを持たなくても周囲を見える。

 男の一人はテンガロンハットを被り、頑丈そうなあごには髭、がっしりとした体格に、腰には銃を納めたホルスター、反対側にはハンティング用の小ぶりな手斧を掛けている。そして背中にはボーガンを背負う。ハットが月光を遮り表情までは見えないが、その奥で輝く眼光の鋭さは力がこもっていた。

 男はしゃがみ込み地面を確認すると月光から逃れるように、ムカデや蜘蛛などの虫が塊となって、足跡のように蠢いている。背筋がゾッとする光景に、男は唾を吐くと立ち上がり、視線を道の先の家に向けた。今まさに通ってきたトウモロコシ畑を管理していた家だろう。家に明かりは無い。

 決して大きくはないがみすぼらしさは感じない二階建ての住宅。元は白かったであろう外壁は塗装が所々はげ、朽ちかけてることが暗がりにも分かる。

 男は背を伸ばして、肺にいっぱい空気を吸い込むと、それをゆっくり吐きだす。そしてベルトに手を掛けて家を眺めた。その隣にもう一人の男が肩を並べて立つ。

 火の灯ったランタンを持っており、質素で何の飾りのないその服は黒で統一されたもの。首から上の白い顔が余計に際立った。首からは、こちらも何の装飾も施されていない簡素な十字架を掛けている。

「牧師様よぉ。あそこが、ねぐらみたいだぁな」

 テンガロンハットの男は、視線を目前の家から外すことなく、しわがれたダミ声で隣の牧師に話しかける。牧師は十字架を握りしめ、小さく頷く。

「保安官。準備はいいですか?」

 テンガロンハットを被った保安官に比べれば、若そうな声だ。その言葉に保安官は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。そしてどちらが合図したわけでもなく、二人は顔の下半分をバンダナや布で隠して歩き出す。

 二人は家から目を離さず、さらに周囲も警戒しながらゆっくりと進む。砂利を踏む音がやけに大きく聞こえた。家に近づくほどに感じる違和感。暑さを感じるほどの気温が、一歩ずつ踏み出すごとに下がり、しまいには吐く息が白くなるほどだった。家の脇には大量の虫が塊となって蠢く。おそらく大きさから犬だろう。そして少し離れた所にも、黒く蠢く虫の塊が。ニワトリだろうと判断する。

 保安官は息苦しそうに口元のバンダナをいじると、腰のホルスターから銃を掴む。使い古されたシングルアクションのリボルバーだ。

「そんなもので倒せるなら、とっくに倒せているでしょう?」

 保安官の姿に牧師は声を潜めながらたしなめる。それには保安官もバツの悪そうな顔をして(バンダナで隠れていたが、おそらくそんな顔をした)、銃を腰に戻してから背負っていたボーガンを取り、矢をつがえる。輝きからして木製ではなく金属、それもおそらくは銀だ。

「すまん。ついクセが出ちまったぁ」

「しっかりしてください。ようやくここまで追い詰めたのですから」

「わぁってるよ。これまでにどんだけの奴らが犠牲になったか。そのツケを払わせてやるぜ」

 その言葉には隠しようのない怒気が含まれていた。牧師は静かに頷くが、彼も同じ気持ちだ。牧師はベルトに挟んだ祭事などで使う、片手で持てる十字架を持つ。

 玄関までたどり着く頃には、鼻をつく異臭を感じた。肉の腐る臭いだ。家の中から無数の羽音も聞こえてくる。保安官が玄関に手を掛けると、扉は抵抗もなく開かれた。

 そして中から大量のハエが飛び出す。思わず顔を背け、身を翻す保安官。牧師も一瞬怯んだが、ランタンの光を掲げて一歩踏み出した。呟くように祈りを唱えながら進む牧師に、ハエたちは避けて飛び去る。保安官もその後に従い中へ中へと足を踏み入れた。


 廊下、そしてキッチンには、すでに原形をとどめていない、この家の住人だったものが転がっていた。その中には小さいものもある。牧師は目を伏せ、保安官は怒りに鼻息を荒げる。

 ハエが飛び去り、静かになった家にすすり泣く女の声が次第に聞こえる。それは小さく消えてしまいそうなのに、家中に聞こえた。


 二階からだ。


 階段を上がり、突き当たりの部屋に女がいた。

 白いドレスを着て、二人に背を向けて泣いていた。鳴き声はすすり泣きから嗚咽へと変わっている。二人が部屋へ入った途端、女が泣くのを止めた。そして、急に部屋の扉が閉まる。

