ダンジョンマスターはおとぎばなしを夢みてる
くれは
プロローグ エメと冒険者
第一話 エメはレベル100のテオドールが好き
エメは荷馬車の御者台で父のヤニクと兄のバジルに挟まれて、足をぶらぶらとさせていた。
エメよりも十歳上の
「気が早いよ、エメ。さっき村を出たばかりだろう。レオノブルに着くのは夕方だ」
「街に行くの初めてなんだもん。ずっと楽しみにしてたんだもん」
「今からそんなだと、すぐに疲れっちまうぞ。ちょっと大人しくしてろ」
自分の足に当たるエメの踵に我慢ならなくなったのか、バジルがエメの膝小僧を軽く叩いた。エメはそれで慌ててお行儀良く膝を揃えて、両手を膝に置く。馬車がガタガタと揺れるものだからエメはじっとしていられなくなって、またすぐに足をぶらぶらさせ始めた。
「バジル兄さん、お話聞かせて。ダンジョンの話」
馬車の上でそわそわしていたエメだったが、やがて待つことにも飽きてきて、バジルにお話をせがんだ。
「俺が知ってる話は、お前はもう全部知ってるだろ」
「でも聞きたい!
バジルは苦笑して、エメの頭に手を乗せて前髪をくしゃくしゃにした。エメは「もー」と言いながら前髪を手櫛で整える。肩よりも少し長い髪は、七つ上の
「話したら大人しくしてろよ」
そう言って、バジルはレベル100の
よく晴れていて、穏やかな空気だった。馬の蹄の音と、車輪が回る音、それから荷馬車が揺れる音を背景に、
エメは五歳の少女だった。
暗くくすんだ小麦色の髪と、暗い緑の瞳。母のナタリーには何度も「もう少し明るければ金髪だったし、目も明るければ華やかだったんだけどね」と言われた色合いだ。つまるところ、地味な色合いだった。子供らしい好奇心をうかがわせる目は大きくぱっちりしていたけれど、特徴と言えばそのくらいで、どこの村にもいそうな普通の娘だった。
エメが暮らしている村はジェルメという名前で、ダンジョンもないとても小さな村だった。エメの家族はそこで農家をやっていて、時々このように隣街のレオノブルに収穫物を売りに行く。
隣街とは言っても、朝ジェルメを出発して、荷馬車に揺られて到着するのはもう夕方に近い頃になる。その日のうちに荷馬車に載せた収穫物を売って、その日は宿に泊まり翌日の朝早い時間に市場で買い物をして、もう街を出ることになる。
エメは五歳になって、初めてレオノブルに連れていってもらうことになった。
レオノブルには大きなダンジョンがあり、冒険者向けの施設が多く、非常に賑やかな街だ。特に高レベル向けのダンジョンが充実していて、レベルの高いベテラン冒険者が集まる。初心者向けダンジョンも二つあり、これから冒険者になろうという若者も集まっていた。冒険者ギルドの講習ではダンジョン探索の合間のベテラン冒険者が講師を務めることもあり、それも若者たちの憧れになっていた。
泊まりがけで出かけること自体も初めてで、前日の夜など待ち切れず、家の中でずっとぴょんぴょん飛び跳ねていた。呆れたバジルに「早く寝ろ」と怒られて、無理矢理布団に押し込められた。
いくつもの
そうやって街に着いた時には、エメははしゃぎ疲れて父に寄りかかって眠っていた。隣のバジルに「着いたぞ、起きろ」と小突かれて目をぐしぐしとこすってから開けると、
道の両側には隙間なく家が並んでいて、それだけでエメは目を丸くした。エメの暮らすジェルメでは、隣の家に行くのだって歩いて
通りを行き交う人も多い。質の良さそうなローブを羽織っている人や、胸当てなどを装備している人もいて、あれが本物の冒険者だろうかとエメはきょろきょろと見回した。エメや父や兄のような服装の人も見かけたけれど、エメの目には埃っぽい自分たちとは違って見えた。これでも、家で一番良い服を着てきたのだ。これが街かとエメは思った。
ところどころに背の高い棒が立っている。見上げると、棒は家の屋根ほどの高さがあって、その先に何か丸いものが付いている。何だろうと背の高いそれを見上げていると、兄が「暗くなると灯りになるんだ」と教えてくれた。
