1章 プロローグ 雪月花

「人が人を食べる為に、人を殺すという行為は、果たして悪いことなのかな?」


 成田紫苑なりた しおんという名前のこの上級生は、学校内で孤立した存在だった。それはワインレッドに染められた奇抜な髪色の所為かもしれないし、こうやって何の前触れもなく悪趣味な質問を投げかけてくるからかもしれない。同じくあまり友達のいない私には、その理由がてんでわからないのだけども、まあ月並みなことを言ってしまえば成田先輩が変人だからだろう。


「悪いですよね、明らかに」


 人が人を殺す――この時点で既にアウトだ。そこにどんな目的があろうとも、どんな理由が介在しようとも、殺人という行為は悪でしかない。


「つまり依古島 よこじまさんは死刑反対派なのかな?」

「死刑は別だと思いますけど」

「どうしてだい?」

「人を殺した人間は、その時点からもう人間とは呼べないと思うから、です」

「やっぱり依古島さんは面白いなぁ」


 私と成田先輩は写真部に所属していた。部員は二名。言わずもがな、私と成田先輩だけである。生憎とお互いに写真を撮る趣味は持ち合わせていなかったが、新聞部は活発に活動していたし、文芸部も学期ごとに文集を発表しているという話を聞いて、シャッターを押すだけでまあどうにかなるだろうという安直な理由で入部を決めた。おそらくは、成田先輩も似たような理由でこの部活を選んだはずだ。

 部活動の参加が義務づけられている高校に入学してしまったのが運の尽き。最初こそそんな拘束めいた校則を恨めしく思ったが、今では随分とそんな負の感情も薄れてしまっていた。食事中にこういう話題を振られるのは、甚だ迷惑ではあるのだけれども、成田先輩との会話は決して嫌いではなかった。


「じゃあ、人が人を食べるという行為についてはどう思う?」

「死肉をってことですか?」

「つまりそういうことになるかな」

 先輩は私のお弁当箱に視線を落としながら言う。


「んー、死体損壊罪とかに該当するんじゃないですかね、それ」

「依古島さん、ねぇ依古島さん。わたしはあくまでも倫理的な話をしているんだよ。仮にそういう法律がなかったとして、依古島さんがどういう風に思うのかをわたしは問うているんだ」


 窓の外には昼休みの喧騒。ドアの向こうには埃のように降り積もった静寂。旧校舎と呼ばれる木造建築の三階は、我らが写真部の貸し切り状態だ。


「理由次第じゃないですか?」

「例えばどんな理由があれば、依古島さんは人を食べてもいいと思うのかな?」

 私も机に載せた弁当箱を一瞥した。今日のおかずは昨晩のあまりもの。つまりはハンバーグである。


「知っているかもしれないですけどアンデスの奇跡とか――いわゆる遭難における極限状態であれば仕方がないとは思いますよ。でも、それでも件の生存者は、後ろ指を指されたらしいですけど」

「依古島さんがその飛行機事故を知っているなんて意外だね。キミはもっとこう、世間とか人間とかには無関心なのかと思ったけど」

「そうですかぁ?」


 私は昼休みにそぐわないその話題を振り払うように頭を振って、一口サイズに丸められたハンバーグを桃色の箸で突き刺した。私と成田先輩のこうした雑談は週に三日、月曜日と水曜日と金曜日の昼休みと放課後に行われている。始めこそ生真面目に、部室に置かれていたカメラを首から下げて校外へと足を運んでいたのだけども、特にこれといった理由や示し合わせもなく、自然とそんな習慣は消滅していた。一年が経った今ではこうして机を向かい合わせにくっつけて、中身のない会話を繰り返すだけだ。


「ところで依古島さんには何か食に関する面白い話題はないのかな?」

「あ、食に関する面白い話だったんですね、今の」

 私は好物のハンバーグをあまり咀嚼せずに飲み込んだけども。


「んー、難しいですねぇ。成田先輩が面白いと感じそうな話題ですかー。んー、んー」


 駅前のクレープ屋さんの割引が云々と今日の朝、私の隣の座席に座る女生徒が盛り上がっていたのだけれども、成田先輩がそんな可愛らしい感じのテーマで喜ぶとは、到底思えなかった。


