2-28 輪廻
「ほ、本当ですか?」
「はい、試合中に頭痛がすると言って、降板させたんですが、その後、気を失ってしまったので、慌てて救急車を呼んだんです。取りあえずコーチの者に付き添ってもらったんです。いまはもう意識を取り戻したみたいで、救急外来のベッドで休んでもらってます」
一応、愛琉の脳動静脈奇形のことは川上監督に伝えていた。しかし、最近は症状も落ち着いていたので、大丈夫かと思っていたが、まさかこんなところで発作が起こるとは。またしても迷惑をかけてしまった。
「あ、ありがとうございます。また、ご迷惑をおかけしてしまいすみません。と、ところで……」愛琉は休んでいると言うが、大丈夫だろうか。本人の声が聞きたくなった。「愛琉に代われますか?」
「いま、通話可能なスペースに移動して電話してるんです。なので、いま近くに嶋廻さんはいません」
なるほど。病院では携帯電話による通話は制限されることを失念していた。ついでに電話にすぐ出られなかったのは理由についても合点がいった。川上は続けた。
「嶋廻さんは大丈夫です。いまはかなり落ち着いていて、もう痛みはないと言ってます。今日は入院せずに、もうすぐ宿に戻る予定です。ただ……」
川上は言い淀んだ。
「ただ……?」
「先生が、痛みや発作が頻発するようなら、その、脳の病気の治療も考えても良いんじゃないかと言われました。野球も大事かもしれないけど命の方が大事と」
「……」
「私は、保護者じゃないので、『伝えておきます』とだけ言いましたけど、後遺症も少なからず出るしリハビリも必要と……、ああ、私も嶋廻さんの野球人生を考えると、とても辛いのですが」
「そ、そうですか……。ち、ちなみに試合は」
「残念ながら、負けてしまいました。嶋廻さんが投げた4回までは、8奪三振のパーフェクトピッチングでしたが……」
きっと代わった投手が打たれてしまったのだろう。
「すみません」
「いえ、こればかりは責められんです。嶋廻さんの活躍によって、チームの初勝利どころか準決勝進出までもたらしてくれましたから」
「ありがとうございます」
その後、川上から今日は宿で一日休ませてから、明日、車で羽田空港まで送ってくれると言ってくれた。どうやら川上は車で来たらしいが、おそらく羽田は帰り道ではないだろう。ますます申し訳ないが、愛琉の発作も心配なので、お言葉に甘えることとした。
◇◆◇◆◇◆◇
明くる日、川上からは無事に羽田まで送り届けたと連絡があった。それから数時間後、宮崎空港に付いて、親が迎えに来たと電話をかけてくれたので、繁村は一安心した。愛琉によると、その後は全然、痛みはなく、ましてや意識が飛びそうになることもないとのことだった。
ちなみに、清鵬館宮崎も準決勝で惜敗したことを伝えたら、とても残念がっていた。その上で「明日、練習はいつもどおりですか?」なんて聞いて来るもんだから、さすがに、休みなさいと言っておいた。愛琉はどうしても練習に行きたいと意地を張ったが、繁村も監督として選手の安全ために心を鬼にしなければならない。
「じゃあ、明日は休みますが、明後日は行きますね! 失礼します」
最後、愛琉は怒ったように電話を切った。しかし、愛琉の頭の手術については、考えた方が良い次元に来てしまっているようだ。愛琉は手術を嫌がるだろう。愛琉は未成年なので最終的には親御さんの判断で決めることになるだろう。場合によっては、教頭と本人と親御さんとで面談をしなければならないな、と思った。
◇◆◇◆◇◆◇
「手術は、
愛琉は腕を前に組んで、強い口調で拒絶した。
愛琉が宮崎に戻って二日後、公約どおりというのか、愛琉は部活の練習にやって来た。練習に来たのは良いのだが、手術の必要性についてそれとなく示唆するや否や、この有様である。予想どおりだが、聞く耳も持たない。
「だって、手術ですよ!? 手術って脳を触るんですよね? 脳触ったら、少なくとも神経に傷つきますよね? 後遺症が残るんですよね? 野球はどうするんです!? アタシから野球取ったら何も残らなくなるんです。そんなの死ぬより嫌だぁ〜!」
愛琉は、脳動静脈奇形が破裂して命に関わることよりも、野球ができなることの方が嫌なのだという。そんな極端な考えだから、繁村監督が説得できようはずもない。