「あれが光るの?」
エメが空高くを指差すと、バジルは頷く。
「魔法だってさ。時々
「いつ光るの? もう光る? 光るところ見たい!」
エメが胸の前で拳を握り、身を乗り出してバジルを見上げる。その時に荷馬車が横に曲がって、バランスを崩したエメの腕をバジルが掴んでくれた。
「危ないから大人しく座ってろ。慌てなくても暗くなったら見れるよ」
エメはまた父と兄の間に収まって座り直した。けれど、ちっともじっとしていられなくて、きらきらと大きな目を輝かせて周囲を見回していた。
もうじき夕方という時間帯で、辺りには肉を焼くような良い匂いが漂っている。立ち並んだ家の何軒かは、正面の入り口が大きく開くようになっていて、どうやら店のようだった。店の中は灯りが豊富なのか、通りかかる人たちを誘い込むように光を放っている。冒険者らしき人たちが連れ立って、そんなお店に入って行くのも見えた。
やがて荷馬車が止まって、エメは
「バジル、裏に回しておいてくれ」
「わかった」
ヤニクから手綱を預かったバジルは、少し緊張した面持ちで頷くと、荷馬車を動かし始めた。荷馬車を動かすことはこれまでもあったけれど、街中で一人で任せられたのは初めてだった。父親に一人前と認められたのだと思って、バジルの手綱を握る手に力が入る。
エメはヤニクに連れられて、近くの建物に入った。周囲の家に比べると、随分大きくて立派な建物だった。エメはぽかんと入り口を見上げる。
「エメ、ここは商人ギルドだ。いつもここで、作物を買ってもらっている。今日もそのために来たんだ。お行儀良く挨拶できるかい?」
父親はエメを見下ろして優しく話しかける。エメは大きく頷いた。
「できる」
「ご挨拶したら、話の間大人しくしてるんだよ」
「わかった。できるよ」
エメはにっこりと笑うと、ヤニクと手を繋いで商人ギルドの建物に入った。
中で、ヤニクは受付の男の人に挨拶をする。受付の男の人は穏やかで優しそうな人で、バジルと同じくらいのお兄さんに見えた。怖い人じゃなくて良かったとエメは少しほっとする。ヤニクに促されて、エメはお辞儀をした。
「エメです。よろしくお願いします」
受付の人は穏やかに笑ってよろしくと言ってくれた。
ヤニクは最近の野菜の出来だとか、バジルのことだとかを少し話した後に、近くの椅子にエメを座らせた。
「少しの間、ここで待っていてくれ。大人しく座って待っているんだよ」
父親の言葉に頷いて、背の高い椅子で足をぶらぶらさせながらエメは待った。大きな振り子時計が置かれていて、それを眺めていると飽きなかったので、ずっと待っていられると思っていた。
振り子の動きを熱心に見ていると、目の前に受付の男が立った。
「
そう言って、エメの手に
「あ、あの……ありがとうございます」
「どういたしまして。ヤニクさんも、もうじき戻って来るからね」
受付の人はにっこりと笑って仕事に戻っていった。エメはほうっと息を吐いて手のひらの上の
口に入れた瞬間、飴の甘さが口に広がる。噛むとぱりっとした歯ごたえがあった。アーモンド自体のカリカリとした歯ごたえと合わさって、噛み締める度に幸せな気持ちになった。
「美味しい……!」
エメは両手で口元を抑えてふふっと笑う。
あまりの美味しさに、戻ってきたヤニクとバジルに真っ先に報告した。ヤニクは恐縮して受付の人にお礼を言い、エメも改めてお礼と美味しかったと感想を伝えた。受付の人は「ちょうど貰い物があったので」「とても大人しくて良い子で待ってましたよ」と穏やかに笑った。
商人ギルドの建物を出ると夕暮れの空になっていて、
夜になるというのに通りは賑やかで、喧騒が聞こえてくる。明るくて賑やかな夜をエメは村の祭りしか知らない。
「ひょっとして、今日はお祭りなの?」
「祭り? ああ、いや、違うよ」
エメがヤニクの手を引いて質問すると、ヤニクはエメの勘違いに気付いて目を細めた。
「祭りの日なんか、もっと人がいっぱいいるし、もっと騒がしいよ。市場以外にも出店が出てさ」