「あー、そうだ。これは私の妹の話なんですけど」


 だったらこれが一番か。中学校の修学旅行の晩にぶち込んで、恋愛トークで盛り上がる部屋の空気を暗澹とさせたこの話が適当だろう。


「うんうん?」


 ほら、食いつきはバッチリだ。上半身を乗り出して頷く成田先輩に、私はぽりぽりと頬を掻いてから続けた。


「私の妹は生まれた時から病弱でして」

「依古島さんは双子だったかな、確か」

「あ、いえ。んですけどね」


 三つ子のうえに予定よりも一か月ほど早くこの世界に飛び出してしまった私たち三姉妹は、互いに未熟児ではあったものの、一人も欠けることなく無事に退院を果たしたのである。


「まあそんなこんなで一番下の妹は、十歳まで生きられるかどうかわからない、とまで言われていたのですが」

「そう宣告されて本当に十歳までしか生きられなかった人をわたしは知らないよ」

「まあ実際、妹も生き延びたんですけどね」


 三つ子ということで、中学校に進級する際には制服代だけでもかなり痛い支出だったはずなのに、うれし涙を流した両親の姿を今でも私は鮮明に覚えている。


「それでもやっぱり彼女は病弱で、どうしようもなく虚弱で。十四歳の誕生日を迎える前に寝たきりになってしまったんですよ。肺炎とか、その他諸々をこじらせて」

「それが食べ物とどう繋がるんだい?」


 興味深そうに耳を傾けてはいたものの、やはりその疑問に行き着いたらしい成田先輩に、私は頷いてみせた。本題はここからだ。


「意識がない人間は食べ物を食べられないじゃないですか。でも点滴だけだと一日に必要な量のカロリーを摂取? できないらしいんですよね」

「へぇ」

「このままだと長くは生きられないんです。なんか免疫力がどんどん衰えていくとかそんな感じの説明をされたっけかな。そこで妹の担当だったお医者さんは、私たち家族に三つの選択肢を突きつけたのです」

「段々と面白くなってきたね」


 不謹慎ではあるのだけども、そこはまあ成田先輩。私自身とっくに過去の出来事なので、もはや他人事のように話せてしまう。


「一つ目は鼻から管を射し込んで、その管から食べ物を流し込むというものです」

「わたしはインフルエンザの検査で綿棒みたいなのを鼻に突っこまれたことがあるけど、あれは苦しかったよ」


 苦笑いを浮かべた先輩に、曖昧な微笑で返事をした。


「二つ目はちょっとした手術を行って、腹部に穴を開けるというもの。その穴から食べ物を直接流し込むらしいんですけど、一つ目との違いは、この方法なら自宅で介護をすることができるらしいんです」

「じゃあ今のところはそれが最善の方法だとわたしは思うね」


 先輩の声音は珍しく弾んでいる。先輩のそんな声を聞くのは、近所の博物館でたくさんの剥製を観たとき以来だ。


「そして三つ目が、このまま何もしないという選択です。を持ったまま――っては言っていましたっけね」


 この話で何よりも重要なのは、妹の意識が戻るのか否かという点だったが、残念なことにその可能性は非常に低いという話だった。枯れ枝のように細くなった脚や、床ずれが原因で鮮やかなピンク色に腫れ上がった痛々しいその膝は、きっとこの先一生忘れることができないだろう。


「それで。依古島家はどういう答えをだしたんだい?」

「二つ目ですよ。週に何度か専門の人を呼んで、自宅で介護をしようという話になったんです」


 中小企業に勤める父の収入では、金銭的な意味でも苦しい選択だったとは思うが、父は決して悩んだりはしなかった。辛い思いをさせてしまうかもしれないけど、と目に涙を浮かべながら私たちに頭を下げた。


「まあ、そうだよね」

 少し残念そうにして、成田先輩はたまご焼きを頬張った。


「それで、妹さんはご存命なのかい?」

「いや、死にましたよ。手術を受けるその前に」

 我が妹――依古島花代よこじま はなよの物語は僅か十四年で幕を下ろしたのである。

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