クレーマーの対処法
神崎あきら
第1話
電話のコール音が鳴り響く。それを呼び水にひっきりなしにコール音が続く。月曜日は特に電話が多い。この大手家電メーカーの委託を受けたお客様サポートセンターではとりまとめの男性課長が1名、10名の女性スタッフがシフト制で働いている。入社して1年になる秋山葉月はやっとひととおりの業務にも慣れ、先輩に交代してもらわなくても対応を自己完結できるようになってきたところだった。
顧客の要望は様々で、製品の使い方や修理の依頼など多岐にわたる。もちろんクレームじみた電話も多い。気の済むまで怒鳴り散らし、もうお前のところの製品は二度と買わないなどと捨て台詞を吐いてそれ以降電話がない顧客はまだ可愛い方で、常識では考えられない理由をこじつけてネチネチと文句を言い始め、そのまま自分の身上の愚痴になったり、泣き出したり、平気で3時間以上話し続ける中年女性、時には男性なども多い。若い男からのセクハラじみた電話もある。そうした人たちにもメーカーのイメージを落とさないよう丁寧な対応をするよう指導されている。
「はい、はい、それは誠に申し訳ありません」
葉月は画面に向かって頭を下げていた。不思議なもので電話なのでこちらの様子が見えないのに、自然と相手が目の前にいるような動きをしてしまうのはこっけいだと自分でも思う。
「本当におたくの製品は持ちが悪いのよね。何で掃除機がこんなに早く壊れるのよ」
それは2003年製の掃除機に対するクレームだった。電話の先では始終不満そうな中年女性がずっと自分のペースで話している。
「自分の住む家はいつもきれいにしておきたいのよ。大事に使ってるのよ~、それなのに吸い込みが悪くて、もう5年以上も我慢しているわ」
だったら新しい製品を買えばいいじゃない、葉月はそう思いながら中年女性の話を傾聴する。この手のどうしようもないクレームは相手の気が収まるまで対応し続けるしかない。新しいものを買ってくれなどと言おうものなら烈火の如く怒り出すだろう。
「あんた、人の話を真剣に聞いてるの?馬鹿にしてるんじゃないでしょうね」
突然スイッチが入ったようだ。
「は、はい。伺っております。大事なご意見は当社の製品開発にも伝えて・・・」
「そんなことじゃないよ!」あんた何?バイトなの?小娘が偉そうにするんじゃないよ!」
葉月の言葉を遮って怒濤の如く罵声が浴びせられる。画面にはこの女性の電話番号からの履歴が残っている。72回。今年の2月が初めてで、この4月でこれだけの電話をかけてきている。履歴は案件1つについて作られるので、2003年製の掃除機のクレームでこれだけ話をひっぱているのだ。
「上司を出しなさいよ、バイトじゃ話にならなわ」
「申し訳ありません」
「謝ってもすまないのよ!上司を出せ!」
何に謝っているのか葉月も分からなかった。バイトじゃない、悔しくなって唇をかんだ。お待ちください、と保留にして相談役の先輩のもとへ声をかけに行く。センターの主任を務める高階千佳子は10年以上のベテランで、このセンターをよくとりまとめている。若いスタッフが対応困難なクレームに当たっていると代わりに対応して収めてくれる。その凜としたした声の響きと的確な対応は模範的なものだった。
「高階さん、すみません、どうしてもこれ以上は上司にって・・・」
高階は目にくやし涙を浮かべる葉月の肩を叩いた。
「よくがんばったじゃない。例の人ね、大丈夫、交代するわ。ちょっと休憩してきなさい」
高階は葉月の座っていた席に座り、対応を始めた。
「もうダメかもしれない・・・」
葉月の情けない声に同期の美咲がよしよしと慰める。昼休憩の食堂で葉月はうなだれていた。
「あんたがそんなにへこむなんて珍しいじゃない」
「だって、バイトって言われたんだよ」
「あ~個人攻撃タイプかあ」
製品がボロだ不良品だと言われたところで自分が作っているわけでもない。それに対する罪悪感はない。しかし、クレームの対象が自分に向かってくることがある。言葉遣いがおかしいだの、親の教育が悪いだの、そういう悪意が自分にぶつけられることが一番応えた。
「私たち頑張ってるよ!同期は半年以内に3人やめちゃったけどね・・・」
コールセンターというのは入れ替わりが激しい。人の悪意を受け続けていては真面目な子ほど精神を病んでいくのだ。
「しかもあの朝イチからかけてくる掃除機おばさんでしょ、仕方ないよ誰も抑えきれないってあの人」
あれだけの頻度電話をかけてきて、毎回3時間はゆうに年代物の掃除機の文句を言い続ける中年女性なので、そういう有名人はスタッフの間でもよく知られていた。誰もが最低でも2度は担当している。
「掃除機おばさんなんて呼ばれてるんだあ」
「そうそう、ほんとどこに住んでるんだろうね、近所にあんな粘着な人がいると思ったらその方が怖いよね」
美咲の軽快なトークで少し気が晴れた。葉月は午後からも仕事を頑張ろうと気持ちを切り替えた。