「親御さんはどう言ってるんだ?」
「親は親で手術を受けさそうと言ってます。まずは様子を見るけど、遅くても高校卒業したら手術を受けるようにと言ってます。アタシとしては、手術を受けること自体、NGなんですけどね」
愛琉は未成年と言えど、17歳の女子高生だ。もう自分のことは自分で決めたいお年頃なのだろう。本人がここまで明確な拒否の姿勢を見せている以上、親であっても手術を容認させることは容易ではないようだ。
「分かった。でも、俺は監督だしそれ以前に教師なんだから、部員たちに野球をもっと上達してもらいたいのは山々だが、それ以上に選手の安全を考えなければいけないんだ。頭痛や発作が頻発するようなら、俺の判断で野球の練習を中断させることはあることは承知してくれ。そうじゃないと練習に参加させれない」
「それは承知です」
「あと、本当に脳動静脈奇形が破裂してしまうことがあったら、俺は困る。愛琉には野球以前に、元気に生きてもらいたいんだ……」
「気持ちは嬉しいです。でも発作がないうちは、野球をさせて欲しい。野球はアタシにとっての青春であり、人生なんです」
この女子高生は、プロ野球の往年の名選手のような発言をする。
「無理は絶対するな」
最後に繁村は短い言葉で会話を締めて立ち去ろうとしたときだった。愛琉は急に笑顔になり、繁村の前に立った。
「繁村監督、そう言えば、今日誕生日ですよね?」
急に突拍子もないことを言う。今日はそう言えば4月5日。自分が36歳を迎えたことに、愛琉に言われて初めて気付いた。
「あ、そ、そうだな」
「おめでとうございます!」
「あ、ありがとう」
「今日、どうしても練習に来たかったのは、監督が誕生日だからというのもあるんですよ。みんなでプレゼントも用意しているんですよ」
「まじか?」
監督に小さな花束を渡された。思えば、部活でこんなことをされた覚えがないので、非常に照れ臭い。ところで繁村は誕生日を教えた覚えはないが。
「すみません。教頭にせがんで監督の誕生日を教えてもらったんです」
心の中を読むように、愛琉は答えた。なるほど、愛琉ならやりかねないな。
ところで、繁村は部員たちの誕生日を知らない。別に知る必要などないかもしれないが、思えばどこか壁を作っているようで寂しい話だと思った。
手始めに、愛琉の誕生日を聞いてみることにした。
「ところで、愛琉は何月生まれなんだ?」
「え、アタシは8月生まれですよ!」
「そ、そう言えば、そんなこと言ってたな」
そう言えば、8月の新人大会期間中に誕生日を迎えるって、自分で言っていたな、といまさらながら思い出す。思い出すということは忘れていたということで、つくづく選手たちのプライベートな情報に無関心である自分を情けなく思った。
「アタシは8月23日生まれです。覚えといてくれると嬉しいです!」
「8月23日!?」
「はいっ!」
愛琉は笑顔で答えるが、この日は繁村にとって忘れられない日だ。
「な、何年生まれだ?」
計算すれば分かる話だが、繁村は敢えて聞いた。
「2003年です! それがどうかしましたか?」
ビンゴだ。8月23日と言えば、白柳卓の誕生日であり、2003年8月23日は命日なのだ。何という偶然。
思えば、白柳と愛琉には気持ち悪いほど共通点が多いことに気付く。
同じ高校のサウスポーの名投手。変化球の球筋としなやかな投球フォーム。姓と名のイントネーション。おおよそ野球選手らしからぬ端麗な容姿。
そして、白柳の死因は頭部外傷による脳出血と聞いている。外因性と内因性の違いはあるものの、愛琉自身も脳出血のリスクを抱えた人間である。
ということは、愛琉もこの18歳の夏に、それも8月23日に死んでしまうのだろうか。
「愛琉、死ぬな……!」
急にそんなことを言われた愛琉は、「え、どうしました?」ときょとんとした顔で見る。
「あ、ごめん、何でもない」
慌てて、繁村は我にかえった。
しかし、この偶然、この因縁はどう説明がつくだろうか。不気味なほど共通点が多い。そしてまたあの悲しみを繁村は感じないといけないのだろうか。
花束を抱えたまま、しばらく繁村は途方に暮れていた。
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