 月明かりを背に振り返る女は整った顔をしていたが、その目には白目がなく真っ黒。さらに開いた口から大量の虫が吐き出されていた。

 恐怖に一瞬引きつったが、保安官はボーガンの引き金を何とか絞る。

 二人に飛びかかろうとした女の胸に矢が深く突き刺さり、背後の壁に打ち付けた。

 耳を覆いたくなる不快な叫び声を上げる女は身を悶えて銀の矢を引き抜こうとしている。保安官は再度、ボーガンを装着して撃った。今後は肩をえぐる。

 すると女は泣き始めた。

「痛い・・・・・・痛い・・・・・・助けて・・・・・・」

 若い女の悲痛な声だった。先ほどまでの恐ろしい顔が嘘のように、うら若き乙女が顔をしかめて苦しんでいた。だが、対峙する二人は無表情。

「もう、諦めなさい。魔女め。あなたの行いを悔い改める時が来たのです」

 魔女と呼んだ女に向かって牧師が十字架を掲げる。すると魔女は顔を変えて苦しみだし、理解できない言葉を唱え始める。

「さぁ、悔い改めなさい!」

 魔女の呪詛のような言葉を大きくなる。すると瞳が赤くなる。

「目を見てはいけません。惑わされます」

 牧師の言葉に、保安官はハットのツバを下げて視線を外す。その誘惑の目に何人もの者が命を落としているのだ。

 牧師が十字架を手に祈りを唱えれば、魔女は苦痛に顔を歪める。しかし次第にそれは笑いへと変わる。

「忌々しい人間だ。忌々しい十字架だ」

 魔女がかすれた老婆の声を出し、その姿が一気に老けたかと思うと、十字架が真っ赤になり牧師の手を焼いた。あまりの熱さに思わず手を離し、十字架が床に落ちた瞬間。魔女の体が無数の虫へ変わり、崩れ落ち、牧師へ襲いかかる。

 動けない牧師を突き飛ばすようにして保安官が前に躍り出るとボーガンを放つ。矢は虫を弾き飛ばし、悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、そのまま大量の虫が保安官を吹き飛ばす。

 壁に押しつけられる保安官の体を虫たちが這い、噛みつく。必死に手を振り回して、どかそうとするも次から次へと押し寄せてきた。咄嗟に腰の銃を抜き、撃つが全く効果が無かった。


 そして目が合った。


 真っ赤な瞳だ。虫たちの間から保安官をのぞき込んでいた。目を背けようとしたができない。身動きが取れずに為す術がなかった時、牧師がボーガンの銀の矢でその目を突き刺した。

 家が揺れるほどの悲鳴と共に、保安官の体は虫から解放される。

 虫は一瞬、散り散りになったがまた一つに集まり、女の姿に戻る。

 牧師は再度、十字架を持って、魔女に突きつける。

 十字架は真っ赤に熱せられ、手を焼くが、牧師は離さなかった。祈りを唱えて魔女を圧す。魔女の目が牧師を捉える。気を失いかけるが持ち直し、抵抗した。

 肉の焼ける臭いが部屋を充満し、十字架を持つ手が震える。魔女の赤い目は真っ直ぐ、牧師を見つめた。牧師は祈りの言葉と共に、口の中にある違和感を吐き出す。虫が出てきた。

 もう意識が切れそうな時だった。

 魔女の後ろから、保安官がハンティング用の手斧を頭部に振り下ろす。見つめられていた視線が逸れたことで、牧師への呪縛は解ける。だが魔女がダメージを受けた様子はない。半分潰れた頭部はすぐに再生し、体は牧師に向いたまま、首だけが真後ろの保安官を向け、威嚇するように口を大きく開ける。

「気色悪ぃんだよ!」

 手斧を再度振り上げて、両手で渾身の力を込めて振るう。魔女の首は斧によってはねられた。

 しかし、魔女の首は一瞬で虫の塊へと変わり、体に戻ろうとする。

 保安官は牧師が持ってきたランタン(先ほど十字架と一緒に床に落とした)を取り上げて、魔女の体に叩き付ける。炎が上がり、魔女の体を焼いた。

 魔女は悲鳴を上げて身を悶えたが、次第に笑い声へと変わり。最後は無数の虫となって散り散りに霧散した。

 床を這い回る虫を忌々しそうに踏み潰す保安官は、ひとしきり踏み潰したところで、まだ息の荒い牧師の元へと向かう。

「大丈夫・・・・・・な、わきゃないか。虫、ゲロってたしな」

「他人事だと思って・・・・・・」

 半分笑いながら心配してくる保安官に、非難するように言う牧師。

「今ので奴は死んだと思うか?」

「はい・・・・・・と、言いたいですが、残念ながら違うでしょう」

「だよな」

 頭を掻きながら保安官は牧師に手を貸して立ち上がらせると、家から外へと出た。


 先ほどまでの重苦しく、そして凍えるような空気はすでに無い。暑く新鮮な空気に、微かに腐臭が混じる。保安官は松明を用意して、家に火を放った。

 瞬く間に燃え上がる家。近くに転がる動物の死骸もまとめて燃やした。

「クソが、逃がしちまったなぁ」

 火の粉が上がる火柱は赤々と夜を照らす。そんな炎の光にも負けないほど綺麗に輝く月を見上げながら、保安官は悪態をついた。

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