「高階さん、先ほどはありがとうございました」
食堂からセンターへ向かう途中に高階とすれ違った。高階は穏やかな笑みを浮かべる。細い金縁のメガネが真面目で誠実な印象を与えている。
「落ち込まないでね。ああいう人もいるから、でももう大丈夫よ」
「話がついたんですか?」
「ええ、片付くわ」
あんなクレーム電話が趣味の人をどうやって、と葉月があっけに取られているうちに高階は通り過ぎていった。
「すごいよねえ、高階先輩、面倒見がいいし、クレームキラーなんて呼ばれてるけどお客さんをちゃんと納得させて解決してるし」
美咲は高階を尊敬している。このセンターのスタッフは高階の面倒見の良さとマネジメント力に助けられているところが多い。課長からの信頼も厚い。高階が異動してくる前はスタッフの離職率がもっと高かったそうだ。私もあの人を目指そう、と葉月は前向きな気持ちでヘッドセットを装着した。
それから1週間後、奇妙な事件が世間を騒がせた。集合アパートで中年女性の遺体が見つかったというのだ。それだけなら新聞の地方欄にでも載って終わりそうな事件だったが、遺体には舌が無かった。舌は鋭利な刃物で根元から切り落とされており、部屋の中で見つかったという。その猟奇性からマスコミは事件を面白がって報道した。単身赴任の夫がいるが、実質一人暮らしだったこと、近所付き合いでトラブルは無かったこと。平凡な主婦がなぜ、そんな見出しが躍った。切り取られた舌は古い掃除機で吸われてノズルの途中につまっていたこと。住居を捜索していた刑事が掃除機から血が流れ出していることに気がつき、詰まっているものを取り出したところ人間の舌だったという。
「はい、ではお手数ですが書類をお送りしますのでリペアセンターへ送料着払いで送っていただいてもよろしいでしょうか」
葉月は修理依頼の電話を対応していた。相手の女性は高齢だが口調はしっかりしており、丁寧に申し訳ないですね、と繰り返した。
「ありがとう、修理をよろしくお願いします」
「承りました、それでは発送をよろしくお願いします、ご利用ありがとうございました」
とても感じの良い顧客だった。クレーム対応が悪目立ちする仕事だが、こうした感謝の言葉も多い。葉月はそこにやりがいを感じていた。
「最近元気そうじゃない」
食堂で美咲と会った。
「そうね、最近面倒なクレームに当たらないのよ」
明るい顔の葉月を見て美咲は安心する。
「良かったじゃない、私はここ最近貧乏くじが多くて。その名も炊飯器おばさん」
「なに、それ」
葉月は吹き出した。顧客を家電製品で呼ばないでよ、と笑いながらツッコミを入れる。
「それがね、お米が美味しく炊けなくて、炊飯器が悪いっていうのよ。この間もべちゃべちゃなご飯になって、捨てる羽目になったから弁償しろって。あんたの水加減が悪いんじゃない。もうこっちが考えつかないようなクレーム、その発想がスゴイわ」
美咲は面白がっているようだった。この仕事はいちいち気にしていたらやっていられない。気分転換が上手く、おおらかな美咲はめちゃくちゃなクレームを受けても愚痴をひとしきり言ったらすっきりしてしまうようだった。
聞けば、炊飯器おばさんもなかなかの粘着質で、ここ最近出現してほぼ毎日の頻度で電話があるらしい。泣かされている子も何人もいると聞いた。
「だから、何度言ったら分かるの!うちは家族に美味しいご飯を食べてもらおうと一番スペックが良い商品を買ったのよ!それにお米も良いものを使っているし、それが台無しよ!何でこんなにべちゃべちゃにしか炊けないの!不良品じゃない」
当たってしまった。葉月は初めて炊飯器おばさんに当たった。データを見れば、製品は昨年製造されたもので、まだ新しい。
「お水を少し減らしてみては・・・」
「何よ!?あんたも指図する気?あんたいくつ?ご飯炊いたことあるの?」
葉月の下手に回った提案にも怒りが爆発したのか、こちらまで唾が飛んできそうな剣幕でまくし立てられる。相づちを打つ間もなく続けられる罵詈雑言に葉月はそういえばあの掃除機のおばさんは最近当たってないなあと気がついた。誰が対応するかは電話を取った順番で運次第のところはあるのだが、それでも1週間に1度、悪ければ3度は対応していた。
「掃除機・・・」
葉月は思わずつぶやいた。
「は?掃除機?私は今炊飯器の話をしてるんだよ、あんた人の話を聞いてないわね!上司を出しなさいよ!」
掃除機のノズルに舌が詰まって・・・、まさかね。肩を叩かれて我に返った。見かねた高階が交代しようと言っている。
「す、すみません」
「いいのよ、ちょっと休んでいらっしゃい」
上の空だった葉月を怒る様子もなく、高階はヘッドセットをつけて炊飯器のクレームに対応を始めた。
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