バジルの言葉に、エメは目を丸くする。これ以上賑やかなところなんて、エメには想像もできなかった。
夕食は
興奮しすぎたエメは、ベッドに入ったら糸が切れたようにぱたりと寝てしまった。宿のベッドは二つで、エメは父親と一緒に眠った。バジルは夜に宿を出て酒場に行っていたのだけれど、そんなことにもエメは気付かなかった。飲み過ぎたりすることもなく、遅くなり過ぎる前に戻ってきたので、ヤニクもバジルには何も言わなかった。
朝早くに起こされて、もらった水で顔を洗うと三人で市場に向かった。
ヤニクはバジルに「これで布と糸を。残った分で二人で何か食べなさい。エメをしっかり見ているんだよ」と幾らかのお金を渡した。エメには「バジルの言うことをよく聞いて、はぐれないように」と言い残して、村では手に入らない食料品や雑貨を買いに行った。
市場の賑わいはすごく、エメはすぐに人垣で埋もれてしまう。バジルに手を引かれて歩いたけれど、物珍しさにきょろきょろするのは止められなかった。エメの足が止まりそうになる度に、バジルが手を引っ張った。エメは懸命にそれに付いていった。
バジルが布と糸を選んで買っている間も、エメは大人しく待っていた。店先に置かれた綺麗なボタンを眺めたりはしていたけれど、勝手に触ったりもせずに我慢していた。バジルはまるで父親のように「偉かったな」とエメを褒めた。
「何か食べよう。串焼き肉がうまいんだ」
そう言って歩くバジルは、片手に今買った布を抱えて、もう片手でエメを引っ張り、歩きにくそうにしていた。人混みの中でエメは懸命にバジルを追って歩いた。時々冒険者らしき姿の人とすれ違うと、その度に振り向いて足を止めそうになる。
肩掛けバッグを下げて他に荷物もなく身軽そうに歩いている人がいて、もしかしたらあれがマジックバッグかもしれないとじっと見詰める。その姿が人垣に埋もれるのを見送ってから、ようやくエメは、自分が立ち止まっていることと、掴んでいたはずのバジルの手がなくなっていることに気付いた。
人混みに押されて、エメは動き始める。人混みの中に兄と似た背格好の人がいて、慌てて手を掴んだのだけれど、見知らぬ人だった。
「どうしたの?」
目を見開いて見下ろされた顔を見て、エメは俯いて掴んでいた手を離した。
「ごめんなさい。間違えました」
頭を下げてから、恥ずかしくなって走り出した。その人は小さな子に人間違いをされて、迷子だろうか、誰か人を呼ぼうかと心配そうにしていたのだけれど、エメはそれに気付くこともなくその場を離れてしまった。
良い匂いに視線を動かすと、食べ物屋の屋台が並んでいる通りだった。目の前には大きな串焼き肉が並んでいる。肉の脂が火に当たって、エメの空腹を刺激した。兄が串焼き肉のことを言っていたと思い出して、エメはおずおずと屋台の男に声をかけた。
「あの……兄を見ませんでしたか?」
屋台の男は、肉を焼く手を止めずにちらっとだけエメを見た。
「どうした、お嬢ちゃん。迷子かい?」
「兄が串焼き肉のこと言ってて、だから、ここにいるかもって」
普通に考えれば、エメがいなくなったことに気付いたバジルが一人で串焼き肉を買うわけがないのだが、幼いエメはその時混乱していたし、他にどうすれば良いのかわからなかった。
「お嬢ちゃんのお兄さんは、幾つくらいだ? 髪の色とか背丈は?」
忙しそうに立ち働きながらも屋台の男はエメの相手をしてくれた。エメは話を聞いてもらえたので、泣きそうにしていた顔を持ち上げてぱあっと輝かせる。
「バジル兄さんは、今年で十五になりました。成人したので一人前です。髪の毛は、わたしと同じような色で、背の高さは……えっと、わたしよりは大きくて、お父さんより小さくて……おじさんよりも小さい、です」
「そのくらいの歳だと、今日は冒険者のお客なら来たけどね……お嬢ちゃんのお兄さんは、冒険者じゃないだろう?」
「ウチは農家です」
屋台の男は気の毒そうな顔をした。迷子なら
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